第二十二話 脅威の外殻
第二十二話 脅威の外殻
迷宮第五十階層に広がる大空間。そこで今まさに、激戦の火蓋が切って落とされた。空気が痺れるように張り詰め、視線と視線が交錯する。
「シャアアア!」
先に仕掛けたのは龍であった。長い前足を唸らせ、薙ぎ払う。膨大な質量に周囲の岩は吹き飛ばされ、粉塵が舞い上がった。巨大な柱のごとき足は、風を切り裂き五人に迫る。
五人は後ろに跳んだ。迷宮の天井へと向かって、高く高く。数秒の空中散歩。それが終わると五人は地面へと軽く舞い降りた。地面につくたび彼女たちは武器を構え、互いを見交わす。
「行くぞ!」
「ええ!」
粉塵で視界が無くなった龍に出来た僅かな隙。それをサクラとシェリカが逃すことなく見つけた。二人は足音もなく走り、地面を蹴って飛び上がる。
迷宮の風の中を翔ける二人を、後ろから魔銃の光が追い抜いていった。光は龍の顔にぶつかり、花火のように散る。二人はその花が散ると同時に、龍に襲いかかった。それぞれ髪や服をばさばさと鳴らしながら龍の身体近くに降り立ち、刃を一閃させる。
舞い散る火花、炸裂する金属音。鍛冶屋が力一杯に鋼を打ったような音が迷宮に轟き、紅く焼けた光の華が咲いた。
「ちぃっ!」
「硬っ!」
二人の手に伝わった龍の皮膚の感触。それは鋼どころの騒ぎではなかった。硬く、されど頑丈で脆くなく。それはちょうど、ダイヤモンドの硬度と鋼の耐久性を合わせたような未知の感触であった。だが、二人は攻撃の手を緩めることはしない。
二人は攻撃の反動を活かして後ろに飛びのいた。すると、龍の前足が二人のいた場所を通り抜けていく。風が二人の髪を巻き上げ、頬を撫でた。
二人は前足をやり過ごすとまた龍に向かって行くべく地面を蹴った。硬い石の地面と、二人のブーツや下駄が擦れて小さな閃光を放つ。
シェリカたちと龍との戦いはそれからずっと続いた。龍の咆哮が轟き、その後を追うように金属音が響く。さらにその間隙を塗って魔銃の光が炸裂した。
だが、その戦いの音は徐々に静かになってきていた。シェリカたちが疲れてきていたのだ。
「なんて硬いんだ……。攻撃がまともに通じないぞ!」
「これじゃ勝てないじゃない……!」
二人は肩で息をしながら龍を見上げた。鉛色をした外殻は二人の猛攻にも関わらず傷一つついていない。二人の頭をわずかに絶望が包んだ。
一方、岩の陰から魔銃でもって援護をしていたエルマも二人と同様に絶望感を覚えていた。そして彼女は思わずぽつりと漏らす。
「どんだけ硬いんや……。あの龍、伝説のオリハルチウムでできてるんやないか?」
「オリハルチウム? なんだそれは?」
「私も聞き覚えがないわ」
エルマの漏らした言葉に、魔王とシアの質問が殺到した。その二人の質問に、エルマは少し考え込むような仕草をする。そして、言い澱みながらもゆっくり答えた。
「オリハルチウムっていうのは神々の金属って呼ばれている金属や。すごーく硬くてその上強靭! ただ、今はどこにも残ってないはずなんやけど……。でもそれぐらいしかあの硬さは説明できへんで」
エルマはそういうと心配そうに二人の方を見つめた。二人は岩龍の前足や長い尾を巧にかわしながら盛んに攻撃を続けている。だが、その刃はことごとく弾かれていた。
エルマはその様子に唇を噛み締めた。何とか加勢したかったが、もう彼女の魔力はほとんど残っていない。魔銃は魔力を消費する武器であるため、残念ながら無理な相談だった。
「このままでは危険。なんとかならないの?」
シアが魔王をすがるような目で見た。しかし、魔王は険しい顔をしてつぶやいただけであった。
「まだ手を出す時ではない」
「そんな……」
シアとエルマが絶望したかのような顔をした。魔王はそんな二人の顔を見ても何も言わなかった。
その時であった。龍が奇妙な動作を始めた。二人に対する一切の攻撃を止め、頭を高くかかげる。その口に光が満ち始めた。
「いかん! 逃げるぞ!」
