25、四男・米沢清四郎の勝機
米沢家四男、清四郎は、暖かい店内の椅子について、目の前の黒い金網を眺めていた。
頭をかきむしると、先ほど同級生たちにかけられた土が乾いて、ぱらぱらと散る。土を散らすと、隣に座った一つ上の兄・英三郎が嫌な顔をするのでなるべく頭を振らないように心がけた。何しろ、今、隣の英三郎は金網に上で焼かれる肉を食べることに必死だ。清四郎はまだ一枚も肉に手を付けていない。
偶然、住宅街の細道で兄たちと遭遇してしまった清四郎は、あの後、兄たちとともに待ち合わせ場所である高校の裏門へと直行した。
辿り着いた待ち合わせ場所にはすでに伶二郎と都が待っていて、兄たちの予測した通り、なんとなく険悪な空気を漂わせていた。
一体どうして伶二郎と都はそんなにも仲が悪いのか、喧嘩でもしたのかなあと思いながらもその理由を問いただすこともできないまま、兄弟たちはぞろぞろと予定されていた焼き肉食べ放題の店へと向かったのであった。
店につくなり、長男・桂一郎と三男・英三郎は足取りも軽く、冷蔵棚に並べられた生肉を取りに行った。が、席に座った、まま動かない貴恵の視線はまっすぐ清四郎へと注がれて、金網の方を見ようともしない。
貴恵が動かなければ、貴恵の隣に座った伶二郎も動こうとはしなかった。清四郎の隣に腰掛けた都も、何事かと清四郎の様子を伺っている。
じぃ、と注がれるもの言いたげな視線がひたすら痛くて、黙っていることも心苦しくて、清四郎はやがて、観念することにした。
全て洗いざらい話してしまうしかないようだ、と、口を噤むことを諦めた。
「……もう、どうしてこんなことになったのかとか、覚えてさえいないんだけどね……」
清四郎は肩を竦めて、話を始めた。
そもそも事の発端が何であったのか。
それは、清四郎本人にも思い出せなくなっていた。
おそらくほんの些細な出来事だったと思う。
元より、清四郎と、クラスの一部のその男子たちの形成するグループとは、あまり反りの合わないタイプであった。そのため、小学生生活六年間、ほとんど関わらずに過ごしてきており、それはそれで平和であった。
だが、夏休みの終わりからであろうか、衝突が生じるようになった。
ちょっとした意見の食い違いから口喧嘩に発展したり、互いを睨む程度の頃はまだよかった。そのうちに手や足が出るようになり、いつのまにやら現在のような状況にと至っている。何かとケチをつけられては物を投げられたり、蹴られたり、今日のように帰り道に襲撃されることも増えた。それでも泣き言さえ漏らさず、彼らに対して暴言を吐く清四郎の態度が、彼らは気に食わないのだろう。
そしてこのような状況になっても、清四郎は貴恵や家族に事の子細を話す気はなかった。
自分の巻き込まれている事態が喧嘩なのかなんなのか、説明をするのが面倒だったというのもあるが、一番の理由は、相手が大人数であったためである。
本を読んだりのんびり散歩したりと、一人で行動することを好む清四郎と、人付き合いを大切にする彼らとの抗争は、傍目には一方的に清四郎が弱い物虐めを受けているように見えたことだろう。
勝機の見えない争いに、登校するのが億劫になったこともある。
だが、負けたくないという思いと、それを理由に休めが「イジメ」などという大変不本意な問題に発展するのではないかという危惧があったため、意地でも登校した。
イジメだとは思われたくなかったし、少なくとも清四郎自身はそう思っていない。
だが、家族に話せば一大事になることは目に見えていたし、特に姉代わりである貴恵の性格上、学校まで相談しにいくことも予想できた。
そのため、清四郎は一切口を噤んでいたのだ。
「……結局、話してるけどさ」
そう言ってしめくくった時、自分の右隣に座っている英三郎は桂一郎とともに、すでに二皿目の肉に手をつけていた。清四郎はまだ一口も肉を食べていない。
真剣に話を聞いてくれていた向かい側の貴恵と、清四郎の左隣に座った都も、割り箸すら割らずに清四郎の言葉に耳を傾けていた。貴恵の隣に座った伶二郎は、話を聞きつつ、つまみ食い程度に金網へと手を伸ばしている。
「そっかぁ……」
