第五話 同居人
第五話 同居人
迷宮都市の北部一帯。俗に富豪街とよばれるそこは、成功した一部のシーカーや豪商たちが競って屋敷を構える高級住宅街である。南部とは違って、立派な屋敷の並ぶそこはアウトローの多い迷宮都市らしからぬ閑静な場所であった。
そのはずれをシェリカと魔王は歩いていた。住む人間が夜の外出などしない人間ばかりからか、広い通りには人気がなく閑散としている。そのだだっ広い空間を、二人のカツカツという足音だけが響いていた。
「ここが私の家よ」
シェリカは立ち止まると、一軒の屋敷を指差した。人の背丈よりずっと高い塀と、大きな黒鉄の格子でできた門が見える。その門の格子の隙間からは広い芝生の庭と噴水が見えた。さらにその奥には赤い色調の二階建ての家がそびえている。赤い煉瓦の壁に三角の屋根、さらに正面には広いバルコニーも見えた。
しかし長年手入れをされていないのか、庭に雑草は生え放題で噴水の水は緑に変色している。さらに建物の方も煉瓦の赤がくすみ、バルコニーの手すりが錆び付いているさまはさながら幽霊屋敷のようであった。
「……古いが立派な家だな」
「ぼろいが、でしょ。別にお世辞言わなくても良いわよ。さ、中に入りましょ」
そういうとシェリカは屋敷の門に手をかけた。鉄をギシギシと軋ませて顔を赤くしながら門をこじ開ける。そして野原のようになっている庭を抜けて、屋敷の中に入っていった。魔王もそのあとに続いて屋敷へと向かいその扉をくぐり抜けた。
屋敷の中はその外観に相応しく、豪奢であった。紅い絨毯が敷き詰められ、天井からはきらびやかシャンデリアが下がっている。だが絨毯は色あせ、シャンデリアは埃まみれであった。それに夜であるというのに、明かり一つついていない。
「さっきから人の姿が見当たらないが……。もしかしてこの広い屋敷に一人暮らしなのか?」
屋敷の中に明かりがついておらず、人気がまったくなかったので魔王は半ば呆れたようにシェリカに尋ねた。これだけ広い屋敷なのだから、使用人の一人や二人は居るべきだろうと思われた。
すると、シェリカはどこか寂しげに顔を俯けた。白い肌に光が当たらなくなり、よりいっそう白く見えた。そしてシェリカは小さく口を開いた。さらにそこから物悲しい声を絞り出す。
「ええ、そうよ。お父さんとお母さんが死んじゃってね。使用人も昔はいたんだけど、給料を払えないから暇を出したわ」
家の中が石化した。魔王はシェリカの弱々しい様子に口をつぐむ。しばし、微かに流れる風の音だけがした。二人は沈黙したままだ。
月が陰り、ヒュウと一際大きく風が唸った。ここでようやく魔王は重々しく口を開ける。
「そうか、すまない。変なことを聞いたな」
「謝らなくても良いわよ。二人ともシーカーだったから……。そんなことよりもあんた、もう晩ご飯食べた?」
シェリカは話題を変えると顔を上げた。そして、魔王に向かって笑いかける。その笑みにはどこか陰があったが、魔王は気にせず笑ってシェリカに答えた。
「いや、まだだ」
「それじゃあ一緒にご飯にしない? 私もまだなのよ」
「そうだな、そうさせてもらうとしよう」
「じゃあこっち来て。ご飯にしましょ」
シェリカは食料のある厨房に向かった。魔王も誘われるまま着いて行き、シェリカと食事をとった。保存食中心の簡素な食卓であったが、魔王はおいしく食べられた。魔界の食べ物は総じてまずいかったのだ。
こうして食事を食べた後、魔王はシェリカに家の東にある小さな部屋へと案内された。茶色を基調とした落ち着いた部屋で、調度は必要最低限しか置かれていない。だが、埃っぽい屋敷の中でその部屋は手入れが行き届いていた。
「ここは手入れがされているな。良く使うのか?」
「まあね、景色が良いから。……それじゃ、また明日」
「うむ、明日な」
シェリカは自分から部屋のドアを閉めて去って行った。すとんすとんと軽い足音がだんだんと遠ざかる。それが聞こえなくなったところで、魔王は部屋にあったベッドに身体を埋めた。そして横にある窓からふと、月を眺める。
「月か……。魔界のものとはやはり違うな」
アルゲニア大陸の月は、魔界の紅い月とは違ってどこか悲しい光を帯びていた。その光を見た魔王はわずかに感傷的な気分になる。残してきた国や家臣のことが魔王の頭を満たしていった。
だがそこは魔王というべきか。精神力も人間比ではなくすぐに物思いにふけるのをやめた。そしてしばらくすると気を取り直して月を見ることをやめる。
その後は特に何事もなく魔王は眠りについた。そして彼は魔族にとっては眩しすぎる朝の日差しで目を覚ましたのだった。
★★★★★★★★
「ねえ、物は相談なんだけど……」
「なんだ? 言ってみるが良い」
