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2話 鬼嫁に土産を渡す

 次の日、朝一番で上司に電話を掛け、溜まっていた有給を使う事を報告していた。

 予定がどうのとか勝手な事をされると困るとかぎゃあぎゃあと喚く声が聞こえていた。


「ちょっと風邪とヘルニアの合併症に掛かってしまって、直ぐに入院しなくてはならないんです! 」


 上司が絶句しているらしい空気が伝わってくる。


「そんな訳で、今日からしばらく休みます! 」


 それだけ告げると電話を切った。


 普段からそれこそ死ぬほど働かされている。今戻ったって自分がしなくてはならない仕事は無い。こんな時くらい我儘を言っても良いだろう。…きっとそうだ。

 


*



 俺は車で昨日通った山道を辿り、神社へと向かう。

 助手席には風呂敷で包まれた手土産が乗っている。神社に向かう前に、和菓子屋に寄って、この辺り名物だという栗きんとんを買ってあった。地元の人間も喜んで食べるらしい。

 普段は菓子などは食べないが、昨日土産物屋で初めて食べて、ほどよい甘さが気に入たのだった。


 途中で畑仕事をしている昨日のおばあさんがこちらを見つける。手を振りながら通り過ぎると、おばあさんはにこやかに会釈をしてくれる。


 田舎でこんな空気を感じると、こういう所で暮らせたらなって思ってしまう。住んでみたらみたで、また大変な事もあるんだろうけど。きっと無いものねだりって奴なんだろう。


 

 車を昨日と同じパーキングに停め、同じように神社へと続く階段を上り、森に入って行く。

 鬱蒼と広葉樹が茂る森だけあって、森の間は薄暗い。日中と夜では人が住んでいる場所でも雰囲気が異なる。こんな森ならなおさらだ。もしかしたらあの菜の花が咲く野原にはたどり着けないかも。そんな弱気な考えがが頭をよぎる。


 昨日とは違ってずいぶんと歩いた気がするが、見覚えのある木を過ぎて藪を抜けると、果たしてその野原を見つける事が出来た。

 心底ホッとする。

 

 彼女はここに良く来ているのだろう。森の際を辿って歩くと、人ひとりが丁度通れるような道が続いているのを見つける事が出来た。


 鬱蒼とした森の中を辿って5分ほど歩くと、木々の切れ間から茅葺きの屋根が見えて来る。近づくと、合掌造りと言うのだったか、大きな屋敷が見えてくる。

 周りの木々に埋もれるように建っている茅葺きのその屋敷は、玄関前に立っても猫の額ほどの空しか見えず、木漏れ日で緑に染まっているようにさえ見えた。



*



 屋敷に近づいて行くと、ムシロを敷き、背を向けて何かを桶で洗っている娘の姿が見えてくる。

 近づいて来る気配に気が付いたのか、彼女はすっくと立ちあがるとこちらに振り向き、少しだけ驚いた顔を見せる。


「何をしにいらしたのですか? 」


 険しい表情で彼女は少しだけ睨むようにそう尋ねる。


「昨日言ったとおりですよ。驚かせてしまったお詫びです。まずはちょっと話をしませんか? 」


 俺は手土産の入った風呂敷包みを掲げると、彼女に向かってほほ笑み掛けた。



*



 怪訝そうにしている彼女に、屋敷まで案内をされる。


 ムシロの上に残された桶に張った水の中には、ザルの上にタラの芽が浮いていた。今朝はどうやら山菜を取りに行っていたらしい。


「何のお構いも出来ませんが、とりあえずどうぞ中へ。」


 屋敷の戸を開けて、彼女は俺を案内する。土間には現役と思しきかまどが据え付けられており、煤けた釜がその上に乗せられており、隣にある甕には木蓋の上に柄杓が載せられて飲み水はここに溜めているんだろうなと想像出来た。

 そう言えば、女の子の家に招かれるのは初めてだなと気づき、ずいぶん鄙びたファーストコンタクトだなと感慨を抱いて可笑しくなる。


「それではこちらへどうぞ。」


 彼女は土間から一段上がった囲炉裏部屋の襖を開けると、俺に囲炉裏を囲んだ左手側の座布団を進める。

 

「つまらないものですが、これはお詫びの品です。」


 畳の上を滑らせるように風呂敷包みを彼女の方に滑らせる。

 作法なんかは良く解らないけれども、つまらないものって一度言ってみたかったので、非常に満足した気分となる。


「はあ…。それでは。」


 怪訝そうな彼女の顔が、さらに困惑したものとなる。あれ…なんだかかなり違ってしまったみたいだなと慌てるが、どうやら受け取って貰えたので、良しとする事にした。


 そのまま風呂敷包みを押し頂くと、彼女は奥の座敷へと向かう。


 部屋の中を見渡しても、テレビなんか当然無い。彼女の見た目だと、多分学校に行っていたとしてもおかしくは無い年齢のはずだ。そんな子がこんな山奥で一人暮らしなんだから、さぞ退屈だろうなと思う。


