覚醒
◆ ◆ ◆
「私はアナタを信じていた。けれどそれは間違いだった。だから貴様を殺す……!」
静かに、だがその場には確かに聞こえる程に。 地を蹴り出したその時に霞はハッと一度鼻で笑い、神妙な顔で価値観なんざ人それぞれだが、と口を開き始める。
「間違いってのぁ、……どこからだ?」
誰が決める?と霞は続けて言う。だが紅月の戦意は消えない。刀を創り、特攻する。 氷とは思えない、金属とぶつかり合う独特の音。 鍔迫り合いになり紅月と霞が押し合う中、双方が表情を崩すことは無かった。
「……なんでお前が生きてんだ?なんでお前らは俺の邪魔ばかりする?なんで…なんで…お前はそっち側にいるんだよおおおおお!」
表情は余裕の笑みだが、声や言葉などから悲哀の感情が滲み出ている。
「私が仕えるとすれば師である風、ただその一人」
無表情、無感情、無関心といったところだろうか。紅月の脳内には「水月の為に霞を殺す」という恨みだけが支配していた。それを知ってか知らずか、霞は紅月に問いかける。
「お前はどうして俺を殺したい?」
「死ぬ者に理由を教えても無意味」
紅月の目には霞という敵しか認識していない。
「お前はまた、背負わせるのか……?そうやって誰かの“為”といい、俺を殺そうとする。頼まれてもいないのに。『仇打ち』という口実を作って、俺を殺そうとする。滑稽だよ…今のお前は!」
「お前も聞いたのか」
「どうだかな」
繰り出される攻撃を避けながら、目を大きく見開き嗤う。力があっても、やはり男女という括りで力の差が出るのか。押し負けた紅月は転倒するが受け身を即座にとり、一度距離を置く。正面まで突っ込んで行ったと思いきや、ピタッと止まり左足を軸に時計回りに背後まで足を滑らせる。背後をとられた霞に勝算は低い。
馬乗り状態になった霞は、声にならないような苦しそうな声を出した。紅月は右手に刀を、空いたもう片方の手で霞の腕をつかみ動きを封じる。
第一に霞が紅月を例え一度でも殺せたことが不思議なくらいだったのだ。恐らくは裏切りという予想外の出来事。信頼という油断。
「……殺す前に一つ問う。何故私を殺そうとした」
「俺は、平和な世界を望んだ。お前らが苦しみを理解し合わないからだ!恨みを捨てろ!お前が今最もしなければならないこと、それは“耐えること”だ!」
「答えになっていない」
刃を霞の喉元にあて、再び訊ねる。
「……何故だ?」
「仲間一人の命と、国の平和を秤にかけてみろ。それで平和になるなら、俺は裏切り者にでもなってでも――」
それだ、と紅月は霞の答えを遮った。
軍の指揮官クラスが私の首一つで戦争を終わらせるとでも?やつらにとって私は戦力であり抑止力にもなり得る存在のはず。
研究者達にとっても同じ。私ほどの貴重なデータを軍に貢献したとでも?……ありえない。戦力の大きな者こそが彼らの性能の良い作品のはず。
龍宮時がそうだったように、彼らも未知なる存在に惹かれるハズだ。
思考を逡巡させている間に殺気を感じた紅月は、即座にその場から退いた。
ガゥンガゥンッ!ガゥンッ!と銃を向け、瞠目する鈴がいた。
「あまりサンプルを減らしたくはないんだ。だから君達の目的を果たす為に、私が軍にかけあってもいいぞ。私の言う事を聞いてくれたら……の話だがね」
にんまりと笑う三日月形の口をした龍宮時。そしてそれに逆らえない私達四人は、ある場所へと連行された。
連れてこられたのは水月が殺害された場所。そこには軍を代表する者達と思しき人物が十数人と、呪術者が数人紛れ込んでいた。
憂いた表情の霞と、ワナワナと拳を震わせる紅月は何も言えずにいた。
龍宮時の傍へ一人の男性が何やら内密的な連絡を報告しにきたようだ。その瞬間に紅月の感知能力が、ふつりと止んだ。恐らくは呪術師の仕業だろう。紅月は過去を知られたのと同時に
能力の事も知られたのだろうと、瞬時に悟った。
御苦労、その一言で部下を下がらせる。
「闘え」
思考回路が働かず、言葉の意味がよく分からなかった。
「未完成なサンプル零号と、零号殺害未遂であり、元同志の霞。風と鈴は二人の戦闘を見物してもらう……」
「それか」
紅月は納得したように呟いた。
「お前達が霞を利用し、けしかけたのは先刻の霞の発言からして明らか。だが動機が分からなかった。覚醒しきれてない私には何か理由があり、それが解明した。
そして身近な所にいい駒を見付け、利用した。……あくまで推測だが、その理由とは私にとって因果ある者との死の接触……?」
「……流石は紅豹、侮れない」
それを聞いた風は迂闊には動けず、大声を張り上げた。
「これはお前を覚醒させるための罠だ!分かってるんなら闘うんじゃねぇ!」
「そんな事は百も承知」
けれど霞は水月を殺した犯人。
「お前がもし霞を殺すと言うのなら」
だったら、どうすると?
