第三十二話 圧倒
第三十二話 圧倒
陽光を反射して白く輝く舞台。滑らかな石が硬く光っている。その上は今、選手たちの熱気で蜃気楼のごとく揺れていた。殺気や覇気が渦巻いて、鮮やかな火花が飛び散っている。
魔王はその緊迫の中で、一人の選手に睨みまれていた。選手の男は魔王より頭一つ大きく、使い古された革の鎧を着た体はどっしりと岩のよう。目つきは肉食獣のようでいかにも鋭い。
「うらああ!」
男は巨大な剣を振り上げた。次の瞬間、男の身体がぶれる。男の足元の石が軋み、舞い上がった砂塵とともに巨大な身体が風をきる。質量を忘れたかのような速度と軌道を見せる大剣は、たちまちのうちに魔王に迫った。
「速いが真っすぐ過ぎる」
「なに!」
男が剣を振り落とした時、魔王の姿はそこにはなかった。大剣はむなしく石を砕いて舞台に減り込む。男が青い顔をして魔王の姿を探した時、魔王の足が横から彼の身体に炸裂した。
「ぐはあぁ!!」
男の口から血が飛び散った。筋肉の塊とでもいうべきその身体は有り得ない方向に曲がり、空中を滑り始める。彼は直線上にいた二人の選手を吹き飛ばしながら、観客席の壁に叩きつけられた。石でできた壁にヒビが入って、男の身体はその間隙に潜り込む。地震のような轟音が闘技場の空気を激しく揺さぶった。
にわかに闘技場に沈黙が訪れた。選手や観客たちはみな息を呑み、魔王に視線を向ける。彼らの表情には驚愕と衝撃が入り混じっていて、開いた口がふさがらないようだった。
「……こ、これは凄い! 予選開始からわずか十秒足らずで、三人の選手が舞台から弾き出されてしまいましたァ!! しかも一人の無名選手の手によってです! こんなことを誰が想定したのでしょうか!! ……今の流れをどう思いますか、解説のマスター……ごほん! ではなくミスターXさん!」
司会の男は慌てた様子で叫ぶと、隣の解説席に魔法マイクを移動させた。すると解説の老人は、もったぶるように掛けていたサングラスの位置を直す。そして彼は、落ち着いた重々しい口調で解説を始めた。
「うむ、今のは気を瞬間的に使ったのじゃろうな。おそらくマントを着た男は大男の攻撃をすれすれでかわし、入れ違いざまに気で強化した足で蹴ったのだ。これだけ言うと簡単に聞こえるが、あの大男の攻撃をかわすだけでも達人級の技量が必要じゃぞ」
「なるほど! 解説ありがとうございました!」
司会の男はミスターXからマイクを受け取ると、再び舞台の上に視線を注ぎ始めた。その額からは汗が滴り落ちて、頬は興奮しているのか紅い。
一方、そんな騒然としている闘技場の中でシェリカたちは落ち着いていた。魔王のレベルを知っている以上、これくらいは有り得ると思っていたのだ。そのため周りの観客たちが言葉を失っている中、四人はさきほどの魔王の戦いについて比較的冷静に話をしている。
「サクラ、あなたは魔王の動きが見えた?」
「かろうじてといったところだな……。シェリカの方は?」
「私はダメね。ほとんど見えなかったわ……」
シェリカは手を上げて、文字通りお手上げといったポーズをした。サクラはそれを見ると深刻そうな顔をして頷く。
「姿が消えたようにみえる速さだったからな、無理もない。だがあの攻撃の本質は速さではなく力だろう。一瞬で気を練り上げた蹴りを入れるなど、並大抵ではない……」
「そうね。ほんっと魔王って一体何者なのかしら……」
それきりシェリカとサクラは黙り込んでしまった。俯いた二人は、再び鋭い目を舞台に向ける。するとちょうどその時、舞台の上の選手たちに動きがあった。
「……みんな、こいつを先に片付けるぜ!」
「よしっ! その作戦のった!」
「俺も参加させてもらうぜ!」
