嵐の前夜
「……こ…っ!こう…っ……!紅月!」 夜の廃虚のなか、焚き火にあたっている途中で眠ってしまったらしい。なんとも不謹慎なことだな、と内心自嘲気味に嗤った。 「紅月……なんか嫌な夢、見た…?」
あやめが食料を配りながら聞いてきた。……どうして?と質問を質問で返す。「いや顔色悪かったし、表情も苦しそうだったから。迷惑だった?」 あやめは心配そうにこちらに見てくるので、そんなことないと首を振り、礼を言う。 「ありがとう、あやめ」 内容にはあまり触れたくなかった。だが矢継ぎ早の質問に無言で返す勇気もなく、呟くように答えた。 「出会った頃の夢。私と鈴、風で組織を立ち上げた頃の夢」 組織『朱雀』は風を筆頭に反乱組織を立ち上げた。常に権力者を狙っては、こんな体にした奴らに復讐を、と立ち上げた。あやめは朱雀を立ち上げた後に創られたので、興味津々と言ったように問いかける。朱雀の戦力は今のところ人数的にはごく少数、だが一人当たりの戦力は計り知れない。中でも私は戦闘向きの力を持ち、必ず前線に出ている。 そうこうしている内に、複数の気配を感じた。 紅月には視覚で見るものと、脳が視るものの二種類がある。紅月の領域に踏み込んだ時点で周囲での状況は神経を辿って脳に映像を視せる。紅月は岩陰からコッソリと居場所を確認した。遠目にだが、小さな灯がいくつか見える。 「あやめ、十時の方角に五百メートル付近で複数の気配を察知。こちらへ向かっている」 「了解。夜遅くまでご苦労様」 あやめが明かりを消した時には、いつでも仕掛けられた。だがいくら複数だからといって、敵とは限らない。
「おかしい……明かりは確かにあった……。暗闇の中、見間違える筈がない……」
「隊長……ここは一度退いた方がよろしいのでは……?」
敵さんか、下端の方が賢いな。隊を治める長が聞いて呆れる……。 私はあやめに肘でコンと腕辺りに当ててこちらを向かせ、あやめを指差しもう片方での手で掌をアップダウンさせる。 『あやめは待機』 『了解』 あやめは黙って頷くと、私は敵の後を追った。 あやめはもともと医療系能力者。言わばヒーラーだ。故に自分を怪我させる訳にはいかない。致命傷を負えばそれこそ一大事だからだ。
先ほどの者達は、こちらに気付いている様子もない。このまま拠点まで追跡したいが、深追いしてはあやめの身が心配になると紅月は考えた。 「……」 捕えるか……。 紅月は地を蹴り、猛スピードで敵との間合いを詰めた。目の前にいるのは五人の小隊。
数から言って偵察隊か……?仲間がいる様子もない…。これ位なら瞬殺できるが、 「お前達を捕縛する」 何か情報を持っているかも知れないと考えた紅月は、生け捕りにして連れて帰ろうとした。紅月が姿を見せた瞬間、隊員達の顔色が一瞬にして青褪めた。 「修羅の装束に、懐の横笛と二本の刀。間違いない……『紅豹』だ!」 その名を聞き、フッと鼻で笑う。 「ヤツを生かして捕えろー!」 隊長らしき男が、隊の士気を高める。だが紅月は悠然と、その場にただ立っているだけだった。冷たい風が吹き通り、頭の後ろで結われた黒い長髪がなびく。隊はどんどん紅月を包囲していく。そして取り出すのは銃。硝煙の臭いが鼻をつく。
銃……ね。私の嫌いな……鉄の塊。人を殺す為にだけ生まれた意思のない武器。実験で生きた生物兵器として生まれた、私達。
紅月はその瞬間から捕縛してアジトを聞き出すことなんか、頭からどこかへ行ってしまった。そしてニッと口角を釣り上げ、不敵な笑みを浮かべる。 「私を不快にしてくれた礼だ。捕縛なんかやめてやらぁ」 うっすらと髪色が紅く変色していくのと共に、耳飾りがシャランと涼やかな音をたてる。そして口調や、ソレを纏う雰囲気までもが豹変していく。 「一瞬で始末してやんよ」 銃は撃つことを止めない。まるで恐怖に怯え、近寄るなと言わんばかりの勢いで発砲される。紅月が動く気配は窺えず、畳み掛けるように発砲されるがやがてシン、と静寂が辺りを満たす。弾切れなのだ。 「終わり?なら次は私だな」 手刀が四人の首に鮮やかに、それこそ手際良く入っていく。残るは隊長らしき男のみとなった。ドササッと一斉に崩れ落ちる四人。紅月は隊長に向き直る。 「言い残すことは?」 「おっおまっ……お前!あれだけの銃弾をどうやって……!」 「まあ聞くとは思ったけどな……。いいよ、見せてやる」
