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隣人・瀬田貴恵の場合  作者: askaK
11/39

11、隣人・瀬田貴恵の体育祭

 人間という生き物は、どうしてだろう、他の動物達を見下す傾向にあるが、果たしてそんな権利はない、と貴恵は時折思う。例えどのような文明を手にしたところで、いわゆる動物的な感情はしっかりと根付いており、容赦なく人の心の中で暴れ回るのだ。それは人間の持つ「理性」をいとも容易く破壊して、人間を獣の性へと引き戻す。――その最たる物が、恋愛感情というやつだ。


 一年C組45番、米沢伶二郎の人気は、全校生徒の集まるこの体育祭において、浮き彫りとなった。

 貴恵は半ば辟易した気持ちで、米沢家の次男坊の活躍を見守っていた。

 伶二郎がグラウンドに降りるたびに、一部の女子の群衆から、黄色い歓声があがる。人の噂の力というのは凄まじく、その人間の価値を簡単に上げ下げしてしまうものらしい。最初に奴のことを「カッコいい」などと言い出したのは誰だったのだろう。今では学校のアイドルだ。

 ―—中学生の頃は少し女の子にウケがいいかな、程度だったあの小童が、まさか学校を揺るがすアイドルになろうとは。

 貴恵は、ひたすら乾いた笑いを浮かべていた。


 中でも、伶二郎がクラス対抗リレーに出場した時の歓声は、甚だしいものであった。

 綺麗な顔に薄い汗を浮かべて、ダサいと言われがちな学校指定のジャージもすらりと着こなし、選抜のリレー選手にのみ許された鉢巻きを巻いて現れた伶二郎に、女子の群衆がざわつく。

 そして、三番走者であった彼がバトンを受け取るなり、一気に二人抜きをした瞬間、ギャラリーの放つ熱は最高潮に達した。

 しかし、リレーとはそういうものだ。敵を抜いて順位を上げた英雄は、伶二郎の他にもいたはずである。

 が、女たちは彼らには軽い声援をかけるだけで、伶二郎に浴びせたような黄色い歓声は全く聞かせてやらなかった。

 女共は全くもって薄情である。


「もー……本当に伶二郎くん、カッコいいね! 貴恵っ!」

 たまたま隣に座っていた女子生徒に同意を求められ、クラス指定の応援席に座っていた貴恵は、即座に言葉を返すことができなかった。

 えーと、と思わず口籠る。しかしその女子生徒はキラキラと目を輝かせて、貴恵に「そうだね」と言ってもらえることを期待しているようだ。

 はっきり言って、同意を求める相手を間違えている、と思った。

 他の弟たちと比べれば、二年、と一緒に過ごした期間こそ短いが、それでも伶二郎は貴恵にとっては弟のようなものである。どうして弟のことを、アイドルのように褒め讃えられるだろう。

「いやー……別に?」

「なんでー? カッコいいよー」

「まあー……じゃあ、いいんじゃない?」

 なんと答えて良いやら言葉に迷い、貴恵は肯定とも否定ともとれる曖昧な返答をひたすら陳列させた。

 いつのまにやらクラス代表リレーは終了しており、次の競技、綱引きが始まったところだ。

 グラウンドを見やれば、桂一郎を含めた二年男子が懸命に綱を引っ張り合っていた。だというのに、応援席では皆が皆、自由勝手に私語などしており、誰もグラウンドを見ていない。

 「不公平」とはこういう時に使うべき言葉である。貴恵はそう思った。

 貴恵のクラスの応援席では、リレーを終えてグラウンドから帰ってきた伶二郎を遠目に眺めて一部の女子生徒たちが、きゃあきゃあと騒いでいる。

 貴恵は気まずいその空間をなるべく自然に抜け出して、綱引きに励む可哀想な男たちを応援することにした。が、嫌でも女子生徒たちの甲高い声は耳に届いてしまう。

 よく飽きないなと、半ば感心した。


 貴恵とて、伶二郎が艶福である、つまり、モテる理由のわからないわけではない。

 いつだったか生物の授業でも習ったが、人間の体に原始の頃からあるDNAは異性の優れた遺伝子を本能的に求めるのだという。

 伶二郎は顔のパーツや頭の良さ、運動神経など、優れた点を多く持っている。実は体力がないなど、隠れた欠点もあるにはあるが、そんなものは数多の長所に隠れて気にならないのだろう。

