第六話 混沌神
第六話 混沌神
神殿の奥深くにある洗礼の間。円形の空間に太陽光が射し込み、正面のステンドグラスが色とりどりに輝いていた。その床には星をもした魔法陣が金色に揺らめき、その頂点に一つずつ水晶が置かれている。
少女が魔王をそこに連れて来た時、すでに先客が何人かいた。彼らは魔法陣の前に一列に並び、緊張した顔をしている。少女は魔王をその列の最後尾に並ばせると、こほんと咳ばらいをした。
「あそこの魔法陣で洗礼の儀を行うわ。もし位の高い神に加護をいただければ能力が上がるから精々よく祈っておくことね。あと、洗礼の儀はかなり痛いから気をつけること。……他に何か聞きたいことは?」
「特にないな」
「そう、じゃあ私は戻るわ」
用がすんだので神官の少女はさっさと魔王を残して帰って行こうとした。だがそこで、魔法陣の近くの椅子に座っていた神官らしき男が彼女を呼び止める。
「シア、そろそろ君の順番だ。戻って来なさい」
「むぅ……」
少女ことシアは頬を膨らませながらもしぶしぶ男の方へと歩いていった。そして男と入れ代わりで椅子に座る。彼女は仏頂面になりながらも仕方なく、仕事をはじめた。
「……今からは私、シアが洗礼を担当するわ。……それでは次の方、前へ」
「はい」
先頭に立っていたシーカーが魔法陣の中へと移動した。緊張からか足を引きずるようにゆっくりとである。そうして時間をかけて彼は魔法陣の中心へと到着した。すると、水晶球が青白い光を放つ。光はもやのように辺りをつつみながらも、やがて朧げな人型の輪郭を描いた。
「むむっ……」
魔王は急激に膨れ上がった神の気配に、思わず杖を手に取り身構えた。神がここに顕著しようとしているのだ。だが、神と戦うわけではないのですぐに構えをとく。
魔王がそうしている間にも、神はその姿を現した。ぼんやりとした光の塊がその輝きを増していく。
「汝は力を望むか?」
光の塊は心に染み入るようなずしりと重い声を発した。その問い掛けに男はただ頷くだけだ。
「では汝に我が力の一部を与えん」
神がそう告げると同時に、水晶から光が飛び出て男にぶつかった。すると男は顔を形が変わりそうなほど歪め、膝を屈する。身体全体から脂汗が吹き出していて、その息はすでに絶え絶えだ。
「うがああ! ぐおお!」
男は聞く人間の耳を引っ掻くような大きな悲鳴を上げた。ステンドグラスがじりじりと揺れ、シーカーたちはその苦悶に満ちた様子に顔を歪める。
男がもはや叫ぶ力すらなくなったところで、水晶の光が収まった。男はぐったりと血の気のない顔をして立ち上がる。すると、水晶から再び光が放たれ男を包み込んだ。男の顔色が赤く変わっていき、その手足に力が戻っていく。
「終わりよ。戻って」
男があらかた回復したところで、シアは男に声をかけた。男は魔法陣からゆっくりと出て行く。そして鎧の中からクランカードを取り出した。
「やったああ! 大地神アーシア様だあ!」
男はカードを見ると大声を上げた。その様子に周りのシーカーたちががやがやとどよめき始め、場が騒然となる。
「マジかよ。羨ましいなぁ、おい!」
「すげぇ、どんだけ神殿に寄付したんだ?」
シーカーたちは口々にささやきあい、さきほどの男に羨望の眼差しを送った。その一方で、魔王には何が起きたのかよくわからなかった。
「なんだ? おい、何が起きたというのだ?」
首を捻った魔王はとりあえず前にいたシーカーに聞いて見た。するとそのシーカーは魔王を田舎者でも見るような目でみる。
「大地神、しかも最高のアーシア様の加護だぜ。みんな驚いて当然さ」
「ふうむ、余にはいまいちその凄さがわからんな」
シーカーの男はハアとため息をついた。そして魔王の方に呆れたような視線を送る。魔王はその態度に不機嫌になるが、何も言わない。すると男は、何も言わない魔王に少し得意な顔をして説明を始めた。
