第七話 はじめの一歩
第七話 はじめの一歩
暗雲立ち込める洗礼の間。そこは気絶した人間が重なり合って横たわり、ステンドグラスはひび割れ、凄惨な状況に陥っていた。
その部屋の中央で魔王と混沌たる神、ヘカテ・メンリは睨み合っていた。あたりの空気は張り詰め、時折火花を散らしている。魔王の顔は険しく、額から汗が滴っていた。
「なにゆえにここに現れたのだ?」
魔王は重い口を開くと、至極穏やかな口調でそう言い放った。それを聞いたヘカテ・メンリは目を細めてけらけらと笑う。
「なにゆえかって? あなたが面白そうだからねえ、加護してあげようと思って。ただそれだけ、他意はないわ」
「ほう……」
魔王は少し驚いたように言った。そしてヘカテ・メンリの顔を見る。その顔は背筋を凍らせるような笑みを浮かべるばかりだ。
「他意はないようだな」
「ええ、わかったくれたようね。それじゃあ形式に乗っ取りまして……。汝は力を望むか?」
ヘカテ・メンリはからかうようにそう言った。すると、魔王も目元を歪めて、その称号に相応しく不敵に笑う。
「ああ、望もう」
「よろしい、では汝に我が力の一部を与えん」
ヘカテ・メンリは他の神に似せたのか、重々しく威厳のある声でそう告げると去っていった。その存在感が空気に溶けるように消え、魔王の背筋が緩む。
だが次の瞬間、魔王の身体に激痛が襲来した。熱い物が皮膚の下や筋肉の中をうごめくような強烈な痛みと、果てのない違和感が魔王を襲う。しかし、魔王は無表情で眉一つ動かさない。痛みで騒ぐようなことは、彼の魔王としての矜持が許さなかったのだ。
「……ふう。収まったようだな」
魔王にとって長い時間が過ぎたところで、ようやく身体の感覚が正常に戻った。その時、魔王の顔がわずかだがやつれたように見えたのが、洗礼の儀式の凄まじさを物語っていた。
水晶が光った。白い光が魔王の周りだけでなく、洗礼の間に満ちていく。すると、時が逆行していくように洗礼の間がもとに戻っていった。ステンドグラスのひびが治り、気絶していた人間たちが目を覚ます。
「終わったようだな、どれ……」
魔王は手を握ったり開いたりして身体の具合を確かめた。さらに、指先から小さな炎を出して魔力の具合も確かめる。すると、わずかではあるが力や魔力が増えていたのがわかった。どうやら、これが混沌神の加護の効果であるようだ。
「むう、儀式が終わったのならば早く魔法陣から出て。後が詰まっているわ」
シアが魔法陣の中から出てこないに魔王に言った。冷静でそつのない物言いは、さきほどのことなどしらないようである。どうやらヘカテ・メンリが気を効かせて記憶を改竄したようだった。それは他の人間も同様のようで、魔王は騒ぎにならなくてほっと息をつく。
「早くと言っているわ……」
「すまない、考え事をしていたのでな」
魔王はシアの冷たい声に、足早に移動した。そして、前に通った道を通ってシェリカのいる場所まで戻っていった。
「あっ、お帰り。結果はどうだった?」
通路の扉を開けると、早速シェリカが声をかけてきた。心配で待っていたようだ。魔王はその様子に苦笑いを浮かべる。
「それなりと言ったとこだった」
「はあ、それなりってあんた……。まあいいわ、ちゃんと加護されたみたいだし。……じゃあこれから迷宮へ行くから、あんたのカードを見せてくれない?」
シェリカは頬を膨れさせると、魔王が手に取っていたカードに視線を向けた。魔王はその行動に、変な顔をしてカードを背中の後ろに隠す。
「どうして見たいのだ? そなたには関係あるまい」
「関係ない訳ないでしょ。これから一緒にパーティーを組もうと思ってるんだから」
シェリカは腰に手を当て、ビシッと言い放つ。魔王はそれにきょとんと固まった。シェリカがどうしてそんなことを言うのか彼にはわからなかった。
「パーティー? どうして?」
「はあ……あんたもシーカーで私もシーカー。それで同居してる。さらにお互いにソロで仲間募集中! これでパーティー組まないなんてなかなかありえないわよ」
「……そういうものか?」
「そういうものよ!」
魔王はふうむと考え始めた。顎に手を当て、思考をめぐらせる。知識のない魔王にとってシェリカの知識は魅力的だった。だが、シェリカは足枷となりかねない。
しばらくして魔王は顔を上げると、見定めるような目でシェリカを見た。そして、軽いため息をつく。
「素質はあるな。ついて来るぐらいなら出来るか」
魔王はシェリカには聞こえない小さな声でそういうと、カードを改めて出した。そして、険しい顔であらかじめシェリカに注意しておく。
「シェリカ、何が書いてあっても騒ぐなよ」
「そんな、別に騒がないわよ。はいこれ、私のカードよ。……ふふ、何が書いてあるのかな……」
シェリカは魔王に自分のカードを手渡すと、ワクワクした表情で魔王のカードを見た。そしてみるみるうちに固まっていく。そして次の瞬間……
「レベル五百に混沌神の加護! あんた、冗談は服装と行動だけにしなさいよ!」
固まっていたシェリカが爆発した。顔を赤く染め、炎のような勢いで魔王に詰め寄る。しかし、魔王は詰め寄ってきたシェリカを冷静に宥めた。
「騒ぐなと言ったであろう。落ち着け」
「騒ぐなって言われててもねえ、限度って物があるでしょうが!」
「騒ぎ立てたところで事実は変わらんぞ。落ち着くのだ」
魔王とシェリカのやり取りはしばらく続いた。だがとうとう、シェリカは怒鳴ることに疲れたのか肩をすくめて黙った。そしてまたしばらく経ってから口を開く。
「もういいわ。強いぶんには困ることはないし。では早速、今から家に戻って迷宮へ行く準備をしましょうか」
「そうだな」
こうして洗礼を終えた魔王とシェリカは、迷宮へ赴くべく一端家へと戻るのであった。
★★★★★★★★
陽光が街をあまねく照らし、腹を空かせた人々で街の店がいっぱいになる昼。迷宮都市の中央には今日も巨大なモニュメントのような石がそびえ、大きな影を作っていた。その影の中にある迷宮の入口に、二人のシーカがやってきていた。魔王とシェリカだ。
「昨日も思ったんだけど、あんたその格好で迷宮に入るつもり?」
シェリカは魔王の昨日から変わらぬその格好を指摘した。深紅のマントに黒い杖をついた魔王の服装は、どう見ても迷宮には向いてなさそうだったからだ。
ちなみにシェリカ自身は動き易さを重視した軽い革の鎧を着ていて、腰には剣を下げている。駆け出しのシーカーに良くあるスタイルだった。
「このマントと杖は共に最高級の品だ。これを超える装備などそうはない」
魔王は自信たっぷりにそう断言すると、杖を地面に叩きつけた。地面に敷かれていた石が割れ、深い亀裂が生まれる。
一方、杖の方はまったくの無傷だった。先端に付けられた繊細な装飾にもまったく変化は見られない。それが最高級の装備であることは明白だった。
「へえ、たしかに言うだけのことはあるわね。それなら装備に問題はないし、行くわよ」
シェリカは納得したようにそう言うと、迷宮の入口へと入っていった。魔王もゆっくりとその後に続いていく。
魔王がわずかながら緊張した面持ちで、迷宮に一歩を踏み出した。迷宮を守る結界は働くことはなかった。魔王はようやく、迷宮に入ることができたのだ……。