光さす庭・後編
レイは、花壇の前にいた。
キュラソウは、俯いているレイに近付く。レイは顔を上げ、キュラソウを見て、困ったようにまた俯いた。キュラソウはレイの前にしゃがんだ。キュラソウがしゃがんだとしても、それほど身長差が縮まるわけでもない。けれど、視線の高さは近くなった。
キュラソウは問いかける。――どうしたのか、と。
戸惑ったようにレイがキュラソウを見た。
「……げんき、ないの?」
囁かれた言葉に、キュラソウは瞬きを繰り返す。咄嗟に、どういう意味なのか解らなかったのだ。キュラソウはてっきり、レイの様子がおかしいことから、レイ自身の問題を考えていた。それなのに、レイから聞かれたのは、キュラソウのことだった。
問いかけを否定する。
「……でも、いつもとちがう、おかお」
言われて初めて、キュラソウは自分の表情を自覚した。おそらくレイは、キュラソウが漠然としたもやもやを考えあぐねているとき、きっと笑顔ではないであろう、その表情を見てしまったのだろう。そして、いつもは笑うように努めているキュラソウの顔付きが違っていたことから、不安に思って逃げたのだ。
レイの不安を和らげようと、キュラソウは誤魔化すように微笑み、そっとレイの頭を撫でた。なにも心配しなくて良いのだ、と。
「せんせい、だれかにおこられた? レイも、マムにおこられたら、げんきなくなる……」
困ったようにもじもじとレイが言う。その、小さな心遣いにキュラソウの心は温かくなり、すぐにお礼を言った。すると、レイは恥ずかしそうに微笑んだ。
キュラソウは不思議だった。ずっと、レイには心を開いてもらえないとばかり思っていた。それなのにいま、ほんの些細なことをキッカケに、こうして話をしている。
いままで、なにが問題だったのだろうか? キュラソウがいくら考えても分からなかった。
やがて、顔を上げたレイが真っ直ぐにキュラソウを見る。小さな、キラキラした目がキュラソウを見ていた。
「せんせい……」
レイは、ほかの子どもたちとは違って、キュラソウのことをそう呼んだ。
「せんせいがわらえるように、レイが……レイがおおきくなって、つよくなったら、まもってあげるよ?」
可愛らしく言ってくれたレイに、キュラソウはありがとうを言う。
「……じゃあ、そのときは、けっこんしてくれる?」
遠慮がちに続けられた言葉。キュラソウは、想像だにしなかったものだった。驚いて、なかなか返事が見付からない。キュラソウは既に結婚しているから、レイとは結婚できない、という問題は重要ではなかった。レイに心を開いてもらえていないとばかり思っていたキュラソウは、ショックだった。自分が本当に、上辺ばかりでレイを理解したつもりでいたことを知り。
母親たちの言葉が、キュラソウの頭の中を回り始める。
実際に子どもを育てた経験があるかどうかは、さして重要ではないかもしれない。でも、だからといって、初めからそれをはね付けるのはいかがなものだっただろうか。
少ししか変わらないかもしれない。
いや、少し変わるかもしれない。
キュラソウは、どこか肩の荷が下りたような気分になる。レイの髪を撫でた。
――ごめんね、でも、ありがとう、と。
泣きそうになったレイに、結婚はできないが、レイのことは大好きだと伝えた。一生懸命に気持ちを伝えると、レイはどうやら解ってくれたようで、最後には納得してくれた。子どもだから、とキュラソウは曖昧な嘘を吐けなかった。いつか気付かれたとき、余計に傷付けることは目に見えていたからだ。それに、純粋な想いを伝えてくれたレイに、キュラソウは真摯に向き合いたかった。
キュラソウに足りなかったのは経験だ。子どもがいないよりさきに、単純に子どもと向き合った経験が少ないのだ。
レイが遊びに行ってしまったあと、左手の指にあるプラタナムの指輪を触る。つるつるとした触感を覚えながら、キュラソウは子どもが欲しい、と思った。
母親たちから言われたからではない。子どもがいなくても十分だと思っていた。けれど、キュラソウも自分で子どもを育ててみたい、と思ったのだ。生まれた子どもは、幼稚園の子どもたちが向けてくれるような笑顔、悲しみ、その他いろいろを、親であるキュラソウに向けてくるだろう。そうすることで、新しい自分になれそうな気がした。
たとえそのために、好きな仕事からしばらく離れなくてはいけなかったとしても。
今夜、頼んでみよう、そう思った。
光さす庭<了>




