16 貴方は誰ですか
「あれ? やっぱりあるけど…変なテオさん」
ぴょこん、と。玄関から頭だけを廊下に出して確認すると、間違いなくドアノブに白いビニール袋が下がっていて夏帆は首を傾げた。
スリッパを履いて玄関を出ると寒くて身震いする。白いビニール袋を手に取った彼女は隣室のインターホンへと手を伸ばす。
一回部屋に戻って穴から渡すよりも、玄関から呼んだほうが早いし、本来ならばそれが自然な形なのだ。
ピンポーン。
自室と同じチャイム音に夏帆の頬が緩む。同じアパートなのだと感じてなんだか可笑しい。白いビニール袋の中身を確認すると、きちんと栄養ドリンクが2本と、カードが入っていた。文字はどうせ読めないだろうとは思ったけれど、栄養ドリンクだけ2本下げてあっても怖いかなと思ったので念のために入れたのだ。
(テオさんと壁の無い状態で会うのって初めてだから、少し緊張しちゃうな)
緊張と、期待。夏帆は扉の前でソワソワと待っていた。
◇◇◇
インターホンの音に自室でネトゲにいそしんでいた男---川原遼平は驚いた。
「あ、悪ぃ。誰か来たっぽい。一旦切るわー」
『あはは、彼女か!』
『この裏切り者ー!』
ギルドの仲間たちのからかいに苦笑いしながら通話を切る。画面の中ではクエストから戻って来たばかりの自キャラが出入り口に棒立ちしている。
「何だろ。代引きはこの前届いたしな」
首を傾げながら玄関を開ける。一応、チェーンはしたままだ。
「はーい…」
「あ、テオさ…ん?」
「え?」
玄関の先には、自分と同じ年くらいの女の子がいた。ポカンとした顔で遼平を見上げている。
遼平も驚いて相手を見つめる。この人はおぼろな記憶によると隣人さんのはず。それよりも何よりも、彼女は今、自分のことを「テオさん」と呼ばなかっただろうか。
完全にフリーズしてしまっている彼女。遼平は手を振ってみる。
「あ、もしもし? 大丈夫です?」
「え、あ、はい。だいじょうぶ…です」
何かひどく混乱している様子を怪訝に思いながらも、彼女が抱えた白いビニール袋を見て合点がいった。
「ああ、もしかして部屋を間違えましたか?」
「え、いいえ。この部屋でいいはずなんですけど…」
隣人は不安そうな表情を浮かべて、ぎゅっとビニール袋を握った。遼平は困惑しつつも首を傾げる。
「うーん。夏帆さん、だっけ。お隣さんだよね?」
「!」
明らかに警戒を示す隣人に遼平は慌てて手を振った。
「ごめん、ビニール袋の中身だけ確認したから」
「あ、ああ。カード…」
納得した様子で夏帆が頷いたので遼平も安堵する。ストーカーとか思われたらたまったものじゃない。隣人は華奢で小柄、おとなしそうな守ってあげたい系だ。部屋間違いでもない限り自分とは縁のない人だろうと思える。
「…すいません、つかぬことをお伺いしますが…こちらにはテオさんという愛称の方はいらっしゃいませんか」
「ええっと…愛称?」
「はい。本名は忘れちゃって…テオドールさん、だったかな」
小首を傾げて一生懸命考えている様子がなんだか可愛らしい。少し変わってるけど…そう思いながら遼平は首を横に振った。
「ここにはオレがひとりで住んでるよ」
「ですよね。すいません、こんな夜分に」
「いや、別にいいけど」
(ネトゲしてるだけだし)
最後は心の中で呟いておくだけに留める。彼女はきっとネトゲなんてしないだろう。テオという名前もたまたまだ。
それじゃあと、ドアを閉めようとしたら「あのっ…」と小さな声が聞こえたのでまた開く。
「大変、つかぬことをお伺いいたしますが…私の部屋の方向に穴とかは開いてます、よね?」
「穴?」
「は、はい。クロゼットの奥とかに」
遼平は首を傾げる。今朝、着替えた時には気付かなかったけれどと答えると、彼女は力なく笑った。
「…ありがとうございます。失礼しました…あ、これ。良かったら1本どうぞ…」
「いいの? テオさんて人の分じゃないの?」
その言葉に、彼女は困ったような微笑みを浮かべた。
「いいんです。1本は残っているし…なんだかちょっと、よく分からなくなっちゃいました」
「じゃあ、もらうね。ありがとう…なんかよく分からないけど、元気出して」
そう言い置いて今度こそ扉を閉める。部屋に上がってクロゼットの中を念のために覗き込むが、穴などどこにも開いていない。隣室に近いこの場所に立つと、バタンとドアの閉まる音が聞こえたので彼女も部屋に戻ったのだろう。
なんだったんだろう…。そう思いながらも、貰ったドリンクを開けて飲み干すとゲームに戻ることにする。
「ただいまー」
『テオ、おかー!』
『彼女はもういいのかよー』
「だから、彼女とかオレが欲しいっつーの」
戻ったグループ通話に苦笑いを浮かべつつ、コントローラーを握る。彼の操作するのは女性キャラ。そのキャラの頭上には“テオ”と名前が表示されている。
明日は休み、まだまだ彼の夜は始まったばかりだ。
女性キャラのアバターかわいいですもんね。