 そもそも、彼女たちは本気で彼に恋をしているわけではない。女として本能的に、彼に魅力を感じているというそれだけなのだ。


「――そういえばさあ、さっき、私見たんだけどー」

 一人の女子生徒が、コンビニかどこかで買ってきたのであろうスナック菓子の袋を開封しつつ、言った。

 昼休み以外の食事は禁止されているのだが、教師もほとんど黙認している。「見つけたら取り上げるぞ」とは言われたが、それはすなわち「見つからなければ食べてもいい」ということなのだろう。

 女子生徒は開封したスナックを一つ食べて隣の女子生徒に回すと、続けた。

「伶二郎くん、さっきグラウンドの端っこで、キレーな人と話してた」

 なになに、と他の女子生徒たちが好奇心たっぷりに身を乗り出す。

「え、なに? 彼女?」

「いや、わかんない。ゆるふわパーマかけた背ぇ高い美人」

「あ、それ、この前来てたっていうお姉さんじゃん?」

 丁度そのタイミングで貴恵のところにスナック菓子の袋が回って来た。もわらないのも気が引けたので、仕方なく、受け取る。

「貴恵……伶二郎くんのお姉さん、今日来てるの?」

 女子の軍団の視線が一斉に貴恵の方に向いた。

 一連の会話を意図せずとも聞いてしまっていた貴恵は、彼女たちの好奇心に満ちたその視線を受けて、渋々、会話に参加した。

「みー姉? ……でもそのお姉さん、今日はデートか何か予定があるらしくって、朝忙しそうにしてたけどなぁ」

「へえ? じゃあ来てないの?」

「わかんないけど……来るとは言ってなかったと思う」

「そっかぁ。じゃあ誰だろ……すっごい声かけにくい雰囲気でさ。二人きりの世界ってかんじだった。美男美女でお似合いだったし。貴恵、心当たりないの?」

「さあ……知らない」

 貴恵は首を竦めて、スナックの袋を隣に回すと再びグラウンドの方へと向き直った。

 同時に、ピーッとホイッスルのけたたましい音が鳴り響く。丁度、綱引きが終了したようだ。

 どうやら、貴恵のクラスが負けたらしく、桂一郎を含めた男子生徒が数人グラウンドの上にひっくり返っているのが見えた。

(みー姉のデートの次は、伶二郎も女の子と密会か……なんかみんな秘密主義だなぁ)

 別に絶対打ち明けてほしいってわけじゃないけど、と自分に言い訳しながら、もらったスナックを貴恵は口の中へと放り込む。塩っぽい市販の菓子の味がした。

 いくら兄弟だからと言って、家族だからと言って、何でも話す必要のあるわけではない。特に都も伶二郎も、どこか風変わりなところがある。あの二人に限っては隠し事などいくつあってもおかしくはないように思えた。――それに、そもそも、貴恵は彼らと本当の家族ではない。

 今更ではあるが、それを考えると少しだけ寂しいような切ないような、妙にナーバスな心地になった。

 普段は血の繋がりがなんなのよ、と気丈に振る舞ってはいるものの、実は自分が米沢家とは他人であるというのは覆しようのない事実である。今まで十七年間、本当の家族のように一緒に過ごしてきたけれど、彼らと自分は、戸籍上は、赤の他人だ。

(そんなの……今更気にしたところでどうしようもないけど)

 貴恵は軽く気落ちしながら、グラウンドの土を睨みつけた。本当に、気にしたところでどうしようもないことである。


 と、貴恵が物思いにふけっていると、不意に、周りが騒がしくなった。

 負けた負けた、と数人の男たちの喧しい声が、応援席の中に響き渡る。

 はっと我に返り、貴恵が顔をあげると、どうやら綱引きを終えたメンバーが応援席に戻って来たようだった。十数人の男子生徒がわいわい言いながら自分の飲み物を探してその場に腰掛ける。途端、応援席は一気にむさくるしくなった。

