第二十話 初陣
第二十話 初陣
ギルド『深層旅団』結成から二日が経過したある日。迷宮第四十五階層を、五人のシーカーが探索していた。集団の前を歩く赤髪の剣士に桜色の着物を纏った侍、その後方を歩く大きな帽子を頭に載せた神官に地図とペンを手にしたマップメーカー。そして、そのさらに後ろを貴族風の男が続いていた。間違いなく魔王たちであった。
彼らは今日、五人で始めての探索に臨んでいた。うまく戦えるのか、連携できるのか。龍との戦いに備えた訓練のつもりとはいえ、少なからぬ不安が彼らを付き纏う。その不安が行動にも現れたのか、彼らは水の滴る洞窟のような通路にゆっくりとしたリズムで足音を刻んでいた。
「いきなり四十五階層なんて大丈夫かしら……」
最前列を歩くシェリカが不安げな顔をした。五人で始めての探索、しかも四十五階層は彼女にとっては未知の階層である。彼女は他の誰よりも不安でいっぱいであった。
すると、サクラがそんなシェリカの独り言を聞き付けた。彼女はシェリカの方に向き直ると任せておけと言わんばかりに胸を張る。
「大丈夫だ、私やみんながいるじゃないか」
「それもそうね。心配することなかったわ」
シェリカは小さく息をこぼすと顔を上げた。その顔は晴れやかで、わずかながら不安が軽減されたようだった。するとその時、最後尾の魔王が足を止めた。そして辺りをゆっくりと見回す。
「ふむ、何か来たようだ」
魔王がつぶやくと、それ続くかのように足元がじりじりと揺れた。ほかの四人も足を止めてそれぞれの武器を構える。張り詰めた空気が辺りを支配した。
しばらくして天井につかえそうなほどの身体を持ったオークが、前の曲がり角から現れた。丸々と肥え太ったオークは脂肪で膨れた鼻を下品に鳴らし、腐ったような息を吐き出す。さらにその身に纏った粗末な腰布にはハエがたかっていて、異様な臭気があたりに立ち込める。
「ちっ、ずいぶん大きなオークだな! 鼻がもげそうだ!」
「そうね、さっさとやらないと臭いが染み付きそうだわ!」
シェリカとサクラは互いに目配せすると、一斉に武器を抜いた。刀と剣が閃き、鋭い切っ先がオークに向けられる。そして次の瞬間、二人は一気に踏み込んでオークへと跳んだ。
「せやあっ!」
サクラの刀がにわかに光り、一条の光を描いた。気を纏った刃が滑らかにオークの腹を裂き、血がほとばしる。オークのたるんだ腹と腰布はたちまち血に濡れて、オークは絶叫を上げた。
「ブヒイイィ!」
オークは耳を焼くような雄叫びを上げながら大暴れを始めた。手に持つこん棒をやたらめったら振り回して、周りの岩や地面を吹き飛ばしていく。その巻き込まれれば人間などひとたまりもない様子に、サクラもシェリカもたまらず後ろに下がってしまった。
「これじゃろくに近づけないわ! エルマ、出番よ!」
「よっしゃ、任せとき!」
エルマは腰からサッと魔銃を引き抜いた。彼女はそれをくるりと回して構えると、安全装置を解除する。そして彼女はオークのたるんだ身体に狙いを定めると幾度となく引き金を引いた。軽快な音が迷宮に響き、銃口が青く光る。
魔銃から放たれた光はすべて過たずオークの腹に殺到して、その柔らかい肉を揺らした。たるんだ腹は激しく波打ち、今にもちぎれてしまいそうなほどだ。だがしかし……
「グオオ! ブヒイイィ!」
「ちっ、あかん! こいつデブやから銃があんま効かへんみたいや!」
エルマは腹を揺らしはしても一向に貫けない光を見て舌打ちした。威力も高く使い勝手もよい魔銃。だが、実は柔らかい敵には滅法弱いという弱点があるのだ。
結局エルマの攻撃はオークを怒らせただけであった。前にも増して暴れ出したオークに、エルマは茫然自失としてしまった。しかし彼女はすぐ気を取り直すと後ろの魔王をすがるように見る。だが、魔王はエルマの期待に反して首を横に振った。
「ダメだ。余が手を出しては訓練にならぬ」
魔王は毅然とした態度で断言した。今回の探索は、ギルドでの連携を高めるためである。それに強すぎる魔王が手を加えたら成果が上がらないのだ。
「そうかいな……。それなら自信ないけどやれるだけやってみるで!」
エルマは魔銃を一丁しまい、もう片方を両手で構えた。そして神経を研ぎ澄まし、オークの顔のあたりに狙いをつける。エルマの手の造形がにわかに蜃気楼のごとく揺れて、魔銃に膨大な魔力が流し込まれていった。
「バーストショットォ!」
気迫の篭った叫びが響き、エルマの銃からこれまでになくまばゆい閃光が放たれた。閃光は迷宮の闇を切り裂いて一直線にオークに迫り、その右目に直撃。見事なまでにそれをえぐり取る。
「ウギャアアア!」
鼓膜を破壊するような堪え難い絶叫が轟いた。オークはこん棒を放りなげ、頭を抑えてのたうちまわる。その腕は始めて獲物ではなく自身の血で紅く染まっていた。
だがここで、オークは致命的な過ちを犯していた。痛みに苦しむあまり、こん棒を放り投げてさらにほっぽらかしにしてしまったのだ。
「そらあ!」
「えやああ!」
サクラとシェリカがオークの懐に飛び込み、その身体を血に染めていった。オークは慌ててこん棒を手に取ろうとしたが時すでに遅し。肉を裂かれ、ずぶ濡れになるほど血を流した身体にはこん棒を振り回すような力は残っていなかった。
「グゥ……」
オークは弱々しい断末魔のみを残し、息絶えた。その死体はあっという間に光の粒となり闇に溶けていく。後にはメロンほどの大きさの魔力珠だけが残された。
「ふふ……大きいわ。お金になりそう」
怪我人がでなかったので暇をしていたシアが、すぐに魔力珠を抱えた。そして愛おしいかのようにほお擦りをする。その頭の中はお金のことでいっぱいだった。
「こらっ、あんたなに勝手に持ってるのよ! それはみんなで山分けよ!」
「あっ……」
シェリカはシアに近づくと、その手から魔力珠を取り上げた。そして、腰のポーチに押し込む。シアは赤くなって頬を膨らませたが、シェリカはまったく相手にしなかった。
「まったく油断もすきもないんだから。……それよりサクラ、オークってみんなあんなに強いの? あたしあれが続いたら結構きついんだけど」
「えっ? ……そうだな、少なくとも私が知る限りではあれだけ強いのは始めてだ。普通なら最初の一撃で真っ二つになっている」
サクラはしばらく考えた後、シェリカの質問に答えた。サクラとしても、オークの強さは予想外であった。
「なら良いけど……」
シェリカはサクラの答えにそう心配そうに言うと、また迷宮の中を歩き始めた。他の四人もすぐに後に続いて探索を再開する。
その後五人はオークに何度か襲われたものの、シェリカの心配したようなことにはならなかった。そして五人は四十九階層まで潜り、いよいよ次回の探索で五十階層に潜む龍と戦うことになったのである。