5話 鬼嫁、鬼になる
「君は…全て知ってしまったんだろう? 」
「そうね。野盗に襲われた時に斬られて死んじゃってたとか、今の身体は父様が作った式神のもので、それに魂を定着させてたとか…。」
一旦彼女は言葉に詰まる。
「あとは、依り代に襲って来た野盗の魂も混じって…それで…。」
眉根を寄せながら彼女は言う。その野盗は殺した相手の生き胆を喰う事で、生きている実感を得るような異常者だった。その意識が流れ込み、彼女を人喰いの鬼に変えてしまっていた。
俺は、彼女と会った日の昼、おばあさんからそんな昔話を聞いていた。
「…そう…だ。だから、君をここから救い出すには、本当の鬼になって貰うしか無かった。」
「そう…。私は不完全な鬼から、真の意味での鬼になったのね…。」
*
結界の起点となっていた札を剣で突き刺して破壊すると、森の空気が変わる。
彼女は父親の記憶に触れて、自分の身に何が起こったのかを知ってしまったらしい。
優れた陰陽師だった父親は、死に掛けていた自分の娘の魂を、咄嗟に式神の中に入れ、自分の死後もその存在が護られるように結界を張った。
ただ、それが龍脈の真上にあった事で、永遠とも言える時間を彼女は孤独の中で過ごす事になってしまったのだった。
襲われた時に最初に斬られたのが彼女で無ければ。
結界術の発動が間に合って彼女を護れていたら。
結界の依り代として父親が自分の魂を使っていなければ。
ずっと健康で長生きをして欲しいという父親の最期の願いが、不老不死と言う形で叶えられていなければ。
きっと彼女はここでこうして居る事は無かっただろう。
「……それじゃあ、あなたの事を話してくれる? 」
じっと父親が消えて行った地面を見ていた彼女が、振り返りながら聞いて来た。
「さっき言ったとおりだよ。こことは違う別の世界で、俺は勇者をやっていた。勇者ってのは、神によって魔を払う力を与えられた者の称号で、その力を使って俺は邪神と呼ばれるモノを倒したんだ。」
「そして…『祝福』を与えられたんだっけ。」
「そう。永遠の孤独の中、世界を流浪えとかなんとか言ってたな。」
「……」
*
最後にソイツを見た時の事を思い出す。神とは言われるが、その邪神は元々神な訳では無かった。源典とか根源、アカシックレコードとか言われる、この世全ての因果が納められた場所。そこに到達して改変の出来る存在が神と呼ばれる。
勇者として徐々に名を上げて行く俺の傍に居ようと、必死になって自分の得意な魂の研究を続けた幼馴染。それが邪神の正体だった。
彼女は研究の末にとうとう源典に到達し、そして狂う。
――俺が剣を突き立てると、彼女は微笑みながら俺に『祝福』を与えた。
「最初はそれでもあまり困らなかった。だから気付かなかったんだ。100年ほど経った時には、もう知っている人間は死に絶えてて、俺は英雄としてしか扱われなくなってた。」
「それでも周りに人は居たんじゃない? 」
*
邪神を倒してからの日々を思い出す。英雄として祭り上げられてはいたものの、人が俺を見る目の中には恐怖しか無かった。
にも関わらず、力が欲しい時には甘い言葉で擦り寄って来る。そんな人々への絶望が俺の中でわだかまって行っていた。
「強い力を持つだけでも、人は人を恐れるもんだ。だから連中は遠巻きに見るだけ。自分の周りには何か見えない壁があるような気がしてたよ。ずっと。」
「そう…なんだ…。」
俺は王都を離れて、一介の冒険者として街から街へ彷徨った。あまり一か所に長くいると、すぐに正体がバレる。何しろ俺は全く変わらないから。
仲良くしていた宿屋の女将さんが、俺が勇者だと知った時、バケモノを見るような目で見た事が忘れられない。
「俺は必死でこの身体を何とかする方法を調べた。だけど、呪いではないから解呪は出来ない。俺に勇者の力を与えた神ですら、他の神に与えられた祝福を消す事は出来なかった。」
「それで、他の世界なら自分を殺せる存在が居るんじゃ無いかと思ったのね。」
「そう。だから俺は必死に探した。気が付いたら千年ほどの時間が流れてた。」