 戻って来たほとんどの男子生徒はダルそうに、「なぜ高校生にもなって綱引きなんか」と言わんばかりに辟易している。彼らはおそらく本気で綱を引っ張ってなどいなかったに違いない。

 その集団の中で唯一、米沢桂一郎だけが、腰に手をあてて呻いていた。それは、本気で綱引きをしたという証拠とも言える。

 桂一郎は、「お前本気出し過ぎ」とまわりの男子に笑われ茶化されていた。朝家を出る時には「綱引きは嫌だ」などとほざいていたくせに、いざ本番を迎え、一人でテンションが上がってしまったらしい。


 そんな桂一郎の姿を遠巻きに見ていると、自然と、口元に笑みがのぼった。

 ふふ、と貴恵は堪えきれずに、笑う。

 それが何故なのか、理由はわからないけれども、先ほどまでのナーバスな心地は一気に吹き飛んだ。笑わずにはおれない。ばかだなぁ、本当に、ばかだ。心の中で何度も「ばか」を繰り返す。


 ふと、男子の輪の中にいる桂一郎が、こちらを向いた。貴恵も彼の方を見ていたため、自然と二人の視線が交差する。

 貴恵と目があうと、桂一郎はわざとらしく顔をゆがめて「腰痛ぇ」と自分の腰を示した。

 貴恵は声にはせずに、口だけを動かして「ばーか」と胸の内を正直に告げてやった。

 声にはならなかったその言葉を、だが、桂一郎はしっかりと読みとったらしく、「うるせえ」とやはり声にはせず口をぱくぱく動かすだけで返してくる。

 貴恵はにんまり笑った。


 先刻まで気落ちしていたことなど一気にどうでもよくなって、貴恵は勢い良く立ち上がる。次の種目は貴恵の出場するムカデ競争だ。そろそろ出場者として、準備をしなくてはならない。

 ぴぃ、とホイッスルの音がグラウンドに鳴り響き、ムカデ競走出場者の招集がかかった。

 一丁やったるか、と貴恵は意気込んで応援席から踏み出す。

 嫌々立ち上がる他の女子生徒たちとは異なり、貴恵のやる気は満ちあふれんばかりだ。せっかく競技に出るのなら、嫌々やるより全力で興じた方が楽しいに決まっている。そして桂一郎にも負けないくらいに本気を出して、奴と一緒に明日は筋肉痛で苦しもう。貴恵はそう心に決めた。

 秋の鱗雲の下、グラウンドは爽やかな陽気に包まれている。




 ――そして、あっという間に体育祭は終わり、結果、貴恵のクラスは完敗だった。


 だからといってどんな感慨のこみ上げてくることもないが、後味は決して良くなかった。

 高校生にもなって体育祭の勝敗を気にするわけでもないのだけれども、それでも負けるよりは勝つ方がいい。

 しかも、貴恵の災難は、それだけではなかった。

 なにかと学級委員である貴恵に厄介事を押し付けてくる担任教師が、体育祭の終わるなり、貴恵の方を向いたことを、貴恵は見逃さなかった。体育祭委員でもないというのに、担任は貴恵に片付けを押し付けようとしているに違いない。

 そのことに気付いた貴恵は、今回こそはなにがなんでも押し付けられるものかと、苛立った気持ちで更衣室へと飛び込んだ。なるべく早く着替えを終わらせて、担任に見つからないように、早急に逃げ出さなくてはならない。


