出撃
紅月が目覚めた頃、風は既に起きていた。外を見れば、雲行きが怪しい。直に嵐が来るだろう。雲の上では雷が蠢いている。紅月たちは互いが互いの目を見て頷き、同時に地を蹴り、その場を後にする。
風は何か思い当ったのか、あやめは何処へ行ったのか、と紅月は尋ねられた。
「横笛に戻した。あやめは風ほど速く走れない。それに横笛こそが本来の姿」
横笛にはあやめ自身の意思でもなれるのだが、もとは姫巫子であった紅月が神具をもとにして治癒の力に意思を宿らせた。それがあやめである。紅月はいわば生みの親。戻せてなんらおかしくはない。それより、と紅月は風に向かい、確かめるような口調で問う。
「今回が全てにおいての最後のチャンス。これで終わらせるつもり……?」
「……ああ」
そう、とだけ頷くだけで、動揺した素振りもなく、二人は走り続けた。共に朱雀を立ち上げて一緒に過ごすことも多くなったが、やはり知らないことはお互い多いようだ。
どの位走っただろう。感覚的にはかなり走っているが、実際そうでは無いことが多い。月明かりだけの静寂が満ちる夜は、雪の上を走る音でさえ大きく感じる。そろそろ拠点という所で止まり、ジッと目を凝らす。 「作戦は理解してるな?今からは、状況に応じた独断の判断を優先させろ」
紅月は小さく頷くと、そこからは風と別行動をした。 まず私が一人堂々と奇襲をかけ、こちらに注意を惹き付ける。騒ぎを大きくしている間に風は鈴の救出。いわば私は陽動。戦闘に長けているのは私の方だから致し方ない。
大方の敵を惹き付けたところで、紅月は氷の刀を創り応戦した。創りだした刀は二本あり、右手には刀身がそれなりに長くなかなか厚みがるため、重みもある威力重視の刀を。左手には柄を逆手に持っては、右の刀よりは丈・厚み・重み、どれをとっても劣ってしまう。が、だからこそ身軽に動けて防御するには最適な刀を。これが紅月の戦闘スタイル。
不敵な笑みを浮かべて再度、敵地へと臨む。 私の知る空間範囲内では、まだ敵が散らばっている……。刀で応戦しつつも、私は未だ敵をひきつけなければならない。それに銃声の勢いからして長期戦になる。硝煙や火薬も満ちてきた……。空気が穢れていく……! 本来紅月は、風達と違い短期戦を得意とする。だがそれは空気が清浄な時の場合のみを言う。清浄な空気は長い間戦うことで、氷の殺傷力が落ちてしまう。何故なら大概の敵は銃器を使い、火薬で空気を穢してしまうからだ。敵はその隙に応援を呼ぶ。その繰り返し。
今から少しだけ、白銀の力を貸して……!
白銀の力は陰の力。その力を引き出すことによって、通常よりも強い力を発揮することが出来るが、リスクもある。それは『混ざり合う』ことだ。紅月自身は本来の陰と陽のバランスが取れているが、混ざり合う事によってその均衡が崩れてしまう。
紅月自身は本来の陰と陽のバランスが取れているが、混ざり合う事によってその均衡が崩れてしまう。紅月の口調が荒々しくなっているのは、白銀と混ざり合っている特徴だ。白銀の力を借りると言うことは、負の力を増加させると言うこと。普段は耳飾りをつけ、それを媒介に制御しているが限度はある。限度を上回ると陽の力である黄金がストッパーとなって、強制的に紅月の自我を呼び覚ます。今の紅月は安定しているものの、少しでも気を抜けば白銀に体を乗っ取られるだろう。
シャラン、とした涼やかな音が鳴り響く。
「埒があかねぇ……!」
「ヤツは必ず捕縛しろー!」 その声と共に浴びせられるのは弾丸。 「……いいぜ、紅豹の名の恐ろしさ。味わえよ?」
ニタリと不敵な笑みを浮かべる紅月は、一番敵が群がってるところに向かって行く。 紅豹の名の由来……。それは、
「音速のごとく地を駆け巡り、斑な返り血をその身に浴びる。周囲に残るは死体のみ」
故に『紅豹』。 その眼差しだけで人を射抜けそうな程の、眼力。未だ息を荒げていない彼女には、感嘆に値する。紅月は氷で創生した刀を、振り上げる。後ろからの攻撃も、しっかり対処する。威力は落ちたであろうが、今のその場には十分過ぎた。数本の氷の槍が、螺旋状に回転し敵めがけて飛んでいく。
「オラ、派手にドンパチしようぜー!」 まずい、紅が暴走してきた。まだ制御の範囲内だけれど、少し危ない……!
