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隣人・瀬田貴恵の場合  作者: askaK
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12、隣人・瀬田貴恵と嘘吐き次男坊

 貴恵と伶二郎の二人が疾走する足を止めたのは、校門から外に出て、歩道を駆け抜けて、校門が見えなくなる位置まで来てからだった。


 貴恵は帰宅部ではあるが、女子にしてはそこそこ体力に自信のある方ではある。とは言えさすがに、体育祭の後に荷物を持っての全力疾走はなかなか辛い。貴恵は酸素を欲してげほげほと思わず咳き込んだ。

 隣で足を止めた伶二郎は伶二郎で、息を切らしながら額の汗を拭っている。

 ぜえぜえと二人で荒く息を吐き出しながら目を合わせ、思わずどちらからともなくぷっと噴き出した。体育祭の後、疲れきった体で全力疾走するなんて、バカみたいだ。

「……ごめん、伶二郎。助かった」

 ふう、と息を整えてから姿勢を正すと、貴恵はアスファルトの上を今度はゆっくりと歩き出した。もう走る必要はない。

 その隣に並んで貴恵のペースに合わせて歩き始めた伶二郎は「なんのなんの」と笑う。

 当然、どこかに寄る予定などはないわけで、二人の足は自然と自宅へと向けられた。

 いつもは学生で溢れている通学路にも、今はまだ人が少ない。

「また先生に仕事押し付けられそうになったんだね、きー姉」

 言って、伶二郎は汗の滲む顔をにこりと微笑みに歪めた。察しのいい奴は本当に助かる、と貴恵は心から感謝する。

「そ。ほんとあの人、あたしのこと下僕か何かと勘違いしてんじゃないのかな」

「それだけ頼りがいがあるってことだよ」

「勘弁してよー……伶が来なかったら、また仕事押し付けられてたわ」

「お役にたてたようで、よかったです」

「……本当、あそこ通りがかったのが伶で助かった」

「実際は、俺なんて何もしてないけどね」

「口裏合わせてくれたじゃん。もしこれで通ったのが桂一郎だったら、悲惨だったよ」

「あー確かに……桂兄だったら、二人で一緒に手伝う羽目になってそう」

「ほんと、そう思う。あいつはバカだからねー。まあよくいえば正直ってことだけど」

「あはは、そうだね。俺は嘘吐きだから」

「時には嘘も吐けなきゃ! 桂一郎みたいのはただの馬鹿っていうの!」

 貴恵は言って、笑った。

 米沢家の長男桂一郎は、馬鹿正直なところが長所であり短所だ。クラスの誰もが本気を出さない綱引きで本気になってしまうような、咄嗟に嘘など吐けないような。それが彼、米沢桂一郎という男である。

「桂兄はほんと正直者だからね。でも馬鹿っていうほど馬鹿じゃないでしょ」

「いや、馬鹿だよ、ばか」

「そうなの?」

「この前の抜き打ちテストの結果、伶にも見せてやりたいわー。抜き打ちとはいっても、あれはひどすぎる!」

「テストの結果なんて、本当にその人が頭いいのかどうかの基準になんて、ならないでしょ」

「まあねー……みー姉とか昔から成績は良かったけど、なんかところどころおバカだもんね」

「……そう?」

「うん、そう。みー姉もある意味桂一郎タイプ。馬鹿正直で、絶対嘘とか吐けないんだから」

 それに関して伶二郎は「へえ」と答えただけだった。桂一郎の話には食いついて来たくせに、姉の都の話にはあまり興味がないらしい。

 伶二郎らしくないなぁと思った。彼はこよなく人間が全て好きだ。誰の話をしたって食いついてくるのに、と思う。


 と、ここで、ふと、貴恵は昼間クラスメート達が交わしていた会話のことを思い出した。

 ――伶二郎くん、さっきグラウンドの端っこで、キレーな人と話してた。

 その相手は誰なのか、未だに謎に包まれたままである。


 この前学校に傘を届けにきたという姉ではないかとクラスメート達は予測をたてていたが、その姉、都は早朝に急いでどこかへ出かけていったはずだった。弟たちは「デートだ」と騒いでいたが、その実際のところはわからない。とは言え、まさか高校の体育祭を見るために家を出たわけではなかろうが、その可能性もゼロではないので、とりあえず、聞いてみることにした。

