誓い
紅月は焦燥と不安に呑み込まれながらも、歯を食いしばっては思考を逡巡させた。
「何故迷う?君には拒否権など無いに等しいのだよ?」 龍宮時も少し苛立ってきたかの様に、答えを促す。
その言葉を受け取り、紅月はようやく答えた。
「いいだろう、私は朱雀を抜ける」 そこで一区切り言い終えてだが、と繋げて紅月の覚悟は綴られた。 「情報を持って帰るまでは、朱雀の一員」
龍宮時の要求はあくまで、“朱雀を抜け、大人しく戦士として過ごせ”と言うもの。 どちらの味方であれ、と言われた覚えは無い。屁理屈も理屈のうち……。 だったら答えは至極、シンプルなものだった。満足そうな笑みを浮かべると、またいつもの様な笑顔に戻った。紅月も口端を上げる。
「次はこちらの番。貴方達の目的を洗いざらい吐いてもらう」
目的……か。と龍宮時は一言呟き強いて言うなら―、と続けた。
「強いて言うなれば人智の限界、生命の神秘。それが知りたい。結果は前進した時もあれば後退する時もある。ヒトという枠組みを超える者を、ヒトの知識だけでどこまで創れるのか。そうして私達は高みへと目指す。特に君は我々の実験結果の中では、見たことの無い症状を出したと聞く。そして実験前の魂魄は紅月として残り、残りの二人は感情の塊として君の中で生まれた。否、正しく言うなれば感情そのものの塊に“個”という意思が宿ったのか……。どちらに転んでも、君が一番重宝されるべき人材な事に変わりはないがな」
紅月はこの争いにウンザリしていた。 幾度にわたり戦争を経験して来たが、人は学ぼうとしない。 繰り返す、愚かな行為。
愚かだと思いながらも紅月は風に従った、そんな紅月もまた愚か者。
恐かった―。理由などでは無いのだろう。彼女は恐らく、本能で恐怖していた。
捨てないで欲しいと願い、紅月は自分の風への想いに縋っていた。 雪に紅い血を染み込ませ、火薬の霧を立ちこませ、金属音の絶えないこの世界……。
私が朱雀に居た理由は、一人ぼっちの暗闇から救ってくれた風が、居場所をくれたから。 破壊することでしか、守る術を知らなかったけれど。 そして私がそこに留まることが出来なくなった今、私のやり方で朱雀を守る。
「これ以上は何も得られそうに無い。帰らせてもらう」
そう言うと瞬時に時止めの術が解け、動けるようになった。 カツ、コツ、と来た道を一歩、また一歩と歩いて帰る。凛然とした態度は一切崩れない。 紅月の耳に後ろで何やら、会話がチラリと聞こえた。
「龍宮時様、あのまま返してもよろしいのですか?いずれは我々に牙を剥くという事も……。それに彼女が本当に朱雀を抜けると言う確信が……?」
「確信など背に刻んだ紋様、あれ一つで十分だ……。彼女に嘘は言えない。アレはそういう役割も担ってくれるのさ」
龍宮時の不敵な笑みが、手に取るように伝わってくる。
「それに、こちらにだって切り札はある……」
……舐めるな、私はまだ朱雀の一員。何もしないで帰るとでも……?アーチをくぐる前に、紅月は先手を打った。 突然、龍宮時の前に水が球体となって現れた。そしてソレは弾ける様に飛び散り、壁や床に付着する。最後に紅月は氷で創った槍を、龍宮時目がけて勢い良く飛ばした。それを合図に紅月はアーチをくぐった。 くぐった先で紅月を待つ風と鈴。運のいい事に、真っ先に仲間に出会えた事に心底安堵する。 私達は直ぐにその場から離れ、任務の報告をなるべく詳細に話した。 暫しの静寂の後―。口を開いたのは風だった。 風は苦虫でも噛み潰したかのような顔で、紅月に問う。
「お前は俺の唯一背中を預けられる仲間だ……。それに戦略でも、戦闘でもお前程の奴は居なかった。そんなお前だから訊く。朱雀を抜けて、お前はあちら側に付くのか?」
不安や焦燥が、風の胸の中にわだかまる。 私は風に安心させるように、微笑みながら片膝を地につけ答えた。
「貴方は私に、居場所をくれた大切な人。貴方は私が、心底惚れるような生き様を教えてくれた私の師。例えどんな状況であれ、境遇であれ心境であろうとも…居場所という名の拠り所を。朱雀を売るような真似はしない。今ここでこの体、この血、心を以て貴方にこれからの忠誠を誓う。私がこの争いの火種。逃げはしない、貴方達も死なせない。そしてこれを機に、この戦争に終止符を打つことを約束します」
頭を上げたそこには、切ない顔をして私を見る風がいる。 嗚呼…どうか心配しないで?
「貴方が大事だからこそ解った事がある。それは命の重さ、それは殺めることの罪。私はこれ以上、犠牲者を出したくない。朱雀も人間も、それに関しては同じ考え」
私は仲介者として、互いを和解させたい。 そう覚悟を決めた時の紅月の笑みは、悲しみを帯びていた。
「これがサヨナラと決まった訳ではない。これからはお互いの無事を祈ろう」 紅月は仲間を背に、歩き出したその時―。
「次に会う時にゃ、必ず生きてろよ……!これは命令だ」
「……承知」
それは風が去り際に言った、最後になるやも知れぬ言葉だった。 風達が小さく見えるであろう場所で、紅月の肩は震えだした。そして堪えていた涙が頬をつたう。
「……ぅう…っく……ぐ……!」
涙を流すのはいつ以来だろう―? 戦場では無感情になっていた。敵か味方か、ただそれだけ。だから哀しみが溢れ出ることは無かった。闘うことでしか存在意義を見いだせない。だが龍宮時のあの一件で紅月は護ることでも存在意義は見いだせると気付いた。 この力は殺す為ではなく、護るためにある。紅月がそうであって欲しい、と思ったのはその時が初めてかも知れない……。