第二十五話 魔王の本気
第二十五話 魔王の本気
魔王はゆっくりと龍に向かって歩き出した。その大きな背中からは巨大な気配が放たれていた。シェリカたちはその悠然とした魔王の姿に息を呑む。
「ギジャアアア!!」
魔王の殺気に触発されたのか、龍が悍ましい声で叫んだ。迷宮を揺らすその叫びはまさに絶対零度のごとく、聞く者の心胆を凍えさせるものであった。
しかしそのような物は魔王には関係ない。彼は響き渡るけたたましい咆哮を、木のざわめき程度に無視した。そして何も聞こえてないかのように悠然と龍の前に立ち塞がる。
「行くぞ! お前たちは下がっていろ!」
「わかったわ! ほら、みんな下がるわよ!」
三人は岩陰から素早く飛び出して、さらに後ろの大岩に隠れた。魔王はそれを後ろ目で確認すると、杖を身体の前に構える。龍と魔王の間に緊迫した空気がにわかに張り詰め、刹那の沈黙が訪れる。
瞬間、魔王の気配が膨れ上がった。増大した気配はたちまちのうちに迷宮中に伝わり、地面がピシッと鳴った。
「ふぬっ!」
魔王の姿が突風とともに消えた。朧げな陽炎のように消えた魔王。彼のいた場所には窪んだ地面だけが残されていた。だが、龍が消えた魔王に気を取られた次の瞬間、その巨大な顔の前に魔王は現れた。
「ダークアロー!」
魔王の杖から周囲の闇よりなおも暗い闇の矢が飛び出した。無数の矢は龍の強靭な外殻をいともたやすく穿っていく。顔に空いた穴から鮮血ほとばしって、龍は自らの血に染まっていった。
「ウギャアアア!」
肺が張り裂けんばかりに息を吸い、龍は壊れそうなほどの悲鳴を上げた。火薬の炸裂音よろしく空気が押し揺るがされて、岩陰のシェリカたちは恐怖に身を寄せ合う。
だが魔王自体は龍の悲鳴になど頓着しなかった。彼は魔法の反動で洞窟の中を高く高く舞い上がっていく。そして、洞窟の天井近くに差し掛かると、天井を強烈に蹴った。天井が大きく窪み、魔王が砲弾のような速度で飛び出す。その速さたるや、音にも迫ろうかというほどだ。
「グウオ……」
魔王の蹴りが龍の首元に炸裂した。龍の巨体が揺らぎ、崩れ落ちる。ぐらぐらと洞窟が揺れ、天井から岩がいくつも崩れ落ちてきた。地面が裂けて、そこの見えない亀裂が走り抜けていく。
魔王はそこから龍に次々と技を繰り出し、再び立ち上がる隙を与えなかった。だが、その攻撃のせいでいよいよ洞窟内は危ない状況になってきた。天井から細かい石が降り注ぎ、ときどき大人より大きな石が落下する。
魔王はそれでも別に良かった。岩が当たるぐらい大したことではない。だが、この洞窟には魔王と龍以外にもあと四人いた。シェリカたちだ。
「うわああ! こりゃあかん、避難するで!」
「避難するってどこへよ!」
「えっと……」
「あそこの門を越えたところならたぶん安全」
シアが洞窟の入口の門を指差した。確かに、門の向こうでは岩は降っていない。エルマとシェリカはともに頷き、サクラに肩を貸して避難を開始しようとした。だが……。
「待ってくれ、私は避難などしない」
サクラが突然、きつい口調で言った。その声はさきほどまでのふやけた物ではなく、いつもの引き締まった凛々しい声に戻っている。シェリカたち三人は思わずその言葉に耳を疑った。
「何を言ってるのよ! このままだと生き埋めよ!」
「そうやで! 危険過ぎる!」
「……死んでしまうわよ?」
「確かに死ぬかもしれない……。だが! だからといって、魔王に全部押し付けて自分たちだけ安全な所に逃げるのは良いのか!?」
「それは……」
「うぅ……」
「……言い返すのは無理だわ……」
三人は揃って言葉に詰まった。彼女たちは困ったような顔をして立ち尽くすことしかできない。そうしてシェリカたちが呆然としている間に、サクラは地面にどっかと腰を降ろした。さらにあぐらを組み、刀の鞘を突き立てて、決して動かない構えを取る。
サクラのその態度を見たシェリカたちは、その意志の固さを悟った。三人は顔を見交わして苦笑すると、優しい顔になる。そしてシェリカがサクラの肩に手を掛けながら告げた。
「……わかった、私も残るわよ」