「そういえば……伶二郎、今日学校でみー姉に会った?」

 すると、聞かれた伶二郎の方は、はて、と首を傾げている。

「いや……? 会ってないけど、なんで?」

「うーん……別に大したことじゃないからいいや」

 やはり、人違いだったようだ。

 伶二郎の言葉を信じて疑わない貴恵は、鞄を肩に背負いなおすと、隣の男を一瞥した。

(みー姉じゃなかったのか……じゃあ、誰だろ)

 隣の男は、鼻筋の通る整った顔立ちで、何を考えているのかわからない綺麗な笑みを浮かべていた。

 恋人なんて望めばいくらでも作れそうなのに、「ただの女友達だ」と言って、決して恋人を作らない彼は、今日、一体誰と話していたのだろう。

 ――そう思ったのは、興味本位からか、何なのか。

「……伶は、好きな人とか、いるの?」

 遠慮がちに問いかけたためか、声のトーンが思いのほか低くなった。

 その言葉が声になり、空気を振動させて、自分の耳に届く。


 自分の耳に届いてその言葉の意味を理解すると、貴恵は何故だか後悔した。

 何故だろう、貴恵はこれを聞いたことを、とても後悔したのである。


 伶二郎は瞬時には答えなかった。吃驚したように目を丸くして、だがすぐにその綺麗な目を伏せる。それから、貴恵の声のトーンに合わせるかのように低く、小さな声で、答えた。

「――いるよ」

 伶二郎は小さな声ではあるが、はっきりと、そう言った。


 ああ、やっぱり、ほら、思った通り。

 いろいろな言葉が貴恵の頭の中を駆けた。


 伶二郎と誰かが話しているのを見たというクラスメートは、「お似合いだった」と言った。貴恵はその相手を見た事もないけれども、校内のアイドルにはお似合いの相手なのだろう。想いが通じているのかどうかは定かではないが。


「そっか、だから、あんた、今まで女の子に言いよられても、友達になるだけでお付き合いはしなかったのね。で、その人とは? ちゃんと付き合ってるの?」

 クールでミステリアスな伶二郎は、女の子からの人気も生半可なものではないけれども、どうやら一途なところがあるようだ。

 きっと、その本命の女の子のために、他の女の子に深入りはしないと決めているのだろう。

 貴恵はそう思ったのだが、伶二郎の答えは、暗い。

「付き合っては、ないよ……」

「あ……そうなの? じゃあ、これから?」

 くす、と伶二郎は寂しげに笑って首を横に振った。

「ううん……一生、無理。俺は、その人とは絶対に付き合えないから」

 どことなく哀愁漂う彼の微笑みは、今まで一度も見たことのない妙な色気を醸し出しており、貴恵の背筋を粟立てた。


 一生無理とはどういうことだろう。どうしてその人とは絶対に付き合えないのだろう。

 疑問はいろいろ浮かぶものの、これ以上詮索するのも気が引けて、貴恵は「そう」とだけ呟き、口を噤んだ。

 やはりこの次男坊はとても不可解だ。他の兄弟と違って、時折調子を狂わせられる。


 伶二郎が他の兄弟と最も異なる点は、十四の春、つまり中学二年生の春までほとんど家にいなかったことであった。母親と二人で七年間の田舎暮らしを続け、兄弟たちと会うのも年に数度程度でしかなかった。そのため、何でも知っている他の兄弟たちとは違って、まだわからないことも多い。だって、彼とはまだ付き合いが浅いから――。