貴恵は小さく呟いたきり、黙り込んでしまった。なんと言っていいのかわからなくなってしまったのだろう。
貴恵は、まだ清四郎が生まれたばかりの頃からずっと、清四郎のことを可愛がってくれた。幼い頃に母親が田舎へと引っ越し、姉は海外留学した清四郎にとって、貴恵は姉であり母でもある。そんな貴恵に対して自分がこのような暗い話をすることは、とても申し訳なく思えた。
対して、能天気な声をあげるのは、貴恵の隣に座った兄である。
「へー。でも、夏休み終わり頃からってことは、もう四ヶ月くらい? すっげぇ喧嘩だなぁ」
本気で感心したように言う彼は、二番目の兄、伶二郎だ。彼は英三郎が金網に投げ出したタン塩を素早く横取りし、何やら感慨に耽っていた。
「いいなぁ。俺もそんな喧嘩してみたかったなぁ」
「伶二郎」
諌めるように、貴恵が表情を険しくさせる。しかし、その理由すら伶二郎には伝わっていないようだ。
「だって楽しそうじゃん、喧嘩とか」
「楽しいわけないじゃない」
「そうかなー? だって俺の周りの人はみんな俺におべっか使うから、俺、喧嘩ってしたことないんだもん」
「……あんたは何だって楽しいんでしょ、どーせ」
「うん、きー姉に怒られてんのも楽しい」
頓着なく言ってのけた伶二郎に呆れたような表情を見せ、貴恵はようやく割り箸に手を伸ばした。ぱきっと軽快な音をたてて割ると、貴恵は金網の上に器用に肉を並べ始める。
「おお、さすが、手付きが違うねぇっ! 給食のおばちゃん!」
貴恵は伶二郎とは逆隣に座っている桂一郎に対しては容赦がない。ばし、と勢い良く肘鉄砲を食らわせて、手際良く肉を焼いた。
その肉を片っ端から口に放り込み、白米をかきこむのは英三郎である。
「つーかさ、イジメでも喧嘩でもなんでもいいけどさ、ムカつく奴はみんな片っ端から殴っときゃいいんだよ」
ぶっきらぼうに言ってのけた英三郎を、貴恵が鬼のような形相で睨みつける。
「英三郎、あんたまだ、そんなことしてるんじゃないでしょうね」
「今はしてねえよ。部活に迷惑かかるし。清は小学生だから平気だろって話」
「平気じゃないっ。あんたが誰か殴るたんびに頭下げなきゃいけない方の身にもなれっての!」
くすくすと笑ったのは、清四郎の左隣に座る都である。
貴恵とはまるで異なるほんわりとした雰囲気を醸し出す清四郎の実姉は、割り箸を拾って「食べよう?」と清四郎に促した。清四郎も頷くと、自分の箸を割った。途端、腹が減って来て、目の前の肉がとても魅力的に思えてくる。
抱え込んでいた全てを洗いざらい吐き出したためだろうか。胸の奥がすぅと軽くなったような気がした。今ならば、伶二郎ではないが、何をしていても楽しめるように思える。
清四郎の話も終わり、此処からは、肉の争奪戦であった。
食べ放題なのだから争う必要もないのであるが、兄弟たちは騒がしい。
必死に均衡を保とうとする貴恵の努力も虚しく、焼ける肉に片っ端から群がる男共。それを一歩離れた位置から見守って微笑む都はほとんど食べられてないであろうに、非常に満足そうであった。
「あ、そういえば、今日はお父さんも、桃子さんもいないんだね」
あまり人気のない焼きピーマンをようやく手に入れて、それをかじりながら呟く都は、天然だ。何を今更、と兄弟たちが唖然とする中で、本当に今まで米沢瀬田両家の親がいないことに気付いていないようだった。
「みー姉らしい」と苦笑した貴恵は、金網に群がる兄弟たちの間をすり抜けて、カルビを一枚取り上げると、肉になかなかありつけない都の皿に運んでやった。
「お母さんは土曜日だけど出勤。由郎おじさんは仕事上のお付き合いで、とか言ってたけど、要は飲み会でしょ」
「……なんかそれぞれの立場をよく表してるよな。桃子さんはどんどん出世して今じゃ会社の中枢担ってるけど、父さんは万年平社員だからなー」
桂一郎は「情けないっ」と呟いて泣き真似をする。その間に伶二郎と英三郎がハラミを奪い去り、出遅れた清四郎の前には何も残されていなかった。
そういえば、と、ふと、清四郎は新たに焼かれていく肉を眺めながら、思う。
最近、米沢家の父由郎と、瀬田家の母桃子は、残業の重なることが多かった。残業でなくとも、それぞれに理由があって外出する用が重なっている。
