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隣人・瀬田貴恵の場合  作者: askaK
28/39

28、隣人・瀬田貴恵のクリスマスイブ

 最終登校日の翌日は、雲行きの怪しいクリスマスイブであった。

 本当に雪の降るクリスマスイブになりそうだ、と貴恵は空を仰ぐ。

 この日は、桃子、由郎、清四郎、都を送り出した後はのんびりとした休日で、ぼんやり午前中のワイドショーを眺めながら時間が過ぎて行った。

 他、桂一郎、伶二郎、英三郎の休日組も、それぞれにやることはあるらしく、のんびりと自分のやるべきことをこなしていた。

 互いに交わることもなく、平和な時間が過ぎて行く。


 家族で焼き肉を食べに行ったあの日以来、清四郎は自分の中で何やら決着をつけたのか、吹っ切れたように明るくなった。

 妙なアザや傷を作って帰ってくることも少なくなって、きっと自力で乗り越えられたのだろうと思う。

 良かったなと思う反面、末っ子の成長が寂しくもあった。


 それに対し、焼き肉屋において兄弟総出で語り合ったもう一件、母桃子と由郎の間柄については、依然、謎に包まれたままである。

 家にいる時の母親たちは、いつも通りだ。何かがあったようには見えない。

 だが、疑惑だけは膨らんで、誰もが詳細を聞きたくとも聞けない日々が続いていた。

 貴恵としては、あまり聞きたくないというのが本音ではあるのだが。


 そして他の何よりも、解決できずに泥沼化していくのは、伶二郎のことであった。

 伶二郎の抱える悩みは重く、深く、一朝一夕には解決されない。

 彼を助けてあげたいと思って差し伸べた手は、自分でも呆れてしまうほどに弱く、いつ力尽きてもおかしくない。

 何とかしてやりたい、何とかしなくてはという焦燥感ばかりが募るだけで、どうすることもできないのだ。

 伶二郎と都の間の空気は目に見えて悪化するばかりである。

 桂一郎は自分が口出しするべきではないとでも考えているのか、決して口を挟もうとはしなかった。

 貴恵はどうすることもできずに、ただ焦るばかりだ。


 そんな悩みの意中の人物が声をかけてきたのは、昼食を済ませ、時刻が二時を過ぎた頃であった。

 空は灰色に染まり、いつ雪が降り出してもおかしくない。

「きー姉、公園行こう?」

 しかし彼、伶二郎にとっては天候など関係ないらしく、前日から約束をしていた外出を決行するつもりのようだった。

 貴恵は窓の外、今にも泣き出しそうな空を見て、これから公園になど出かけたら、悲惨な目に合うのではないかと懸念する。が、ねだるような伶二郎の視線は幼子のようで、貴恵はどうもこの目に弱い。

「……風邪ひかないように、しっかり着込んでね」

 結局折れて、母親のような注意をしながら立ち上がった。


 嬉々としてコートを着込んだ伶二郎に続き、貴恵もコートを着るとマフラーを首に巻いた。心許ない防寒ではあるが、これ以上はどうしようもないので仕方がない。

「ちょっと、でかけてくるから」

 家のどこにいるのかもわからない桂一郎と英三郎の二人に向かって言い放ち、扉を開くと、冬の空気が流れ込んで来た。

 風はさほど強くもないが、日光も出ていないこんな天気の下で、公園まで行ってこの男は何をしたいのだろうと上機嫌な伶二郎を見やって思う。

 未だに思考回路を理解できない米沢家の次男坊は、気分上々でマンションから外に出ると、公園を目指して坂を下った。その浮ついた足取りを見て、貴恵は脱力する。

 なんかもうどうでもいいや、と思った。


 二人の目指す公園は、家から決して近くない。

 駅の方へ向かって歩き、駅を越え、街の反対側に入ったところにある。

 最近になってようやく土地を売り出したその周辺は侘しく、だだっ広い公園の他には何もない。

 その公園も、子供のための遊具などが設置されているわけでもなく、ただ広いスペースが提供されているだけの場所であった。故に、幼い頃からこの街に住んでいる貴恵でも、その公園に足を運んだことはあまりないのである。