 そこまで考えて、いや、違うな、と貴恵は心の中で否定した。

 人を理解するのに必要なのは、おそらく年月だけではない。ある程度はもちろん時間も不可欠ではあるが、すでに二年以上共に過ごしているのだ。彼を知り得るには十分な時間を経ていると思う。

 では一体、何が、伶二郎の内面を覆い隠すのか。


「――きー姉?」

「へ?」

 唐突に話を振られて貴恵は気の抜けた声をあげた。

 それを受けて、伶二郎は可笑しそうに首を竦めている。

 さきほどの哀愁漂う妙な微笑みは、もう浮かべていなかった。

 いつも通りの彼の表情に、貴恵はほっと胸を撫で下ろす。

「ごめん、ぼーっとしてた。なに?」

 そう問いかけると、「だから」と伶二郎は貴恵が聞き逃したのであろう質問を繰り返す。

「きー姉はどうなの、って」

「ん? なにが?」

「だから、好きな奴。きー姉はいないの?」

「は、あたし?」

 素っ頓狂な声をあげた貴恵に、ますます伶二郎は笑った。

「きー姉だってとりあえず花の女子高生だろ」

「とりあえずってなによ」

「だってきー姉、女子高生らしい生活とは程遠いもんなぁ」

 それは確かに、貴恵は高校よりも家事や家族のことを中心においた生活を送っている。いわゆる一般の女子高生と比べると、奇妙な生活を送っているという自覚はあった。

 とは言え、「とりあえず」などと修飾することはないだろうに、と貴恵は不服に思って口を尖らせる。

「仕方ないでしょ。家族の栄養管理、体調管理が私の担当なんだから。だれがカッコいいとか、だれとだれが付き合ってるらしいよとか、そんなことにうつつを抜かしてる場合じゃないっての」

「だろうなー。でも、いいわけ?」

「何が」

「きー姉はさ、他の子みたいに服買いにいったり、お洒落したり、女の子たちと遊びに行ったりもしないじゃん? お小遣いももらったところで自分のためには使わないで、毎日毎日台所に立ってさ。それでいいわけ?」

 それはもちろん、と言いかけて、しかし、その後に言葉が続かなかった。

 貴恵は言葉に窮する。

 そんなことを考えたことなど、なかった。

 いつの頃からか、貴恵にとって台所に立つことはあまりにも当然のことになっていたし、それに関して不満などない。と言うより、台所にも立たず、可愛らしい流行の服を着て、街を女の子たちと闊歩する自分など想像もできなかった。それは恐らく、自分ではない。

「いいも、悪いも……お洒落して遊びまくってる私なんて、おかしいじゃない」

「そう? 別におかしくはないと思うけど」

「……ありえないでしょ。別にいーんだよ。私だって服買うより食糧買って、料理してる方が楽しいんだから」

 二人の足が、マンション下の坂道にさしかかった。散々運動をした後の体にこの坂は堪える。普段なら、見ただけで辟易としてしまうところだが、今は坂を登っていることさえ忘れていた。

 自分よりも大股で、前へと進んで行く背中を見上げ、彼がぽそりと呟いた声を、拾う。

「ふーん……きー姉は、偉いね」

 そんなことはない、と口の中で声にされずに空回りしていく台詞。

 「偉い」と言った伶二郎のその心が、読み取れなかった。

 「きー姉は」と言うその口ぶりが、まるで誰かと比較しているかのようで、冷たくも聞こえるその台詞は他人事のようで、そしてとても、投げやりだ。

 伶二郎は伶二郎なりに貴恵のことを称賛してくれたのだろうけれども、褒められた気にはちっともならなかった。やはり、彼の考えていることはわからない。


 二人は夕焼けに染まり始めた空の下を、ゆっくりと登って行った。

 この坂を登れば、すぐに彼らの住まうマンションだ。

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