第四話 魔王とおせっかい少女
第四話 魔王とおせっかい少女
朧げな月に街が照らされる宵の口。シーカークランも少し人が減って空いてきていた。その奥にある個室では、受付嬢が魔王をどこか疲れたような目でみていた。
「えーと……はあ。レベルというのは強さの単位です。一般的には高ければ互いほど強いということになります。それがあなたの場合はなんと五百! 今まで最高とされた人でも百三十程度でしたのに……。あなたは一体何者なんですか? 」
「さきほどそなたに言ったような気がするが、余は魔王だ」
「いや、そういうことではなくて」
「別に余が何者であってもそなたに迷惑がかかるわけではあるまい。気にするな」
受付嬢は言葉に詰まった。確かに、魔王の言う通りではあった。彼が何をしてきたのかなど、シーカークランは知る必要はない。むしろ、無理に詮索して臍を曲げられたりしたら困る。彼ほどシーカークランに貢献しそうな人材はいないからだ。
そのような理由で無理矢理に自分を納得させた受付嬢はため息をつき、肩を落とした。そして小さな声で魔王に話しかる。
「わかりましたよ魔王さん。確かにあなたの言う通りです。ですが、あなたのレベルのことについては絶対に言いふらしたりしないでくださいよ! 混乱が起きるのは目に見えていますからね」
「余は不要なことは言わぬ質だ。言いふらしたりはせぬ」
「本当の本当にですね?」
「ああ、本当の本当にだ」
受付嬢は魔王の目をじっと見つめた。魔王もまたそれに応えて動きを止める。二人はまるで氷のようになった。
辺りが静けさに覆われた。二人は互いに互いの顔を見たまま動かない。部屋の中は空気まで動かないほど変化に乏しくなった。その状況はしばらく続いた。
「信用しましょう。はい、これがクランカードです」
受付嬢はとうとう魔王のことを信用して、シーカーの証であるクランカードを手渡した。魔王はそれを受け取り、興味津々な様子で入念に観察する。
クランカードは光沢のある黒で、表には大きな文字で魔王と書かれていた。そして裏にはたくさんの数字が書き込まれている。攻撃、とか守備とか書かれている。魔王の能力を数値化したものだろう。だが、魔王はそれには興味を示さなかった。簡単なこと、自分の力は自分が一番良く知っていたからだ。
「良くできているな。これで登録は完了か?」
「はい、一応クランですべきことはすべて完了しました。ですがまた何かありましたら気軽に尋ねて下さいね」
「ふむ、手間をかけたな。礼を言うぞ」
「いえいえ、これが仕事ですから」
魔王と受付嬢はそう言葉を交わすと席を立ち、受付のカウンターの方へと戻っていく。魔王は気分が乗っているのか、足取りが軽い。
「ではさっそく行くとしよう」
「えっ、ちょっと待って……行っちゃった」
受付まで戻ってきた魔王は一言つぶやくと、受付嬢が止めるのを聞かないで出て行ってしまった。気がせいていたので受付嬢の制止など気がつかなかったのだ。
取り残されてしまった受付嬢はクランの奥の方へと視線を向けた。ちょうど、クランと繋がっている神殿の方である。そして彼女は眉を歪めて困ったような顔をした。
「神殿で洗礼を受けて行かなくて良かったのかな? まあいっか、困ったらまた戻ってくるでしょうし」
そういうと受付嬢は魔王の相手をしている間、滞っていた仕事を再開するのであった。受付嬢の仕事は意外と多いのである。
★★★★★★★★
「えーと、確かこちらであったな」
一方、シーカークランを出た魔王は迷宮の入口に向かって歩いていた。月明かりに彼の銀髪が揺れ、マントがたなびく。人々は浮世離れしたその姿に、好奇や憧憬の眼差しを送った。夜の魔王はとても絵になるのだ。
魔王が街を歩き始めて数分後。彼は大きな広場に到着した。その中心部には大きな長方形の石でできたモニュメントのような物があり、その根元の部分に大きな穴が空いている。
鎧を着て武器を携えたシーカーらしき姿が多数出入りしているところを見ると、そこが迷宮の入口らしい。そこで魔王は夜の闇よりなお暗いその穴に入ろうとした。だが……。
「うぬ、結界か?」
魔王の行く手を何か透明な壁のような物が阻んだ。魔王は足に力を入れて入ろうとするものの、入れない。なかなかどうして頑丈な結界のようだった。
「うぬぬ……!」
しばらくしても、結界は破れなかった。痺れを切らしてきた魔王は力をさらに込め、強引に入ろうとする。魔王を阻む結界が光を放ち、稲妻がほとばしった。迷宮の入口がみしみしと軋みはじめる。