 ま、都会に居たって一人だったらあまり変わらないけど。



*



「お待たせしました。」


 彼女は漆塗りの盆に茶を淹れた湯呑を二つ載せて、しずしずと歩いて来た。お盆を俺の隣に置くと、その隣の土間側の座布団に座る。


「箱を開けるのにずいぶん難儀しました。」


 お盆の上には、先ほど渡した和菓子が皿の上に盛り付けられている。


「まずは、昨日は驚かせてしまって大変申し訳ありませんでした。あの後、夜道を送りもせずに帰ってしまいましたが、大丈夫でしたか? 」


「どうかお気になさらず。」


 ツンと澄ましたままの彼女に、ぴしゃりと言い返される。



 気まずい空気が流れ始めてしまい、何から話をしたものかを悩んでいた事もあって、先ずはお茶菓子に逃げる事にした。


「そ、それでは折角ですのでお茶菓子いただきますね。」


「それではご相伴にあずかります。」


 早速俺はその黄色の塊を半分に割ると、爪楊枝で刺して口に運び、お茶をすする。

 それを見た彼女も楊枝で小さく斬り、その小さな口に運ぶ。


「~~~~~~~~ッ!!! 」


 彼女はは一口その甘味を口に含むと、目をくりくりと動かして驚く。やはり若い女の子は甘味が好きなのだと改めて思う。


 時折お茶をズズっと吸いながら、ニコニコと笑い、皿を眺めては次は何処から食べようと悩んでいるようだった。


 最後のひとかけらをお茶で流し込んだ後、心底残念と言う表情で紅葉さんはお皿を眺めていた。


 その一連の動きが可愛らしくて、とうとう俺は噴き出してしまう。


 

 怪訝そうな顔をして、こちらを見ていた彼女だったが、何を笑われていたのかに気が付いて真っ赤になる。


「…笑っちゃってごめんなさい。 何をしたら許してくれますか? 」

 

「それでは…。外の暮らしを教えて下さい。それで笑ったことは許します。」

 

 真っ赤な顔をしたまま口を尖らせてそう答える彼女を見て、ちょっとだけ距離が近くなった気がして嬉しくなった。



*



 それから、住んでいる所の話、行ったことのある場所の話…。思いつくまま話す。

 彼女は、ほう!とかへぇ…!とかハ行の音しか発しなくなって居たが、とても興味深そうに話を聞いてくれていた。


「いつか行ってみたいな…。」

 

 北海道の美瑛で見た、どこまでも続く丘陵と抜けるような青い空を見た時の事を話していた時に彼女はそう呟く。その瞳はどこか悲しそうだった。


 そんな顔を見て、心がちくりと痛む。

 

 気がつくと、空はそろそろ茜色に染まり始めて来ていた。

 

「それではそろそろおいとまします。」


 俺のそんな一言に、彼女は切なそうな表情を見せる。


「はい。でも…。もう二度とここに来てはいけません。多分二度とお会い出来ないとは思いますが…今日は久しぶりに楽しい思いが出来ました。どうかあなたもお元気で。」


 そんな突き放すような言葉に見送られて、俺は屋敷を後にする。


「なんだよ。その顔。」


 森の中を歩きながら、最後に彼女が見せた表情を思い出し、思わず独り言が漏れる。

 そんな諦めた顔を彼女ににさせた奴の事を、俺は到底許す気にはなれなかった。



*



 宿への帰り道、俺は彼女をどうしたいのかを考える。当初ここに来た目的は既に記憶の彼方へと追いやられており、どうしたら彼女をここから救うことが出来るんだろう、とそればかりを考えてしまっている。


 方法が無い訳では無いが、それには彼女自身がそう望んでくれなくてはならない。


 そこまで考えて、はたと気が付く。


 望んで居る居ないにかかわらず、俺は彼女と一緒に過ごしたい。だから、これは俺がそうしたいと思っている事なんだと気が付く。


 今までこんな気持ちになった事は無かった。


 それならば、全ての咎は俺が背負うべきだ。だってこの願いは俺の我儘なんだから。


 どうやらあの夜の彼女の姿に一目惚れをしてしまっていたらしい。


 ほうとため息をつきながら、俺はアクセルを踏み込んだ。

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