第三十九話 勝利の鍵は……
第三十九話 勝利の鍵は……
「カルマーセ選手、衝撃的な宣言です! これは魔王選手、大ピンチなのでしょうかアァ!」
司会の男は観客席から声を張り上げた。彼の額からは汗が吹き出して、手に汗握っている。その彼が紅い顔をして試合の状況を伝えるたびに、観客はどよめきに包まれていく。大声を上げる者から立ち上がる者まで、数万の群衆に埋められた観客席は揺れに揺れた。
その一方で舞台の上は気味悪いほどの静けさに包まれていた。大気は凪いだ海のように一切の揺らぎもなく、地面も動かない。魔王とカルマーセは互いに笑い、牽制を続けていた。
「ほら、攻撃してきてごらんよ。怖いのかい?」
「良いだろう、だがその前に……」
魔王は杖を高く掲げた。黒紫色の杖はつややかに陽光を反射して煌めく。その光にカルマーセは目を細めた。
「魔法を使うのかい? 呪文を唱える間に倒しちゃうよ」
「黙って見ていろ。早い男は嫌われるぞ」
魔王は腕に全身の力を込めて杖を振り下ろした。杖は舞台を穿ち、地震のように揺れ動く。地が裂けるような轟音とともに砂埃が舞い上がり、石畳が次々と持ち上がっていった。重い石が木の葉のように飛んでいき、地面が現れていく。カルマーセは揺れる舞台の上に膝をつき、険しい顔をしたまま動けなかった。
二人のいる舞台の上は、たちまち膨大な砂埃に包まれた。火山の噴煙のように濃密な砂埃は、魔王とカルマーセの姿を覆い隠してしまう。砂埃はしばらくの間、舞台の上をすっかり隠していた。
風が吹き抜けた。砂埃は残らず掻き消されて、舞台の上の様子があらわになる。その時、舞台は一変していた。石畳が剥がれてその下にあった地面が晒されている。ちょうど円形をした白いさらさらとした砂地が晒されていた。
その地面に膝をついていた四人のカルマーセたちは、その円の中心にいる魔王を忌ま忌ましげな目で睨みつけていた。彼らは剣の鞘を杖がわりに立ち上がると、魔王に向かって同じことを寸分違わぬタイミングで吐き捨てる。
「何をするんだ! 僕に勝てないからって八つ当たりかい!」
「そうではない。まあ、戦ってみればわかるだろう」
「ふっ、それもそうだな!」
再び杖と剣の激突が始まった。カルマーセたちは次々と入れ代わり立ち代わり魔王に突撃していく。本体が誰であるのか悟られぬように、素早く位置を交代しながら魔王へと果敢に挑む彼らは実に統制が取れていた。姿が伸びて見えるほとの速さであるにも関わらず、彼らはぶつかることなくそれでいて絶え間無い攻撃を魔王へと繰り出していく。
幾重にも重なる白銀の煌めきが、魔王の身体を目掛けて放たれていく。曲線を描き出す剣は、刹那の間に雲から差し込むのよう陽光のようになって魔王の杖とぶつかりあった。剣と杖は弾き弾かれ、原始の打楽器よろしく激しい音をうち鳴らす。光が弾けて大気が揺れ、闘技場の観客たちは息を呑んだ。
魔王とカルマーセたちは一進一退の攻防を続けた。いや、四人分の攻撃を捌きながらも隙をついては攻撃を決める魔王の方が、実は優勢だったのかもしれない。しかし魔王が攻撃したカルマーセたちはいずれも分身で、攻撃されても一瞬にして元に戻ってしまった。そのためカルマーセたちは本体をうまく匿いながらも、圧倒的な実力の魔王にたいして互角以上に戦っていた。
「手も足もでないじゃないか。このままじゃ負けるのはもうすぐだね!」
「それはどうだろうな?」
魔王はシンクロしているように同じことを言ったカルマーセに余裕の笑みを浮かべた。カルマーセはそれがカンに障ったらしく、顔を紅く染め上げてさらに激しい攻撃の嵐を決めていく。
手数が多いというのは圧倒的なまでのアドバンテージである。レベルならばカルマーセは魔王の五分の一もないが、それを四人に増えることで彼は見事に補った。彼らはわずかづつではあるが魔王を圧倒し始める。もっとも、魔王は終始余裕の表情をしていたので精神的にはカルマーセの方が追い詰められていたのかもしれないが。