魔王のただならぬ気配に、シーカーたちが集まってきた。彼らは何か言いたげな顔をするが、魔王の必死の形相に言うことができない。
さらに魔王の服装も災いした。紅いマントに宝玉をあしらった漆黒の杖をもっていた彼は、どこかの貴族にしか見えなかった。そのせいで貴族を恐れる一般人のシーカーたちは彼に話しかけにくいことこの上なかった。
そんな折、一人の少女が迷宮の前を通りかかった。紅い髪を長く伸ばし、革の鎧を身につけた少女だ。その少女の顔は姫といっても通りそうなほど繊細な美しさを誇っていたが、引き締まった細い身体を見る限りではシーカーのようだった。
彼女は騒ぎを見つけると、集まっていたシーカーたちに話しかけてみた。するとシーカーたちは魔王の方をちらっと見て困った顔をする。そのシーカーたちの様子に彼女はだいたいの事情を察した。
事情のわかった少女は魔王に近づいていった。そして貴族のように見える彼の機嫌を損ねないように、できるだけ丁寧に話しかける。
「あの、何をやっているのですか?」
「見ての通り、中に入ろうとしているのだ」
「……ぶっ」
魔王の返答に少女は吹き出しそうになった。赤い髪を揺らして、その小さく整った顔を歪める。笑いを堪えるのに必死なようだ。
「……あの、もしかして洗礼を受けてないのですか?」
「洗礼? なんだそれは」
魔王はぽかんとした顔をした。少女はその様子にいよいよ笑いを堪えられなくなってくる。笑ってはいけないとわかってはいたが、限界が近かった。
「……くっ……誰か供の者から洗礼についてお聞きにならなかったのですか?」
「供の者など余にはそもそもおらぬ」
魔王の言葉に少女は彼を上から下までゆっくりと観察した。そして、恐る恐る彼にあることを尋ねてみる。
「供の者がいないって……もしかしてあなたは貴族ではないんですか?」
「貴族……ではないな」
「なんだ、脅かさないでよ! 貴族にしか見えなかったじゃない!」
少女は貯まりに貯まっていた笑いを爆発させた。ほっそりとした腕で腹を抑えながらカラカラと鈴がなるように笑う。そんな少女に釣られて周りにいたシーカーたちも笑いはじめた。辺りの妙に重かった空気は一変し、軽くなる。
だがそんな中で、魔王はどうしてこんなに笑われているのかわからなかった。なので彼は戸惑ったような顔をして、前で笑う少女に尋ねてみる。
「……どこがそんなにおかしいのだ?」
「あはは……いやさ、この迷宮は洗礼を受けないと入れないのにあんたが無理に入ろうとしてたから……笑えちゃって」
「なんだと。ううむむむ……」
魔王は唸り出した。実にまずい事態であった。洗礼など魔王のすることではないし、だいたい魔王に加護を授けてくれる神などいないだろう。だが、この迷宮には是非入ってみたい。
腕を組み、厳めしい顔をして魔王は考え込む。ダメでも洗礼を受けてみるか、もうあきらめるか。魔王の心の中が大きく揺らいでいた。すると、何を勘違いしたのか少女が笑うのをやめて、心配そうな顔をして彼に話しかけてきた。
「もしかしてあんた……迷宮に入れないと行く当てがなかったりするの?」
「そう言われればそうだな」
魔王は心ここにあらずといった様子で応えた。嘘は言っていない。もっとも、魔王にかかれば行く先などどうとでもなるが。
すると少女は魔王の格好を値踏みするような目でみた。そしてぶつぶつと何か考え込むようにつぶやく。その顔はさきほどまでとは違って真剣そのものであった。
「それならうちに来ない? 今から洗礼は無理だし、宿屋も空きがないわよ」
しばらくして少女は、魔王にとって予想外の提案をしてきた。魔王は不意に訪れた驚きで目を丸くする。とりあえずこの落ち着きたいと思っていた彼には願ってもない提案だ。しかし、一応礼儀としてもう一度聞き返しておこうと彼は考える。
魔族というのは、上位になればなるほど規律や秩序を重んじる。その最高位である魔王は、基本的には思慮深く礼儀正しいのだ。
「本当に良いのか? 迷惑になるかもしれぬぞ」
「良いの良いの。だってあんたほっといたら死にそうじゃない。世間知らなさそうだし」
少女は魔王のマントと杖を指差した。そして少し呆れたように笑う。世間を知らないことは事実なので、魔王は言い返せなかった。ちなみに魔王が手に入れたチンピラ男の知識は、世間一般では役に立たない物ばかりであった。
「よし決定。私はシェリカ。よろしくね」
「余は魔王だ。世話になる」
魔王とシェリカは互いに見交わして笑った。シェリカはそうしてひとしきり笑うと、魔王を手招きしながら彼女の家へと歩いて行く。
こうして魔王はシェリカに連れられて、彼女の家へと向かったのだった。