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Nemesis――ネメシス――  作者: 覇王
第1章
2/11

1  出会い

 明るく眩しい上空には雲一つ無い蒼穹が広がっている。

 そして、太陽の照らす下には広大な水面を進む一隻の大型船があった。

 この非常に美しい大パノラマは十年前にここで惨い大戦争があったという事を全く感じさせない。

 そんな大型船に一人の黒髪の青年が乗っていた。彼の名は『ナクシア・ジャスティレッジ』。

 ナクシアは黒を基調とした軽装備で装飾品らしき物は見受けられない。実用性重視なのだろう。

 腰には1メートル程の長剣ロングソードを差し、その哀しみに明け暮れるような翡翠の双眸は遥か遠くの何かを見据えている。

 そうしたまま時間だけは過ぎていき、船は岸に着いた。ナクシアは群衆と共に船から降りると、唐突に呟いた。


「ここが……ネーディズ……、変わらないな」


 彼の言葉の通り、ここは『ネーディズ』と呼ばれる大陸南西に位置する国である。

 十年前は機械都市の中でも特に発達した都市が点在していた。が、それらは現に『神裁戦争ネメシス』によって名前しか残っていない状態である。

 ナクシアが一つひとつの風景や町並みを懐かしみながら歩いていると、どこからともなく叫び声が聞こえてきた。よく耳を澄ますと、叫び声に混じって少女の泣き声も聞こえる。

 人一倍正義感の強いナクシアはその声の主を辿って走り出した。

 ――声の主を捜し当てるのは実に容易な事だった。

 なんとナクシアが声を辿ると、30メートルも離れていない路地にその声の主は居たのだ。

 路地には二人の亜人の大男と一人の少女がおり、少女は二人の大男から暴行を受けているようだった。

 二人の亜人の大男は片方が牛頭のミノタウロス、もう片方が一本角の鬼のような容姿だ。


「すみませんでした。もうしません……もうしませんからっ!許して下さい……許して下さい」


 泣きながらその場に力無く座り込んだ少女が必死に謝る姿は実に可哀想なものだった。

 しかし、そんな弱者にまで大男は暴行を加えるのをやめようとしない。

 その光景はナクシアの心を揺さぶった。それと同時に彼の心には怒りの炎が燃え盛る。

 ナクシアは足早に大男達に近付いていった。片方の大男はナクシアの存在に気付いたようだが、それでも未だ暴行をやめる気配は無い。

 その行動もナクシアの心の炎に油を注いでいく。


「お前達、そんな少女を虐めて何が面白いんだ?それよりもっと面白い事がある。どうだ、俺と一勝負してみないか?」

「うるせぇなァ、兄ちゃん。こっちはこっちなりの事情があるんだよ!?さぁ、あっち行ってろ!」

 