不意に、一月ほど前に見た、商店街の光景が思い出された。
二人が商店街の喫茶店の中で、まるで逢い引きするかのように並んでいたあの光景が、頭の中にフラッシュバックする。
よしんば二人で何かの用があって外に行きたいのならば、そう言えばいいものを、わざわざ他に理由をつけて会うのは何故なのだろう。
子供たちに言えないような事情があるのだとすれば、それはやっぱり、そういうことなのだろうか。
「……やっぱ、デートかな」
思わず呟いてしまってから、清四郎は慌てて口に手をやった。
仮にもし彼らがデートをしているのだとしても、このことは黙っておこうと決めたはずであった。
しかし、一度出てしまった言葉は戻らない。
隣をちらりと見上げると、「ばか」と英三郎が小さく返して来た。
「デート? ……って、何が?」
きょとんとしている貴恵の手には、サラダの乗った皿が握られている。肉ばかり食べる兄弟たちに食べさせようと冷蔵棚から持って来たらしい。
桂一郎も英三郎もそれを無視して牛タンを頬張った。伶二郎だけがサラダの皿からトマトを拾い、貴恵の疑問に答えた。
「父さんと桃子さんの話。俺もそうだったりして、って思ってた」
「……ええええええっ!?」
一拍遅れた驚愕の声は、貴恵と桂一郎の二人から。一瞬理解することもできなかったようだ。
「あ、私もこの前二人で歩いてるの見たよ」
飄々と付け加えたのは都だ。貴恵と桂一郎はますます愕然としている。
「なんだ、みんな知ってたんだ」
ぽろりと口を滑らせてしまった清四郎がほっと胸を撫で下ろすと、
「知らなかった!」
貴恵と桂一郎が声を揃えた。が、これだけ認知されているなら、清四郎が口を滑らせなくとも、いずれ全員に知れたことだろう。清四郎はそう自分に言い聞かせた。
貴恵はすっかり困惑した様子である。彼女はサラダを机に置くなりおろおろし始めた。
「デートって……それ、ただ一緒に歩いてただけじゃないの。別に意味なんかなくってさ」
「でも、俺と清も見たよ、二人で喫茶店は言ってるとこ」
「私も、三回くらい目撃しちゃった」
「狭い街だからなぁ」
「ただ会うだけなら、残業で、とか俺らに言い訳する必要もないじゃん」
英三郎、都、清四郎、伶二郎から立て続けに言われて、貴恵は言葉に窮している。「そんな」と呟いた彼女の表情は他の誰より切実だ。
「だって、そんな、まだ……文子さんの一周忌にもなってないのに……」
「そんな深刻に考えないでよ、きー姉」
伶二郎が軽い口調で言って、レタスを頬張った。彼はすでに一人でサラダの半分以上を食している。
うーん、と唸った桂一郎は、ようやく初めて箸を置いて、言った。
「ま、確かに……昔っから、母さんと父さんと桃子さんって、誰が誰の夫で妻なのか、よくわからなかったもんな」
「桂一郎まで何言ってんの」
ぎょっとする貴恵を傍目に、「そうだね」と桂一郎に賛同したのは野菜を頬張る伶二郎だ。
「だって母さん、そういうこと全然気にしない人だったし。たぶん今ここに母さんがいたとしても、一緒に笑って『そうだねー』とか言ってそうな気がする」
最も母親文子と共にいた時間の長いのは伶二郎である。その伶二郎までもがそう頓着なく言うのだから、貴恵もそれ以上は反論できないらしい。
「でも」「だけど」と口籠る貴恵に苦笑して、伶二郎は小さく付け加える。
「実際、母さんは、桃子さんとか父さんとかと一緒にいられるだけで満足だったんじゃないのかな。誰が誰とどういう仲になろうと気にしないっていうか……。まあ……父さんが母さんにべた惚れだったから、何も起きなかったけど……」
「じゃあ、今更、どうして……」
すっかり狼狽して、貴恵は口をぱくぱくさせていた。
清四郎はそんな兄姉たちのやりとりを見守りながら、自分なりに、考え込む。
清四郎とて、貴恵ほどではないにしろ、初めて父米沢由郎と瀬田桃子の逢い引きを見た時に、戸惑わなかったといえば、嘘になる。
だが、もしも彼らの間に突如恋愛感情が芽生えて夫婦になったとしても、不思議なことに、嫌悪感は湧かなかった。
もともと、米沢の父由郎と米沢の母文子は、夫婦でありながら、夫婦と言われる俗な間柄など卓越したような、妙な関係であった。
