第5話 従姉のマルガリータ
夜になっても親友の思いがけない裏切りに、くさくさした気分を拭えないでいた。
確かにハンニバルは外見からして未経験だなんて信じられない風貌をしているが、奴に彼女がいたためしがないってことは、子供の頃からつきあっている俺は誰よりもよく知っている。隠し事をしようったって、できやしない距離感が俺たちの間にはあったのだ。それなのに実際はあんな年上の恋人がいたなんて、俺だけがガキのままだなんて、これはあんまり酷い裏切りだった。
その夜は週に一度、家族ぐるみで一緒に夕食を取るティム伯父さんの一家が家に来ていて、もうお互い子供たちはでかくなったっていうのにまだ昔みたいな馴れ合いを希望する両家の親たちの眼差しに辟易しながら俺は不機嫌に夕食を済ませた。
ティム伯父さんのところは、長女のセーラはもう町から遠く離れた大学に行ってしまっているから、来ているのは次女のマルガリータ、後はガキの弟妹。うちは兄貴のフォードと俺、それから年の離れた末の妹っていう兄弟構成で、俺は兄貴とはもとから仲がよくないし、ましてや女やガキどもと話すこともないので、相変わらず実につまらない食卓だった。
早々に自分の部屋へ引きこもって、ハンニバルに件の事情の詳細を聞き出そうと思うも、電源を切られていて繋がらない。
そこへマルガリータが勝手に俺の部屋へ入って来たのだが、意思の疎通もそこそこに、マルガリータの飛び蹴りが華麗に俺のみぞおちに決まり、体勢を崩して倒れ込んだ俺は更に悪いことに後ろの壁面に頭を強打するはめになった。
咳き込み、呼吸が上手くできずに喘ぐ俺を見下ろしながら、マルガリータは両手を腰に当てた格好でこうのたまった。
「いい気味! 人の恋路を邪魔するからよ!」
「ゲホゲホッ、この男女が……」
「違うわ。単にあんたが弱すぎなのよ」
冗談じゃない、昔ならともかく、幾ら何でも今なら腕力で女に遅れを取るわけはなかった。だが、男が女を本気で殴ったらシャレにならないってことくらい心得ているんだ。俺はおまえに大いに手を抜いてやっているんだということを訴えたい気分だったが、そんなことをしたところで負け犬の遠吠えとか言われるのがおちだろうから黙っていた。
「そんなことより、ねえ、大事な相談があるの」
たった今、俺に飛び蹴りをかましたことなどまるでなかったかのような顔をして、マルガリータはそう切り出した。
「相談?」
どんなことかはだいたい見当がついていたが、分からないふりをして俺は聞き返した。
「ハンニバル君のことよ。
あたしが彼を好きだってことを、クラスの女子で知らない子はいないわ。夏休みが始まる前に、みんなに言いふらしちゃったんだもの。
まさかあんたにまで話が伝わっているとは思わなかったけど、このままじゃあたし、学校が始まる頃にはみんなの笑い者になっちゃうわ」
マルガリータが誰を好きかなんて、態度を見ていればバレバレなんだけど、交際の成立もしていない相手を好きだなんてことを自分から誰かに話すなんて浅はかさは、我が従姉ながらなんという馬鹿さ加減かという気がした。
何か行動を取る前にあまり物事を深く考えないのは、マルガリータの長所でもあり欠点でもあった。あっけらかんとしているようで、後からこうやって後悔したり悩んだりするのはいつものことなのだから、いい加減学習したらどうかという嫌味が脳裏に浮かんだが、彼女の思いの外深刻そうな表情が、それをからくも押しとどめさせた。
「ねえフォレスト、正直に言って、彼ってあんまり脈なさそうな感じなのかな……、話しかけても嫌な顔をしないし、勉強教えてって頼んだときも結構親切だったし、あたしだったら彼とお似合いだって周りに焚きつけられて、つい調子に乗っちゃったのよ。
でも今日ね、ふと、もしかしたら彼には他に好きな人がいるんじゃないかって思ったの。
だってね、そうじゃなかったら、ううん彼女がいたとしたって、大抵の男子がこのあたしに誘われてよろめかないなんてことはないはずだもの。少なくとも、これまでにはなかったことだわ」
「うーん、まあ、おまえの言いたいことは分からないでもないよ。でもさ、疑問なのは、なんで今更ハンニバルなの?
おまえって、確かに聞いてるとちょっと自信過剰かなって気はするけど、確かにその自信を裏づけるだけの顔はしてると思うし、実際もてるんだろ?
大学生の恋人が複数いるって話、つまり、卒業した上級生と今でも続いているって話も聞くんだけど、それが本当のことなら、同級生なんかより大学生とつきあってるってほうがおまえにとってずっとよくないか?
それとも、ここはこんな僻地だし、やっぱり遠距離恋愛なんてそうそう続かないものなの?」
するとマルガリータは、少し考え込むかのような姿勢をとった後、俺の反応を窺うような上目遣いで俺を見た。長い睫毛と、青い瞳と、白い肌。今夜は親と同伴ゆえの薄化粧と、丹念に巻いた金色の髪もあいまって、そのときのマルガリータはこっちが驚くほど可愛く見えた。まるで彼女がいつもの凶暴なマルガリータではないように思えて、少々混乱を覚えたほどだった。
「フォレストが、ハンニバル君の友だちだから白状しちゃうとね」
「うん」
「あたし、確かに何人かに告白されたことはあるけど、誰ともつきあったことなんてなかったのよ」
「え…、そうなんだ? そりゃまたなんで?」
「なんでって、だって、自分が好きじゃない相手とつきあって何が楽しいの?
それに、うちのママが娘たちにいつも言っていることは、結婚する人以外とはしちゃいけないってことなの。つまり、セックスのこと。本当に好きな相手に出会ったとき、絶対後悔するからだそうよ。
言っている意味はいまいち分からなかったけど、ママが言うことで間違っていたことはこれまでなかったし、あたし、今のところはそれを守ろうと思ってるの。だけどつきあったら、やっぱりそういうことって断り難いと思うし……」
「そ、そりゃそうかもな」
「あたしに告白して振られた人が、さもつきあってるみたいに言いふらしちゃったことが、こんな噂が広まった最初だったかな。
みんなあたしが遊んでるっていうふうに思いたいみたいだったし、実際そういうことで他の人より上に見られるのが気持ちよかったから、何となくそういうことにしておいたのよ。
だけど本当は、みんなが思っているようなことはまだないのよ」
「人は見かけによらないもんだな。俺はてっきり、おまえが相当のあれだと思ってたよ。
そんなんだったら、おまえの姉さんみたいに、いつも清楚な格好していればよかったのに」
「駄目よ。そんなことをしたら、他のグループの連中になめられて惨めな思いをすることになるじゃない。常にクラスで優位な立場でいるためには、強い女を演出しなきゃ」
「でもそうしていたらハンニバルに庇って貰えたかもよ。あいつほんとにおとなしい女が好きだからさ。おとなしいっていうか、地味な女」
「そうね。そんな気はしていたわ……」