シェリカの家の食堂で朝食を食べていると、シェリカがぼそぼそと魔王に切り出した。何を照れているのか、手を顔の前で盛んに動かしている。魔王はその様子に首を捻った。何を言うつもりなのかと。
「あんたさ、家に住むつもりはない? お金は取らないから」
「なんだ、そんなことか。住ませてくれるのならむしろありがたいぐらいだ」
魔王はなんでもないかのように答えた。すると、シェリカの表情がみるみる明るくなっていく。よほど魔王と一緒に住めることが嬉しいようだ。
「そう! 良かったぁ~。実はね、一人で少し寂しかったのよ。だからあんたを泊めたんだけどね。でもあんたボンボンみたいだからさ、こんな家すぐに出ていくんじゃないかな、って心配してたのよ」
「それなら心配いらない。余はこの家を気に入ったからな」
嘘ではない。魔王はこの家のことが本当に気に入っていた。彼の故郷である魔界にこの家の暗く寂しい雰囲気が似ているのだ。もっとも、シェリカにはそういう理由だとは言えないが。
「ありがと。そうと決まったらご飯も食べたし、神殿に行くわよ。また昨日みたいにされたら同居人の私が恥ずかしいからね!」
「あ、ああ……」
シェリカは皿を片付けると、魔王の手を引っ張って強引に出掛けようとした。魔王はそれにおおいに戸惑う。
実はまだ、洗礼を受けるかどうか決めかねていたのだ。しかし、シェリカはそんなことお構いなしに連れて行こうとする。彼女は突っ立っている魔王の手を強く引っ張った。
「ほら、行かないの?」
「ううむ……仕方ない、あの結界の突破は難しそうだからな」
しばらくして、散々悩んだあげく魔王はシェリカに着いて神殿へ向かうことにした。洗礼を受けなければ迷宮に入るのが難しかったことと、何よりシェリカの押しが彼にそう決断させた。
魔王とシェリカは家を出て、神殿へ歩いた。すると、シェリカはシーカークランの方向へと向かっていく。そして彼女と魔王はシーカークランの前に来てしまった。
「ここの神殿だったのか……」
「知らなかったの?」
「ああ、なにぶん余はこの世……街に不慣れなのでな」
シェリカは魔王の世間知らずに肩を竦めると、クランの扉を開けて中に入って行った。そして奥の神殿へと入っていく。
魔王もシェリカに続いて神殿の中に入ってみると、存外に広かった。白亜の大理石の通路が広がり、太い柱が立ち並ぶ。クランに繋がっているのは数ある出入口の一つに過ぎないようで、神殿はシーカー以外にもたくさんの人で賑わっていた。魔王はしばらく神殿という苦手な空間と人の熱気に圧倒された。
「え~っと、あっ、そこの神官さん!」
魔王が固まっていると、通路の奥にシェリカが暇そうにしている神官の姿を見つけた。彼女はそのまま神官の方に走っていくと、大きな声で魔王を呼んだ。
「お~い、こっちよ~!」
「ちょっと待ってくれ」
魔王はシェリカの後に続いて神官の後ろに立った。すると神官は魔王たちの方に振り向く。神官は年若い少女だった。短めの白く光る銀髪と透き通る蒼い瞳が可愛らしく、肌も透けるように白い。
だが、神官であるはずの彼女はどこか黒い気配を漂わせていて、さらに不機嫌な顔をしていた。
「私は暇を満喫するのに忙しいの。用なら他をあたって」
「それは忙しいとは言わないわよ!」
「そう……仕方ないわ、何の用?」
少女はいかにも面倒くさそうに言った。どうにも仕事をするのが嫌らしい。シェリカはその態度に閉口しながらも魔王の肩をポンと叩いた。
「こいつの洗礼をお願いしたいんだけど」
「わかったわ……。ついてきて」
そういうと神官の少女は通路の脇の扉を開け、魔王を手招きした。魔王はシェリカの方を向いて困ったような顔をする。だが、彼女は頑張ってと笑うだけだった。
洗礼には一人で行くしかないらしい。そう悟った魔王はどこか重い足取りで神官のいる扉に向かった。その顔はとても曇っていた。
その様子に、神官の少女は生暖かい目をして、口元を抑えた。そして、魔王をして魔族のようだと思わせる笑いをしながら言う。
「くすくす……後ろめたいことがあるのね。でも大丈夫、あなたが悪の代名詞のような存在でも神は加護してくれるわ。ただし、そういう神だけどね……ふふふっ」
「そ、そうか」
魔王はギクッとした。少女の指摘はまさに図星であった。まさかこの神官……と思って少女の方を見る。しかし、少女はニヤッと腹黒い笑みを浮かべ、その氷のような青い瞳で魔王を見つめるばかりであった。
「うふふふ……安心したならこっちに来て。早くしないと私の休憩時間があなたの洗礼で潰されてしまうわ」
少女はそういうと扉の向こうへと消えた。魔王も渋々ながら扉の向こうへと向かう。
こうして魔王は多大な不安を感じながらも洗礼に臨むのであった。