 そんなわけで、他の誰より素早く着替えをすませた貴恵は、クラスメートたちに別れを告げて、力強く廊下を蹴り飛ばした。

 徒競走の時でさえ、こんなに懸命には走らなかったかもしれない。とにかく担任に見つかる前に帰らなくては、とそればかりが頭の中を駆け巡った。

 革靴がぱかぱかと軽快な音をたてる。次の角を曲がって正面玄関を下れば校門だ。出口はすぐそこだった。

 よし、これで逃げられるぞと貴恵は油断した。その油断がいけなかった。

 正面玄関を下ってグラウンドに下りたその瞬間に、なんと運が悪いのであろう、そこに立っていた担任教師に出くわした。

「おお、瀬田、丁度良かった」

 最悪だ、と思う。気付かぬふりをして、逃げ出してしまいたくなった。

 が、あからさまな無視をして、そのまま駆け抜けていくことはできず、嫌々ながらもその場に足を止めるしかない。

 なにが丁度良かった、だ。此処で待ち伏せしてたんじゃないのか、と勘繰る貴恵を前に、担任はとても満足そうにしていた。

「今、グラウンドの方で片付けをしてるんだ。お前学級委員だろ、手伝ってくれ」

「いや、でも、私、体育委員じゃないので……」

「学級委員なんだから、手伝ってくれてもいいだろ、ほら!」

 この教師は、学級委員を雑用係か何かと勘違いしているのだと思う。

 他のどのクラスを見たって、学級委員が体育祭の手伝いをしているクラスはない。

 別に手伝いをやらされるのが嫌というわけではなかったけれど、こうも毎度毎度雑務依頼を聞いているから、この教師が図に乗るのだ。今回もまた引き受けてしまったら、次回も厄介事を押し付けられるに決まっている。

 貴恵は心を鬼にして、今日という今日は、引き受けずに帰ることを決めていた。

「でも、私、急いでますので……」

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから!」

 悪質な勧誘の手口じゃないんだから、と思うが、突っ込んでいる暇はない。

 逃げようとする貴恵の前に回って、担任の腕の中にある赤いコーンが無理矢理渡されそうになった。担任は担任で、必死である。そこまでして貴恵に仕事を押し付けなくてもいいではないかと思うものの、このままでは職権乱用にさえ踏み出しそうな勢いだ。

 なんとか逃げ出す方法はないだろうかと貴恵は必死に考えを巡らせた。

 と、その時である。

「……きー姉?」

 とてもタイミングよく、聞き覚えのある声がした。

 生徒のほとんどが体育祭も終わったばかり、まだ着替えている途中のはずである。それなのに、この男子生徒は貴恵と同じくらいの素早さで、帰り支度をすませたらしい。

「伶二郎!」

 正面玄関を通り、今から帰宅の途に付こうとしていたのだろう、それは貴恵にとっても弟のような存在、米沢家の次男坊・伶二郎であった。

 体育祭での活躍により、アイドルと化した彼であるが、逃げるために使えるものは使うしかないと思った。彼と一緒に帰りたい女子生徒はたくさんいるだろうけれども、今日だけはごめんなさいと彼女たちに心の中で謝罪する。

「伶二郎ってば、何ぼーっとしてんの、急がないと遅刻しちゃうよ!」

 適当なことを言い繕って、貴恵は次男坊の腕を引っ張った。

 当然、貴恵は伶二郎と何の約束もしていない。どこに行く予定もないのに遅刻も何もあったものではないのだが、これが貴恵にできる精一杯咄嗟の逃げ方であった。

 そして幸いなことに、この男は、こういう時にとてつもなく察しがいいのである。

 突然の貴恵の演技に、伶二郎は少しだけ瞬いたが、焦ったような貴恵の表情と、その後ろに控える担任の姿を見て、なんとなく状況を飲み込んだようだった。

「……うん、ごめん。急いだんだけど……これから走ればたぶん、間に合うよ」

 彼は白々しく言ってのける。

 貴恵は口裏を合わせてくれた伶二郎に心の中でひたすら感謝して、がくがくと首を激しく縦に振りつつ頷いた。

「うん、じゃあ行こう――先生、また来週! さようなら!」

 ぺこっと頭を下げて、貴恵は元気よく校門へ向かって走り出した。その後ろで伶二郎も教師に挨拶をすると、貴恵の後を追う。

 あたかも二人でどこかに急いでいるかのように演じながら、彼らは正面玄関からグラウンドを全速力で横切った。

 まだ体育祭の余韻に浸ってグラウンドでのんびりしている生徒が数人、こちらを見る。全力疾走していく二人を見て、彼らは興味深そうに何かを言うが、その内容までは聞き取れない。


 そして二人は走り続けた。演技をする必要のなくなるまで、走って走って、走り続けた。

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