第三十二話:『金剛の盾と受け継がれる魂』 第二節:生体共鳴と好敵手の契り
「小娘、無理をするな! 退けぇッ!」
頭上の防壁から、アイゼン公爵の張り裂けんばかりの怒声が叩きつけられた。
「その男の装甲は、我が街の壁と同じ太古の巨獣の剛性だ! 力比べで押し合えば、貴様の腕の骨が先に粉微塵に砕け散るぞ!」
公爵の叫びは、戦場における冷徹な真実だった。
バウルが骨の大剣に込める膂力は一段と増し、リンの『ギア・ナックル』の装甲板をミシミシと押し潰していく。
小柄な体躯を支える両足の筋肉が千切れんばかりに引き絞られ、額から噴き出た汗が目元を赤く染めた。
「リンっ……! 引いて、お願いだから……腕が壊れちゃう……ッ!」
背後から届いたのは、折れた剣を抱えながらも必死に叫ぶ、アリアの悲痛な声。
だが、リンは退かない。
奥歯が砕けるほど噛み締め、剥き出しの闘志を宿した琥珀の瞳で大男の仮面を睨みつけた。
「砕けて……たまるかよ……ッ!」
喉を裂いて振り絞られた叫び。
「後ろに仲間を背負ってるんだ……引けるかよぉぉぉッ!!」
その魂の叫びに、大地が激震した。
都市全体を支える巨大な外郭防壁の深奥――地下回廊に鎮座する『生体鉱石』が、呼応するように目も眩む青銅色の輝きを放った。
ドクン、と。
地脈の底から、途方もない熱量を帯びた奔流が逆流してくる。
百年前、仲間を逃がすためにたったひとりで何千もの刃を受け止め、仁王立ちのまま息絶えた戦士ダンカンの、不器用で温かな闘気の残滓。
大地から立ち上る【重厚な青銅琥珀の光柱】が、リンの足元から奔流となって駆け上がった。
そして、リンの体内の生体マナから溢れ出る【研ぎ澄まされた蒼い闘気】と真っ向から衝突し、螺旋を描いて合一する。
エルの遺した『ギア・ナックル(緋金剛・砕霊甲)』の調律歯車が狂ったように回転し、激しい蒼気功の渦の中に、ダンカンの剛心が青銅琥珀の芯となって宿る。
上から押し潰していたはずの圧倒的な質量が、ピタリと静止した。
それどころか、小柄な少女の両腕から、まるで山そのものが唸りを上げて隆起してくるかのような、途方もない剛性が押し返してきたのだ。
「我が骨の反発が……相殺されていく……!?」
バウルの仮面の奥で、双眸が見開かれた。
リンは呼吸を整えた。
焦りも、怒りも、恐怖も、すべてを削ぎ落とした絶対の静寂。
深く、短く息を吐き出す。
少女の意識は、ただ一点へと収束していた。
敵を打ち砕くための暴力ではない。
目の前の理不尽を押し止め、後ろにいるアリアたちを、この壁の内側で必死に生きる人々を守り抜くための、一筋の芯。
全身の関節を連動させ、大地の反動を腰へ、背へ、そして右腕のシリンダーへと直結させる。
無駄な動きは一切ない。
戦場を切り裂く虚空のキャンバスに、極太の墨文字でその一撃の因果が叩きつけられたかのような、圧倒的な存在感――。
至近距離からの、渾身の浸透正拳突き。
放たれた右拳が、バウルの骨の大剣の腹へと吸い込まれた。
打撃音すら置き去りにした衝撃の透過。
生体鉱石の共振を宿した蒼い衝撃波が、骨の大剣を内側から粉々に破砕し、そのままバウルの胸部装甲の中心核へと突き抜けた。
一瞬の静寂ののち、バウルの背後へ向けて、扇状の猛烈な衝撃波が突き抜けて大地を抉り飛ばした。
不落を誇った白骨族長の胸部装甲が、蜘蛛の巣状の亀裂を一気に広げ、粉微塵となって四方へ弾け散る。
「ぐ……あ……ッ!!」
2メートルを超える巨躯が、耐えきれずに後方へと吹き飛んだ。
湿った黒土を何メートルも削り取り、バウルは片膝を大地に突いて激しく呼吸を乱した。
胸元を覆っていた重厚な骨の鎧は完全に剥ぎ取られ、浅黒い肌に赤い打撲痕が浮かび上がっている。
周囲の白骨歩兵たちが一斉に足を止め、静まり返った。
族長の不壊の装甲が、小柄な格闘家に真っ向から撃ち砕かれたのだ。
立ち込める白煙の中、リンは両腕の熱を逃がし、ゆっくりと拳を引いた。
肩で息をしながらも、その立ち姿は微動だにしていない。
「……ハッ」
沈黙を破ったのは、低く太い笑い声だった。
胸を押さえ、膝を突いたままのバウルが、口元を歪めて笑っていた。
その瞳に宿るのは、敗北の屈辱ではない。
自らの誇る骨を砕かれたことに対する、純粋な武人としての歓喜と敬意だった。
バウルは砕け散った大剣の柄を投げ捨て、ゆっくりと立ち上がった。
折れた大剣を背負うこともなく、堂々と胸を張り、大気を震わせる声で名乗りを上げる。
「我は魔大陸六大部族が長、白骨族長バウル! 魔王レン様の絶対の盾を担う者なり! ……小娘、名を何という」
「……ただのリンだ」
「リン、か」
バウルは不敵に笑み、砕けた装甲の胸を右手で力強く叩いた。
「その拳に宿る剛性、そして後ろの者を守らんと踏みとどまる覚悟……確かにかつてレン様と共にあった戦士ダンカンの意志そのものであった。……我が骨の完敗だ」
バウルは背後の白骨歩兵たちへ向けて、無骨な手を掲げた。
「全軍、刃を収めよ! これ以上の進軍は無用、撤退する!」
「隊長!?」
兵たちのざわめきを、バウルの一喝が断ち切った。
「ダンカン殿の盾は、泥棒どもの城壁ではなく、あの娘の拳の中に生きていた! これ以上奪うべきものなど、この地にはない!」
歩兵たちが一斉に敬礼し、規則正しく後退を始める。
バウルは踵を返し、去り際に一度だけリンを振り返った。
「リン。……次に相見えた時は、我が骨が砕けるか、貴様の拳が砕けるか、真の決着をつけよう」
「……上等だよ。次もあたしが叩き割ってやるさ」
リンが不敵に笑い、親指で鼻の頭を拭った。
二人の戦士の間に、言葉以上の確かな好敵手の絆が刻まれた瞬間だった。
魔王軍の先鋒が潮が引くように去っていくのを見届け、防壁の上からアイゼン公爵が駆け下りてきた。
その無骨な顔は驚愕と、深い安堵に歪んでいる。
「小娘……いや、リン殿。……礼を言う。街を守ってくれただけでなく、ダンカンの魂を……救ってくれた」
公爵は深々と頭を下げた。
アンド、その視線はリンの背後――折れた白銀の剣を抱きしめ、静かに立ち尽くすアリアへと向けられた。
「……アリア殿下」
「公爵様……」
折れた『アルビオン』の切断面を見つめるアリアの瞳に、迷いや絶望の色はなかった。
あるのは、己の未熟さを噛み締めながらも、次なる一歩を見据える武人としての静かな炎。
公爵はその瞳の強さに頷き、顎をしゃくった。
「ついてこい。……お前たちに見せねばならぬ場所がある。この街の地下深奥、帝国の画一化を嫌って隠れ住む、偏屈な老いぼれの工房だ」
(第三節へ続く)