「ねえ、伶二郎」

 駅の中を通り抜け、風景が閑散としてきた頃、貴恵は手袋の上から息を吐きかけながら、問うた。

「急に、公園なんて、どうしたの?」

 公園に行くことに、普通なら理由などないかもしれない。散歩をしたいとか、少し外の空気が吸いたいとか、その程度の理由で人は公園を利用する。

 だが、それをわざわざ前日から計画することが奇妙で、一体伶二郎は何を考えているのだろうかと思った。

 問われた伶二郎は、落ちてくるマフラーを肩に持ち上げると、口を開く。

「……実は、急に合コンに誘われてさ」

「は?」

「イブ合コン。よくわかんないけど、そういうやつ」

 話が読めずに、貴恵は瞬いた。

「……行きたくなかったの?」

「そうじゃないんだけどさ」

 ますますわからなくなって、眉間に皺を寄せた貴恵に、伶二郎は笑った。笑うと溢れる息は白い。

「俺、なんとなく公園に行きたいなあとは思ってたんだけど、それって合コン断るほどの理由でもないじゃん。だから、きー姉に聞いてみようと思って」

「私に?」

「うん。もしもきー姉が暇で、公園に一緒に行けるようなら、公園に行く。もしきー姉が暇じゃなかったら、合コン」

「……ふうん」

 説明されたところで、理解しがたいことにかわりはない。

 貴恵は腑に落ちないものの、隣の男がとても上機嫌なので、それでいいということにした。

 この男は基本的に何をしていても楽しそうだ。

 故に、時折見せる影のある表情が、気にかかってしまうのだろう。


 人気のない街の裏側にひっそりと佇む公園が見えてきたのは、それからまもなくのことであった。

 こんなに寒い時期に、わざわざこんな辺境の場所まできて遊んでいるような人間など果たしているのだろうかと貴恵は疑問に思っていたのだが、彼らが辿り着いた時、そこにはすでに数人の人影が動いて見えた。

 一歩ずつ公園の方へと近付くと、その人影は次第に明瞭となり、貴恵や伶二郎と同年代の若い男たちだとわかるようになる。

 彼らは四、五人で公園の広場に置かれたバスケットボールのゴールの間を行ったり来たりしていた。どうやらバスケットボールのゲームをしているらしい。

「あ、いるいる」

 伶二郎が隣で呟いた。

 え、と貴恵に問い返す暇すら与えず、彼はフェンスの向こう側に手を振る。するとそれに気付いたのか、バスケットをしていた彼らはゲームをやめることはなく、笑いながら伶二郎の名を呼んだ。

 どうやら伶二郎の知り合いらしいが、貴恵はそのうちの一人も知らない。

 一体誰なんだ、と瞠目する貴恵の様子に気付いたのか、伶二郎はフェンスに沿って歩きながら、説明してくれた。

「隣の高校の奴ら。この辺に住んでるらしくてさ、いっつも集まってバスケやってんの。俺も何度か混ぜてもらったことあるんだ」

 初耳である。貴恵は広場でじゃれあうようにバスケをしている男子高校生たちを見つめ、目を瞬かせた。

「へえ……いつからバスケなんかやってたの」

「うーんと……前の冬。高校受験が終わった頃からかなぁ」

 ふうん、と貴恵は思わず感嘆の声を漏らした。


 そういえば、と一学期に行われた校内対抗球技大会において、伶二郎がクラスの得点王であったことを思い出す。

 確かに、もともと伶二郎は運動神経が良く、球技も得意としていたものの、一体いつのまにバスケットボールなんてものを覚えていたのだろうと不思議に思っていたのである。その謎が、今、解けた。


 しかし、それにしても、多才な男である。

 貴恵は自ずと感心していた。

 世の中の万物に興味を持って「楽しそうだ」などと言いながら手を伸ばし、それをこなす器用さも持ち合わせているのだから、羨ましいのを通り越して呆れてしまう。

 この男に出来ないことなんて、ないのではないのだろうか。


「……伶って……本当、なんでもできるよね。今期もテスト一位だったし、バスケでは得点王だし……」

「それだけじゃん」

「それだけでも充分だよ」

「まあ……勉強も運動も好きだからね」

 好きこそものの上手なれ、とおどけたように言ってみせて、伶二郎は公園の入り口に置かれた大きめの石を飛び越えた。

 その後ろから、同じ石を乗り越えようとする貴恵の前に、彼は黙って手を差し伸べる。

 冬の冷たい空気に晒されていても、彼の浮かべる笑みは暖かい。

「っていうか、生きてて挑戦できる、全てのことが好き。俺って欲張りだから、どうせなら全部に挑戦してみたいんだ」

 その暖かい微笑みに、一瞬惚けてしまった。

 本当なら、「いいよ」と手を取らずに石から飛び降りるところを、ついつい彼の手を借りてしまったのは、その所為だ。

 重ねられた手と手は、二人ともに、極端に、冷たい。

「おい、伶二郎ーっ! 最近来ねえと思ったら、女かよーっ!!」

 公園の広場から、高校生たちの声が響いた。

 はっとして貴恵は手を引っ込めたが、伶二郎は臆することもなく、極上の笑みで彼らに応じる。

「まーなっ!! 俺いなくて寂しかったーっ!?」

「ばーかっ!! お前いねえ方が公園が広いっつーのっ!!」

 高校生たちが笑い、伶二郎も笑う。やはり、ここでも伶二郎は貴恵のことを彼女だと言われて、否定しなかった。


 ――姉だって、言った方が良かった?

