36 山道を抜けて
※クロがノーリードですが、作中の演出です。犬のノーリードは、犬も人も不幸になるので絶対にやめましょう。
所々に朽ちたブドウ園のようなもの、屋根が崩れ落ちた民家が点在する道を先導するのは、高齢運転者標識がぺたりと貼られている次郎吉が運転する白い軽トラックだ。その荷台にはクロのお出かけケージがロープでがっちり固定されて積まれている。後続車を運転するのは夏帆。助手席にはテオが座り、狭い後部座席には一番体躯の良いリアムが縮こまっている。
テオも夏帆もリアムに助手席を勧めたが、強面のおっさんは何やら生暖かい表情を浮かべて後ろに率先して乗ったのだ。その際、夏帆に見えないようにテオにぐっと親指を立てて見せた育ての親とも言える上司。テオはひきつった笑みを浮かべ、ぎこちなく頷き返して助手席に乗り込んだのだった。
山の入り口に入ると一気に道が狭くなる。綺麗に敷いてあったアスファルトはデコボコの白いコンクリートへと変わる。しかもあちこち穴が開いていてその中には水が溜まっており、なるべく穴を避けて運転したいところだが、生憎と道幅はぎりぎり離合できない狭さで左右には鬱蒼としたスギ林が広がっている。
「カホちゃんのおばあちゃんは、この道を毎日往復してたの?」
「そうだよ。すごいよね」
お線香セットの入った袋を持って、左手にクロのリードを持って。暑い日も寒い日も通い続けたのだ。さすがに嵐の日には仕事を終えた両親のどちらかが送っていったりしたこともあったけど。
一番勾配のきつい上り坂の悪路は3分程で終了した。ガタンと大きな揺れの後に車は揺れなくなり、鬱蒼とした森を抜けると晴れた冬空が広がる。山頂はすり鉢状になっていて、底にあたる低い場所には朽ちた一軒の古い家が見えた。屋根の歪んだ大きな納屋に、小さな小屋がいくつか残っている。
「あれが、ミノルの生まれ育った家、か」
後部座席から感慨深そうな低い声が聞こえてきた。彼にとっては夏帆の亡祖父母の家ではなく、旅を共にした仲間の生家なのだ。
下り坂をゆっくりと走っていき、朽ちた家の草があちこち生えた空き地へと白い軽トラックは止まった。夏帆もその後ろに車を止める。先に車を降りていた次郎吉がクロのケージを開けてやると、ぱっと飛び出したクロは夏帆たちの車へと駆け寄ってきた。
夏帆たちも車から降りると、クロはキュンキュンと嬉しそうに鼻を鳴らして夏帆へと甘えた。尻尾はパタリ、パタリと嬉しそうに揺れている。夏帆が撫でてやると気持ちよさそうに目を細めてから、坂の上にある墓のほうへと走っていってしまった。
「本当に、ただの犬のようだな」
リアムが苦く呟くのを見て夏帆はドキリとする。前は何も思わなかったけれど、まるでクロが普通の犬ではないような言い方だ。前の夏帆ならば笑ってしまっていただろうが、身内に賢者、勇者。そして滞在客は竜騎士団長に竜騎士副団長というこの状況では、さすがの夏帆も楽天的にはなれない。
「ほら、もたもたせんで、行っど」
次郎吉がパンパンと手を叩いて立ち尽くす夏帆たちを追いやる。牛たちに牛舎に戻れと彼が手を叩いていたのを思い出す。
(牛じゃないんだから……)
なんだか複雑な気持ちでクロが駆けていった方の細い坂道を登る。この坂道には車は入れないので歩いて登るしかないのだ。
誰も通らないので、栗の木の下のこの道はあちこちにイガグリが落ちている。中身は当然空っぽなので母か次郎吉か、もしくは動物が持っていったのだろう。落ち葉の下に隠れるコンクリート打ちの道はコケが生えていて気を付けないと滑りそうだ。
「やっぱり、山の上だし少しだけ寒いですね」
「そうだね。カホちゃん、薄着だから……大丈夫?」
「はい。思ってたより冷えると思っただけなので」
軽い気持ちで実家に帰ってきていたのだ。ブルリと身震いはしたけど、震え続けるほど寒くもない。ぺたんこのブーツで良かったと思う。
短い坂道を抜けると左に祖父母の眠る墓があり、クロはその墓の前におすわりをしてじっと墓石を見つめていた。ここへ来るといつもそうだ。
夏帆たちも近づき、次郎吉が持ってきていた線香を分けてくれたので全員で立てて手を合わせる。
「クロ、ばあちゃんのこと思い出してるの?」
夏帆はしゃがんでクロの頭をわしわしと撫でてやる。
生前、祖母と一緒に何度か来たことがあるけれど、その頃は塚の方へと走って行って離れなかった。クロに変化があったのは祖母が亡くなってから。今までは塚へと一目散に走って行っていたのが、祖母の眠る墓の方へと先に行くようになったのだ。
道を挟んで反対側の斜面に塚がある。相変わらず塚周辺には草が生えておらず、やっぱり不気味だなと夏帆は思う。夏の暑い日にだって、なんとなくこの周辺は寒いような変な感じがするから近寄らない様、見ないようにしていたのだ。
墓から移動し、塚の前に立つ。一抱えほどの石なので自然と全員で見下ろすようになる。
付いてきたクロは夏帆の足元にのんびりと座っている。ここからは朽ちた家や納屋、庭が一望できる眺めがいい場所だ。
「さて、夏帆。お母さんから少し聞いたと思うけど、これがお父さんちが代々供養してきた塚だ」
夏帆がこくりと頷いた。テオとリアムも何も言葉を発さないということは話を聞いているのだろう。
「そして、この中には武将の娘……かどうか分からないけれど、娘さんが一人だけ眠っている」
稔はリアムの方へと体を向けて頷いた。
「僕とジロキッサンが連れ帰った小夜子さんに入っていた、キミたちの世界で“魔王”と呼ばれていたものと同じだ。リアムは封じられた姿というのを初めて見るよね」
「ああ。こんな簡単なものに入っているとは夢にも思わなかったがな」
リアムは苦虫を噛み潰したようだ。強面の顔はますます迫力を増していて、関係のない夏帆が思わずスイマセンと謝ってしまいそう。
「魔王を返せ、ですか……。眠っているだけなんですね」
テオの言葉に稔は頷き返し、ゆっくりと口を開く。
「少しだけ、話をしようか。孤独な魔族と、怨霊だった娘さんの話を」
次、一話だけ勇者一行のお話です。




