第二十三話 緊迫の一分間
第二十三話 緊迫の一分間
迷宮の闇の奥深くにある第五十階層。そこで、サクラたち四人は額をつきあわせて話し合いをしていた。それを魔王は穏やかな表情をして見守っている。だがその瞳は絶えず、眠っている龍の姿を視界の端に捉えていた。
「一分、それだけ持たせれば良いんやな?」
エルマが声をひそめ、念を押すようにサクラに言った。それにサクラは深く頷いて応える。
「そうだ。攻撃してくる龍を二人で何とか一分、持たせてくれ」
サクラの言葉は重く、抑揚がなかった。シェリカとエルマは眉間にしわを寄せ、緊張を隠せない。龍の猛攻に一分間耐えることは、無茶と難しいのちょうど間ぐらいの難易度であった。
だがここでシアが少々不思議そうな顔をした。そして感じていた疑問をサクラに投げかける。
「一分の間、隠れているのはダメなの?」
現在、龍はサクラたちを倒したと思って眠りについている。一分たっても起きるとは思えない。だがしかしサクラは首を横に振った。
「ダメだ。私は一分の間に技を放つ準備をするのだが、その時に膨大な気が発生する。それに龍が気づかないとは思えない」
「なるほど。そういうことなのね」
納得したシアは口を閉じた。そしてシェリカとエルマに視線を送り、そのあと祈るように手を合わせる。手を合わせた彼女は、顔を上げてそのまま天を仰いだ。
「神よ、三人にご加護を」
お金が大好きでいつも冷ややかな笑いを浮かべているシア。そんな彼女のらしくない行動に三人は固まった。だが、その心づかいが伝わったのか三人はすぐさま気を取り直すとシアに笑い返す。そして、龍を倒すべく行動を開始した。
「では……始めるぞ」
サクラは岩陰から出ていくと、目を固く閉じて精神を集中しはじめた。サクラの身体の輪郭が蜃気楼のように揺らぎ出し、気が満ちていく。地面に落ちていた小石が浮かび上がり、サクラの髪の毛が波打ち始めた。
「グゥ?……ギャアアア!」
ただならぬ気配を感じ取った龍が目を覚ました。龍は寝ぼけ眼でサクラの姿を確認するや否や咆哮を上げ、地面を踏み鳴らしながら彼女に向かっていく。だが一方、サクラは向かい来る龍に対して微動だにしなかった。いや、この場合はできなかったのかも知れない。
そのサクラの様子を確認したシェリカとエルマは互いに視線を交わした。そして二人は声を掛け合う。
「行くわよ! 援護よろしく!」
「もちろん、ど~んと任せてや!」
シェリカとエルマは岩陰から飛び出した。エルマはサクラと反対方向に走りながら残り少ない魔力を振り絞って魔銃を乱射。光が線を引いて龍の顔を次々と穿つ。その光はさきほどまでより込められている魔力が弱く、ほとんど見かけ倒しである。しかしそれでも、龍の注意を引き付けるのには十分だった。
「龍はん、こっちやで~!」
「グギャアオオ!」
龍は迷宮を揺るがす叫びとともに、エルマに向かって突っ込んでいった。その大木のような前足が振り上げられ、爪が冷たく光る。空気が揺れて嫌な風が起きた。
だがその時、いつのまにか龍の顔に上っていたシェリカがその巨大な眼に剣を突き立てた。眼に切っ先がめり込み、赤く充血していく。そのあまりの痛みに岩龍はエルマどころではなくなった。
「グゴアアア!!」
龍は身体を丸め、洞窟の中をのたうちまわる。切り裂くような絶叫が轟き渡り、地面が揺れ動く。天井の岩が降り落ちてきて次々と地面に穴を開けていった。その大地震のような揺れの中では、いかにシーカーであるシェリカたちでも立っていることすら難しい。
「うわっ、わわわ!」