そう考えた途端に、紅月は心の中で黄金に命じた。
―白銀が少し、暴走しがち。この任務で一番の要は私達、陽動員。仲間の命も考慮して、入念な見張りをお願い。
―それは厄介だね。わかった、注意しておくよ。
ありがとう、と例を述べようとした時だった。でも、と紅月の声を遮るように話を続けた。
―覚えておいて欲しい。時には、白銀が暴走するのにだって意味はあるということに。確かに無差別な殺人は良くない。けれどそうでもしないと僕らは壊れてしまうんだ。お椀の中身に注がれる水を、受け入れるのが僕の役。そしてお椀から水を捨てる事が、白銀の役なんだ。暴走とはお椀から溢れ出す水を捨てることに等しいんだよ―。
それまで黙って聞いていた紅月は暴走の云々を理解したが、それを解ったとは口が裂けても言いたくはなかった。 だから不器用に、紅月なりの精一杯の気持を込めて……。
―白銀。
―…なんだ。
―……気を付けて。
虚を突かれたかのような顔をして、またしても不敵な笑みを浮かべた。
「フ……。わかってらぁ!」
解ってるさ。こんな奴ら相手、俺の全力を出す程じゃねーだろ!
その時ポツリポツリと何かが降りだし、ソレは雷を伴ってやってきた。嵐だ。この好機を逃すまいと、敵陣向かっていく。
「ここは通りたければ―!」
「力尽く、ってか?」
厳つい男は、殺意を剥き出しで襲ってくる。身なりの通り、威力もそこそこ高そうだ。だがそのせいか、攻撃モーションがその分遅い。恐らくは紅月と同じ陽動する者の一人と思われる。男に注意を向けている間に他の何者かが、何らかの手段を用いて攻撃するといった意図だろう。 当然のように紅月は、左の刀で受け流す。そこを狙ってか、前線の兵士が群がってきた。 男から一度離れ、即座に背後に回り右の刀で心の臓を貫く。その巨体を兵士達目がけて足蹴にする。少しの隙が生じたその時、
ドゥン!ドゥン、ドゥン!
「……ふっ…ぐぅ…!……ゲホッ!…ケホッ」
先程、前線に出てきた兵士達の死角には、大砲に似た形状の大型武器が置かれていた。
紅月は苦し紛れに素早く刀を引き抜くと、一度距離を置いた。
おそらくは死なない程度に威力重視された捕獲用武器ってところか……。さっきの威力から分析してみると、急所に一発喰らって体力の二割はもっていかれるな……。おおよその計算で、残りの体力が八割前後か。厄介だな……。
「目標変更…っと!」
紅月は四人で構成された隊に向かって走り出した。
紅月が走り出した後を追うように、次から次へと兵士達が現れる。紅月は認識している空間の半分程を液体化させ、敵の顔を水で包み込んだ。
「!……チィ!羽虫風情が…引っ込んでろ!」
少しばかり大技を使うが、仕方ねぇ!
そこで紅月は、ふと疑問に感じた。
何だ?今こそ俺の体力を削る、絶好の機会だった筈。それに今思えば防御が手薄すぎる。裏があると見ていいか……。なんにせよ、
「迅速正確に殺らなきゃなぁ!」
二本の刀は素早い連撃を繰り出す。だが隊の中の一人が持つクナイにより、全ての連撃
が防がれたのだった。
「オメーら…忍か。成程な。……ちったぁ楽しませてくれんだろぉなぁ!」
忍。その者達は、かつての大戦で絶滅したと聞いていた。命を賭し国を守り抜いた一族、と。だが人はその大戦を記憶の中から消し去ってしまった。私利私欲の為に再び内乱は起き、一時の安穏が崩れ去って行ってしまった。
忍の特徴は、諸説ある内の一つにこう記されている。
『黒き衣を纏いし者、卍を描き血の雨を降らせる。戦場で最も素早く、隠密行動においては右に出るもの無し。体術を始め、あらゆる武器・忍具を使いこなす』
確かに卍の陣を描いてやがるな……。サシで勝負するのが常套。だがこんなに広けりゃその陣も無意味だぜ。
紅月は楽しげに攻撃をしかけるが、忍の方は息が荒くなってきている。
「……っ!解!」
忍の一人がそう叫んだ瞬間、卍の陣が九〇度回転した。新手が出現したのだ。
「なーるほど。卍の陣ってぇのは、そういう使い方もあるってワケか……。色々教えて貰いてぇ所だが、こっちもそろそろ急がなきゃならねぇ…んだっ!っとー」
先程の武器が再び紅月を襲う、がそれも束の間だった。
