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隣人・瀬田貴恵の場合  作者: askaK
13/39

13、四男・米沢清四郎は、見た!

 季節は巡って、厳しい残暑も今ではすっかりと影をひそめ、肌寒い秋が深まりを見せて行く。

 米沢家の末っ子四男坊、米沢清四郎は肌寒い気候に思わず身を震わせながら、マンションから続く急な斜面を下り、坂のふもとにある病院の前を通り過ぎたところであった。

 彼にとって、この道はそれほど歩き慣れた道ではない。

 清四郎の通う小学校は、こちらとは反対側の坂を下った先にあった。学校で過ごす時間が生活のほとんどをしめる小学生にとっては、その通学路こそが慣れた道と言える。

 それに対して、今彼の下っているこちらの斜面は、駅へと続く道であった。駅の周辺にはスーパーマーケットや薬局など、生活に欠かせない必要品を売る店が並んでいる。

 清四郎が一人、歩いて目指していたのは、駅前のスーパーマーケットであった。

 もちろん、自分の意思でスーパーを目指しているというわけではない。彼に「ちょっとお使い行ってきて」と頼んだのは、姉代わりである隣人瀬田貴恵という女子高生であった。


 十一月に入って、外気はだいぶ肌寒くなった。こんな天気の中で外にわざわざお使いにいくのは面倒ではあったけれども、他に人がいなかったので、承諾せざるを得なかった。これがもし、反対側の坂——すなわち通学路——を下るお使いであったなら、何がなんでも拒否したであろう。――今の清四郎には、自分の通う小学校の前を必要以上に通りたくない事情がある。


 ――今日は由郎おじさんも、お母さんも帰りが遅いらしくて、二人ともご飯いらないって言ってたのよね。

 そう言った貴恵は、今日は二人分ご飯作らなくて済むわーと陽気に言い放ち、清四郎に兄弟四人分の食糧を買ってくるよう命じた。

 清四郎をお使いに出す間、貴恵は来る期末テストに向けて勉強をするのだという。そういうことなら、貴恵と同じ高校に通っている桂一郎や伶二郎も勉学に励むべきなのではないかと思うが、今、二人はそれぞれ外出中であった。彼らはまだ、学校から帰宅してもいない。


 長男桂一郎は学校帰りにバイトへ、次男伶二郎はまたもや行方不明。

 長女都は資料探しに図書館へ、三男英三郎は部活のためにまだ帰宅していない。

 というわけで、家には清四郎と貴恵の二人しかいなかった。

 こんなに家が静かなことは滅多にないと喜び、今こそ勉強するチャンスであると勇んだ貴恵の気持ちのわからないわけでもないけれど、だからと言って清四郎まで追い出すことはないのに、と四男は人知れず溜め息を吐いたのであった。


 駅から繋がるこの街で一番大きな通りへと出ると、いきなり人通りが増えた。

 まだ五時前ということで、買い物にでてきた主婦の姿も、学校帰りの学生の姿も、移動中のサラリーマンの姿も見える。

 煙草の吸い殻や何かで汚れた歩道へと踏み出して、うまく人の波に紛れると、清四郎はスーパーのある方角へと向かった。

 が、その道で、偶然にも、知った顔とぶつかりそうになる。

 清四郎はその少年を見上げ、ぽかんと口を開いた。

「――英君!」

 すると、だらしなく制服の学ランを気崩した長身の中学生が、その声を受けてじろりとこちらを見下ろした。

 一瞬柄の悪そうにも見えるその目付きの悪さは、初対面なら逃げ出したくもなるほどの気迫を含んでいたが、生憎清四郎は初対面でもないし、彼の目付きの悪さにはとっくに慣れている。

 なにしろ、彼は米沢家の三男坊、清四郎とは一つ違いの兄なのだ。

「清……お前、何やってんだよ」

「英君こそ何やってんだよ」

 米沢家の三男・英三郎は、野球部所属の中学生、野球一筋の野球少年だった。家にいても筋肉トレーニングばかりしているし、外に出ては一人で投球練習や素振りをしている。学校に行ったら遅くまで部活に励んでいて帰ってこない。

