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3話 鬼嫁の過去を聞く

 それからは、毎日彼女の屋敷へと通った。

 初めて訪れた次の日、普通に顔を出した俺の事を見た時の喜んだような、困ったような、悲しいような彼女の顔が忘れられない。


 もちろん自分がここに来た目的も言えず、彼女もそれを聞く事は無かった。

 お互いに名乗りもしないまま、時間ばかりが過ぎて行く。


 二人でご飯を食べたり、森を散策したり、山菜や川魚を取りに行ったりする時以外は、俺が持ち込んだトランプや、ボードゲームに興じた。

 どう我慢しても表情で手が想像出来てしまうトランプだったが、彼女のくるくると変わる顔を見ているだけで、空虚だった心が満たされて行く気がする。


 いつものように朝に俺が訪れ、彼女が迎える。

 ずっとこんな日々が続けばいい。本気でそう思った。


 

―――そんな日々が続き、一週間が経った。



*



「なんでこんな所まで来ようと思ったの? 」

 

 食後にお茶をいただいていたら、不意に彼女が聞いてきた。

 どう答えたら良いか少しだけ悩む。

 

「……昔から伝わる伝承が好きでね。休みを取ってはこうやって色んなところを回ってるんだ。ここに来たのもそんな理由。」

 

 嘘にならないように注意しながら答える。

 

「そう…。なんだ…。あなたって、見た目だけじゃ無くて、中身も相当変わってるのね。」

 

「ほっといて! でも、それは良く言われる。」

 

「でもね。そんなところがなんだか嫌じゃ無い。」


 彼女はそう言って、年頃の少女が浮かべるような無邪気な微笑みを浮かべてくれた。




 お茶を飲み終わり、お互いに黙ったままの時間が流れる。


「ね、ちょっと、森の中を散歩しない? 」


 いつもと違って、真剣に訴えかけるような目に、俺は頷く事しか出来なかった。


 いつものように先に立ち、外に出ると彼女は屋敷に振り返って一礼する。


 俺がその姿を見ていた事に気が付くと、彼女は歩きながら自分の半生を語りだす。



*



 私は…京の都で生まれたの。小さいころに母親が流行り病で亡くなってからは父と二人で暮らしていたわ。

 だけど、私がちょうど16になったころ、父が後ろ盾としていた方が失脚されて、父も私も命の危険を感じて都を出る事にしたの。


 私たちに良くしていただいていた方から『美濃に落ち延びた方たちが居て、逃げるのならその者たちを頼るように』と言われた私たちは、近江から中山道を通って、あと少しでその村まで着く所まで来てた。


 あの日の事は忘れられない。前日に休んだ宿場町を出て、もうすぐ着くねと父と笑っていたところに、あの野盗の集団が現れた。


 その後の事はよく覚えてないけど、父の逃げろという声に急かされて、私はこの森に入ったの。きっと父はあの時に討たれてしまったんだと思う…。

 そんな顔をしないで。もう昔の事だし…。

 

 それから、私は追ってくる野盗の影に怯えながらこの森の中を彷徨った。そして気が付くとこの屋敷の前に立っていたの。

 

 中に入って無我夢中で助けを呼んだんだけど、誰の姿も見えなくてね。つい先ほどまで誰かが居たような…そんな感じはしたんだけど。あなたもあの屋敷を見たらわかるでしょ?


 外に出ればまた野盗に襲われるかも知れない。そう思って私は屋敷の戸を閉めて、隠れるようにして縮こまっているうちに眠ってしまったみたい。



 そして気が付いた私は、屋敷の中で人の姿を探したんだけどやっぱり誰も居なくって…。物の怪の類に騙されているのかと気が付いて、慌てて外に出てまた森の中を逃げた。ただ、何度逃げても屋敷の前に戻ってしまうの。

 本当に何度も何度も……。


 諦めた私は、あの屋敷で人が来るまで待つ事にしたんだ。

 そんな暮らしをしていた時、自分が前とは変わっている事に気が付いたの。お腹はほとんど空かなくなっていて、力もびっくりするほど強くなってた。お湯を沸かす鉄瓶も片手で潰せちゃうの。変でしょ?


 それに、どれだけ傷を負っても直ぐに治ってしまうようになってたの。……バケモノよね。



 そうやって、何とか暮らしている時に、お侍さんがやって来た。身の上話を聞いてくれて、手紙も預かってくれたわ。でも、一緒に外に出ようとすると、また屋敷まで戻ってしまうの。最後には『お主が幻術を使っておるのか? 』なんて言われちゃって…。

 

