3 始まりの一歩
「――――起~き~て~!」
「……ん?」
ナクシアは自分に掛けられる騒々しい声で目を覚ました。
彼の眼は未だ開ける事がままならず、視界はぼやっと霞んでいる。また、その膨大な眠気は開けようとする瞼を一気に押し戻す。そんな壮絶な戦いの中、再びの声が彼の意識を呼び戻した。
今度は眠気など消え失せ、瞼は最大限に開いている。
そして、視界には一人の少女が佇んでいた。
「セレスト……どうしたんだ、こんな時間に……?」
その言葉を聞くなり、セレストははぁ、とため息を吐く。
「……全く、昨日朝が早いって言ったのはナクシアでしょ?全然起きないから、折角起こしてあげたっていうのに…………!」
ナクシアは『朝』という単語にはっとして、辺りを見回す。
が、まだ地平線のどこにも朝日は昇っておらず、その上の漫々たる空では無数の星が輝いている。
あれから何時間経ったというのか。もしかしたら、三十分程しか経っていないのではないか。
数多の思考がナクシアの脳内を駆け巡る。
「ねぇねぇナクシア!まだ行かないの?」
セレストはまだかまだかと待ち望んでいるようだが、その姿はまるで遠足が楽しみで待ち切れない幼稚園児だ。
ナクシアはその光景を微笑ましく思うと、仕方なく口を開いた。
「――じゃあ、行くか。早く準備して来い」
「りょーかーいッ!」
セレストはせかせかと旅支度をしに去っていった。
◆
――ようやくセレストの長い旅支度が終わった。
しかし、支度を終えたセレストを見るなり、ナクシアは驚倒した。
それもその筈、セレストの髪型、衣服……などなど全てが様変わりしていたのだ。
下ろされていた髪は後ろで一つに纏められ、茶の混じったブロンドの髪は揺れている。
衣服は半ズボンだけは変わらないものの、上には動きを阻害しない革鎧と左肩を守る鋼の肩甲が、両膝には肩甲に似た甲が装備されている。
――しかし、一番驚くべきは腰の両側に付いている短剣だろう。
刃渡りは50センチ程だろうか。刀身は片刃で細く、緩やかに湾曲している。
軽く……片刃で……小さく……そして細い。
これでは一撃一撃の威力は全く期待できそうにない。だが、その軽さを生かしてのヒットアンドアウェイ的戦法にはとても適しているといえるだろう。
「うふふ、びっくりした?これ、昔ヴァへナートさんに護身に使えって貰ったの!でも……使う機会なんて無くて…………」
ナクシアはそれを聞くと、セレストの短剣に目を移した。
確かに短剣には汚れ一つ無く、無駄にぎらんぎらんと輝いている。
しかし、それを見たナクシアには一つの疑問が浮かんだ。
「……――お前、それ使えるのか……?」
途端にセレストの表情が曇る。
「……だから、教えてくんない?」
引きつった笑みを浮かべるセレストに、ナクシアは呆れながらも言った。
「…………――じゃあ、実践で教える。早く行くぞ」
セレストはすまなそうにして頷くと、二人は朝日と共に歩みを進めた。
そして、ここからが二人の遥か長い旅の始まりである。
◆
――――爛々と照りつける日輪は旅する二人の体力を蝕んでいく。
しかし、二人はそんな事は物ともせず、進んでいく。もう歩き始めて数時間が経過しているのが、まるで嘘のようだ。
すると、唐突にナクシアが訊ねた。
「…………――なぁ、あの家は結局何であんな場所に建ってたんだ?」
「ん?あぁ、あの家?あれはね……実は私がスリとかで得たお金で建てたものなの。でも、そんな事が知れ渡ったら終わりだから言わないでおいたんだけど……」
「……そうだったの――」
――ナクシアがそう言い終わるという時、突如何かが草むらから飛び出してきた。
飛び出してきたそれはグルルルルルル、と唸り声を上げている。
その容姿は小麦色の毛を持った小型の狼のようだ。90センチ程だろうか。
「蛮狼か……。セレスト、実践だ。やってみろ」
「……――えっ!?わ、私が……今から……!?」
セレストは突然の戦闘に困惑している。
しかし、時間はあまり無い。蛮狼は今にも、こちらに襲い掛かってきそうだ。
ナクシアは早くしろ、とセレストを睨みつける。
「わ、分かったよ!やれば良いんでしょ?やれば……!」
セレストは避けられぬ運命を悟り、仕方なく腰の両脇から短剣を抜いた。照りつける陽光が鋭い刀身に反射して、眩い輝きを放つ。
セレストは短剣を構えると、蛮狼目掛けて駆け出した。
蛮狼もセレストの存在を察し、黄ばんだ鋭牙をむき出しにする。
――と、蛮狼はセレストに噛み付かんと地を蹴り出した。開いた口には鋭牙が並んでいる。
しかし、セレストはそれを華麗、とまではいかないがかわして見せた。
(なんだ、盗んだ後の逃走と何ら変わりは無いじゃん……!)
