第二十九話 サクラのついてない朝
第二十九話 サクラのついてない朝
魔王たちがクランに龍討伐を報告した日から時間は流れ、いよいよ闘神祭当日の朝がやって来た。魔王たちは未だ風の冷たさの残る朝に、会場となっている闘技場へと出かける。
街はすでに、祭の前特有のそわそわとしたような熱気にあふれていた。各地から集まった商人たちが自慢の商品を広げていたり、大道芸人たちが群衆を集めていたりする。道を行く人々の服装もどこか華やかで、街全体が着飾っているようだ。
「みんな盛り上がってるわね。こういう雰囲気、私は大好きよ。魔王も好き?」
「まあ嫌いではないな……」
魔王はどこか上の空であった。心ここにあらずといった面持ちで、視線もふわふわとしている。どうやら、大会を前にして考え事をしているらしい。
「別に緊張することないなんてないわよ。あんたに勝てる奴なんてまずいないから」
「うちもそう思うで。自信持ったらどうや?」
「試合に勝つ自信はある。だが、どうにも嫌な感覚を覚えてな……」
魔王はシェリカたちの励ましにも煮え切らない態度で答えた。そして、どこか空の遠くの方を見る。今日の空は快晴で透き通るようであったが、魔王は何か嫌な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
魔王がそうしてすっきりしない様子でいると、その後ろからシアが近づいてきた。シアは魔王の横に並ぶと、彼に何か薄い紙を見せつける。
「魔王、これを見て!」
「うぬ……。魔王も愛用していた特製ブレスレッドだと?」
シアが魔王に見せた紙には『あの魔王も愛用! シア神官の特製開運ブレスレッド!』と書かれていた。魔王はそれを見てさすがに驚いたような顔になる。するとシアは事もなげに言った。
「このチラシに書かれているブレスレットを限定千個で販売するの。売れ行きはあなたの活躍しだいだわ、だから頑張って。優勝することを期待してるわ!」
「そうか……。なら頑張るとしよう……」
魔王は目をお金のように輝かせるシアに、呆れたように言った。シアはそれを聞くと、ほくほく顔をしてまた後ろに下がっていく。だがその時、サクラの手がシアのチラシへと伸びた。
「こらっ、人に無断で商売を始めるんじゃない」
「あっ、それを返して!」
「ダメだ。こんなインチキ臭い商売を私は認めんぞ」
「むぅ……」
サクラにチラシを取り上げられたシアは膨れっ面でサクラを睨みつけた。だがサクラはそれを見ても馬耳東風、まったく気にしない。しかし、その後のシアのつぶやきにサクラの背筋が凍った。
「そう……なら良いわ、あきらめる。でも、この商売に必要なお金を手に入れるためにサクラの刀を担保にしたわ。商売できないならそれも返ってこないけど良いの?」
「えっ……あああ!!」
サクラが確認してみると、なんと新しく買ったはずの刀が元の竹光に戻っていた。しかもばれないようにするためか、鞘の中に重しの砂まで入っている。
サクラの顔がみるみるうちに赤くなっていった。瞳に怒りの炎を燃やし、頭から湯気が立ち上る。背中に炎を背負っているようにも見えるその姿は、まさに鬼のようであった。
「シィ~アァ~!! 今日という今日は絶対に許さんぞォ!!」
「こっ、恐い! 助けてみんな!」
「……これはシアが悪いわね」
「すまんな、うちにもフォローできへんわ」
「そっ、そんな……みんな薄情なの!」
……結局、シアは拳ほどの大きなたんこぶを二つもつくった。サクラはたんこぶを押さえて涙目になっているシアを見ると、すっきりしたのか良い笑顔になる。
そうして大騒ぎしているうちに魔王たちは闘技場に着いた。闘技場は大きな円形をしていて、その周りを大群衆が取り囲んでいる。闘技場は大きな屋敷がすっぽりと収まりそうなほどの大きさで、重厚な石で出来ていた。しかも広さだけでなく高さもあり、遠くからでも見上げるような大きさだ。
魔王は闘技場の持つ迫力にしばし感嘆した。魔界でもっとも大きな建物は魔王城だが、この闘技場ほどの大きさではない。それゆえ魔王は闘技場の圧倒的な大きさに感動したのだ。
シェリカたちはお上りさんのように関心しきりの魔王を引っ張って、大会の受付へと向かった。すると、すでに受付の周りには黒山の人だかりが出来ている。だがその全員が出場選手ではないようで、むしろその応援に来ている人の方が多いようであった。
その人ごみの中をシェリカたちはかきわけかきわけ、進んでいった。すると、周りをたくさんのギャラリーに囲まれた一人の選手が彼女たちの姿を目ざとく見つける。
「おや……あの娘たちなかなか……。右から八十八、九十、九十三といったところか……むむっ! あの着物娘、百三だと!」
男の目の色が変わった。彼はキャアキャアと騒ぐギャラリーたちを置き去りにすると、一瞬でシェリカたちの前に姿を現す。そして突然のことにきょとんとするサクラの方を見て、気障ったらしい口調で言った。
「ハーイお嬢さん。今日は出場しに来たのかい? それともこの僕の応援かな?」
「なっ、なんだお前は?」
「おっと、僕としたことが名乗るのが遅れたね。僕は薔薇十字騎士団団長カルマーセ、これから闘神祭で優勝する男さ。覚えておいてくれたまえ」
「はあ……。それでそのカルマーセさんは私に何の用があるのだ?」
サクラは呆れかえった様子でカルマーセを見た。すでにサクラの隣に立っているシアなどは、カルマーセの白いえんび服のような服装と気障過ぎる態度に爆笑している。
だがカルマーセは神経が太いのか鈍いのか、そんなシアたちの笑いにまったく反応しなかった。そして、大袈裟で芝居がかった態度で話を続ける。
「あまりにも美しいお嬢さんがいたのでね、つい声をかけてしまったのさ。どうだい、このあとデートしないかい?」
「……無理だ」
「そっ、即答だね……。一応、理由を聞いておこうか?」
「これからこの男の応援をしなければならんからな、無理だ」
連れの男の話をすればさすがに引き下がるだろうと思ったサクラ。彼女は魔王の方に目を向けて笑いかける。だがカルマーセはそこらのナンパ男とは違った。
「ほう、この男の応援を? ふふっ、それは残念だね。なぜならこの僕が優勝するからこの男が優勝することはありえないのさ。……そうだね、君には試合で僕の凄さをわかってもらおう。こんな男よりも数十倍強くてかっこいいということをね! それではさらば、僕の凄さを理解した君が僕の前にまた現れることを期待しているよ!」
カルマーセはそれだけ言い残すと、また一瞬にしてギャラリーたちのもとへと戻っていく。その場には、呆然と立ち尽くす魔王たちだけが残された。
「刀は質に入れられるし、馬鹿男には絡まれるし……。サクラ、今朝はあなた最高についてないわね……」
こうしてシェリカのどこかサクラに同情したかのようなささやきが、寂しく辺りの喧騒に消えていったのだった。