踏切の音
カン、カン、カン、カン――。
住宅街に響く、踏切の警報音。
その前に立つ、一人の女子高生。
腕時計と遮断機を交互に見つめながら、つま先が落ち着きなく動く。
……もう二十分じゃん。早くしてよ。
時間ぎりぎりに家を出る彼女にとって、この踏切が毎朝の難関だった。
カン、カン、カン、カン――。
容赦なく鳴り続ける警報音。
腕時計の秒針だけが、刻一刻と進んでいく。
もう。いつまで待たせるの。
気づけば、手は遮断機のバーに触れていた。
少しかがめば、向こう側へ行ける。
そう思って、一歩踏み出した、そのとき。
カン――。
音が止んだ。
え……?
次の瞬間。
ガンガンガンガンガンガン!!
まるで金属を叩きつけるような轟音が、鼓膜を揺らした。
「っ!」
咄嗟にしゃがみ込み、耳を塞ぐ。
ガンガンガンガンガンガン!!
けれど、全く意味がないくらいにその音は耳に響いてきた。
ガンガンガンガンガンガン!!
……うるさい。
後ずさると、音が遠くなった気がした。
震える手で耳を離す。
カン、カン、カン、カン――。
聞こえてきたのは、いつもの警報音だった。
恐る恐る顔を上げると、そこにあったのは見慣れた通学路だった。
遠くで点滅する信号機も、車の走る音も、揺れる木々も、いつもと何一つ変わらない。
さっきまでの異変だけが、世界から切り取られたように消えていた。
ただ、一つだけ。
カン、カン、カン、カン――。
警報音はまだ鳴り続けていた。
……何なの、一体。
一キロ程先にある駅の方を見ても、電車が来る気配は全くない。
そもそも本当にそこに電車はあるのか、目を細めてもよく見えなかった。
……まだ耳が反響してる。ここを通るのはもう止めよう。
そう決めると、駅の方へ駆け出した。
――
「……なので、みなさん気をつけてください」
学校に着いた頃、朝のホームルームが終わろうとしていた。
息を整えつつ、廊下の隅で身を潜めるように立ち、教室の様子をうかがう。
「起立、礼」
「ありがとうございました」
椅子が引かれる音。
友達同士の話し声。
教室が一気にざわつき始めた、その瞬間。
今だ。
窓際の自分の席へ滑り込んだ。
椅子を引いて腰を下ろし、肩からリュックを外して机の横に掛ける。
セーフ。
誰にも声をかけられていない。
どうやら、うまく紛れ込めたらしい。
小さく息を吐き、窓の外へ目を向けると、さっきの踏切がふいに頭をよぎった。
……あれは、何だったんだろう。
私が下を通ろうとしたから?でも、今まで何人も見たことある。あんな音、聞いたことない。
私だけ、何でだろう。変なの。
そうだ。ミキちゃんなら、「何それ!」って笑いながら聞いてくれるかもしれない。
そう思って、席を立った。
……あれ。
窓際の一番前。友人が座るその席へ目を向けると、そこには誰もいなかった。
机の横には、いつも掛かっているはずのリュックもない。
休み?
珍しい。体調でも崩したのかな。
不思議に思いながら、自分の席へ戻る。
椅子に腰を下ろしたところで、気づいた。
……あ。
ミキちゃんがいないなら、今日、話す人いないじゃん。
――
終わりのホームルームを告げる声が聞こえると、真っ先に席を立ち上がった。
足早に廊下へ出る。
……退屈だった。ミキちゃんがいないだけで、一日がこんなに長く感じるなんて。
明日は会えるといいな。
そんなことを考えながら、校門をあとにした。
カン、カン、カン、カン――
西日に照らされた踏切に、警報音が響く。
電車が目の前を走り抜ける。
吹き抜けた風が髪を揺らし、車両は夕焼けの向こうへ消えていった。
遮断機がゆっくりと上がる。
……渡って、いいんだよね。
朝の出来事を思い出し、少し躊躇う。
また渡れなくなったら、そう考えてようやく一歩踏み出した。
……
……何もない。よかった。
踏切を渡り始める。
線路の真ん中まで来た、そのとき。
カン。
……え。
カン、カン、カン、カン――。
……嘘。まだ渡り切ってないのに。
ゆっくりと遮断機が下り始める。
慌てて駆け出した。
渡り終えると、肩で息をしながら振り返った。
遮断機は下りている。
けれど、電車は来ない。
しばらく待っても、警報音が鳴るだけだった。
……やっぱり、この踏切変だ。
朝は変な音が鳴るし、電車は来ないし、誰も……。
誰も、いない。
周りを見渡すと、そこには人影一つなかった。
よく考えたら変だ。朝はギリギリだったからわかる。でも、帰りはいつも何人か通るはず。
……偶然?いや、違う。
あの警報音も、電車が来なかったことも、全部この踏切で起きている。私が知らないだけで、この踏切には何かあるんだ。
なんだか気味が悪い。明日からは、別の道も考えた方がいいのかもしれない。
いつもより早い足取りで家へ向かった。
――
「ただいま」
玄関から声をかけるが、返事はない。
お父さんはまだ仕事かな。
お母さんは買い物にでも出かけているのかもしれない。
靴を脱ぎ、廊下を歩く。
リビングの扉を開けると――
「あ、お父さん」
ソファに座る父の後ろ姿が見えた。
「もう仕事終わったんだ。お母さんは?」
父は身じろぎ一つせず、テレビを見つめている。
「ねぇ……」
声をかけようとした、そのとき。
「――昨日午前八時二十分。〇〇駅付近の踏切で――」
ちょうど、あの踏切のニュースが流れていた。
「あ、そうそう。この踏切、今日ずっと変でさ」
「無理に線路を渡ろうした高校二年生の――」
「テレビつけないでって言ったでしょ」
母の声に、父は無言でリモコンへ手を伸ばす。
テレビの画面が暗くなった。
「あ、お母さん、キッチンにいたんだ。ただいま」
母は振り返らない。
水道の音だけが、静かなリビングに響く。
「………聞こえないよね」
私の声。
カン、カン、カン、カン――。
ガン。




