「古都の夢」 08
2025.7.25 夕方/竜宮庵・竜宮の間
桐生は項垂れながら正座していた。正面には腕組みをしてこちらを睨んでいる鬼が二匹、もとい美女二人。
「で、そのまま3時間。いつの間にか外出てるし。電話にも出えへんし。何考えてんの?」
“素”モードの恵。普段が普段だけに、これは怖い。
「何杯コーヒー飲んだ思う?飲みすぎて夜ご飯も食べられへんわ。それに暑っつい中歩き回らされて。汗で気持ち悪いし、メイクは崩れるし。ほんま最悪やな!」
「まあまあ恵さん」
真理が宥めるように声をかける。桐生はやっと地獄から解放される、と気を緩めかけた。
「桐生君のこれはもう病気だから。高千穂でも初音さんっていう女子大生のお尻を追っかけ回してたし」
甘かった。桐生の頭が更に下がる。
「人が寝込んでる時に、ほったらかして皆で仲良くランチにも行ってたしね」
「何それ?最低。あんた、人としての心はないんか?」
追い出したのあんただろ、という言葉を飲み込む。
・・・今はそんな正論が通じる状況じゃない。
「マジで、いっぺん修行したら?知り合いのおっちゃん紹介したろか?」
頼む、誰か助けて・・・桐生の願いが通じたのか、玄関のチャイムがなり中居が夕食の準備ができたと知らせてきた。
「じ、じゃあ準備の間、風呂でも入ってこようかな〜」
返事も聞かず逃げ出す桐生。恵が「待てや!」と言っているが聞こえないフリでその場を猛ダッシュで去る。
「・・・逃げよった」
「まだまだ言い足りない事はあるけど、とりあえず私たちも汗を流しましょうか?」
「そうですね。ついでに頭も冷やします」
夕食の膳が運ばれてくる時間を利用して、それぞれ浴室に向かって歩き出した。
◇◇◇
入浴は荒んだ心を癒し、美食は心の隙間を幸せで埋める。
桐生は“高級旅館”と言う人類の叡智に感謝しながら、夕食と幸せを噛み締めていた。お腹が膨れる頃には二人の機嫌も直り、今日の出来事を冷静に振り返る余裕も出ていた。
「ちょっと形は違ったけど、結局桐生君の夢も本当になった、って事なのよね」
「改めて思い返してみると、セリフとかほぼそのまんまですもんね」
真理と恵に喋らせ、桐生は最大限気配を消すことに集中している。
「昨日が真理さん、今日が桐生さん。って事は・・・次は私の番?」
恵がやや上気した顔で目を輝かせている。
「十年前に見たって言う建物がどこかは分からないけど、今日の桐生君みたいに全く別の何かとして現れる可能性は高いわね。どこかの国の王子様に見初められるとか?」
「え〜っ、そんな、どうしよう?いくら私が可愛いからって!」
恵もまんざらではないようだ。
「明日は予定をフリーにしておいて、もし恵さんが夢を見たならその内容に沿って動く。見なかった場合は、改めて“浦島伝説”を見直すようにしましょうか?」
異論もなく、夕食後に桐生と別れた二人はしばし寝室前の洋間でおしゃべりし、揃ってベッドに入った。
「明日、何が起こるんだろう・・・起きたら、まずは真理さんに報告しますね!」
「ふふ、楽しみにしてるわ。恵さんがどんなお姫様になるのか」
柔らかな照明を落とし、眠りにつく。
不思議な宿で、また一つ不思議な夜が更けていく。やがて二人の寝息だけが、静かなハーモニーを奏でていた。
◇◇◇
2025.7.26 夜明け前/竜宮庵・竜宮の間
夢を見ていた。
竜宮庵の、磨き上げられた板張りの廊下を早足で歩いている。なぜこんなに急いでいるのか。それは、“あれ”があるから。
突き当たりの手前で、左を向く。重々しい木の扉。これを開けると、後には戻れない。真理は意を決してドアノブに手をかける。鍵は・・・かかっていない!心臓が早鐘を打つ。扉が、わずかに軋んだ。
不意に背後から肩を掴まれる。
気配も感じさせず、いつの間にか背後に立っていた人物。顔を恐怖に引き攣らせながら振り返ったその先で真理を見据えていたのは・・・!