シェリカは腰の剣を地面に置いた。そしてサクラと同じように地面にしゃがみ込む。その目には固い意志が燃えていた。
「……仕方ないわね、私も付き合うわ。ただし、私が死んだら困るから防御用の魔法陣を張るわよ。私だけじゃ魔力が足りないからシェリカ、エルマ、二人とも魔力をかして」
シアはいつもの無表情のままシェリカとエルマに手を差し出した。シェリカはその手をなんのためらいもなく握りしめて、魔力を注ぐ。だが、エルマの方は何故か顔が強張った。
「えっ、シェリカだけやのうてうちも?」
「そうよ……。まさかあなた、この雰囲気の中で逃げるつもりだったの? もしそうだったら私はあなたを『ヘタマ』って呼ぶわ」
「そ、そんな訳ないやろ! だからヘタマは勘弁して!」
エルマは泣きそうな顔をして手を差し出した。シアはそこからエルマの魔力を存分に受け取る。そして、先に受け取っていたシェリカの魔力と合わせて魔法陣の構築を始めた。
一方、魔王は攻撃を一時中断して、四人の様子を見守っていた。幸いにも龍は魔王の連続攻撃に気を失いかけていたのだ。
しばらくして、サクラやシェリカたちを淡い光が覆った。シアの防御魔法が完成したのだ。魔王はそれを確認すると、龍に不適に笑いかけた。そのとき龍は、半気絶状態から脱しつつあった。
「戦闘再開だ」
「グアオオオ!!」
戦う者の心は通じ合うのだろうか。魔王の言葉に龍は咆哮を持って応えた。そして、さきほどの鬱憤を晴らすべく怒涛の攻撃を開始する。
爪が風を切り、地面を深々と裂く。尻尾が唸りを上げて、巨大な岩を粉微塵に打ち崩す。さきほどまでよりもさらに速くなったそれらの攻撃を、魔王はなんなくかわしていった。一切の無駄がなくそれでいて優美に。銀の髪を揺らして戦う魔王の姿はさながら舞踏会の貴公子のようであった。
「ギャオオオ!!」
龍にとって魔王の舞は、いらいらさせるものでしかなかったようだ。魔王に対する苛立ちが極限まで募った龍は、その口に膨大な魔力を蓄え始める。小癪な獲物を丸焼きにしようという腹だ。
「ブレスか……しかもかなり魔力を込めているようだ。……かわせぬな、守護陣一式!」
シェリカたちに向かって放たれたものより、さらに数段強力な魔力を帯びたブレス。さすがに素で耐えるには分が悪いと思った魔王は、杖で手早く地面に魔法陣を描いた。そして、己の持つ莫大な魔力を惜し気もなく込める。オレンジ色の光の壁が魔王を包み込み龍に立ちはだかった。
ちょうどその時、岩龍の方も魔力を蓄え終えた。口から青い魔力の炎が放たれる。空気を焦がし、岩を溶かし、炎は魔王へと迫っていく。しかし、魔王の方に一切の動揺はなかった。眉一つ動かさぬまま魔法陣ごと炎に包まれていく。
魔王がいた辺りの地面が灼熱の溶岩になったところでブレスは収まった。龍はいなくなったであろう生意気な獲物を想像して満足したのか目を細める。だがここで、彼にとって想定外のことが起きた。何かが溶岩の中から跳んだのだ。その出来事に龍は開けていた口を閉じることもできない。
「油断したな……。ハイプロージョン!」
無防備な龍の口から閃光がほとばしった。洞窟の中が一瞬、白くなるほどの光だ。しかもそこはオリハルチウムの外殻に守られていない岩龍の最大の弱点であった。
もはや龍になすすべはなかった。龍の頭は内側から粉々に吹き飛ばされて、巨大な身体が轟音と埃を連れて崩れる。
「よし、後は……」
龍が倒れたところで、魔王は呪術核を探し始めた。目を閉じて微弱な魔力の流れを探っていく。魔王の精神は瞬く間に無に達して、極限まで感覚が研ぎ澄まされた。その結果、魔王はすぐにそれらしき魔力の波動を感じとった。
「これか……うむ、間違いない」
それは肉に埋もれて血で濡れていたが、白い骨に紅く刻まれた幾何的な文字、間違いなく呪術核であった。魔王はそれを今だ血の流れる肉の塊から引っ張り出すと、手で握り潰した。乾いた音がして、骨は粉と化し消えていった。
「ほう、これは……」
龍の身体が光となっていった。巨大な骸が淡い燐光となり、空中へと消えていく。光の花が咲き乱れたようになって、あたりは一面彩色の海に飲まれていった。こうして、魔王たちはようやく龍を倒したのだった。