 かつて食堂で二人で勉強をしていた時にそう聞かれた時に、「別にいいよ」と答えたのは貴恵である。

 伶二郎が貴恵のことを否定しないことには、深い意味などない。「姉」だというよりも、「恋人」だと説明した方がずっと自然だから、その程度の理由である。


 それをわかっていながら、どうしても貴恵は落ち着かない気分であった。

 彼に上辺だけの恋人扱いをされて、妙な気分になってしまうその理由にも、うすうす気付きつつある。

 だが、それを認めることは許されなかった。

 もしも貴恵が彼に対して少しでも淡い感情など抱こうものならば、事態はさらに複雑化してしまう。それが目に見えているからだ。


 貴恵はぐっと唇を結んで感情を飲み込むと、いつもの調子で言った。

「……今日はやんないの? バスケ」

 いつもの調子で問いかけてみると、伶二郎はあどけない表情を浮かべる。良かった、貴恵の動揺には気付いていないみたいだ。

「え? だって今日はきー姉もいるし」

「私は見てるから」

「いいの?」

「私も知ってる人がやってる方が見てて楽しいし。やってきなよ、得点王」

「……しばらくやってないからなぁ。うまくできるかなぁ」

 彼ははにかんだように笑う。貴恵も作り笑いにならないように自然ににっこりと笑う。

「ほら、マフラーとか邪魔でしょ」

 貴恵は彼の首に巻かれたマフラーを巻き取ってやる。

 伶二郎はくすぐったそうに頷いて、コートも脱ぎ捨てると、広場の方へ向かって走り出した。

 脱ぎ捨てられたコートがその辺りに放り出されそうになり、貴恵は慌ててそれを拾う。コートの襟元を持って綺麗に畳みながら、走り去って行くその後ろ姿を眩しげに見つめた。


 ――日に日に、伶二郎の貴恵に対する態度は、幼稚化していく。


 それが何を意味しているのか、わからないほど貴恵も、疎くはない。

 彼は、今、精神的に不安定な状況の中で、必死に頼れる人を探している。

 それは、無意識なのかもしれない。

 だが確実に、歩き始めの幼子が、親の手を求めるように、縋れる相手を求めているのだ。

 彼はおくびにも出さないけれども、恐らく、未だに母親の消失を引きずっている。そして、本当なら縋るべき相手である実の姉に対して、姉に抱くのではない感情を覚えてしまうことに、並々ならぬ後悔をしているのだ。


 ――そんな彼に、貴恵は一体何を求めているのだろう。


 貴恵は、苦い心地で俯いた。

 貴恵に出来ることは、彼が縋りたい時に手を差し伸べて、母親のような抱擁をしてやることだけなのだ。

 その他に、彼に対して何かを求めてはいけない。そんなことをしようものなら、事態は複雑化して、悪化してしまう――。


 そんなことを考えながら、伶二郎のコートとマフラーを抱え、公園の端に設置されたベンチまで歩いて行くと、不意に、冷たいものが鼻に触った。

 なんだろうと思って仰天し、空を見上げると、白い小さな塊が、いくつもいくつも舞い降りてくる。

 ほう、と貴恵は白い息を吐いた。

(本当に、ホワイトクリスマスになっちゃう)

 お前が俺を褒めたら雪が降る、と笑った幼馴染の顔が、ふと脳裏に浮かんだ。


 もしこれが、本当に貴恵の発言の所為ならば、いっそ、吹雪になってくれればいいのにと思う。

 地上のわだかまりを白く塗り替えて、全て冷たい雪とともに吹き飛ばしてくれればいいのに。

 貴恵の心に生まれたこの不必要なわだかまりも全て、吹き飛ばしてくれればいいのに。


 吹雪になんてなりようのない、淡い雪は静かに地面に到達しては、解けて水になっていく。

 貴恵の願いを叶える気なんて、毛頭なさそうだ。

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