5 決戦の死地
辺りに夜の帳が降りようとしている中、ナクシア達は戦地へ到着した。
そして、フォルスから降りて大地を踏みしめた途端、ナクシアとセレストは思わず顔をしかめた。
途轍もなく濃い血の臭いが周囲一面に漂っていたのである。
アカザは慣れているのか、顔色一つ変えず歩き出したが、二人にとってそれは激臭そのものだ。
アカザはともかく、二人はその耐え難い臭いに耐えながら足を進めた。
歩いて進むほど血の臭いは更に濃くなり、幾人かの屍も視認できるようになっていった。
――そして、遂に奴は姿を現した。
神々しい白銀の毛皮は返り血で所々紅く染まり、表情からは怒りを感じ取れる。
息こそ乱れてはいるが、その全身には一箇所も傷はついてはいない。
そんな白鬼を見るなり、アカザは口を開いた。
「いやぁ、流石は白鬼です!あれだけの大軍相手に無傷とは……まさに天晴れとしか言いようが無いですなァ」
アカザがそう言ってる間にも向かっていった隊士が呆気無く、白鬼の剛腕に薙ぎ飛ばされた。
隊士はその力のままに数メートル程吹き飛ぶと、ばったりと動かなくなり、続け様に向かっていった隊士も同じ末路を辿っていった。
「うぅむ……あれ程の攻撃で力尽きるとは……全く情けない奴等ですなァ。もう少し隊を送っておけば良かったと後悔してますよ。――さて、では我々も行きましょうか、あの場へ……!」
アカザのその言葉でナクシアとセレストは死地へと足を踏み入れた。
それと同時に白鬼はナクシア達の方へと身体を向ける。
「――グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
唐突に三人の心根に恐怖を植え付けんと咆哮が放たれた。
が、アカザは強張りながらも瞬時にクロスボウの引き金を引いていた。
狙いさえ定まらずに射られた矢は、ただ白鬼の巨躯目掛けて空中を走る。
――次の瞬間、矢は白鬼に命中されたと思われた。
だが、白鬼は紙一重に矢を咥えていた。
そして、憤怒の念の交じった唸り声と共に顎は閉じられ、矢はことごとく砕け散った。
白鬼は未だ口内に矢の破片が含まれているのか数回咀嚼をすると、それを呑み込んだ。
両者の圧倒的な力量の差がはっきりと現れた瞬間だった。
しかし、白鬼は間も無く地面を蹴り出した。
セレストこそ戦闘慣れしていないが故に焦り、軽いパニックを起こしていたが、ナクシアは冷静に剣を抜き、アカザも同じくクロスボウを握り直す。
たったコンマ1秒の間に両者の差はぐっと縮まり、独特の緊張感が三人を包む。
「――穿つ黒狼の銀牙ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
ナクシアの剣は前と同じ黒いオーラを纏い、白鬼を一閃。続けて数回周囲を斬り裂き、最後にその黒く金属質な輝きを纏った刀身が白鬼の身体を穿いた。
幾つかの攻撃は虚を斬り裂くに留まってしまったが、それでも与えたダメージは大きかった。
その隙を逃さず、アカザはクロスボウの矢を連射する。
セレストもやや遅れてはいるが、戦技を発動させた。
「風吹く舞斬!」
精度と瞬発を兼ね備えた連撃は白鬼を斬り裂いていく。
白鬼は危機を察したのか、後方へと飛び退いた。
だが時既に遅く、白鬼の全身は至るところが生々しい傷跡を残していた。
白鬼にはこれでも致命傷にはならなかったようだが、それでも十分である。
傷口からは今現在も夥しい血が流れ、弱っていく事はもはや時間の問題だ。
ナクシアとセレストは剣を握り直し、構えた。
アカザも新しい矢をクロスボウにセットして、体勢を整える。
――そして、ナクシアは白鬼へと向かっていった。
ナクシアはそのまま剣を大きく振りかざすと、力強い一撃を白鬼叩き込まんと白鬼に振り下ろした。
白鬼は素早くサイドステップを行って攻撃を避けると、今度はナクシアに突進する。
白鬼の肉体は渾身の力を込める事によって大幅に硬化し、その堅牢さは鋼同等になっていた。
まさに1000年前まで存在していた『自動車』そのものである。
ナクシアはそんな猛攻を食らい、くの字に身体を曲げて吹き飛んだ。
素早く受身をとっており、幸い致命傷は免れた。
