第三十八話 カルマーセの脅威
第三十八話 カルマーセの脅威
風が吹き抜ける舞台の上で、魔王は四人に分身したカルマーセに睨まれていた。カルマーセたちは分身ゆえかすべて同じように下卑な笑みを浮かべて魔王を見下しているようだ。絶対の自信と余裕が、彼にこのような表情をさせているのだろう。
「プッ……」
魔王はそんなカルマーセたちにふっと息を吹き出した。彼は口を手で抑えて笑いを堪えられないようだ。その目はピエロでも見るようにカルマーセを見ている。
カルマーセはその態度に眉を吊り上げた。彼は肩を怒らせて、炎の燃えるような目で魔王を睨みつける。そして、身体を震わせながら声を絞り出した。
「何がおかしい……。不愉快だ、さっさと行くぞ!」
「四人に増えたからな、どれ少しは相手してやろう」
魔王とカルマーセは互いに地を蹴り、加速した。四人に増えたカルマーセと魔王の身体が交錯する。刹那のうちにぶつかりあった四つの刃と杖は、激しい音を巻き起こした。大気が揺さぶられて五人の足元が軋みを上げる。
「四人分の力がかかっているな。影にも実体があるのか……? まあ良い、ふんっ!」
魔王が唸ると、彼の杖がカルマーセの剣を弾き返した。魔王はその勢いでもってカルマーセたちの腹に重い一撃を加える。風を切った杖は、唸りを上げながらカルマーセたちの鎧をないだ。
魔王の一撃を受けた二人のカルマーセ。その鎧の胴は、霞みのごとく消えうせた。杖はわずかに霞みのようなものを切っただけである。その手から伝わる軽い感触に、魔王はわずかに眉をひそめた。
「実体があるようでないか。なかなか面白い」
魔王が口元を歪めて笑っていると、カルマーセたちは隙のできた彼に一斉攻撃を仕掛けてきた。魔王はそれらをすべて交わすと、カルマーセたちに再び杖を放つ。だがその杖はまたも宙を切り、カルマーセにダメージを与えることはなかった。
「とうだい、僕の残影剣は。この影たちはそれぞれ実体がありながらも、攻撃でダメージを受けることは無いんだ。それに君にはどれが本体だかわからない。つまり、僕は君に一方的に攻撃できるということさ!」
カルマーセたちは魔王を取り囲むと、高らかな勝利宣言をした。その人差し指は魔王の顔をまっすぐに示していて、背中は反り返っている。まさに強者の態度の見本とでも言うべき態度だ。
カルマーセの宣言に闘技場は震撼した。一方的に攻撃を加えられる上に、自分は攻撃を受けない。カルマーセの言葉が本当ならば恐るべき脅威である。観客や司会、さらに他の選手にいたるまでがにわかに騒ぎ出した。
「なかなか楽しい特技を持ってるのですよ。一応、敵として認識してあげるのです」
「あの男、口先だけかと思ったらやるじゃない」
「影分身でござろうか……。いや、それとは別か……」
舞台の脇で試合を見ていたルーミス、コウラン、フウタロウの三人は口々に残影剣の批評をはじめた。かなり驚いている様子である。だがその顔に驚きはあっても恐れはない。三人にとっては大した脅威ではないのだろう。
その一方で、観客席のシェリカたちは気が気でなかった。彼女たち三人は額から冷や汗を垂らして、互いに顔を見合わせる。その目にはわずかな不安があった。
「あんな技、反則やで! 魔王はんでも厳しいんとちゃうか?」
「そうかも……。でもまだ魔王は魔法を使ってないわ。魔法を使えばカルマーセなんて四人まとめて……」
「いや、あの速さでの戦いだ。魔法を使っている間に攻撃されてしまうぞ!」
「確かに……!」
サクラのもっともな話に、シェリカたちの顔が一気に暗くなった。彼女たちはわずかにうなだれながらすがるような眼差しで魔王を見る。その時そんな鬱な彼女たちの後ろから、鈴の音のような透き通った声がかかった。
「ずいぶん不景気そうね。大丈夫?」
「シア!」
シアは魔王の状況が良くないのに、ほこほことした気分の良さそうな顔をして席に着いた。その手には倍率と書かれた板と膨れたひよこの財布がある。賭けの胴元でもやって、かなり金を集めてきたようだった。
シェリカたちはシアのそんな態度に目を見張った。シアが金を儲けてにやけているのはいつものことではあるが、時と場合がある。今はあまりに場違いだった。そこで、シェリカはサクラやエルマに目配せすると三人を代表してシアに注意する。
「ちょっとシア、魔王が苦戦してるのよ。あんたもちょっとは深刻な顔をしなさいよ」
「魔王が苦戦……? どこがなの?」
「どこがって……」
シアの呑気な様子にシェリカは頭を抱えた。彼女の額には深いしわが刻まれてその苛立ちを鮮明に表す。しかし、シアはシェリカの気持ちなどお構いなく自分の意見を述べはじめた。
「三人とも魔王がカルマーセごときに負けると本気で思ってるの? だとしたら三人は魔王を信用していないのね」
「信用していないってそういうわけじゃ……」
「魔王が勝つと信じてるならば、どんな状況でも優しく明るい顔で見守るものよ。それに魔王を見て、彼は笑ってるわ」
「えっ?」
シェリカたちは前の手すりに張り付き、舞台の上の魔王に注目した。するとその顔は確かに笑っている。いつものあの余裕たっぷりの底知れぬ笑いだ。
その笑いを見たサクラは少し複雑な顔をした。そして彼女は隣のシェリカに向かって語りかける。
「ほんとだな……。ということは魔王にはこの状況を打開する策があるのか。私にはまったく思いつかないが……」
「そうみたいね。私にもさっぱりだけど……」
シェリカもお手上げといったように手の平を上に上げた。その様子に、サクラは首を捻る。シアやエルマもまた同様で、魔王が何を考えているのかわからないようだった。
一体何を考えているのか。それを明かさぬまま、魔王はただ不敵に笑うのであった……。