 牛頭の大男はナクシアを見てそう言い捨てると、再び少女に蹴りを――

 ――一瞬の出来事だった。

 牛頭の大男が少女を再び蹴ろうとすると、ナクシアは牛頭の大男の片足を強く蹴り付けたのである。

 牛頭の大男は両足が地面から離れ、途端にバランスを崩した。そして、その2メートルはあろう巨躯をどしん、と地面に強く打ち付けたのだ。

 もう一人の一本角の大男はその事態に気付き、やっと暴行をやめてナクシアと倒れた牛頭の大男を見た。

 この隙を逃す筈も無く、少女はその場から逃げ出した。

 そして、一本角の大男は


「何だ兄ちゃん?もしかして俺達に盾突くってのか!?」


と下卑た笑いをしながら言うと、筋肉隆々の両腕を振り回し、ナクシアを威嚇した。

 立ち上がった牛頭の大男もその場をにやにやと傍観している。

 だが、ナクシアは冷静に対処した。


「……お前らに、剣は抜きたくない……」


 その静かだが、説得力のある言葉は二人の大男の耳を貫いた。

 同時にナクシアは腰の長剣の柄に手を掛ける。

 少し鞘から抜き出された刀身がぎらん、と鈍くも鋭くもある絶妙な輝きを放った。

 その数秒後、大男達の顔は驚愕と緊張によって崩れていった。

 何故なら、ナクシアの長剣の鍔には神衛帝国騎士隊リベリオンオルデンの紋章が刻まれていたからだ。

 神衛帝国騎士隊とは『神裁戦争』の後に結成された、神の襲来時に命を捨てて戦い民を守る事を目的とした騎士達の集まりだ。

 しかし、その仕事は神の襲来時の防衛のみに関わらず、パトロールや治安維持なども仕事の一つである。

 また余談ではあるが、ネーディズの北東に位置する『ベルンガ帝国』が中心にこの騎士隊の指揮などを行う為、その騎士隊名にも有難く『帝国』と入っている。

 つまり、もしそんな偉い騎士に手を出したら……と、大男達は悟ったのである。

 二人の大男は


「す、す、すいませんでしたッ!以後……き、気をつけますッ!」


と深々と頭を下げると、小走りにその場を去っていった。

 ナクシアは「やれやれ……」と微笑すると、少し抜いた剣を完全に鞘に閉まった。

 と、唐突にナクシアは声を掛けられた。まだ若い少女の声だ。

 ナクシアはすぐに声の主を悟った。先程まで暴行を受けていた少女である。


「さ、さっきは助けて頂いてありがとうございました!……なんとお礼を言ったら良いのか……」

「……礼なんて要らないさ。それより、君は大丈夫なのか?結構殴られたり蹴られたりしてたみたいだったが……」


 少女はほんの少しの間考えると、再び口を開いた。


「いえ、ああいうのは慣れてるから……」


 その言葉にナクシアの顔は曇った。少女の『慣れている』という言葉が胸に突っかかったのだ。

 ナクシアがその事について深く考えていると、すぐさま少女は話題を逸らした。


「そ、そういえば自己紹介がまだだったね。私はセレスト、セレスト・オビディエント」

「……あぁ、よろしくな、セレスト。俺はナクシア・ジャスティレッジだ」


 ナクシアは心の暗雲を振り払うと、答えた。

 すると、セレストはナクシアへの疑問が絶えないのか、ナクシアに訊ね始めた。


「あのさ?さっきから気になってたんだけど、ナクシアはもしかして……神衛帝国騎士隊?」


しかし、その質問にナクシアが答える事は無かった。


「……」


 しばらくの沈黙が続き、周囲の空気が更にどんよりと重くなる。

 さすがのセレストもこの状況はまずいと思ったのか、新たな話題を提示した。


「そういえばさ?ナクシアってこの辺り知ってる?知らないなら案内するよ!」

「……知ってる」


 セレストは予想に反した返答に驚愕していたが、すぐに落ち着きを取り戻すと口を開いた。


「ま、まぁ、知ってても、私がこの辺を案内してあげる!」


 セレストは言い終わる前に強引にナクシアの手を牽き、歩き出した。

 ナクシアは突然の事態に困惑したが、セレストは損な事とは露知らず止まる気配は無い。

 ナクシアはこの場に留まる事を諦め、この強引な少女に身を任せる事にした。


 ◆


 ――彼の判断は間違っていた。間違い無くそう言えるだろう。

 今、彼が身を預けた少女は現地ガイド気取りで喋る事を止めない。


「あそこはメーデルさんの雑貨屋で~、あっちはサムソンさんのちょっとおしゃれな酒場~!そうそう、その奥のレンガ造りの店はヴァヘナートさんの武器屋!ヴァヘナートさんはちょっと頑固で怖いおじさんに見えるけど、本当はとっても優しいんだ……って!聞いてる~?」