異変に気づいたサクラが絶叫した。そして全速力で駆け出す。それに僅かに遅れてシェリカも駆け出していく。
「グウオオオ!」
咆哮とともに光が弾けた。蒼く輝く光が一直線に放たれ、津波のように二人に迫る。熱で岩は溶け、光で視界があやふやになった。光は熱をともなって岩を沸騰させながら疾走する。もしまともに当たりでもしたら、二人は影すら残らないだろう。
「こっちや! 速くぅ!」
「急いで!」
いち早く巨大な岩の陰へ避難したエルマやシアが、喉が裂けそうなほど叫んだ。二人はそれに応えてぐんぐん速度を上げ、光を振り切ろうとした。岩でできた地面を二人の足がかたかたとリズミカルに鳴らし、二人は風となる。
次の瞬間、サクラが光から逃げ切った。彼女は仲間たちに受け止められ、一息つく。それに続いてシェリカも仲間たちの隠れる岩陰へと飛び込もうとした。だが……
「ぐっ……はあ……」
シェリカの身体をを光が掠めた。鎧は焦げ、沸騰した血が爆発する。シェリカの滑らかな肌は吹っ飛び中の肉や骨を晒した。
四人の感覚が引き延ばされた。素早く飛び込んで来るはずのシェリカの身体が、ふわふわ宙に浮いているように感じられる。その延びた時間の中で醜悪な傷口は強調され、血と骨からなる紅と白の破壊的な色彩を主張した。
「いやああ!」
一瞬遅れてシェリカの悲惨な状態に、エルマの悲鳴が響いた。目の前で人間の身体が一部とはいえ吹き飛んだのだ。血になれたシーカーといえど無理もなかっただろう。
取り乱したエルマは何事かを口にしながら滅多やたらに泣き始める。だがその身体を、かろうじて冷静さを保っていたシアが抑えつけた。
「落ち着いて! 大丈夫、あれくらい治せる」
シアが叫び続けるエルマの肩を無理矢理に抑え、口に手を当てた。そして、エルマが黙った後でシェリカの治療に取り掛かる。まずは彼女を横に寝かせ、傷口に手の平を押し当てた。
「イース・リウ・ハムナ・カタア……」
シアの口から呪文が紡がれ始めた。手の平の周りが淡く輝き、患部が癒えていく。その後あっという間に傷はふさがり、シェリカの身体は元通りに戻った。しかし、今度はシアがその場にへたり込んでしまう。
「ふう、はあ……治療完了よ……」
「シア、大丈夫!?」
いつも白いシアの顔が、紫に染まっていた。慌てて治療されたばかりのシェリカがシアを抱き起こす。シアの目は少し虚ろであった。
「魔力を消耗したのだな。仕方あるまい、余が行くとしよう」
魔王が岩陰から出て行こうとした。マントが擦れ、微かな音を立てる。その足取りはゆっくり重々しかった。しかし、そのマントの端をサクラの手が掴んだ。
「待ってくれないか」
魔王の足が止まった。彼は振り向き、真っすぐな瞳でサクラを見る。サクラの黒く濡れたような瞳は澄み渡っていた。
「私たちをもう少し戦わせてくれないか?」
「構わないが、何故なのだ?」
「ここで魔王に頼ったら、これからも頼りっぱなしになってしまう。仲間というのは支え合うもので依存するものではない」
サクラの口調にはどこか切迫感があった。強い魔王と弱い自分達。彼女なりに何か思うところがあるのだろう。
沈黙があった。辺りにはすでに獲物を焼き殺したと思っている岩龍の鼻息だけが聞こえていた。
「サクラの言う通りだわ。頼りっぱなしじゃ格好つかないもの」
シェリカの言葉が重く響いた。その声は小さかったが、心の琴線を震わせるものであった。
エルマとシアは、シェリカの言葉にただ黙って深く頷いた。二人にも、思い当たる節はあった。
「良かろう。こういうことは嫌いではない。だが勝算はあるのか?」
魔王は感心したような表情でそう言った。すると、サクラがゆっくりと首を縦に振る。
「一応は大丈夫だ。成功する可能性は低いが私に策がある」
サクラは冷静な口調で魔王に告げた。開き直ったという雰囲気でもなく、恐怖を感じているという雰囲気でもなく、ただ冷静に。だがその目はいつになく輝いていたのだった。