セレストは蛮狼をサイドステップでかわすと、同時に蛮狼を短剣で数回斬り付けた。
何が起こったのかが未だ理解できない蛮狼はきゃん!と力無い叫びを上げる。
蛮狼はそのまま体勢を崩して吹っ飛んだ。
セレストは手から止め処無く流れ出る汗を拭うと、再び短剣を握り直して腰を下げて攻撃態勢をとる。
しばらくして、蛮狼は立ち上がった。その眼には怒りが宿り、唸る口元からは鋭牙が見え隠れしている。
恐らく今の蛮狼の戦闘力は怒りによって上がっているだろう。
そして、両者の睨み合いが暫く続くと、先に痺れを切らした蛮狼が突進した。
続けてセレストも駆け出す。
――しかし、先ほどまでとは蛮狼の走行速度が違かった。
(――――は……速いッ……!)
セレストは動いた。――ただただ、生き延びる為に…………!
意思など関係無かった。
――――蛮狼が勝利を確信しながら口を開けて、ただ目の前にいる少女の肉を喰らわんと猛った。
だが、その時にはもう蛮狼の目前に少女はいなかった。
そして、胴の左に多大な衝撃と鈍痛が走る。
身体はくの字に折れ曲がり吹き飛ばされる。
視界は己の血に染まる。
――そこで、蛮狼の意識は途絶えた。
セレスト自身、何が起こったのかをまだ把握できていない。
あの時、セレストも驚愕したのだ。
「風吹く舞斬!」
思わず発せられたその言葉は、彼女に力を与えた。
羽毛のように軽くなった身体で蛮狼を容易く避けると、鋭さの増した連撃を叩き込む。
――そして、いつの間にか決着はついていた。
セレストがはっとして辺りを見回すと、血に濡れた蛮狼が倒れていた。
恐る恐る近付いてみると、もう生命の息吹は感じられなかった。セレストが保険として短剣の先でつついても、蛮狼は動かない。
それは蛮狼が死んだという証明に他ならない。
セレストは初めての戦果を身に感じながら、息絶えた蛮狼を抱き抱えた。
すると、その場にナクシアも近付いてきた。
「何をしてるんだ……?蛮狼なんかを抱いて……」
ナクシアにセレストのこの複雑な感情は理解できないようだった。
――初めての戦果への純粋な嬉しさ、喜び。
――生まれて初めて生き物を殺めた、生命をこの手で奪った悲しさ。
もし、この蛮狼が親だったら……残された子供はどうなるの……?
――きっと悲しみ、そして独りで生きていく事になるのだろう。
――私と同じように…………。
「おい、セレスト!聞いてるのか?」
ナクシアの言葉によってセレストの遠くに行っていた意識は呼び戻された。
「……ごめん、ちょっと考え事してた」
「そうか……――でもお前、戦技使えたんだな。まさか、戦闘初心者がいきなり戦技使うとはな……」
「え?戦技?…………――何それ?」
セレストは初めて聞く言葉に首を傾げた。そんな反応を見たナクシアも微笑しながら、首を傾げた。
「……おい、からかうなよ?戦技だ、戦技、分かるだろ?」
しかし、その言葉も知らないセレストは首を傾げたまま、引きつった笑みを浮かべる。
ナクシアは更に困惑した。
「ま……てよ?…………まさか、知らないのに使ったのか?」
セレストはよく意味を理解できなかったが、一応頷いた。
それを聞いたナクシアは驚嘆してしまった。
――戦技を知らない!?
――まさか……そんな状態で戦技を繰り出したのか!?
――いや、有り得ない。
――戦技を無意識に使うなんて、極々珍しい例だ。
――しかも、その殆どが戦いに依存する狂戦士である。
――でも、彼女は初めての戦闘でそれを使った…………。
――――つまり、『奇跡』としか言いようが無い。
「そうか…………じゃあ、本当にお前は知らないのに使ったんだな?」
「……うん」
「…………分かった。……――じゃあ、戦技について簡単に教える。戦技っていうのは、いわゆる戦闘用の技だ。それらを駆使して戦っていくのが戦闘の基本中の基本だ」
ナクシアはとても簡略化してセレストに話した。あまり難しい事を伝えても、理解するのに少々時間を要すと感じたからだ。
戦技とは今は憎き神が非力な人間に与えた一つの祝福である。
弱いものから強いもの。攻撃型から防御型。斬撃から殴打まで、多種多様に分布・存在する。
その数は数百万から数億まであると言われるほどだ。
また、戦技には系統と呼ばれるものが存在し、自分の戦い方に応じた系統の戦技を使うのが基本である。
但しメリットばかりではなく、使用する事によって一定の魔力を消費する。また、消費魔力は戦技の強さに応じて上昇する傾向にある為、多用は禁物だ。
因みにナクシアが前回の戦闘で使用した『猛る黒狼の銀爪』も斬撃系統の戦技の一つである。
しかし、ナクシアには再び新たな疑問が浮かんだ。
「……おいセレスト、お前って初めての戦闘だったんだよな?でも、回避能力と戦い方はまるで戦闘慣れしてるみたいだった……」