が、ナクシアがこの後戦闘に復帰するには数時間は必要である事は確かだった。
それを目の当たりにした隊士は早急にナクシアの元へ駆け寄り、処置を施した。
一方、アカザとセレストは白鬼の次の目標にされ、そう簡単に動く事が出来ない状態にあった。
そうしている間にも白鬼はゆっくりと距離を縮めていく。
――白鬼の顔に浮かぶ『喜び』。
それはまさに獲物を喰らう直前の猛獣。
セレストは双剣を構え、アカザはクロスボウの引き金に指を置く。
血みどろの戦場に流れる恐ろしいほどの静寂。
アカザはゆっくりとゆっくりと後退していく。
――そして、白鬼は二人目掛けて飛び掛った。
――その途端、アカザはセレストの背後に回り、セレストを突き飛ばした。
しかし、アカザの予想を裏切り、セレストはその場に転倒した。
「な、何でそこで転ぶんだッ!お前が転ばなければ、俺の身代わりとして白お――」
――――それが彼の最後の言葉だった。
言い終わらない内に白鬼はアカザに飛び掛ると、そのまま押し倒し、頭を喰らったのだった。
ぐっちゃぐっちゃと下品な咀嚼音に交じってごりごりという頭蓋骨を噛み砕く音が周囲を凍らせる。
セレストはその隙に逃走し、白鬼から距離を取る。
幸いにも白鬼はアカザを味わう事に夢中でしばらくはあの場から動きそうにない。
だが中隊長アカザが居なくなった事は討伐隊の大きな損害であり、今や討伐隊側は圧倒的不利な状況に置かれていた。
戦場で生き残っていた隊士達は次々と思わず声を漏らす。
「――あ、アカザさんが……!」
「――アカザさんが死んだなら、俺達が勝てる相手じゃねぇよ!」
「――でも、撤退したら……ゲオルクさんに何されるか分からねぇ!」
「――じゃあ、自分が死ぬのを肝を冷やして待ってろってのか!?」
自分より相当な強さを持つ者が呆気無い最期を迎えた事は、隊士達に不安と恐怖を抱かせた。
セレストだって例外ではない。
彼女は不安と恐怖だけでなく、この隊の本質を自身で体感してしまったのだ。
アカザは死ぬ間際、セレストを盾にしようと図った。
それがアカザの本当の姿なのだと実際に感じたのだ。
そうしている間にも白鬼はアカザを平らげ、こちらを振り向いた。
口元を血と肉片で真っ赤に濡らし、同じ真紅の両眼は獲物達を見定める。
――狙われたのはセレストだった。
白鬼は少女の柔い肌肉に目を付けたのだろう。
白鬼は長い舌で血の滴る前脚を舐めると、勢い良く駆け出した。
◆
――奴は白鬼なんかじゃない……
――奴は……奴は……
――――白銀の守護神獣、ファフナー……!
ナクシアの脳裏では同じ言葉が何度も何度も繰り返されていく。
ただ無限に広がる暗闇の中にその言葉は木霊する。
――何故そんな事を知っているのか?
――この声は何なんだ?
――ただの幻聴なのか?
ナクシアは謎の言葉に問うが、その答えは無い。
ナクシアは更に困惑した。
聞こえてくるのは確かに自分自身の声である。
だが、その内容は全く以って謎に包まれているのだ。
しかし、初めて会った時から白鬼には既視感を感じていた。
「白鬼……いや、ファフナー……。お前は何なんだ……?」
ナクシアはため息交じりに呟いた。
――するとその時、彼の耳にはっきりと自分ではない声と音が流れ込んできた。
ナクシアは一瞬身構えたが、それが外部からのものであると理解すると、今度は耳を澄ませた。
――はっきりと聞こえてくる男の叫び。
――何かが肉を喰らう音。
――次々と発せられる不安と恐怖に満ちた声音。
――巨大な野獣の駆ける音。
「――セレスト達が危ない!助けに行かないと!」
孤独なる彼に秘められし思いはナクシアは動かした。
◆
――ガツン!という不協和音と共に火花が辺りに飛び散った。
そこでは重傷の筈のナクシアの剣と白鬼の鋭爪がぶつかり合っていた。
白鬼は突然の出来事に驚きを隠せない様子だが、その身体は無意識に反応し、ナクシアの一撃を受け止めている。
両者は自分の得物に力を込めると、お互いの反発で後ろへ退いた。
「な、ナクシアッ!」
セレストがそう叫んだ時、ナクシアはもう新たな攻撃に転じていた。
「死ねェェェェェェェェェ!ファフナァァァァァァァァァ!!」
ナクシアは叫びながら、白鬼に向かっていった。
