第三十六話 揃った選手と第一試合
第三十六話 揃った選手と第一試合
晴れ渡った青いスレートの空の下、闘技場では昼休憩が終わりいよいよ闘神祭の本選が始まろうとしていた。観客たちはすでにさきほどの衝撃からは立ち直り、落ち着かない様子で司会の男や選手たちが現れるのを待っている。あちらこちらで選手を応援する旗や横断幕が今か今かと出番を待っていた。
観客たちの中には賭け事をしている者もいるようで、時折どの選手が勝つだの負けるだのといった声が風に流れてくる。まわりの観客たちはそれに顔を歪めながらも、内心ではその予想に聞き耳を立てていたりした。
こうして観客たちがそわそわと落ち着かない雰囲気でいると、ついに司会の男と選手たちが控え室から姿を現した。彼らは舞台に次々と登っていき、続いて司会の男が闘技場全体に届く声で叫ぶ。
「お待たせしましたァ! ただいまより闘神祭本選を開始いたします!」
「わあああ!!」
「それではまず、ここまで勝ち残った八人の選手の紹介をさせていただきます! 皆さまから見て一番左がカルマーセ選手!」
司会は彼の右手に居並ぶ選手たちのうち、一番右側にいたカルマーセを示した。彼は回復魔法でもかけてもらったのかすっかり元の二枚目半な顔に戻っている。司会の手が向けられると、彼は白い歯を光らせて気障ったらしく笑った。その微妙なかっこいいと言えなくはない笑顔に司会は苦笑する。そして次の選手の紹介をするべく彼は正面に向き直った。
「続きましては魔王選手!」
司会の男に呼ばれると、魔王は口を歪めて不敵に笑った。いかにも魔王らしい、底の見えない笑いである。シェリカたちはその笑みに応じるかのように声を張り上げた。顔を紅くしながら、手を口に当てて叫ぶ。広い闘技場にも若い女性特有の高い澄んだ声は良く通った。
シェリカたちがそうして必死に応援しているうちに、司会は次の選手の紹介に移った。さきほどルーミスと話していた黒いロングコートの男だ。
「三人目はクレイル選手!」
「ハッハッハァ!」
クレイルは呼ばれると同時に血も凍るような高笑いを上げた。彼は身体を大きく揺すり、壊れたかのように笑う。その恐ろしいまでの異様な迫力に、司会の男は冷や汗を流して歯をカタカタと鳴らした。だがここで選手の紹介を中断するわけにはいかない。なので司会は震えながらも次の選手の紹介にうつる。
「よっ、四人目はフウタロウ選手です! ……おや?」
司会が示した先には誰もいなかった。司会はさきほどまではいたはずだと首を捻る。彼は消えたフウタロウを探して彼が立っていたはずの場所まで移動した。すると……。
「あっ、あれ? どこから現れました?」
そこには黒装束の痩せぎすな男が何事もなかったように立っていた。彼は紛れもなくいなくなっていたはずのフウタロウである。司会の男は思わず目を疑って、何度もまぶたを擦った。それを見たフウタロウは消えるような渋い声で司会の男に言う。
「……気配を消しておった。それゆえ汝には我を感知できなかったのだ……」
「はぁ……。今度からは消さないで下さいよ。心臓に悪いですから」
「……善処する」
フウタロウはそう小声でつぶやくと、細い目を閉じてしまった。そのまま腕を組んだ彼は何事かをぶつぶつとつぶやき始める。そのある種の怪しげな雰囲気に司会の男はあとずさり、またもといた舞台の中央へと戻っていった。
「……ふぅ、やれやれ。え~続きましては五人目、コウラン選手です!」
中央に戻った司会は一息つくと、五人目の選手を紹介した。その伸ばされた手の先には紅い東方風のドレスを着た女が立っている。大胆に豊満な胸元を露出したその女は、紅い口紅を初めとするきつめの化粧をしていた。さらにその手には大きな扇が握られている。
そんな一見しただけでは踊り子のようにしか見えない女、コウランは司会に呼ばれるとなんと観客席に向かって投げキッスをした。そのなんともなまめかしい行動に観客席の男がどよめく。あるものは興奮に満ちた視線を送り、あるものは鼻の下を伸ばし。甘い空気が闘技場にあふれた。
しかしそんな雰囲気の中でも、カルマーセ以外の男性選手はコウランに警戒しているかのような鋭い目を向けていた。踊り子のような格好をしていても彼女は警戒するに値する達人なのだ。
「ふにゃふにゃ……はっ! つっ、次は六人目ルーミス選手です!」
一瞬だが色気でぼけた司会は不意に我を取り戻すと、慌ててルーミスを紹介した。するとルーミスは白い仮面に覆われた顔をくいっと司会に向ける。表情こそわからないが、どうやら彼女は自分の紹介がおざなりになったことを怒っているようだった。
司会は陽光に笑う不気味な仮面にまたもや冷や汗をかいた。生温い汗が背中を伝ってぽたりと滴り落ちる。だがすでに彼の精神は鍛えられたのであろう。冷や汗はすぐに収まって彼はまた選手紹介へと戻った。
「続きまして七人目はバリウル選手です!」
バリウルと呼ばれた男はいかにもひ弱な文系青年といった男だった。学者が好むようなマントと丸い眼鏡を着用していることがそのような印象を与えるのだ。しかも彼は手に百科辞典のような分厚い本を抱えていた。
明らかに戦闘には向いてなさそうな人種ではあるが、彼は確かに本線出場選手だ。故に観客たちは何かあるのだろうと期待と不安の混じった目を彼に向ける。しかし彼はそれにたいしてただ柔らかく微笑むだけだった。
司会の男は闘技場に残された雰囲気が落ち着くのを確認すると、最後の選手の紹介をした。もちろん黒いサマードレスを着た女、アイリスである。
「いよいよ最後となりました。八人目はアイリス選手!」
彼女に紹介の手が向けられると、観客席は水を打ったように静まり返った。さきほどの衝撃が抜け切っていないのか、観客たちはアイリスを見つめて戦慄に顔を凍らせる。闘技場は冬の凍てつく朝のような静けさに包まれた。さきほどまでの騒々しさは毛布にでも包まれたようになりをひそめている。
司会の男は深刻な顔をしている観客たちを一瞥すると、大きく息を吸い込んだ。そして十分に肺を膨らませたら、その貯まった空気を一気に叫びに変える。観客席の重苦しい空気を一変させるような声が、舞台から放たれた。
「それではいよいよ闘神祭本選、第一試合を初めます! 第一試合はカルマーセ選手対魔王選手です!」
司会は拳を振り上げて思い切り叫ぶと、舞台から降りて行った。それに魔王たち以外の六人の選手も続く。舞台にはカルマーセと魔王だけが残され、緊張が張り詰めた。見えない殺気がぶつかり合って緊張の糸が互いに絡まり合うようだ。
その緊張にあふれる舞台を風が吹き抜けた。涼やかな風は男にしては長めのカルマーセの金髪を吹き上げる。髪を風になびかせたカルマーセは口をわずかに歪めたあとでゆっくりと開いた。
「僕は疾風とも呼ばれる騎士さ。仲間うちではこの迷宮都市最速なんて言われたりもする。今からそのスピード、とくと楽しませて上げるよ!」
こうしてついに、カルマーセと魔王の直接対決の火蓋が切って落とされたのだった。