伶二郎の言うように、由郎は文子にベタ惚れであった。それは間違いない。
しかし、それは若い男が愛らしい女に求愛するような肉欲的な愛情ではなく、まるで女神を愛でるかのような、奇妙な愛情であった。一番近い言葉があるとすれば「崇拝」かもしれない。――父由郎は、母文子のことを、まるで「崇拝」するかのように愛していたといえる。
それに対し、父由郎と瀬田桃子は、とても仲が良かった。もちろん、父由郎と母文子の仲が悪かったというわけではないが、彼らのように互いを尊敬しあうような仲の良さではなく、由郎と桃子の仲の良さは、級友同士がじゃれあうような、一般的な仲の良さであった。
そんなわけで、妙な話ではあるが、清四郎は、父由郎と瀬田桃子がもしも再婚したとしても、驚きこそすれども、嫌悪もなければ、違和感も感じない。
「――てかさ、そもそも、三人はどういう関係なわけ?」
誰ともなく問いかけたのは、三男英三郎であった。
皆が箸を止め、親たちのことを考えこんでいる中で、英三郎だけはがめつく肉に食らいついている。彼は三膳目の白米に手を伸ばすと、兄姉たちを見回した。
その問いに「うーん」と唸りをあげたのは、長男桂一郎である。
「……俺もそこまで詳しく知ってるわけじゃねえからなぁ……やっぱり一番年上だし、みー姉が一番知ってるんじゃね?」
桂一郎の言葉を受けて、一斉にその場の視線が長女都へと集まった。
清四郎も、実のところ、親たちの関係性の詳細についてはよく知らない。生まれた時にはすでに自分には三人の親がいるようなものであったし、瀬田の家はずっと家族も同然だった。何があって米沢と瀬田の家が今のような状況になったのかなんて、聞く機会もなかったのである。
「私も、そんなに詳しいわけじゃないよ」
困ったように前置きをして、都は首を竦めた。それでも彼女は、自分に知っている限りは話そうと、おっとりした口調で説明を続けた。
「お父さんと桃子さんが、幼馴染だったっていうことは、みんなも知ってると思うけど……家が近くて、小学校までは学校も一緒で、仲も良かったんだって。でも、中学から桃子さんが私立に入ったか何かで学校が別になって、その私立の学校で桃子さんと仲良くなったのが、お母さん。で、大学生になってから、桃子さんの仲介でお母さんとお父さんが出会って、お父さんが一目惚れしたんだって、私は聞いてるけど」
それから、と口籠り、都は遠慮がちに貴恵の方を見た。
その視線に気が付いた貴恵は、都の遠慮の理由に気付いたのか「ああ」と言って、苦笑する。都は恐らく、貴恵の父が死んでしまったことを気遣っているのだ。貴恵は首を竦めて、都の代わりに説明を続けた。
「それから、大学で出会った由郎おじさんと文子さんが結婚して、で、あたしのお母さんも結婚して。でも、私の父親はすぐ死んじゃったから、片親なんて大変だろうって米沢由郎文子夫妻が言って、同居し始めたんだよね。私もそれくらいしか知らないけど……。特に自分の父親のことなんて、『貴司』って名前しか知らないし」
貴恵の説明はそこで終わった。貴恵に語れることはそれしかなかったのだろう。
そしてそれ以上の情報は誰にもないらしく、誰も喋ろうとはしなかった。
店の中に流れる音楽が、やけに大きく感じられる。
すっかり存在を忘れられ、金網の上で焦げそうになっていたレバーを伶二郎が慌てて救済した。
清四郎は赤く燃え上がる炭の山を見つめながら、虚静の域に入る。頭の中が冴えて行くような感覚がした。自分の悩みをすでに洗いざらい家族に話してしまっていたためかもしれない。
親たちのことを思っても、達観した心地である。
「結婚とか、するのかな」
清四郎がぽつりと呟くと、
「結婚――!?」
声を裏返らせたのは、やはり貴恵であった。
が、愕然としているのは貴恵だけであり、他の兄弟たちは清四郎と同じように達観してしまっているのか、粛々とその事実を受け止めている。
「まー、それならそれでもいいかもな」
英三郎がご飯を三膳たいらげそれでも足りないのか、新しいタン塩を金網の上に並べる。
「うん、お母さんもその方が安心するかもしれないよね」
もう食べる気はないらしく箸を置いて、都はジンジャーエールを飲みながら頷いた。
