第十話 酒場での話
第十話 酒場での話
迷宮都市は夜になると昼とは異なる顔を見せる。昼には営業しない酒場やその手の店が営業を始めて妖しい雰囲気を醸し出すのだ。
あちこちに灯る明かりに朱く照らされながら、魔王とシェリカはそんな迷宮都市の繁華街を歩いていた。通りにはすでに酔っ払ったシーカーが眠りこけていたり、もはや服とは呼べないぐらい大胆な服を着た商売女が愛想を振り撒いていたりする。通りの酒場やそういう店はおおにぎわいで、夜だというのに昼以上の喧騒にあふれていた。
魔王は歩きながら騒々しい街の様子を興味深そうに見ていた。すると、前を歩いていたシェリカがくるりと横を向き、細い路地に入っていく。魔王はスッと眉を寄せた。
「どこへ行くのだ? 店はこっちにあるだろう」
「私の行きつけの店はこっちなの」
「ほう、そうか。なら良いのだが」
魔王が納得すると、シェリカはすたすたと歩き出した。表通りとは違って暗い裏通りを足早に歩いていく。周りの建物からわずかにこぼれる光だけが、彼女の足元を照らしていた。
そうして少し歩いたところで、シェリカの前方に明るい建物が現れた。暗い海にぽつんと浮かぶ光の島のようである。それはどうやら酒場のようで、『ヒヨドリ亭』とかすれた文字で書かれた看板を掲げていた。
「着いたわ、ここよ」
「ふむ、なかなか趣のある店だな」
魔王はヒヨドリ亭の外観をあらかた見てうなずいた。時代を感じさせる木の看板に、わずかに苔むした壁。その扉はこじんまりと小さく、瀟洒な取っ手がついている。それらは全体として品の良さを感じさせた。
シェリカは取っ手を握ると、少し力を込めて引いた。木の軋むギシりという音が響いて扉がゆっくりと開かれていく。そして、扉が開かれると中から微かな酒の香りが漂ってきた。さらにその香りとともに、老人のものとおぼしき声も二人の耳に届く。
「おや、シェリカちゃんか。よく来たのう。……ややっ! その男はもしかして彼氏か?」
「違うわ、ただの仲間よ」
「なんじゃ、びっくりさせおってからに。わしの心の癒しが取られたかと思ったぞい」
「心の癒しって……まあいいわ。魔王、こっちに来て」
シェリカはカウンターの真ん中の席に陣取ると、その隣の椅子をぽんぽんと叩いた。魔王はその言葉に従い、促されるまま椅子に腰掛ける。椅子に座った魔王がざっと見渡すとカウンターには他に客はおらず、店全体でも数人しかいなかった。
マスターは二人が席につくと、水の入ったグラスを差し出した。さらにそれと一緒に薄い紙も差し出す。その紙の一番上にはメニューと書かれていた。
「何にする? 私はブフーの石焼きステーキセットにするけど」
「ならば余もそれにあわせようか」
魔王はメニューに目を通した後でそう言った。それを聞いたシェリカは手を挙げて、すぐにマスターに注文する。するとマスターは目を細めて満面の笑みを浮かべた。
「ずいぶんと景気が良いのう! 何か儲かったのか?」
「今日はこの魔王のおかげで迷宮にたくさん潜れてね。だから結構稼げたのよ」
「ほう……」
マスターがにわかに手を止めた。そして持っていた包丁を置いて真剣な目つきで魔王を見る。その表情は険しく、値踏みをしているようであった。その小さな身体から刺すような殺気が放たれて、魔王はそれに背筋を冷やす。
「なるほど……確かに凄まじい達人のようじゃ。……レベルはどう見ても百は超えとるの」
「良くわかったな。その通りだ」
魔王は感心した様子で老人を見た。すると、老人は照れたのか頭をカリカリと掻きはじめる。魔王はそんな老人を見てわずかに緊張を緩めた。
二人を見ていたシェリカはホッと大きなため息をついた。そして、店の中をズイッと見渡す。シェリカの目に青い顔をして食事に手がつかない客の姿が飛び込んできた。
「ちょっとあんたたち、殺気の出し過ぎよ! みんな怖がってるじゃない!」
「いや、すまんかった。昔の癖でついな……」
「余もやりすぎたな。すまぬ」
魔王とマスターはそういうとおとなしくなった。そして、マスターは注文の料理を二人の席に運んできた。鉄板の上でジュージューと音を立てるステーキは、いかにも美味そうである。魔王もシェリカもそれを見て、頬を緩ませた。
「いただきま~す! はぐはぐ……う~ん、おいしい!」
「肉の味といい柔らかさといい、素晴らしい出来だ」
魔王もシェリカも次々と勢いよく料理を食べて、皿を空にしていった。マスターはそれを見てウンウンと頷いている。そうしてあっという間に二人は食事を平らげた。シェリカは満足そうに腹をさすって恍惚とした顔をしている。だがその時、ふと魔王があることを口にした。
「……そういえばさきほど、昔の癖が出たといっていたがそなたはもともと何をしていたのだ?」
「うぬ? ああ、わしも昔はシーカーをしておったんじゃ。これでも若い頃は闘神祭に優勝したこともあるのじゃぞ」
「闘神祭?」
魔王はあごに手を当てて首を捻った。そして困ったようにシェリカの方を向く。シェリカは魔王の言わんとしていることを察すると呆れたような顔をした。
「闘神祭といえば、毎年この迷宮都市で開かれる地上最強を決める武道大会じゃない。世界的に有名だけどあんた、知らなかったの?」
「閉鎖的な土地で暮らしていたのでな」
「閉鎖的ねえ……」
シェリカは疑わしげな顔になった。彼女は魔王の顔を細い目でじっと見つめる。魔王はその視線から罰が悪そうに目をそらした。それによって二人の間に何とも言い難い悪い空気が流れる。だがここで、マスターが気を効かせたのか二人に話しかけた。
「まあまあ、仲間なんじゃから仲良くしなさい。それより二人とも、肝心の探索はどこまで進んでおるのかの? 五十階層を超えれば闘神祭に出られるぞい」
「二十階層までよ。でも五十階層かぁ……まだ遠いわね。マスター、闘神祭まであとどれくらい?」
「え~と、確かあと一月ほどじゃったな」
「何とかいけるかな? 魔王、どう思う?」
シェリカは身体を魔王の方に向けた。その目は上目遣いで何かを魔王に訴えかけているようだ。魔王はその目を見てしばし考え込む。
「一月か……。この迷宮に特別に強い門番のようなモンスターはいないか? いないのであれば十二分に可能だろう」
「門番ねえ……。確か五十階層に巨大な龍がいるって聞いたことがあるけど、数百年もずっと眠ってるそうだから大丈夫よ」
「そうか、ならばよかったな」
魔王がそういうとシェリカは白い歯を見せてニッと笑った。そして、彼女は力強く宣言する。
「よし決めた! 私たちの当面の目標は、五十階層まで到達して闘神祭に出ることよ!」
魔王はシェリカの宣言に笑ってこたえた。マスターもその様子を微笑ましく見守っている。こうして魔王とシェリカは、当面の目標として五十階層を突破し、闘神祭に出ることを決めたのだった。
話の展開上、新キャラが登場しました。ですが今後の展開は改訂前から大幅に変えるつもりはありません。