そう言うと、紅月は目を瞑った。足元の大気が冷気を帯び始め、柔らかくその場に流れる風となる。紅月は艶やかな紅い長髪を靡かせながら、スッと両の腕を伸ばし掌を天へと向ける。そこに現れたのは、首を落とすには十分な程の厚く鋭利な、氷の刃。驚愕と恐怖で何も言えない男は、ソレを見て金魚の様に口をパクパクさせた。 「私は水の加護を受ける能力者だ。私達はアクアキネシスと呼んでいる。“複数の能力”を持つ。こんな例は初めてだ、って研究者共は興奮してたぜ?更に時間と空間を理解することによって、空間指定した場所に水を意のままに操る事ができる。するとこんなものが出来上がる。ま、条件はあるけどな。これ以上は話すことはない。逝け」 「馬鹿な!たかが氷で防がれる筈が―」 紅月の白く細い腕が空を切る。刹那―赤い血飛沫が飛び散り、雪の上に斑模様をつける。 「ギャンギャンうるせぇよ……」 もう喋る事のない、ソレに向かって小さく吐き捨てた。もう一度耳飾りがシャランと鳴るなり、あやめのもとへ戻り詫びの言葉を述べる。 「ごめんなさい。捕縛してアジトを吐かせようとしたけれど、頭に血が上って殺した。全ては私の責任……」 「大丈夫だよー。でも怪我が無くて良かった!」 「無様だな。敵の情報を得るチャンスをみすみす逃した挙句、自分の力を誇示するとは」 そこには先程まで姿が無かった、風がいた。あやめは即座に、コラ!そんなこと言うな。などと言って庇ったが紅月は反論しない。むしろその意見に同意さえした。
情報とはそれほどに価値ある物なのだ。時には金となり、またある時には取引の材料になる。情報とは、どんなに強力な武器さえも凌駕する事がある。 「確かに、風の言うとおり。無様」 紅月がそういうとさっきまで風に対して怒りを露わにしていたあやめはピタリと止まる。目を伏せてシュンと落ち込む理由が、紅月は理解出来なかった。 …これは、私の落ち度。あやめが落ち込む必要は無い……。 「風、そっちは何らかの収穫は?」 紅月は横目で風に問う。すると風は口角を釣り上げ、いやらしい笑みを浮かべた。
「お前と一緒にするなよ?こっちは居なかった分の埋め合わせぐらいやってやる」 「頼もしい」 紅月はいつもの様に無表情で、それだけ言う。そして直ぐに、風の情報説明が始まった。
風の能力は何も無い分、身体能力に全てを回されている。具体的に言えば、猫又の運動神経やバランス感覚。獣人のような素早さ、怪力。素手のみなら、紅月をも凌ぐ程だ。 「これから北北東に約六十キロの場所に向かう。上層部に繋がる奴さんを目的に、鈴が作戦を既に始めているみてぇだ。俺らも急がねぇと……!それと拠点までのルートに敵は潜伏していなかったみたいだ。だからこそ、油断はするな。泳がされているだけかも知れねえからな……」 「敵の数はおよそ何人?」
好奇心からだろうか、あやめが敵の数を聞いていた。 「本拠地ではないが、能力者を拘束してるんだ。確実に百人は見積もっといた方がいい。応援とかも含めとけ」 私達の組織とは向こうにとって、ただの実験サンプルの悪足掻きみたいなものなのだろう。暴走した挙句の果てには仲間同士で手を組み、反乱を起こしているにも関わらず……。 「あやめ」 「?」 首を傾げながら傍に来る。紅月は神妙な面持ちであやめに向き合い、話し出した。 「頼みがある」 柔らかい笑みを浮かべながら、あやめはソッと紅月の隣へ座り込む。だが次の瞬間に、あやめの笑みは消え失せた。 「貴女はこの作戦に加勢しないで」 思いがけない言葉だったのか、あやめは瞠目した。 「貴女の役目はこの任務を終えてから。怪我を治す者がいなくなることは、任務の成功率に大きく関わってくる。解る?」 「……うん、そだよね」 些か言いすぎたかも知れないが、それ位が丁度いい。 俯いた顔から表情は汲み取れないが、落ち込んでいるのは確かだった。 「!」 気付けば稀にしか見せない笑みを浮かべ、あやめの頭に手を置いていた。 それは信頼の証でもある。 その後の夜は作戦決行の準備を整え、しばらくの仮眠をとった―。