「っつーか、その方が家ん中もすっきりするよなー。今の米沢と瀬田がごちゃごちゃになって同居してる状態って友達に説明するの面倒臭ぇんだよな」
サラダを頬張って、桂一郎も賛成する。
それでもまだそわそわと落ち着かない貴恵に、伶二郎が苦笑した。
「だから、きー姉は真面目なんだって。父さんたちが結婚したところで何も変わらないじゃない。別に母さんを裏切ることにもならないと思うし、今まで通りの状態が続くと思うよ」
言って、彼は最後のレタスを食べて、サラダの皿を空にした。
貴恵は「そうかな」と力なく呟いて目線を落とし、それからちらと隣の伶二郎を見やった。そして、ふと気が付いたように、手拭きを取って伶二郎の口の周りを拭う。
「……ドレッシングついてる」
伶二郎はあははと笑っただけで拒絶せず、されるがままになっていた。
そんな貴恵と伶二郎の様子を見ながら、清四郎は何とはなしに奇異な気分になる。
ここ最近、父親と瀬田桃子の逢い引きも気になってはいたものの、実は少し、兄たちのことも気にかかっていた。
長女の都と次男の伶二郎の仲が急激に悪くなったのは、夏の終わりに都が日本に帰国してからだ。
そして、貴恵と伶二郎が急に接近するようになったのは、ここ三週間ほどのことである。
もともと貴恵と伶二郎は仲が良かったものの、ここまでべったりではなかった。むしろ、ああやって貴恵の横にいて、逐一貴恵に面倒を見られていたのは末っ子の清四郎だったはずである。
(伶兄が……僕より年下になったみたいだ)
ふと、そんなことを思った。
貴恵と伶二郎の二人を見ていると、幼かった頃の自分を思い出す。まだ身の回りの世話も自分では満足にできないような幼い頃、貴恵に何かと面倒を見られていた自分を見ているようだ。
ひょっとして、と清四郎は、向かい側に座る血のつながらない姉のことを見やった。――そう、貴恵は、米沢家とは血のつながりはない。
父米沢由郎と瀬田桃子が結婚するようなことがあるならば、米沢伶二郎と瀬田貴恵が実はいつのまにか恋人同士になっていて、ということも、十二分に有り得るのではないだろうか。
よく小説や漫画やドラマにも、恋人の前では幼子に戻る男というのが登場する。それは男性の本能的な愛情表現の一つなのだと清四郎は小学生ながらに考察している。
ひょっとしたら伶二郎はそういうタイプの男なのかもしれないと、兄を見ながら思った。
清四郎は咄嗟の推理をそう結論付けたが、さすがに本人達に直接問うことはできず、口を噤む。
それは父米沢由郎と瀬田桃子が結婚するかもしれないという可能性以上に、ずっと生々しくて、あまり想像もしたくない。
果たしてこの家はどうなってしまうのだろう、と、清四郎は錯乱する頭を整理しようと試みた。
父由郎と瀬田桃子が結婚すれば、桃子は自分の母になる。
伶二郎と貴恵がもし恋人同士で将来結婚するようなことになれば、貴恵が自分の姉になる。
清四郎はその状態を想像してみた。
そして。
(……なんだ、今までと変わらないじゃん)
そういう結論に至った。
自分の思考の滑稽さに、無意識に笑いそうになるのをぐっと堪える。ごまかすように頭を振ると、ぱらぱらと乾いた土が飛んだ。
それが隣の英三郎に微量にかかって睨まれる。
そうしてやっと、清四郎はこの日にあったことを思い出したのであった。――すっかり忘れていた、自分が学校で抱えていた友人関係のしがらみのことなんて。
途端に何もかもが可笑しくなった。
世の中には面白いことなどいくらでも散乱していて、拾っても拾ってもきりがない。
その中で悩みを抱えることもまた一興。
喧嘩だって楽しいじゃないかと兄の言うことにも一理ある。
世の中下を向いて歩いていたら、つまらないじゃないか。
月曜日、クラスで自分に何かと因縁をつけてくるあの連中に出会ったら、今度は思い切り笑ってやろうと思った。
何を言われても、笑ってやろう。
気が触れたんじゃないかと思われるかもしれない。
しかし、全ては楽しんだ者勝ちなのだから、楽しくなってしまえば清四郎の勝ちだ。
清四郎はようやく自分の巻き込まれていた事態に関して、確固たる勝機を見いだしたのであった。