舞台に残っていた魔王以外の七人の選手たち。彼らの心がにわかに一つになった。彼らは魔王の周りを取り囲み、武器を構える。その表情はいずれも強張っていて、魔王に対する明確な恐怖が見てとれた。
選手たちによって強固に包囲された魔王であったが、彼の表情には余裕があった。にやりと口を歪ませて微笑むその様子は、かかってこいと言わんばかりだ。その余裕を選手たちは恐れ、彼らの恐慌状態が深まっていく。
そうして舞台の上の緊迫が頂点を極めた時であった。
「行くぞォ!」
不意に一人の選手が雄叫びを上げ、魔王に突撃した。その後を他の選手たちも次々と続いていき、魔王に向かって数々の攻撃が繰り出される。
まずはじめに魔王に襲い掛かかったのは、巨大な斧であった。鍛え上げられた丸太のごとき腕により繰り出されるそれは、恐るべき速度をもって魔王を引き裂かんと空を切る。
魔王は重心をずらし、それをなんなくかわした。攻撃をかわされた男は前にのめり、バランスを崩す。魔王はその無防備となった背中に強烈な手刀を振り下ろした。みしりと嫌な音がして、男の身体は舞台の石に崩れ落ちる。
続いてその魔王の背中を目がけて、二人の男が突っ込んだ。男たちはそれぞれメリケンサックとナイフを手にして、瞬速で魔王に接近する。魔王といえど後ろに目はなく、背中には隙がある……はずだった。
「あばぁ……!」
「ぶぐはああ!」
男たちの腹に、魔王の裏拳がめり込んだ。彼らは腹を押さえながら白目を向き、意味不明な叫びとともに倒れる。その身体は倒れた後もしばらく痙攣していた。
「ちっ、接近戦は無理だ! 遠距離で行くぞ!」
残った四人は魔王からすぐに離れていった。彼らはある程度魔王から距離をとると、あらためて武器を構えて魔王を包囲する。
魔王と選手たちの睨み合いはしばらく続くと誰もが思った。だがその包囲網は、大方の予想に反してあっけなく崩れさった。
「……やっ、やっぱり無理だ! こんな奴を倒せるわけねえ! 俺は棄権する!」
「おっ、おい!」
一人の選手が、武器を捨てて自分から舞台の外に逃亡していった。恐怖が男を支えていたプライドを超えてしまったのだ。さらにその後を、二人の男が恥も外聞もかなぐり捨てるかのように追いかけていく。舞台の上には少し呆れたような魔王と、呆然として固まる一人の男だけが残された。
「お前は逃げなくても良いのか?」
「くそったれエエェ!!」
最後の男はもはや武器すら持たずに全身全霊、身体の全ての力を拳に込めた。拳は残像を残し、雷を追い越すような一撃となる。ひとたび地面に炸裂すれば、地が裂けるのが容易に想像できるほどだった。
魔王はその拳を避けなかった。かわりに手を出してそれで拳を受け止める。拳が魔王の手にぶつかった瞬間、大砲が撃たれたような轟音と衝撃が闘技場に轟いた。
「なっ……」
魔王の身体は揺れもしなかった。さきほどと一寸足りとも変わらぬ位置に、彼は立っている。ほんのわずからぶれも、その時の魔王には存在はしなかった。
男の顔は蒼白となった。そして目もすぐに白目のみとなる。魔王の攻撃により、悲鳴を上げることもなく彼は気絶したのだ。
男の身体はゆっくりと地面に倒れていった。魔王はそれをつまらなさそうに見送る。そして試合の終わった魔王がどこか物足りならないような顔をして舞台から立ち去ろうとした時、観客席から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「……凄い……。圧倒的だアァ! 強い、強いぞ魔王! これほどの試合を私たちは見たことがあったでしょうか!! どうか皆さま、彼に盛大な拍手を!!」
司会の男が叫ぶともはや観客席は総立ちであった。観客たちは全員歓喜したように沸き立っていて、その顔は明るい。
こうして魔王の予選は彼の圧勝によって拍手とともに終わったのであった。