 それから何人か人が来たけど、みんな私を見ると怖がって逃げてしまうの。お坊さんが来た時には、ずっと念仏を唱えられた。

 あの時は傷ついたな…。



 もちろん女の人も子供も居たわ。子供はね、普通に話してくれて、どうやら私が人食いの鬼だと言われている事に気が付いたの。


…それから私は怖くなった。人が入って来れないように結界を張って、出来るだけ人を近づけないようにした。

 それでも中には抜けて入っちゃって来る人が居てね。もうちょっと父様から真面目に術を教えてもらってたらなって思っちゃった。



 そういう人たちには、もう二度とここには近づかないようにって言って出て行ってもらってた。私と一緒に居ないと出ていけるみたいだったし。


 だけど、そのうちどんどん私の言葉が通じなくなって行ったの。

 もちろん相手の言葉だってわからない。

 怖がっているのは態度で分かったんだけど、どうしようもないの。


 あなたとはこうやって普通に喋れるから不思議ね。



 だから初めて会った時に、言葉が通じて本当に嬉しかった。

 やっとこの苦しみから救ってくれる人が来たと思って、思わず震えちゃったくらい。


 ちょっとだけお話がしたくって屋敷まで来てもらおうと思ったのに、あなたはあわてて逃げちゃうんだもの。もう二度とここへは来ないんだろうなって思ったら、次の日には何でも無かったように来るし。


 あ、そろそろね。

 


*



 時折言葉に詰まり、泣き笑いのような表情をしながら、彼女は話し続け、気が付けば、あの菜の花畑に着いていた。


 先に立っていた彼女は、こちらに振り返りながら話を続ける。


「私は元々星読みが得意で、これだけは父様に褒めてもらってた。だけどここは森の中だからほとんど空が見えないでしょ? だからここに来て、星を読むのが唯一の楽しみだったの。」


「……」


「それで、あの日は…って、あなたと初めて会ったあの日ね。私はここに来て星を読んでいたの。普段は絶対にしないんだけど、あの日はちょっとしたいたずら心で自分の星を読んでみた。そしたらね。新たなる旅路。希望に満ちた未来なんて読めてしまって…。それで思わず泣いてしまったの。酷すぎるって…。」


「……」


「そんな時に、あなたが現れた。最初は何を言っているか解らなかったけど、なんだか必死なのは伝わって来た。その前にどうして今更来てしまったの? って何度聞いても答えてくれなくて、思わず腹が立っちゃった。」


「どうして、今更来たってそう思った? 」


「だってあなたは本物の鬼なのでしょう? 金色の髪に蒼い目なんて人は居ないわ。」


「……」


「私を放って帰ってしまったあなたの事を、あの夜は恨んだ。せっかくこの日々が終わるって思ったのに、そうじゃ無かったんだもの。そしたら、またこの日々がずっと続くんだって思って怖くなった。そしたら次の日にあなた笑いながら来るし。」


「……」


「でね。もしあなたが私の事を滅するつもりで来て、憐れだと思って生かしておいてくれているなら、もう終わりにして欲しいの。」


 頭を垂れながら、彼女は絞りだすように懇願する。


「どうしてそう思う。」


「だって、私あなたと一緒に…こんな日が…ずっと続けば……良いなって…。」


 彼女は顔を上げると、目に涙を一杯に溜めながらそうつぶやく。


 悲しみから救いたくて、やっと笑って貰えて、そしてまた自分の手で泣かせてしまった。自分の不甲斐なさに胸が締め付けられる思いがする。


「だからね…もし私を終わらせてもらえるなら、ここがいいなって…。」


 涙を溜めたまま、彼女は懇願するような目で見つめて来る。


「それは出来ない…。」


俺はそう答える事しか出来なかった。



*



「そう…なんだ…。」


「もう解っているとは思うが、君は既に人とは違うモノなってしまっている。一度人以外の存在になってしまったら、他の物になる事は出来ないんだ。出来ないんだよ…。」


何とか絞り出すようにそう答える。口の中に苦いものがこみあげて来る。



「解った…。それなら二度とここへは来ないで? 」


声を震わせながら彼女は続ける。


「だって、このままだと私…。それに、いつか失ってしまうものなら、今の暮らしが続くのは辛すぎるもの。」


「……何があったら君は人を喰らってしまうんだい? 」


敢えて彼女が伏せていた事を俺は聞く。残酷なのは解っていた。


「……!! 」


 まるで罪を暴かれた罪人のように、彼女の顔が蒼白になって行く。


「私が、この人と一緒に生きたいと望んだら…よ。」


 観念したかのように、彼女は零す。

 よろよろと足元が覚束なくなり、へたりと菜の花の間に座り込む。



 俺の頭の中は怒りで一杯になる。

 どうしてこんな子が罪の意識に苛まれなきゃならない。

 どうして希望を抱く事すら許されない。

 死ぬ事も狂う事も出来ず、永遠の時間を生きなくてはならない


 なんて拷問だよ…。と俺は吐き捨てそうになった。


「だから、これ以上ここへは来ないで欲しいの。一緒にいたら、ずっとあなたと生きたいって思ってしまう。私、これ以上咎を重ねたく無いの…。あなたと過ごしたこの七日間は本当に楽しかった。私はこれからこの思い出を胸に生きて行くわ。だから…大丈夫。」


 こんな時まで俺なんかの事を気遣う娘を、俺はしっかりと抱き締めた。

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