「……その武器、やたら威力高い割には五、六発で長時間の装填にかかるらしいな。忍達は時間稼ぎのコマ……ってとこか?」
挑発的な物言いに忍達が怒りを露わにする。
「我等は道具ではない!我等はこの内乱を治めるべく、今一度、自らの意思で立ち上がったのだ!」
「道具だよ、戦う為のただのコマ。忍も……朱雀も」
そう言うと、雨を細長い針に凍らせた。これで紅月を中心とし、半径二百五十メートル
は氷の雨が降ってくる。だがこれ程の広範囲では流石に威力・硬度・鋭さが落ちてくる。言わば生殺しに近い状態だ。
大方の敵は倒した。紅月は目当ての敵を探しながら、全速力で走る。 しばらく走って、ある施設らしき場所へ辿り着いた。懐かしい……、だがそれと共に嫌な思い出が脳内で走馬灯のように駆け巡る。この薬品・診察器具……。それだけじゃない、中へ入って辺りを見渡せば全てが瓜二つだった。
紅月の脳内で地獄のような日々が思い出される。その場にはありもしない死体の数々。腐敗臭や血液の混ざり合った臭い。多くの子供達の叫び声。視界を白で埋め尽くす程の白衣―。
紅月にとって最大のトラウマは、嘔吐となり外へ吐き出されていた。 「……ん?」
少し休み、一通り落ち着いた所で顔を上げると、ある物を発見した。それは赤や青、緑とい
った色鮮やかなカプセルいっぱいに入っている、培養液らしき物だった。カプセルの中には何人もの被検体が浸かっている。そしてその中の一人は、紅月達のよく知る人物もいた。そのせいもあって反応が遅れたが、紅月は、それぞれの被検体達の救助に向かう。 「鈴!」 最後の一人を救助し終えた所で。鈴が入っているカプセルを、勢いよく破壊する。
「どうしたよぉ?こんな所でとっ捕まってよぉ」
「アナタ…紅月?」
「……?」
僅かな違和感。だがそれが何か解らずにいる。 気付いた時には、もう遅い。 鈴は懐から赤ぶちメガネを取り出し、身につける。 そしてもう一つ、懐から取り出したものは……拳銃だった。 本来ならば火薬のような空気を穢すものは、紅月達のような能力者にとっては害となる。 無論それは、鈴だって知っている。 だが今は鈴の放つ銃から硝煙が立ち上る。その事実だけで状況を理解するには充分だった。
俺に銃口を向けるようになるたなぁな。いいぜ?望み通り、自分の立場を解らせてやる!
ガンッ!ガンッ!と施設に響く銃声。紅月は一気に鈴との間合いを詰め、二刀の蓮撃を繰り出す。が、相手もそれなりの場数を踏んできている。右肩に一太刀いれられただけだった。 足払いをかけ、バランスの崩れた鈴をそのまま押し倒し、右肩を貫いた。
これで銃は当分使えないだろう。 刀を抜くと跨った状態で、紅月は今までの疑問を鈴にぶつける。
「何故こんな真似した?お前じゃ私には勝てない、解ってたことじゃねぇか」
「アナタも気付いてるでしょう?私はもう、純血な能力者では無くなってしまったという事に」
そう言ってチラリ、とさっきまで彼女が浸っていたソレに目をやる。
「あの培養液か……?」
確かにおかしいと思った。鈴と一戦交える前に感じた、僅かなあの違和感。アレは自分達と違うことを直感的に訴えていたのか。
「……朱雀を抜けるのか?」
「……ごめんね?紅月」
ハッと我に返った時には、既に檻の中だった。 紅月は歯を食いしばり、目の前にいる『無傷の鈴』を見て状況を瞬時に理解した。
段取りの結果としては合っているが、何か釈然としない。私自身、気の長くない性分。 限界に達した紅月は激昂する。
「鈴!ハメやがったな!」
「……暴れるだろうから」
「ざけんな!」
どこからが幻なんだ、そう問おうとするとある人物に会話を遮断され、見たくもない顔が薄暗い闇の中に浮かび上がった。
「どうした?仲間割れかい?」
くつくつと喉の奥で笑うその人物は、まさにこの場に相応しい白衣を身につけていた。 『あの時』から何一つ変わらないその風貌に、ただでさえ虫の居所が悪いというのに拍車をかけるように話しかけられ、苛立ちを覚える紅月。
……『あの時』?
紅月は白衣の男を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた―。