「あなたも…。」
*
それからの時間は本当に厳しかった。希望を持って噂を辿り、そして自分の祝福がどうにもならなくて絶望する。そして、絶望したところで死ねる訳でも無いからまた新しい方法を探す。俺は一人きりでそんな事を繰り返していた。
そして、やっと異世界への転移と言う方法があり、他の世界なら俺を殺せる存在があるかも知れない事に気が付く。
伝承を当たり、遥か過去にこの地に降り立った勇者の伝説を調べ、彼が来た世界に行けばそれだけ強い者が居ると期待した。
「この世界にやっと来れた時、この世界の神と会った。そこで俺は咎も徳も多すぎて、このままではこの世界に受け入れる訳には行かない事を告げられた。」
「多すぎるってなに? 」
「長く生きている間に犯した罪の多さ、為した善行の多さ。それが人間と言う器に納めるのは難しいって事。それで神は、地獄の獄卒として輪廻の輪から外れた者を救うならば、この世界へ受け入れると提案して来た。」
「それであなたは…。」
「そう。俺はこの世界でひたすら魔を滅ぼしながら、俺を殺してくれる相手を探してるんだ。ここに来たのも元々はそれが理由。」
「……。」
こちらの世界へは来れたものの、魔素の薄いこちらに居る魔物には強い者が居ない。最初はさらに絶望したが、九尾の狐や天狗と言ったほとんど姿を現さない強大な存在が居る事を知る。
そんな時に、とある妖怪を調べていた時にスカウトされて、今の会社から仕事と情報を貰う事が出来るようになった。
それから、俺は仕事として退魔を行いつつ、休みの日には各地の伝承を調べる生活を送っていた。
多分、それでも俺の孤独感は埋められていなかったんだと思う。そんな時に彼女に会って、俺はその存在に執着したのだ。
*
「君の承諾を得ずに勝手に鬼にしてしまった事は済まないと思う。」
「承諾? それならあなたとずっと一緒に居たいって言ったわ。」
何事も無かったかのように、彼女は言う。
ただ、彼女の顔からは血の気が引き、身体は小刻みに震えている。俺が気に病まないようにしてくれているらしい。
「そう望んだ俺の我儘でもあるからね。神か仏…なんて言ったら良いのか、俺をこの身体にしてくれたモノに、君が功徳を集めたら輪廻の輪に戻してもらえるように頼んである。」
彼女にそう言ったが、反応が怖くて顔を見る事は出来なかった。
不意に彼女は俺の前に立つと、俺の頭を両手で挟んで自分に向けさせる。
「誰がそんな事を望んだの? あなたが死ねるようになるまで傍に居るに決まってるじゃない。あなたにはその覚悟も無いの? 」
呆れたような表情で彼女は言う。
きっとこの人には適わないんだろうな。
「もちろん覚悟なんて、最初に君を見た時から決まってるさ。これから宜しく頼むよ。奥さん。」
笑って呆れた顔から一転して真っ赤になっている彼女の手を取った。
*
彼女の手を引いて、俺たちは一歩を踏み出す。握り返して来た手は暖かくて俺が感じていた孤独を少しづつ溶かして行ってくれている気がした。
屋敷は既に跡形もなくなっており、広い空き地の中にぽつんと小さな組木細工だけが残っていた。
「お前も一緒に来るかい? 」
組木細工に尋ねて手に取ると、手のひらの上でカタカタと揺れる。
そのままポーチに入れるとすんなりと納まってくれた。
東北のマヨヒガがなぜこんなところに居たのかは解らないが、これが居なければ彼女がこうしている事も無かったろう。
菜の花畑は先週と同じように菜の花が揺れている。ふと横を見ると、彼女が一礼をする姿が見えた。
そのまま藪を抜け、神社に着くころにはもう夜が明け始めていた。
境内に立つと、感慨深げに彼女は森を見る。
「新たなる旅路。希望に満ちた未来へ。」
俺がそうつぶやくと、彼女は微笑みながら俺を見る。その瞳から一筋の涙が流れていた。
その時、ちょうど山から顔を出した朝日が俺たち二人を照らし始める。
「そう…そう言えば名前を聞いて無かった。君の名前は?」
「わたしはクレハ。紅葉と書いてクレハよ? あなたは? 」
「俺は…」




