3 お手紙交換をしました
遮光性など全く考えずに買った、ベージュ生地のカーテン。まんべんなく散らされた樹木と飛び交う小鳥のシルエットによって若干光を遮られているそれは、夜の室内の明かりが煌々と外に漏れだす一品だ。それを選択した彼女を見て母親は呆れていたが、初めての一人暮らしに浮かれた当時の彼女はこれを選んだのだ。
そして、初めて迎えた夏の日。熱と光をそのまま通してくれるカーテンに彼女は悲鳴を上げたのだが、慣れというものは恐ろしいものだ。もはや快適なはずの遮光カーテンに変えてしまったら起床できないとすら思える。
毛布の中で両腕を枕のほうへと乗せてぐっと背伸びしつつ、足も用心深く伸ばす。あまり思いっきり伸ばすとよくフクラハギを攣るようになった。確実に運動不足だとは分かっていてもなかなか動く機会を作れないのだ。
「うーん。すっごくよく寝た気がする」
スマホで時間を確認した彼女は、むくりと起き上がって再び伸びと欠伸をしてからベッドから降りた。フローリングは冷たいけれど、ラグの上はふかふかで気持ちいい。引っ越し当初はスリッパを置いていたけどすぐに使わなくなった。素足のままペタペタとキッチンを一旦通り過ぎて浴室の出口においてある棚からタオルを持ってくる。
「ふあー…今日は土曜日か。何しよっかな」
顔を洗って歯を磨く。どうせ朝食を食べるのだけど、それでも起き抜けには歯を磨くのは習慣だ。
(昨日はパン焦げちゃったし、パン屋さんに行って食べ直したいな)
彼女はうがいを終えてタオルで口を拭きながら、手を止めた。
(でも、結果的にもっと大きなバゲットに変身したんだけどね…)
「……あ!」
歯ブラシをぽいっとコップに投げ入れて部屋へと急いで戻り、クロゼットを開く。呑気に朝の日課をこなしている場合ではなかった。奥には変わらず大きくはないが、決して小さくもない穴が彼女をあざ笑うかのようにどーん! と口を開いていた。
「そうだった。お隣さんと繋がっちゃったんだった」
どうするか話し合おうとは決めたものの、いつかは決めていない。今日は土曜日だが、隣人の彼は居るのだろうか。まだ寝ていたら申し訳ないけれど、さっき見たスマホの画面は九時だったから思い切って声をかけてみることにする。
「…すいませーん。おはようございまーす」
小声で呼びかける声に返答はない。どうやら不在のようだ。
「いませんかー? …いませんね。あれ? なんか落ちてる…」
穴の下に一枚の紙きれが落ちていた。拾い上げると彼女の知らない文字がずらりと几帳面に並んでいて顔をしかめた。
「英語…じゃないよね。何語だろ……多分、手紙みたいなんだけど」
昨日までは何も無かった。落ちていた場所から察するに隣人が放り込んだと思われる。彼は今日も仕事なんじゃないだろうか。そしてそれに関することを書いてるんじゃないかなと判断する。
文字の並び方からして手紙なのだろうと推測はできたが、さっぱり読めなかった。日本語が彼は書けないということだろう。でも、もしかしたら読むことはできるかもと淡い期待を持って彼女も手紙を書くことにした。
「えーと、この前にお礼状を送った残りの便箋があったはず」
カラーボックスに無造作に立ててあるファイルをごそごそと探すとすぐに見つかった。テーブルに紙を広げて手紙を書きはじめる。お礼状以外の手紙を書くなんて中学生以来でなんだか少し照れくさい。
―――お隣の方へ 穴についてお話したいです。お忙しそうなのでお時間のある時にでもお話しましょう。私は土日祝がお休みですが、平日は夜の八時以降なら部屋に居ます。 平田夏帆---
パタパタと紙を揺らしてインクが乾いたのを確認して四角に折りたたむ。そのまま穴に手ごと入れて離すと、手紙はゆっくりと落下して薄暗いあちらの部屋のクロゼットに落ちたのが見えた。
読めるかどうかは不明だが、少なくとも見てはくれるだろう。コンタクトを取ろうとしていることに気付いてインターホンを鳴らしてくれるかも。
夏帆は穴の前から離れて可愛い柄のマスキングテープを取り出した。使っていないクッションの替えカバーを取り出して穴の前にかけようとしたが…。
「ううーん。やっぱりダメかあ。重たいもんね」
マスキングテープをべたべたと貼ってみたもののちっとも定着しない。固定する力が全然足りないのだ。
しかし、画鋲を刺すのは躊躇われた。これだけ大きな穴が貫通しているのだからもうどうでも良いような気もするが、それでも穴を増やすのはちょっとと思える。
「しょうがない。百均でも行って小さな布を探してこよ」
夏帆はクロゼットから洋服を取り出して気付く。着替えもおちおちできないではないかと。クロゼットをちゃんと閉めないと丸見えだし、閉めたとしても生活音が筒抜けだ。
(私、昨日は寝言言ってたりしない、よね?)
いびきに関してはあまり心配していないが、夏帆の寝言に関してはすごいと定評がある。ハキハキと受け答えをするので本当に寝ているのかと疑われること多々なのだ。学生時代の修学旅行や研修旅行の翌朝は起きるのが憂鬱だったものだ。ニヤニヤした友人たちに囲まれるのだから…。
考えていても仕方ない。クロゼットを閉めて夏帆は手早く着替えた。とりあえず、当初の目的通りパン屋さんへ行って朝食にしてから買い物を済ませようと頭の中で計画を立てる。
「財布よーし、携帯よーし、鍵おっけー!」
出かける前のカバンの中身チェックもいつものこと。小さめのショルダーバッグを持って彼女は玄関から飛び出して行った。
彼女の不思議な週末は始まったばかりだ。
名前が出ると言いましたが、半分だけでしたね!!
次は壁の向こうの隣人のはなし。