右手に握られた長剣は鋭い輝きを放っている。
対して白鬼は怒りに身を任せ、ナクシア目掛けて突進し、剛腕を振り上げた。
そして、白鬼の重い一撃はナクシアに間一髪でかわされ、そのまま地面を砕きながら沈んでいった。
ナクシアはその隙を逃す筈も無く、白鬼の肩に鋭い一撃を叩き込んだ。
白鬼は苦悶して悲鳴を上げたが、地面に深く食い込んだ腕はそう易々とは抜けず、その間に新たな連撃を受けてしまった。
「うっ……!」
だが、ナクシアは突如全身の至るところに走った痛みに連撃を止め、回避を余儀なくされた。
ナクシアの各所は白鬼の血を浴びた事によって、溶解を始めていたのだ。
ナクシアが苦痛に耐えながらも辺りを見回すと、白鬼の血が流れた場所の草は尽く枯れ果てている事に気付いた。
それは白鬼の血が毒と変わりない事をはっきりと物語っている。
「これは長い戦いになりそうだな……」
ナクシアは愛用の長剣を軽く振り回すと、ゆっくりと白鬼へと近付いていった。
白鬼も息を荒げながらも、お互いの間合いを詰めていく。
徐々に……徐々に近付き、剣戟を交えて後退。
再び徐々に近付いていき、剣戟を交え、後退する。
そんな両者退かぬ戦いが、十数人が見守る中、繰り返される。
すると、攻めては退く、攻めては退くの攻防戦が始まって小一時間程経過した時に白鬼が動いた。
白鬼は大地をその鉄脚で一蹴りすると、右前脚を振りかざし、一番大きなダメージが与えられるタイミングをを待つ。
間合いに入ったところを、その重く強い腕で押し潰すのだ。
ナクシアも白鬼の毒血を浴びて、相当な被害を被っている。一撃で仕留めるのは容易い事だろう。
――しかし、ナクシアにも策はあった。
現在ナクシアは血を浴びた事によって、全身各所が溶けている。
勿論足も例外ではなく、今となっては本来のスピードを出す事は到底不可能だ。
その為、道具を利用するのである。
剣を地面に突き立てて、それを踏み台にして跳躍するのだ。
だがこの策、メリットばかりではない。剣を硬い地面に突き立て、おまけにその状態の剣に全体重という強烈な負荷をかけるのだ。
破損しても不思議では無いだろう。
つまり、この戦法は起死回生の技なのである。
それを使ってしまうほどまでナクシアは成す術が無かったともいえる。
――すると、白鬼は覚悟を決めるナクシアに狙いを定めて、渾身の力を込めて腕を振り下ろした。
いや、『振り下ろす』というよりも『重力任せに落とす』という表現の方が近かったかもしれない。
表現はともかく、重力さえも味方にして白鬼の腕は凄まじい速さで、下へと下ろされた。
――そして、ナクシアはその予備動作を見計らうと、自分の獲物である長剣を力一杯地面に突き立てた。
流石はナクシア愛用の剣だ。突き立てたぐらいでは軋み一つせずに、易々と地面に刀身の半分程度が埋まった。
剣の耐久を確認したナクシアは剣の鍔を力強く蹴り付け、高く跳躍した。
だが、蹴り付けると同時に剣はピシピシと嫌な音を立てる。
そして、ナクシアが最も高く跳んだのと同じタイミングで、白鬼の筋骨隆々の腕が地面に叩き付けられた。
剛腕はナクシアの得物に直撃すると、いとも簡単に長剣を砕き散らした。
その勢いは叩き付けられてもなお衰える事無く、前回同様地面に深く沈み込んでいく。
一方、ナクシアは白鬼の頭上から蹴りを構えた。
ナクシアは落下の勢いのまま、白鬼の首元を踏み付け――
――白鬼は片腕を地中に沈めたまま、上空を向くと大きく口を開いた。
その途端に放たれた大咆哮。
咆哮の衝撃波はナクシアに直撃し、ナクシアを吹き飛ばした。
ナクシアは天高く飛ばされると落下し、地上に強く叩き付けられた。
「ぐふッ!」
今まで味わった事も無い衝撃に全身が悲鳴を上げ、酸素を欲して開かれた口からは大量の血が噴き出される。
また、全身の装備は砕けたり、ひびが入り、耐久面も危くなってしまった。
そんな中、白鬼は沈んだ右前脚を地上へ引っ張り出すと、瀕死のナクシアの元へ歩みを進めている。
ナクシアはやっと回復したところに新たな痛手を受け、現に虫の息である。
もう立ち上がる気力も体力さえも無い。
――――この戦いは絶望に染まったものとなりそうだ……。




