星の森学園 -双葉 美咲-
生徒会副会長、2年B組。次期生徒会長まちがいなしと言われているが、本人は葛藤を抱えている
常に笑顔で慎ましく、しとやかに、そして時に凛々しく、必要とあれば強かに。
この学園で人望を得るために、わたしが考え抜いた処世術だ。
わたしには証明したいことがある。
そのために生徒会に入った。
生徒会長になれば、それが果たされるはずだった。
この男にさえ出会わなければ。
「よし。今日の会議を始めよう」
放課後の生徒会室で、会長が袖をまくりながら、ニカっと笑った。
普通だったら。ここで空気が緊張するものなのに、会長の場合は空気をなごませてしまう。
現生徒会長。橘太陽は名前のとおり、お日様のような笑顔をつくる。
こんなにまぶしい笑顔を作れる人を他に知らない。
議題は今年の文化祭と体育祭の予算案についてだった。
「今日で決めてしまおうか」
そう言うと、会長は六枚で一束になった資料を、それぞれに配った。
会長は資料の内容をすらすらと、よどみなく説明していく。
資料は端的でいて明確だ。複雑に感じるような部分も不透明な箇所もない。
資料作成では、複雑な部分をどうやって分かりやすく見せるかに頭を悩ますものだが、この資料はよくできている。
もちろんそんなつもりはないけれど、無理にいちゃもんをつけようとしても、つける箇所が見つからないくらいに。
会長は説明を終えると、
「資料は会計の久保田が作ってくれたんだ。分かりやすいだろ?」
と笑った。
そうは言っているが、資料の節々に会長の手が入っているのがよく分かる。
言葉選び、グラフの挿れ方、文字の配色まで、その全てに会長の癖がある。
「予算はこれで提出するが異議はあるか?」
あるはずもなかった。全員一致で合意に至り、会議はすんなりと終了した。
橘太陽が生徒会長になってから、会議の終了が予定時間を迎えたことはなかった。
どんな議案も問題も、会長が絶対的な正解をすぐに示すからだ。
とはいっても生徒会の仕事は多岐にわたり、やらなければいけないことは山のようにあるわけで、
生徒会の業務が終わる頃には夕陽は山の稜線に呑み込まれようとしていた。
「みさきー!」
校門へと向かう道で、川口さくらに呼び止められた。
「偶然やねー! 途中まで一緒に帰ろ?」
川口さくらはチアリーディング部の二年生だ。明るくて、人懐っこい性格で、この学園で顔が広い。
わたしが生徒会長になるために、いずれ強力な助けとなる友人だ。
「もちろん! 帰りましょう」
わたしは彼女にだけ届く声量で明るい声を出し、最大限の微笑みを向けた。
「なんか美咲はいつも上品やなー!」
「ううん。そんなことないよ」
「あるある! みんな言うとるよー。どっかの名家のお嬢様みたいって」
「やめてって。そんなわけないのに」
わたしはくすくす笑いながら、胸の前で小さく手を振って否定する。
「それにしてもなー」
さくらは前を歩く集団を見つめて言った。
「生徒会長さんは人気者やね」
たまたま部活が終わる時間が重なったのだろう。バスケ部とバレー部の面々が騒がしく戯れあっていた。
その中心には生徒会長がいる。
バスケ部のひとりに肩を組まれて、一緒に笑っている。
「不思議な人やなー。自然に人を集めるというか、そういう才能みたいなものもあったりするんかなあ?」
「ね。ほんとうに。不思議だよね‥‥」
わたしが必死になって得ようとしている人望も、あの人は当たり前に持っている。
常に笑顔で慎ましく、しとやかに、そして時に凛々しく、必要とあれば強かに。
わたしが考え抜いた処世術を、そんなもの関係ないなんて嘲笑うかのように、
だれにも説明できないような不思議な魅力で人を集める。
能力も人望も、なにひとつ勝てる気がしない。
遠くから見れば輝いていて、近づこうとすればするほど、その強大さに焼かれそうになる。
橘太陽。あの男は怪物だ。
帰り道、わたしはこっちだから。と信号の前でさくらに告げた。
またね。と手を振り合って別れたあと、少し歩いてから電話して、迎えの車を呼んだ。
しばらくするとベントレーがやってきて、わたしはその車に乗り込んだ。
「今日はどうしてこちらまで?」
運転をする執事がわたしに尋ねた。
「友達と下校したんです。本当の道を歩いたらバレるかもしれないから」
「そうですか」
執事はそれ以上の質問はしなかった。
名家のお嬢様みたい。
さくらにそう言われたとき、胸がチクリとした。
ちがう。と嘘をつかないといけなかったから。
わたしの祖先は軍需産業で成功を収めたそうだ。その後は代を重ねるごとにインフラ、不動産業に軸を移し、そして昨今ではIT産業でさらに大きな富を築くようになっていった。
わたしはそんな一族の一人娘だ。祖先から代々積み上げてきた一族の歴史と名声は、いずれわたしにバトンされることになる。
祖父はわたしに言った。期待している。
父はわたしに言った。頑張りなさい。
わたしは生まれながらに、そういう宿命のもとにいる。