こうしてカルマーセは魔王を舞台の端の方にまで追い詰めてきた。魔王はここにきて、ようやく魔法を使ってカルマーセを吹き飛ばしてしまおうかと考え始める。呪文を唱えながらでも魔王ならばカルマーセの攻撃くらい、余裕で捌くことができるのだ。つまり、魔法を使うと決断すれば確実に魔王は勝てる。しかしそれでは原始的で面白味にかけるのでそのやり方を魔王は避けていたのだ。
そうして魔王が悩み出した時、ようやく彼の策が身を結んできた。彼はにやりと、いつもの不適な笑いをカルマーセに向ける。
「お前が本体のようだな」
「なっ、馬鹿な!」
魔王は一人のカルマーセに向かって杖を突き付けた。杖を突き付けられたカルマーセは驚きで目を見開き、よたよたと後ずさっていく。
だが魔王から少し距離を取った彼は、自身の分身を呼び寄せるとまた目にも止まらぬ速さで場所の入れ換えを始めた。分身と本体が入り乱れて、すぐにまた本体がどこへ行ったのかわからなくなってしまう。とても、目で追いかけられる速さではなかった。
「どうだ、わからないだろう。偶然見つかった時の備えも万全なのさ。よほど慣れていなければ、超人的な動態視力の君でも本物の僕がどこにいるのかはわからないはずだよ!」
「こいつだな」
魔王は自分から見て左の奥にいたカルマーセを何のためらいもなく杖で指した。カルマーセは今度こそ本気で狼狽し、顔を青くする。四人同時に頭を抱えた彼は、化け物でも見るような絶望的な顔で魔王を見つめた。そして認めたくないとばかりに魂からの雄叫びを轟かせる。
「馬鹿な! どうしてわかる、わかるんだァ!」
「簡単なことだ。今のお前には目印がついているからな」
「目印だと!」
「そうだ、足元を良く見てみろ」
カルマーセは魔王に促されるまま自分の足を見下ろした。すると特別に何も起きていない自分の足がある。膝の当たりまで砂にまみれて汚れてはいるが、目印となるような物は見当たらなかった。
「目印なんてないじゃないか!」
「わからぬのか。ならば分身の足も見てみるのだな」
「目印は分身の方にあるのかい? どれ、見てみようか……」
カルマーセは隣に立っていた分身の足を覗き込んだ。彼の目にはさきほどまでとほとんど変わらない足が映し出される。しかし、カルマーセにはそのわずかな違いに気がついた。
「……そうか!」
本物のカルマーセと分身の間にあった違い、それは足の汚れだった。本物のカルマーセが膝ぐらいまで砂や土で汚れているのにたいして、分身の方はまったく汚れていないのだ。分身のカルマーセは魔王に攻撃を受けるたびに実体を消すため、汚れがたまらず下に落ちてしまったのだろう
それに気づいた瞬間、カルマーセの頭の中で一つの謎が解けた。魔王がさきほど行った不可解な行動、それは恐らく自分の身体を汚すためだったのだろうとわかったのだ。石畳より下が地面の方が数段足元が汚れるのだ。
カルマーセの顔は深い絶望に包まれた。海の底に沈んでいくような先の見えない感覚によって、彼の心は埋められていく。泥のように黒くて粘着質な絶望感が彼に纏わり付いた。分身はすぐに消えてなくなって、彼は絶海に漂流する船の孤独や絶望を理解するまでに至る。
魔王は膝をついて魂が抜けたようになっているカルマーセ元に歩み寄った。そしてその首筋に杖を突き立てて冷ややかに宣言する。
「余の勝ちだな?」
「ああ……そうだな」
カルマーセは力なく剣を手放した。剣は地面に横になり、寂しい光を放つ。それは敗者となったカルマーセの悲哀を表しているようだった。
こうして魔王は意外にも粘ったカルマーセを倒し、二回戦へと駒を進めたのであった……。