何の前触れもなく、パッチリと目が覚めた。まだ夜は明けておらず、窓の外には夜が広がっている。恵は隣で安らかな寝息を立て、時折笑顔で何やらムニャムニャ言っている。楽しい夢を見ているのだろう。
真理は横になったまま、先ほどの夢を思い返していた。あまりの生々しさにパジャマが汗びっしょりになっている。夜明けにはまだ時間がありそうだが、目が覚めてしまい二度寝できる気もしない。
真理はそっとベッドを抜け出し、着替えを持って浴室に移動した。
◇◇◇
膳が運ばれ、朝食の準備が始まった。が、恵はまだ起きてこない。
「よっぽどいい夢みてるんすかね?」
桐生の軽口に朝方の幸せそうな顔を思い出し、真理もクスッと笑う。
「寝かせてあげたいけど、せっかくの食事が冷めてしまうのもね。起こしてくるわ」
真理は寝室のドアを開け、ベッドで寝息を立てている恵に声をかける。
「・・・恵さん、起きて。もう朝ですよ」
返事がない。今度はもう少し大きめの声で呼びかけてみる。
「さ、起きましょうか!ぐずぐずしてるとお料理が冷めちゃいますよ!」
やはり返事がない。仕方がないなあ、と肩を揺する。が、一向に目覚める気配はない。
「恵さん・・・恵さん?」
強く揺するが、恵は力なくなされるがまま。真理の額に汗が滲む。
「・・・どうかしたんすか?」
なかなか帰ってこない二人に桐生が部屋の外から遠慮がちに声をかける。
「桐生君・・・恵さんが、恵さんが!」
異変を察知した桐生が寝室に駆け込んだ。朝食を準備していた仲居も何事かとドアの外から様子を窺っていたが、どこかに内線をかけ始めた。
「恵ちゃん、起きて!恵ちゃん!」
桐生もゆすったり、声をかけたりするが恵は何の反応もしない。幸せそうな表情で、安らかな寝息を立てている。
「・・・どないかしはりました〜?」
振り返ると、ドアのところに京極が立っていた。異変を感じた仲居の連絡を聞いて駆けつけたのだろう。
「連れのものが起きなくて・・・」
「ちょっと失礼します〜」
京極がベッドの脇に立ち、恵の様子を見る。
「どうしましょう、救急車を呼んだ方が?」
狼狽える真理に京極が静かに告げる。
「呼ばはってもええけど・・・多分どないもなりまへんえ〜」
「それは、どう言う意味でしょうか?」
淡々と告げる京極が逆に不気味に見える。真理の問いに、京極は感情を感じさせない目で答えた。
「・・・このお嬢さん、“竜宮の夢”の取り憑かれてはる。こないなったら、どうしようもありませんわ〜」
京極から飛び出した“竜宮の夢”と言う単語。それには、聞き覚えがありすぎた。
「それってつまり・・・」
「はい、このお嬢さんが目ぇ覚ましはんのは、はるか未来のお話です、ゆう事どすな〜」
京極の間延びした声だけが、静かな部屋に滲んでいた。
◇◇◇
寝室に恵を残し、リビングには真理と桐生、向かい合うようにして京極が座っている。仲居が運んできた茶を一口啜り、京極が慣れた手つきで皿に戻す。
「・・・先ほど仰った“竜宮の夢”とは、一体何の事なんでしょうか?」
浦嶋神社で宇良から聞いた話と同じだとは限らない。こちらのカードを見せる前に、真理から切り込んだ。
「“竜宮の夢”言うのは、普通では辿りつかへん長い、長〜い夢に囚われてしまう症状の事ですわ〜。原因は分からへんのですけど、むか〜し昔にそんな症状があった、言う記録が残っとります〜。嘘かホンマか知りまへんけど、百年寝続けた、いう話もあります〜」
「それは、この“竜宮庵”で起きたことなんですか?」
「さいですな〜。鎌倉になるかならんかの頃にそういう事があった、と伝わっとります〜」
「その人は、結局どうなったんですか?」
「戻ってきても、知ってる人もおらん。それどころか、歳も取らん。その後出家して、八百比丘尼 (やおびくに)呼ばれた、いう話どす〜」
「八百比丘尼って、あの800歳まで生きたって言う?」
桐生が目を見開きながら尋ねる。
「へぇ、あの比丘尼はんどす〜」
「でも、恵さんが必ずしも“竜宮の夢”に囚われたとは限らないのでは?病院で診てもらったら、原因がはっきりするかも」
真理の問いに京極はにべもない。
「さっきも言うたけど、救急車を呼びたかったら呼ばはったらええですよ〜」
「・・・自分の宿でこんな事が起こってるのに、さっきからえらく他人事じゃないですか?」
桐生が厳しい表情で京極に詰め寄る。
「さすがどすなあ。うちはそんな事、よう言わんわ〜」
「どう言う意味だ!遠回しな言い方はやめて、ハッキリ言ったらどうなんだ!」
「ほな、言わせてもらいますえ〜」
京極の目から笑みが消え、切長の瞳が桐生を射抜く。桐生の怒気が気圧される。
「うちはお宿を貸してるだけです〜。そこで誰かが怪我をした、病気になった、言われてもうちには関係ありゃしません〜。それをうちのせいや、言われてもどないしようもありまへんな〜」
「それは・・・」
桐生も言葉に詰まる。
「明日の朝までは部屋をお貸ししてるさかい、どないしてもらってもええですよ〜。ただ、それを過ぎたらちゃんと出ていっておくんなはれ。今から出はる、言うんやったらぶぶ漬け用意しますえ〜」
「この・・・!」
最後の一言は桐生にも伝わった。京極は“気に入らないなら恵を連れてとっとと帰れ”と言っているのだ。
「待って、桐生君」
真理が今にも飛びかかりそうな桐生を制する。
「先生?」
「京極さん、仰ることはよく分かりました。それでは、明日の朝までこちらをお借りする分には問題ない、という事でよろしいでしょうか?」
「おや、お静かにされとったんで、どっか行かはりましたか思てました。もちろん、よろしおますよ。ほな、ごゆっくり〜」
悪びれる様子もなく、京極が部屋を後にした。
「何なんだ、あいつ!」
憤慨する桐生の横で真理はじっと目を瞑り、何事か思案している。
「・・・先生、これからどうするんですか?救急車呼びます?」
「もし、恵さんが本当に“竜宮の夢”に囚われてるんだったら・・・むしろ、そっちの方が都合がいいかもしれない」
「それは一体・・・?」
真理の脳裏には今朝見た夢の残滓がはっきりと蘇っていた。もし、あれが予知夢であるのならば、手は残されている。
「・・・SOPHIAに手伝ってもらうわ」
真理は無言のまま立ち上がり、SOPHIAの端末がある部屋へと歩き出した。