 ナクシアはセレストの言葉にはっとして、脳内に展開されていた数多の情報・思考は一瞬の内に閉ざされた。

 そんなナクシアの顔を見たセレストはむっと顔をしかめて、怒鳴り声交じりに言った。


「ねぇねぇ!絶対今の聞いてなかったでしょ~!?折角親切で可愛いガイドさんが案内してあげてるってのにさ~……!」

「……俺はお前にガイドを頼んだ覚えは無い。それにお前の喋った情報も全て知っている」

「え?全部……知ってた?」

「あぁ」

「じゃ、じゃあ、ナクシアは昔ここに住んでたの!?」

「……」


 ナクシアは再び口を堅く閉ざした。

 その光景を目の当たりにしたセレストは顔にいかにも『退屈』といった表情を浮かべ、しばらくするとため息交じりに言った。


「……ナクシアさぁ……もうちょっと乗ろうよ?何かあると黙っちゃってさぁ……」

「……俺は孤独主義だ。お前の事など関係無い」


 ナクシアはきっぱりと答えた。


「わ、分かったよ、もう訊かないから!そうそう、ナクシアって泊まる所あるの?良かっ……」


 セレストは咄嗟に口から発せられそうになった言の葉を押し戻した。

 何故なら『良かったら』などと言っても、ナクシアは恐らく断ると思ったからだ。

 セレストはすぐに言い換えた。


「んっ……、う、家に泊まっていきなよ?歓迎するからさ?」


 ナクシアはしばらく考えると答えた。


「……仕方ない、しばらくはお前に身を委ねる事にしよう」

「うん!ちょっと散らかってるかもしれないけど、すぐ片付けるから気にしないでね!」


 セレストはそう言って、大通りから路地に入っていった。

 そこでナクシアは恐らくセレストは極貧なのだろうと推測した。路地から行ける家など彼の知っている中ではスラムしかない。

 そして、スラムで暮らすのは極貧生活を余儀無くされる者ばかりだからだ。

 ――ナクシアの推測は当たったというべきか、それとも外れたというべきか。

 確かにセレストの家はこのネーディズの港町――ポルト――のスラム街にはあったのだが、スラム街にあるにしてはとても立派だったのだ。

 いや、立派という表現は合っているのか分からないが、不揃いな形の木材と毛布などで作られた家や家さえも無い者らが暮らすスラムの中では一際目立つものだった。

 薄いクリーム色のレンガは綺麗に積まれ、ちゃんとした窓や扉もある。やや小さいがベランダもあり、何故スラム街に建っているのかが分からない程だ。

 セレストがぽかんと口を開けて家を見ていたナクシアを笑いながら家に入ると、中から沢山の子供達が現れた。

 その数ざっと8人。若いのはまだ6歳程、最年長のセレストでさえ13歳程だ。

 ナクシアは再び驚愕した。塞がった口はまた開いたままになり、目はまるで遠離を見ているようだ。

 そんなナクシアを見た子供達も口々に喋り始める。


「何この人~!セレストお姉ちゃん!変な人がいるよ~……!」

「うわっ!何かこの人ぽかんとしてるね~!怠眠猿グーみたいだ~!」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!怖いよぉぉぉぉぉぉ!」

「この剣、かっこいいね!筋肉も凄いや!お兄さんなら神衛帝国騎士隊に入れるんじゃない?」


そんな中、ナクシアの脳内では新しい情報が時々刻々と展開されていき、ナクシア自身はその情報量に対処すべく他の事は考えられなかったのだ。

故にあんな顔をしていたとは考える事も出来なかったのだろう。


「どう?びっくりした?」

「あぁ……でも、こんな家が何でスラム街に建ってるんだ?」

「……」


 途端にセレストは黙り込んでしまった。

 人には言いたくない事もある。ナクシアにはその事がよく分かる。

 その為、ナクシアはあえて詮索はしなかった。

 すると、一人の8歳ほどの少年が口を開いた。


「あのねあのねー?このお家の事は誰にも言っちゃいけないんだよー?何かねー、お姉ちゃんがそう言って……」

「あはははは~……それは誰にも言っちゃいけない約束だったでしょ~……?」


 セレストは慌ててその子供の口に手を当てた。

 途端にふぐががが、と子供の声は強制的に押し戻される。


(これは裏があるな……)


 ナクシアはそう確信したが、あえて口には出さなかった。

 何故なら、もしその事について話したとしても、到底教えてくれるとは思えなかったからだ。

 2人はつい数時間前に知り合ったばかりだ。その為、お互いもよく知らない。そんな素性の分からぬ者に極秘情報を教えてくれる事などそれこそ一毛も無いだろう。

 すると、今度は最年少の少女がセレストの袖を引っ張った。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん……お腹空いたよぉ……ご飯はまだ……?」

「あ!そういえば、今日は皆まだ何も食べて無かったね?今から買い出しに行ってくるから、あとちょっと待っててね?」


 セレストはそう言って、半ズボンのポケットに手を突っ込んだ。

 手でポケットの中をもぞもぞと探る度にコイン同士がぶつかり合い、チャリンチャリンと音が鳴る。


「よし、お金はバッチリ!そうだ、ナクシアも買い出し行く?」

「……どちらでも良い」

「う~ん……じゃぁ、行く事に決まり!」


 ナクシアは黙ってゆっくりと頷いた。

 そして、足早に最寄の店へと向かうセレストにナクシアはついていった。

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