 そんな彼が、今頃部活に励んでいるはずのその兄が、何故駅前の商店街をうろうろしているのか。

 清四郎は目を丸くする。

 部活を命と同じ比重で考えるような野球馬鹿の彼が、まさかずる休みをするとは考えられない。

 ——そして、その理由は、すぐに判明した。

 気崩された学ランの左肩の辺りが、不自然に盛り上がっている。どうやら、制服の下に何かを詰め込んでいるようだ。

「……肩、どうかしたの?」

 不自然な肩を指し示して問うと、英三郎はしまったという風にばつの悪そうな顔をした。そして、吐き捨てるように、言う。

「――脱臼だよ、ただの」

「脱臼っ?」

「今医者行ってきた。別に大したことねーって」

 それはもう嫌そうに、英三郎は苦々しく言い捨てた。

 清四郎には「脱臼」という症状が具体的にどういうものなのか、よくわからなかった。が、その制服がこんもりと盛り上がった外見からして、「大した事はない」ようには見えない。

「でも、なんかすっごく腫れてない?」

「別に腫れてるからこうなってるわけじゃねえよ……湿布とか包帯とかよくわかんねえものいっぱい盛られたから……」

「……それって大したことあるんじゃ」

 ねえよ、と突っぱねてから、英三郎は拗ねたように声色を低くした。

「お前……きー姉には、黙っとけよ」

 清四郎はしばし目をぱちくりさせて、しかしすぐに彼の言葉の真意を悟った。

 今や姉代わり、母親代わり、それどころか今では亡き実の母親よりも、ずっと口うるさくなった貴恵は、恐らく英三郎の肩を必要時以上に案じることだろう。そうなれば、当分部活への参加を禁止されるかもしれない。貴恵なら、中学校まで直接乗り込んでいきそうだ。今流行のモンスターペアレントならぬ、モンスターシスターか……。

「うん、まあ、黙っとくけど……すぐバレると思うよ」

 澄まして答えると、英三郎は大仰に顔をしかめた。


 三年が引退試合を終え、最近新レギュラー選抜により、一年生でありながら見事レギュラー入りを果たしたという英三郎は、それから以前にも増して野球馬鹿になった。野球が彼の生活の全てを左右していると行って過言でない。

 他の兄弟たちは、彼の野球にかける情熱に、苦笑など浮かべているが、清四郎には時折そんな彼が羨ましく思えた。

 一歳しか違わない兄なのに、自分よりはるかに大きく感じることが、多々ある。それはもちろん、背丈云々の話ではない。圧倒的な内面の強さだ——。


「じゃあそろそろ俺行くから」

 言って、英三郎は踵を返し、清四郎の元から去ろうとした。本気で貴恵には脱臼のことを隠し通すつもりらしいが、まあ無理だろう。清四郎でさえ一目で気付いた肩の様子のおかしさに、貴恵が気付かぬはずもない。

 まあいいや放っておこう、と清四郎も目的地のスーパーを目指して足を一歩前に踏み出した、その時である。

 突如、英三郎が「あ!」と声をあげた。その叫びがただごとではないように聞こえたため、清四郎も慌てて足を止め、彼の方を振り返る。

 英三郎は商店街のある一点を見つめて、呆然としていた。

「なんだよ」

 そう呟いて、清四郎は兄の視線の先を追う。そして、彼もまた、息を呑んだ。


 英三郎の見つめていた先には、商店街の小さなコーヒーショップがあった。清四郎は一度も入ったことのない、ガラス張りのお洒落な喫茶店である。そのガラスの向こう側に、見覚えのある人物が二人座っているのが見えた。

 清四郎は眼鏡の奥で、目を大きく見開く。


 一人は、米沢由郎。彼らの父親だ。

 そしてもう一人は瀬田桃子。隣人瀬田家の母親であった。


「……お父さん?」

 清四郎は遠い店の中を、凝視した。

 貴恵の話によれば、社会人である由郎と桃子の二人はそれぞれ残業か何かで今日も遅くなるということだった。当然、こんなところでのんびりお茶などしている暇はないはずである。

 ひょっとしたら仕事の話でもするために会っているのかもしれないとも一瞬思ったが、二人の職種は異なる。仕事で会うことなどないはずであると、小学生の清四郎でさえ知っていた。


 ——では一体、仕事を抜け出して、彼らは何をしているのだ?


