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20 実家に帰らせて頂きます

◇◇◇


 いつもだったら何か自分へのご褒美を買って帰る金曜日だけれど、今日は違う。自宅には戻らずに、荷物一式を詰めたままのバッグを乗せた車で、会社から直接実家へと帰るのだ。


 すっかり暗い山道は通行人はもちろん、対向車すらほとんど居ない。オーディオからはお気に入りの音楽が流れてくる。そろそろ新しい曲も入れたいところだ。


(明日の朝は、お花を買ってからばあちゃんとこ行こう)


 夏帆は一か月に一回は顔を見せに帰っている。車で山道を飛ばして一時間の距離は決して近くはないけれど、飛行機を使ったり新幹線を使ったりしないといけない人たちよりずっと恵まれていると思う。


 就職したばかりの頃は実家に帰ってしまえば心が揺らいでしまいそうで怖くてあまり帰らなかった。少し仕事に慣れてからは生活リズムを崩したくなくてなかなか帰らなかった。


 そんな夏帆を変えたのは仲の良かった祖母がきっかけだ。


 夏帆が一人暮らしを始めてすぐ、父方の祖父が亡くなった。一人残された祖母が住む家は小さな山の山頂にあり、もちろんバスなんて通っていない。というか、夏帆の実家の近くだってバス停まで歩いて三十分だ。免許なんて勿論持っていない祖母を心配した両親は山の麓にある我が家へと迎え入れたのだ。


 祖母は毎日欠かさず、山の麓から山頂まで歩いて一時間弱の距離を往復した。山頂の祖父の家は取り壊されてしまったが、そこには祖父とご先祖様のお墓があったからだ。


 夏帆が二十一歳になった頃、祖母が余命半年という宣告を受けた。


 もう八十三歳なのだ。十分長生きだったよねというのは頭では分かっていた。でも、心はそうはいかない。


 あんなに元気に山を往復していた祖母は、寝たきりになった。食事もほとんど取ってくれないと嘆く母に夏帆はなるべく実家へ戻ることにした。夏帆が一緒に食事を摂るといつもより箸が進むのだ。進むといっても、一口がお茶碗三分の一に増える程度だけれど。


 ある土曜日の夜、実家へ戻っていた夏帆が祖母のベッドにおやすみを言いにいったときのことだ。祖母は一枚の写真を取り出して、少し恥ずかしそうに笑いかけた。


『ばあちゃんの遺影写真を、これで作ってね』


 家族に言うと怒るから。夏帆ちゃんにしか頼めないのと祖母が笑いかけ、複雑な気持ちだったけれど、頷いた。

 写真の中には少し若い祖母が祖父に寄り添って微笑んでいた。とても優しい、控えめな祖母らしい写真だった。


 その後、祖母の容体は坂道を転げ落ちるように悪くなり、意識は混濁していった。父のことを祖父と間違えたり、兄を父と間違えたり。だけど、不思議なことに夏帆が病院を訪れた時だけはきちんと話ができた。昔から可愛がってくれた祖母と孫の間には何か不思議な絆があったのかもしれない。


 祖母の葬式の時に思ったのだ。会える距離にいるのに会わないで後で後悔はしたくないと。だからそれ以来、夏帆は月に一度は必ず実家へ帰る。


「あれ? 花田のおじちゃん居ないんだ。珍しい」


 実家から少し離れた場所にある駐車場と言う名の草地へ車を止め、長年の癖で田んぼ向かいの家へと目を向けてから首を傾げる。


「もうすぐ八時なのに。どこか飲み会でも行ったのかなあ」


 珍しいこともあるものだ。エンジンを切ると車内が明るくなる。助手席に乗せていた着替えの入ったバッグとショルダーバッグを持って車を降りると辺りは真っ暗闇だった。街灯なんてオシャレなものはない為、真っ暗なのだ。


 頭上を見上げると、怖いほどに輝く一面の星空。じっと見ていると近いのか遠いのかよく分からなくなってくる。幼い頃から慣れ親しんでいた夜空だ。


(あ、帰ってきたなあ…)


 冬の空気を肺いっぱいに吸い込んでから、スマホで辺りを照らす。


 ちなみに、ご近所さんは田んぼ向かいの家以外は離れてぽつぽつ立っている状態なので、そこから漏れる灯りなどにも期待はできない。


 経年劣化でガタガタのアスファルトを用心して歩きながら、家の方へ近づくと興奮した犬の鳴き声が聞こえてきて、夏帆の頬が緩む。


(クロ、元気みたい)


 クロは祖母と一緒に引っ越してきた犬だ。ちなみに名前の通り真っ黒の大型犬でミックスだ。

 玄関へと向かう途中に犬小屋がある。くんくんと嬉しそうな鳴き声が聞こえてきて夏帆は駆け寄った。


「クロ! ただいま!」


 大喜びで夏帆に飛びつくクロ。荷物を地面に置いてクロと目の高さを同じくらいにしてふかふかの頬、短い毛に覆われた耳の後ろを撫でる。撫でて行くうちにだんだんと落ち着いてきたクロはお座りをし、だんだんと体勢が低くなっていき…とうとう夏帆の前にお腹を剥き出しにしてごろんと寝転がった。


(もふもふ。かわいいなあ)


 夏帆が夢中でクロを撫でくり返していると、玄関の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。撫でる手は止めないまま顔だけ振り返ると…。


「あ。お母さん」

「おかえり、夏帆」


 割烹着のようなエプロンを着た母が歩いてくる。落ち着いていたクロがクルリ、と体を起こして尻尾をぶんぶんと振る。


「クロちゃん、お姉ちゃん帰ってきて良かったね」


 母の言葉にクロは“ワン!”と一言返して尻尾をぶんぶんと振った。まるで言葉を分かっているかのようなこの行動はクロが家に来たときから変わっていない。

 あまりにも長生きすぎて尻尾が二つ生えてきているんじゃあ…? と怪しんで調べていた夏帆に、兄が「それは猫とかキツネじゃね」と言っていたのこはいつの頃だったか。通常の犬よりずっと長生きだし、不思議だとは思うが大切な家族だ。


「上がったら? お父さんは仕事の都合で今日は帰っていないんだけどね」

「え、そうだったんだ」

「さっきまで、お兄ちゃん達は来てたんだけど、玲央れおくんが寝ちゃったから帰ったのよ」

「玲央に会いたかったー!! もっと早く帰れたらなあ」


 かわいい甥っ子は今年でやっと一歳になる。肩を落とす夏帆に母は笑った。


「明日の夜にまた来るって言ってたわよ」

「やった! あ、お母さん、アイス買ってきたよ」

「この寒いのにあんたはまた…」


 呆れる母と笑う娘。そして撫でる手が止まった夏帆に抗議の声を上げるクロの声が庭に響く。

次話は、ごはん食べます。

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