9 一品、決めました
テオのお話後編です。少し長くなりましたが切りが悪いのでこのまま投稿します。
外出の着替えの為、クロゼットを開けると穴の向こうに“カホちゃん”が、頑張って付けてくれたカーテンが揺れていて、テオの顔が少し緩んだ。
礼儀正しくて、優しいと思った。まあ、数時間しか話していないのだけれど。これでも一応竜騎士団副団長の任を務めている。多少は人を見る目に自信はあるのだ。
彼女は“ドニチ”が休みで“ヘイジツ”の夜は居ると言っていた。ドニチは特定の日で今日のことなのだろう。ヘイジツというのは恐らく仕事かどこかに出る日のことで、夜は部屋に居るということなのだろうとは思うが合っているのかはよく分からない。
そういえば、彼女の年齢と名前、部屋は見えたけれどどこにあるかは分からない。そんな状態なのに彼女の作った料理の味は知っているのかと、改めて思い至ったテオは苦笑いを漏らした。
最初に人の声がした時にはとても警戒したものだったが、何も害が無さそうな女性だった上に、驚くほど謝り倒すものだから可笑しかった。勇者騒動の時の影響かとは薄々思いながらも確信はなかったので、適当に合わせていたが穴が繋がっている状態が続くようなら、色々な話をしてみたいとも思う。…はっきり言うともう少し仲良くなりたい。
今日が彼女にとっての“ドニチ”、つまり休日らしいので眠っているかもしれない。起こさないように細心の注意を払って着替えを手に取ると、穴の向こうの彼女の部屋の方からコンコンコン、という何かを叩きつけるような音と、“チーン”という甲高い音が遠く聞こえてきた。起きてはいるようだ。
(おはようってわざわざ言うのもなんか変だし、夕飯の時に会う約束もしてるしな)
しばし考えたが、彼女がクロゼットの近くに居る気配はなかったので、自分のクロゼットの扉を閉めて着替えることにした。
私服を着て外出するのは本当に久しぶりだ。いつも騎士団の服を着て職場と町の見回り、ついでに食事を購入。そしてこの宿舎に戻ってくる毎日を過ごしている。休みの日は日がな一日ゴロゴロしてお腹が空けば適当に保存食に手を付け、足りなくなれば買い出しに出かける。
「…なんか少しカビ臭い?」
くんくん、と服を嗅ぐが自分ではよく分からない。まあ、外気に触れていれば薄まるかなと呑気に考えて、テオは玄関へと向かった。
靴を履いて外に出たらきちんと鍵をかける。ここほど警備の固い場所は無いとは思うけれど念のためだ。
彼の部屋は宿舎の一階にあるので、そのまま広い庭園を突っ切って街へと出ることにする。
彼の相棒、ロディには見つからないことを祈りながらこっそりと。
(あいつが付いてきたら悪目立ちする上に金がかかるからなあ)
あれが食べたい! これも食べてみたい! と食欲旺盛なロディは竜族特有の目立つ衣装の裾を翻して露店中を走り回る。また露店の商人たちも心得たものでロディとテオが好きそうなものをどんどんおすすめしてくるのだから恐ろしい。竜騎士団の給与に関して言えば、とても良い。しかし、ほぼ食費に消える残念な騎士団なのだ。竜たちにも支給される給金と食事があるのだが、彼らは相棒に払わせるプロフェッショナルときている。油断ならないのだ。
(特にロディは子どもの見た目だから、それくらい払ってやれって言われたら終わりだもんな…)
俺の方が五十歳以上も年下なのにな。考えていたらなんだか悲しくなってきた。
街の中の騎士団の詰所にもついでに顔を出そうか悩んでやめた。どうせ明日も行くのだから、山積みになっているであろう書類は今日くらいは見たくない。
いつも行く露店通りへと足を向けると、まあまあ賑わっている。おいしそうな肉の匂いもしてきて、テオの腹の虫が鳴いて主張する。
「…またお腹が空いたとか、もうどうしようもないんだけど」
空腹はもはやテオの友だちだ。彼は溜息を吐きながら小銭を取り出して露店にて肉パイを購入した。それを食べるべく噴水広場の空いているベンチへと腰を下ろした。
まずは腹を満たしてから、ゆっくりとカホちゃんへのお土産を探そう。腹が空いた状態で買い物をすると何もかも輝いて見えるし、判断力も鈍っているので余計なものをたくさん買ってしまう事を彼は竜騎士になってから身をもって学んだので、よく知っている。
◇◇◇
「きゃー、見てみてマリィ。テオドール団長じゃない? 私服なんて珍しいわ」
「本当だわ! 私服もそうだけれど…ああ、今の物憂げなお顔も素敵!」
市場へ遊びに来ていた少女たちがキャイキャイと騒ぎ立てる。少女たちの熱っぽい視線の先にあるのはテオだ。結構な距離があるので自分が噂されている事に彼は全然気付いてはいない。
噴水のある広場のベンチに座り、何やら考えこんだ様子で流れる水をみつめるテオの姿がある。
ちなみに彼は『ブタキムなんとかハンは美味しかったけど、何が入っていたんだろ』と食材について真面目に考察している。
「ああ、あの薄いアイスブルーの瞳を伏せて。一体何を思い悩んでらっしゃるのかしら」
「騎士団のことかしら…」
「心配だわ。テオドール団長はお優しくてらっしゃるから」
「そうね…あっ!! 今見た!? 微笑んだわ!」
「見た見た!」
ちなみに今度は『最初のあの料理にかかっていた黄味がかった白いソース、おいしかったな』と微笑んだのだ。
少女たちは手を取り合い、黄色い悲鳴を上げる。何も知らない方が幸せな場合もあるのだ。
◇◇◇
「え? 女性が料理を作ってくれるのなら何も要らないんじゃないの?」
いつもお世話になっている露店のお姉さんに、細かい事情を省いてお土産の話をしたテオに向けて放たれた言葉である。テオは頭を殴られたかのような衝撃を感じる。なんということだろう。
「あ、そういうものなの?」
「だって、テオドールさんの為に、彼女が作ってあげるんでしょ?」
「いや、彼女じゃないけど」
「そうなるかもしれない相手でしょう? その人なりに献立を考えるはずだと思うけど」
「そうだね。そういうの好きそう」
彼女云々にはなるべく触れずに言葉を返す。面倒くさそうだ。
テオの返答に、それ見たことかとお姉さんは溜息を洩らした。テオが入団試験にやってきた時からの知り合いなので、遠慮というものが全くない。
「かぶっても困るし、全然合わないものでも困るでしょうが」
「!」
なるほど。そんなことは全然考えもしなかった。ただ彼女だけにたくさん作らせてしまうのだから申し訳ないな、と思ってのことだったが、ありがた迷惑というものもあるのだということを思い出す。
「でも、その人には一品持っていくよって言ってあるんだけど」
「そうなの? うーん、じゃあこういうのはどう?」
彼女の出してくれた提案はテオの求めていた“可愛い料理”にぴったりだった。やはり女性に相談して良かったなとテオは胸を撫で下ろす。店の場所を教えてもらい、店の場所へと踏み出した足取りは軽やかだった。
なので、テオの後ろ姿を見ながら手を振る、お姉さんこと美人と名高い雑貨屋の店主がニヤリと笑って呟いたことをテオは知らない。
「妹の店の売り上げ貢献にご協力いただきまして、どーもありがとー」
恐ろしいお姉さんです。ロディも手のひらでコロコロ転がされているんでしょうね…。