23 随分と逞しいお客様です
「お父さん、おかえりー」
「夏帆もおかえり」
大きな窓を開けて縁側へと出て父に声をかける。
久しぶりの娘の声に父は嬉しそうに振り返り……油断したその一瞬、クロの大きくて太い前足が父の横っ面にクリーンヒットしてメガネが外れた。
「あ」
痛そう。夏帆は顔を顰めた。クロは昔から父が油断した時を狙って攻撃を加えてきている気がする。他の家族や他人には絶対にしないのに不思議だ。
(下剋上を狙っているのかな……)
父は溜息を吐きながらメガネの位置を直して立ち上がる。身長もそんなに高くなく、少し痩せ気味の父だ。いかに夫をもう少し太らせようと母が挑み続けてもう何十年だろうか。
私が食べてもあまり身にならないのはお父さんの血筋だろうなーと思いながら、スリッパを履いて庭に出る。玄関からは庭が見えない作りになっているのでお客さんと鉢合わせる心配もない。
夏帆の家は少し変わった作りをしていて玄関が端っこにある。本来玄関がありそうな位置には居間の大きなガラス窓と縁側がドンと鎮座していてお客さんはよく玄関が分からずこちらに回り込んで戸惑い、クロに大きく吠えられるというのが常だ。
少し大きくなってからなんでこんな場所に玄関がと尋ねたことがあるが、父は苦笑いを零し、母は可笑しそうに笑うだけで教えてくれなかったので未だに謎だ。
「お父さん、大丈夫?」
「久しぶりにやられたなあ。昔っからクロは隙を突くのが上手だよなあ」
特に出血などはしていない。上手にメガネだけを狙ったのだろう。
当のクロは犬パンチのことなど瞬時に忘れた様子で、本日初めて庭に出てきてくれた夏帆に興奮して尻尾を振っている。キラキラと輝く黒い瞳は「撫でて! 撫でて!」と訴えかけてきている。
「クロ、いい子にしなくちゃだめだよ。お父さんはもう若くないんだから」
「夏帆……」
クロにお説教する夏帆は無意識に父にとどめを刺してしまったが、本人に悪気はない。
しゃがみ込んで、もこもこの毛に指を潜り込ませて撫ででやりながらメッと言うがクロは知らん顔で、それよりもっと撫ろと言わんばかりに前足を上げる。
この場合は前足の付け根をさすって欲しいということなのでワシワシと触るとクロは目を細め、今度は反対の足を上げたのでそちらもしてやる。クロの体からは段々と体の力が抜けてぐにゃぐにゃしていく。
「クロちゃーん、かわいいね、クロちゃーん」
撫ででやっている夏帆の顔も人様には到底見せられないだらしない顔になっていた。クロがいつものようにゴロンと横になって腹を出した所で、背後から低い声が聞こえた。
「ほう。随分と懐いているのだな」
「!」
驚いた夏帆が慌てて振り返ると、そこには短い黒髪の…左頬に大きな古傷のあるがっしりとした男性が立っていた。父より少し若いくらいか同じくらいに見える。最も体格は全然違う。並ぶと細身の父がひょろひょろに見えて可哀想になる程に鍛えられた体だ。
(……あ、お客さんってこの人だったんだ)
玄関で聞いた声と同じ。こんな強面の人だったなんてと夏帆は内心驚いたがすぐに立ち上がってスカートについた土を払った。クロもくるりと体を回転させて身を起こし、じっと男を見つめたがすぐに興味を無くしたように欠伸をしてから耳の後ろを前足で掻きはじめた。
「夏帆、こちらは仕事仲間のリアムさん」
「お初にお目にかかる。リアム・パストーリと申します」
「あ、こちらこそ。父がいつもお世話になっております。娘の夏帆です」
リアムが頭を下げ、我に返った夏帆も頭を下げながら挨拶をする。
(怖そうな人だけど、礼儀正しいんだなあ)
少し緊張気味に笑みを浮かべる夏帆。父は海外出張が多い仕事をしているので外国人が仕事仲間なのは納得だ。言葉が随分と堪能で驚いたけれど。
父は、詳しいことは教えてくれないが貧しい土地を豊かにするプロジェクトをしているそうだ。
「見てくれは怖いけど、それほど怖い人じゃないよ」
「お父さん!」
父の失礼な言い様に夏帆は驚いて声を上げる。しかし、リアムは気分を害した様子もなく諦めた様子で息を吐いた。
「夏帆は、今からお母さんと買い物に行くんだろう?」
「うん。服とか新しいシーツとか見たいんだって」
前々から夏帆の暮らす街まで車に乗せて行って一緒に買い物をする約束をしていた。母も運転はできるのだけど、交通量の多い場所は怖いらしく運転しない。でも買い物には行きたいわけで……そんな時には夏帆にお呼びがかかるのだ。
父と一緒に行くと待たせることになってしまうし、一緒に選んでくれる夏帆が良いそうだ。
「夕方には、お兄ちゃんたち来るんだって」
「玲央も来るって?」
父の顔が嬉しそうに輝く。よちよち歩きが上手になってきた初孫に会うのが楽しみなのだろう。
兄一家は実家と同じ町に住んではいるが、父があまり家に居ないので顔を合わすことは少ない。平日の昼間だけパートに出ている母は存分に満喫しているようだ。昨夜も歩くのが上手になったとか、ママ、わんわと言っていたとニコニコと嬉しそうに話してくれた。
居間の大きな窓が開かれ、母が現れた。
「ねえ、外は寒いでしょ。中に入ったらいいじゃない」
三人は顔を見合わせてから、それもそうだと母に向かって頷いた。
大きい犬をもっふもふしたいです。