「あのな、神にも格があるんだ。それで格の高い神が加護してくれればそれだけ強くなれるというわけなんだよ。え~と、確か大地神のアーシア様は五番目くらいに格の高い神だ。みんな羨ましくもなるさ」
「ほう、そういうことか。それでは逆に普通はどれくらいの格の神が加護をするものなのだ?」
「そうだなぁ……。人からの受け売りだが、三十位ぐらいが普通で十位の加護ともなるとなかなか受けられないだそうだ。そんで、三位以上となると歴史上に一人しかいないらしい。そいつの名前はジーク・アルハルト。あの有名な聖銀騎士団の創始者だな。まあもっとも、大昔の人間だから誇張されてるんだと俺は思うがな」
男は一息にこれだけのことを言うと、魔王にどうだ、とでも言わんばかりの顔をした。魔王はそれに素直にほうほうと頷く。すると男は気分が良かったのか、笑いながら再び前を向いた。
それからしばらくの間、特に大したこともなく洗礼は進行していった。そして、前の男も洗礼をすませてしまい、とうとう魔王の順番がまわってくる。
「次の方、前へ」
シアの呼び出しに従い、魔王は魔法陣の中心に立った。すると、水晶が不気味に紫に染まる。その様子にシアやシーカーはいぶかしげな顔をした。
「うーん、こんな色になるなんて……珍しいわ。面白い……」
「おいおい、ありゃやばくねえか?」
「まがまがしい……」
シアやシーカーに混乱が広がった。水晶は青く輝く物で、紫に染まるなどありえないのだ。そのことを知っているシアや一部のシーカーたちが、何が起きるのかと騒ぎ出したのだ。
魔王自身もただならぬ気配に身を固めた。神経を張り詰め、不測の事態に備える。すると、水晶から障気のような霧が噴き出して、魔王の周りを包み込んでいった。
「これは障気……いや、微かに光の力も感じる……」
障気のような霧は魔王にも未知の物であった。少なくとも魔界に満ちている障気とは違う。微かに光の力が感じられたからだ。障気に光の力が混じるなどありえない。
魔王が霧の正体を考えあぐねていると、霧はいよいよ密度を増してきた。ステンドグラスにヒビが入り、太陽光がにわかに遮られる。魔王の後ろにいたシーカーたちは恐怖にかられて後ずさる。
「ろくでもない存在が現れるようだな」
魔王の鋭い感覚が何者かの接近を感じた。ひたひたとゆっくりだが確実に近づいてきている。光とも闇ともつかぬその存在は途方もなく巨大で計り知れない。下手に知ろうとしたならば、発狂しかねないほどの存在だった。
「へえ、あなたが客人か……。なかなか面白いわね」
洗礼の間にどこからか若い女の物とおぼしき声が響いた。ただしそれは、聞きようによっては男の声にも聞こえるし、はたまた老人の声にも聞こえる。ありとあらゆる声がそれぞれに不協和音を奏でたような声なのだ。
その声を聞いた途端、洗礼の間にいた魔王以外の人間たちは脳の情報処理に限界をきたしたのか気絶した。およそ人間に耐えられる声ではないのだ。しかし、人ならざる魔王は超然とした態度で虚空を睨みつける。
「何者だ? 貴様は神なのか?」
「人間や他の連中はそう呼ぶわね」
「ならば姿を現せ」
「いいわよ」
霧が一点に集まり始めた。そしてだんだんと人の形になっていく。その存在感はさきほどの大地の神の比ではなかった。文字通りの意味で存在している次元が違うのだろう。そのあまりの力に魔王すら背中に冷や汗を垂らす。
霧の塊の輪郭がはっきりとしてきた。若い女のような姿だ。長い髪を流し、ローブのようなゆったりとした服を着ている。その顔は秀麗で、各パーツの調和を限界まで突き詰めたような感じであった。まさに人知を超越した美しさであろう。
「私の名はヘカテ・メンリ。天地開闢の前より生きる古き神よ。司るものは混沌ね」
姿を現した恐るべき超越存在は、魔王にそう名乗ったのであった……。
あらかじめ説明しておきますと、今回登場した聖銀騎士団というのは改訂前の銀の杯のことです。改訂にともない名前を変更したのでよろしくお願いします。