「あぁ……それは盗みの後に逃げる時の人避けに似ててね……」
ナクシアは一驚し、唇から言葉を漏らした。今日は驚く事ばかりだ。
「ぬ、盗みの逃走がお前の回避能力に反映された……だと!?」
セレストは顔を曇らせながらも笑みを浮かべると、だって仕方ないじゃん、と一言。
――――すると突然、再び草むらが大きく揺れた。
二人の意識は瞬時に揺れた草むらへと向けられる。
未だに背の高い藪はガサゴソと前後左右に動いている。
二人の警戒は頂点に達し、ナクシアは剣を抜き構え、セレストは短剣をぐっと握り直す。
――そして、『奴』は遂に正体を現した。
鉄のように白く硬い剛毛で覆われた4メートルを越える牙獣。
太い剛腕には鋭い爪が携えられ、下顎からは緩く湾曲した一対の大牙が天に向かって伸びている。
そして、白い全身は仄かに光り、紅い瞳には二人の剣士と少女が映っている。
――と、白き牙獣は微かに息を吸い込み、口を最大まで開けた。
「グォォォォォォォォォオオオオオオオオ……!」
その途端に放たれた強大な咆哮は周囲の砂利を吹き飛ばし、聞く者に多大なる恐怖を与えた。
勿論、二人も例外ではなかった。
鼓膜は破れこそしなかったが、耳に入った大音量は二人の心を打ち砕き、恐怖を与える。
二人の脚は勝手に微々たる振動を起こし、身体は思うように動かない。
――――まさに被食者そのものである。
そんな二人を眼に定め、白き牙獣はゆっくりと近付いていく。
微かに口角は上がり、見え隠れする舌は獲物を品定めしているようだ。
二人は終わりを悟った。
恐怖の鎖で縛られた心は、脚を動かす事さえままならない。
――どしっと一歩……――また一歩……。白き恐怖は刻々と迫ってくる。
近付くにつれ、その荒々しい息遣いの一つまでもが鮮明に聞こえてくる。
――対して白き牙獣はあえてなのかは定かではないが、のっそりとした動きのままである。その速さには微々たる変化も見受けられない。
もしかしたら……牙獣はあえてこうする事で獲物の恐怖を駆り立て、その光景を楽しんでいるのかもしれない。
――そう考える内に、遂に牙獣は二人の目の前へと迫った。
口角は最大まで上がり、飢える尖った舌は忙しなく動き回っている。
――――そして、太い腕が振り上げられ、二人を薙ごうとした瞬間――
――抗えぬ二人の目の前をすっと彗星が走った。
そのまま彗星は牙獣の脇腹に命中、刺突し、予期せぬ攻撃に怯んだ牙獣はガウ!と叫びを漏らすと、地を揺るがしながら逃走していった。
それと同時に二人の力はすーっと抜けていき、その場に力無く膝を突いて倒れた。
はぁっと窒息寸前だった肺からは、強制的に息が押し出される。
「……――大丈夫ですか!?」
その時、二人に何者かが駆け寄ってきた。
二人が声の聞こえた方に目を遣ると、そこにはボウガンを片手に握った男が立っていた。
全身を厚手のサーコートに包み、クロークを羽織っている。頭にはケトルハットを被り、いかにも弓兵といった感じだ。
すると、男は何かに重大な事を忘れていた事に気付いたかのように話を始めた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はカルトって言います!現在、『白鬼討伐隊』に所属しています!」
警戒が緩んだのか、ナクシアは訊ねた。
「……白鬼って何だ?」
カルトはその質問に、呂律が上手く回らないまま答えた。
「え、えっとー、白鬼っていうのは、簡単に言えば……その……アレです!アレ!さっきの白い獣!」
しかし、ナクシアは訊く事を止めない。答えても再び新たな疑問をカストにぶつけるのだ。
「……白鬼って何なんだ?」
カルトは焦った。
――白鬼の正体など誰も分からないのだ。誰も…………。
カルトは最適な答えを脳内で虱潰しに探していくが、何も見つかる事は無い。
汗はだらだらと流れ、渇いた唇からは意味の無い時間稼ぎの言葉が発されていく。
それはカルトがいかに未熟であるかを、十分に意味していた。
さすがのナクシアも事態を察し、今の話題を切り捨てる。
「…………ここで話していても仕方が無い。白鬼の新たな獲物になる前に最寄の町へ行こう」
カルトはほっと一息ついてそうですね、と肯定した。
カルトは二人を引き連れると、先ほどの二人の進行方向へ進んでいった。
そんな中、カルトは話を続ける。
「この先に『アミナテロ』っていう小さな町があるんです。僕達『白鬼討伐隊』の本拠もあって、今日はそこで泊まっていくと良いと思いますよ」
「……あぁ、最初からそのつもりだ」
ナクシアはそう答えると、三人は歩みを速め、アミナテロへと向かうのであった。
――――しかし、その光景を白き恐怖が注意深く観察していたなど、彼等には知る由も無い…………。