「……俺はお前を許さない!」
その言葉を聞いて、紅月は葛藤する自分に苛立ちを覚えた。
「朱雀を売った俺を、庇うのか?」
「俺は今でも、お前を仲間と思っているからだ!」
「………ま、どうでもいいさ」
水月を殺した霞が憎い。だが霞を殺せば風が許さないと主張する。
「俺だってお前達を信じていたさ……。だがお前は人形の様に風の思うがままに従うようになって行った。相手の顔色窺ってばかりで自分の本心を主張しなくなった!だから俺は仲間殺しの汚名を着てまで平和を取り戻そうと決意したんだ……!」
お前は解ろうとしてくれた、そう続けざまに霞は語った。
「お前もあの時感じたんじゃねぇのか!平和な世界を!望んだんじゃねぇのかよぉ!」
「黙れぇえええぇえぇぇぇえぇえぇえ」
腰に帯びた刀を抜刀し、勢い良く振り上げた。
激昂した紅月を見て、霞はただ目を瞑り諦めるだけだった。
だがいつまでたっても襲ってこない痛みを不審に思い、目を開く。
そこには霞を庇う師の姿があった。
暗示に逆らい、激痛に耐えながらも霞を庇った紅月の愛しい人……。
風の胸を貫いた刀や体からは、ゆっくりと滴り落ちる赤い雫が白い雪に色を付ける。
ドクン…ドクン…ドクン…!
「ア、ァアアァ、アアァアアアアァア!」
体を弓なりにしながらも苦しそうに絶叫する紅月の真紅の双眸が、やがて蒼く煌めく。
「それが…お前の覚醒した……姿か……。相変わらず…美……しい…な……」
そう言って、風は右手をゆっくりと紅月の頬に添えた。
だがしばらくすると、その手は虚しくも力なく落ちて行った―。
―イヤだ……!失いたくない…!絶対に……!
「死なせないいい!」
懐から横笛を取り出し、旋律を奏でる。すると笛は無くなり、あやめが顕れた。
あやめの手が風の傷口にそっと触れると風の傷は徐々に消えていく。が、それはあやめが代わりに傷を負ってくれているのだ。
―『癒してはならぬ』
白銀でも黄金でもない、知らない声。もっと冷たく、残酷で、体が弛緩する感覚に陥る。
紅月はそれでもあやめに傷を癒すよう集中させようとした。
激痛が体内を駆け巡る。抗えない力が体内を蹂躙する。まるで言葉に逆らうだけで罰を与えるかのように、逆らう事を責めるかのように……。
「………ぐぁっ!…あぁ…あ……っ!」
弓なりになりがちな体の私に気付き、あやめが駆け寄ろうとしたのを大声で制する。
これが罰だと言うのならば、私はそれに応える。
これは、報い。愛する人を手に掛けてしまった報い―。
あやめに気を集中させなければ。
軽傷や重傷ならば、あやめ一人で十分だが致命傷となれば紅月と共同で治した方が死亡率の減少に繋がる。紅月は巫女だ。巫子である霊力をあやめに注ぎ、あやめが治癒するといった連携。その間の二人は防御が疎かになるのが難点だが。
―『ならぬ』
厳かな声音はまるで、傍で見られているかのように近い気がした。凄まじい圧力が紅月の上に圧し掛かる。ついに紅月はその場で支えを失ったかのように膝を折り、くず折れた。声にならない、叫び声が喉の奥で絡まる。
「何故…、邪魔をする……っ!」
必死に絞り出す声で、やっと言葉を紡ぐ。
―『……』
声は、答えない。
紅月が声の主を懸命に探る。何故ならそこには数人の呪術師がいるからだ。
次の瞬間、痛みがフッと消え去る。動きも、いつも通りだ。
「何が……」
どうなっている、と思いきや堰を切らしたように、むせび泣くあやめの姿が感じられた。
振り向けば、横たわっているのは息を吹き返した風の姿。
「った……!……よかった…!風が…風が……無事で…!」
「……よく頑張ってくれた」
あやめは体中に血を滲ませながら、子供の様に泣きじゃくる。
紅月の目にも大粒の涙が頬を伝う。
だが次の瞬間、紅月に激しい頭痛が襲う。割れそうな頭を抱えてそのまま崩れるようにしてその場に倒れ込む。気が狂いそうになるけれど、大きな苦しみによって我に戻る悪循環。
―『出来ることなら霞の方が良かったのだが……惜しい事をした……』
紅月の聞いた声はそれが最後でその囁きを聞いて深い眠りについた。
よく見えはしない顔。フードに覆われたその口からは聞き慣れない呪文が、絶えず聞こえる。
その声を聞いているのは嫌なのに、思い出すと気持ちが落ち着き、自然と心が凪いで行く。
ぼんやりしている思考回路がようやくまともに働き出した。
聞いた事のある声が紅月の脳内を掻き乱す……。紅月の頭の中で走馬灯のように様々な事がフラッシュバックされていく。
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