「何、してるんだろ……?」

 思ったことをそのまま口にすると、英三郎が疑問符付きで答える。

「……デート?」

「まさか」

 即座に否定したものの、咄嗟に、清四郎も同じ事を思い浮かべていた。


 そんなわけがないとは思うのだけれども、ガラスの向こう側で談笑する彼らは、家で見る二人の姿とはまるで違っていて、なんというのだろう、いつもと醸し出す雰囲気が全く違う。余所者を受け付けないような、そんな雰囲気を醸し出している。二人だけの世界、というやつだ。

 だからといって「デート」と決めつけるのは、あまりにも安直な気もしたが、小学生中学生の彼らの想像力では、それが限界であった。

 それに、仮にデートでなかったとしても、残業をしてくるからと子供達を欺いてまで、二人で逢い引きする理由が全くわからない。


「あ、立った」

 英三郎がぼそりと呟いた。

 言われて清四郎もガラスの向こう側を見やると、店の中にいた二人が立ち上がったのがわかる。どうやら店を出ようとしているようだ。

 英三郎と清四郎は慌てて近くの小道に身を潜め、父たちから見えないように、姿を隠した。

 二人ともに固まってしまって、動けない。とにかく見つかるものかと息を潜める。

 商店街の道に戻るタイミングがつかめずに、兄弟二人でただただ目を合わせた。

 こんな時に、気の利いた台詞の一つでも言えればよかったのに、言葉は何も出て来ない。それは英三郎も同じのようで、二人はそこから一歩も動かずに沈黙した。



 それからどれくらい経った頃だろうか。

 とてつもなく長い時間にも感じたが、実際には一分やそこらだったのかもしれない。

 小道に二人で立ち尽くす姿を、道行く中年夫婦に奇妙な目で見られたりもしたが、気にはならなかった。

 長い長い沈黙の後、ようやく口をついて出た言葉は、

「どうしよう」

 とてつもなく頼りなくて。

 そもそも、何に対して「どうしよう」という問いかけをしたのか、それすら不明だ。

 だが、気持ちだけは伝わったらしく、隣の英三郎が「どうしようもねーだろ」と答えてくれた。そしてやはり、何の解決にもならない。

「みんなに……言った方がいいのかな」

「何を」

「何って……」

「黙ってた方がいいんじゃね」

 兄英三郎は、自分の中の緊張を解くように、深く息を吸った。そして、思い出したように負傷した左肩に手をやって、痛むのだろうか、さすっている。

「わざわざ言うようなことじゃないかもしれないし……それに、みんなに変な誤解させちゃったら面倒だし」

「だったら誤解させないためにも、お父さんたちに直接聞いた方がいいんじゃん?」

「なんて聞くんだよ」

「それは……わかんないけど」

「あんまり口挟まねえ方がいいだろ。俺らに知られたくねえことかもしれないじゃん」

 清四郎は、言葉に詰まった。


 それはつまり、親が子供には知られたくないような何かをしているということで、それが何であれその事実自体がショッキングである。

 それならいっそ問いつめてやりたい気もしたが、清四郎にも「知られたくないこと」はあるわけで、それを考えると気が引けた。


 と、まるで思考がシンクロするかのように、隣にいる兄が、同じことを言う。

「俺にも知られたくないことって、あるしさ」

 清四郎はきょとんとして、兄を見上げた。

 この野球一筋で他のことには脳みそを仕えない英三郎が、何を知られたくないというのだろう。

 と、いう彼の疑問に答えるように、英三郎は自分の負傷した肩を指し示す。そういえば「きー姉には黙っといて」と彼が言っていたことを思い出した。しかし彼の場合、「知られたくない」の程度があまりにも低いような気がした。

 清四郎は大きく息を吐く。

「いーよなー、英くんは能天気で」

「あ?」

 不機嫌そうに睨みつけて来た兄には言葉を返さず、清四郎は商店街の道へと足を踏み出した。

 さすがにもう父達もいないだろうと読んだ通り、そこに彼らの姿はもうない。

 ほっと胸を撫で下ろして、清四郎は時計を見やった。いつのまにか時間が大分過ぎてしまっていたようである。

「やばっ、そろそろ行かなきゃ……」

 そう言って、清四郎は英三郎に別れも告げず、慌てて商店街の道を駆け出した。英三郎も特にわざわざ清四郎に別れを告げることもなく、自分の帰途にと着いたようだった。

 やばいな急がなきゃ、と清四郎は人通りの多い商店街を走り抜けた。

 本当ならとっくにスーパーに辿り着いて、買い物を済ませていた頃である。とんだ邪魔が入って、時間を食ってしまった。早く用事を済ませて帰らなくては、そろそろ見たい番組の始まる時間だ。


 脳裏に何度でも蘇る父親達のことは、見たいテレビ番組を思い浮かべることで、考えないようにした。

 そうでなくとも清四郎には悩みが多いのだ。

 この上、親のことなんぞで、頭を痛めたくなどない。


 米沢家の末っ子四男坊、米沢清四郎は、家族にさえ必死に隠して人知れず、悩みを抱えていた。

 それを彼はたった一人で孤独に抱えて、これからしばらく先まで悩んでいく羽目となるが、それはまた、後の話である。


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