間一髪、龍の身体から飛び降りたシェリカはエルマの元へと駆け寄っていった。揺れと降り注ぐ岩のせいでまともに歩けないなかを、何とか彼女に近づいていく。
「シェリカはん、大丈夫やったんやね!」
「もちろん、それよりサクラは?」
「見ての通り、大丈夫や」
エルマは顔をサクラの方向に向けた。シェリカもそれに続く。すると、さきほどと変わらず集中しているサクラの姿がそこにはあった。この大揺れの中、地面に突き刺さっているかのように直立不動だ。しかもその身体は気に満ちて、今にもあふれ出しそうなほどである。
「ギシャアアア!」
痛みから回復した龍が地を裂くような雄叫びを上げた。その眼は怒りに染まり、裂けんばかりに見開かれている。その憎悪の眼差しの先にはシェリカとエルマがいた。二人はその焼き尽くす炎のような圧倒的殺気に思わず身構える。
「これはやばいで!サクラはん、まだなんか?」
エルマがどこかすがるような調子で尋ねた。するとサクラは目を閉じたまま、かすれた声でつぶやく。
「まだだ……あと少し……」
「仕方ないわ、あと少し頑張るわよ!」
シェリカがそういうと、龍が攻撃を仕掛けてきた。前足が唸り、風を切る。シェリカとエルマはすばやく後ろに飛びのいた。前足が二人のいた地面にあたり、轟音とともに砕けた岩が飛び散っていく。後には巨大な爪痕だけが残されていた。
「シャアアア!」
龍はその後も信じ難い速さで攻撃を繰り返した。前足、尻尾、顎の牙などあらゆるものが二人を引き裂かんと迫っていく。それらを二人がかわすたびに地面が揺れ動き、砂や岩が舞い上がった。
「は、速くなってるぅぅ!」
シェリカが思わず叫んだ。なんと龍の攻撃速度は落ちないばかりか上がっていたのだ。龍の身体が風を切る音が、だんだんと洗練され硬質的になっていく。二人の背中を恐怖感が走り抜けた。
すばやさには自信のある二人であったが、だんだんと攻撃をかわすのが厳しくなってきた。余裕でかわせていた前足が、二人の長い髪を掠めていく。
「あかん、そろそろ……」
エルマの身体がいよいよ動かなくなってきた。だが、龍の体力に限界はないのか攻撃はなおも続いていく。そしてついに……
「くっ、痛ぁ……」
エルマの足がつった。普段は援護役で精密な動きはしても激しい動きはしない彼女。速い動きに筋肉が限界を超えた故であった。
エルマは痛みに負けず、足を引きずって何とか動こうとはした。しかしこの状況でそんなことは無意味。岩龍の爪が迫り、その柔らかい肉を裂こうとする。
「エルマぁ!」
シェリカが感情を爆発させて声の限りに叫んだ。甲高い絶叫が迷宮の中を幾度となくこだまする。この時であった。瞬間的にではあるが、激情に燃え立つシェリカの身体がにわかに強烈なオーラを放った。遠くでもはっきりと認識できたそのの大きさに、魔王は眉をひそめて首を捻る。
するとどうしたことだろう、エルマに迫っていた前足の軌道がなにかをぶつけられたようにずれた。それによって龍がほんの一瞬、動きを止める。まさにその時であった。
「グア?」
龍の背後で何かの気配が爆発した。かたかたと地面が震えて、大気が火花を散らす。その巨大な気配に龍は何事かと攻撃を中断して後ろを振り向いた。
するとそこには鬼気迫る表情をしたサクラが立っていた。眼光は鋭く、気が溢れて空気を揺らめかせている。そしてその手には黄金色の炎に輝く刀が握られていた。
「準備完了だ……さあ行くぞ! 裁きの星をその身に刻め、北神・星刻斬!」
気迫の篭った叫びとともに、黄金の輝きがいっそう明るさを増した。それはまさに太陽のごとく、闇に沈む迷宮の洞窟を鮮明に照らし出す。そしてその直後、サクラの身体が空に舞い上がったのだった。