わたしは自分に証明しなければならなかった。わたしに宿命を成す力があるのかを。
だから家柄のことは学園に秘密にした。そのうえで生徒会長になりたかった。
双葉の名前の力を借りずに、あの学園の生徒会長になれたなら、その証明になると思ったから。
車は家の門を潜ると、玄関の前で停まった。執事はそこで私を降ろすと車に戻り、そのまま車庫へと向かった。
祖父の代で建て替えたというお城のような豪邸は、庭を含むと500坪の面積を有しているとか。
家に入ると予想外の珍客がいた。
「なんであんたがここにいるわけ?」
その男は佐々木悠。わたしの幼馴染で、同じ学園に通う生徒で、唯一わたしの秘密を知っている人物だ。
テーブルに座っていた悠は顔を上げた。
部活帰りなのだろう。椅子のとなりにテニスラケット用のバッグとスクールバッグが丁寧に並べて置いてあった。
「届け物だよ。うちのお母さんから」
「そう。使いっ走りされたのね。かわいそうに」
「そんな言い方ないだろ?」
「だって事実じゃない」
「事実だけど」
わたしは悠のとなりに座ると「つかれたあ」とぼやきながら欠伸をした。
この男の前では自分を取り繕う必要なんてなかった。もう全て知られているのだから。
悠との出会いは5歳のころ、ピアノ教室だった。
別に最初から私たちは仲が良かったわけではない。きっかけは、なぜか母親同士が仲良くなったことだ。
それからは悠の母親はよく家に遊びにくるようになった。そのときに必ずと言っていいほど悠を連れて来るから、わたしと悠の関係も自ずと深まっていった。
そんな腐れ縁のような関係が今も続いている。
「紅茶を頂いたのよ。兵庫のだって」
言いながら、キッチンから母さんが現れて、ティーカップをテーブルに並べた。
「それより私はお腹減った。ご飯は?」
わたしが言うと、母さんはクスリと笑い「これから持ってくるわ」とキッチンに戻った。
「そうだ! 悠、ピアノ弾いてよ! 久しぶりにあんたのピアノ聴きたい!」
悠は静かに私を見つめた。
「知ってるでしょ? ピアノはもうやめたんだ」
と寂しげな顔をする。
「ちょっとくらいいいじゃない。聴かせてよ」
「だから弾かないって」
「いやだ! 聴きたい!」
悠はため息を吐きだすと、げんなりとした顔で席を立った。
リビングの端にはグランドピアノが置いてある。
子供の頃、わたしはそこでよくピアノを弾いていた。
わたしはもう使わないけど、母さんが趣味としてたまに演奏するから、まだそこにある。
悠はピアノの椅子を引いて、そこに座った。背筋をピンと伸ばし、指先を鍵盤に触れさせる。
一音目が鳴って、二音目、三音目が続く。音はメロディになって、空気を撫でた。
『亜麻色の髪の乙女』。ドビュッシーの有名な前奏曲だ。
わたしはピアノに近づいて、グランドピアノの縁に寄りかかった。
「あなたの音、少し変わったのね。優しくて、どこか儚げ。でも‥‥すごく素敵‥‥!」
悠はなにも答えなかった。音の世界に埋没しているのだろうか。
「ねえ。どうして辞めちゃったの?」
悠は目を見開いて、わたしを見た。そのあいだも指はしっかりと鍵盤を叩いている。
「それは君が‥‥」
「わたし‥‥?」
悠は鍵盤に視線を戻した。
「なんでもない。上には上がいるって、ごく当たり前のことを思い知っただけだよ」
おかしなことを言うなと思った。
悠はわたしよりも実力があった。そのまま続けていれば、プロへの道が開けていたかもしれないと思えるほどに。
「君は変わってしまった」
悠は出し抜けに言った。
「学園にいるときの君は君じゃないみたいだ」
「変わらないといけないのよ」
「なんのために?」
「生徒会長になるために」
「なんのために?」
「わたしのために」
「そうか」
それ以上は、悠は何も言わなかった。代わりにわたしが訊いた。
「正直に言って欲しいんだけど、橘会長と比べて、今のわたしはどう?」
悠は迷いもせず答えた。
「敵わないね。少しも」
「なっ‥‥!」
わたしはグランドピアノにかぶりつくくらいの勢いで前のめりになって、悠の横顔を睨みつけた。
「なによそれ! そんなにはっきりと言わなくてもいいじゃない!」
わたしの声量に驚いて、悠は演奏を止めた。目を丸くしてわたしの顔を見た。
「なんで怒ってるんだ‥‥! 君が正直に答えろって言ったんだろ!?」
「それでも、もうちょっとオブラートに包むとかさ! 幼馴染の女の子がこんなに頑張ってるのに、気を使ってやろうとかいう気持ちはないの!?」
「僕が気を遣うと気持ちわるいって、いつも君は言うじゃないか!」
「それでもして欲しいの! それが女心なの!」
「ちがう! それはただの君のわがままだよ!」
「ちがくない! どうして分かってくれないの!」
「君だって!!」
わたしはびくりと肩を震わせた。悠がこんなに声を張り上げたのは初めてじゃないだろうか。
「こんなに一緒にいるのに、少しも僕の気持ちを知らないじゃないか‥‥!」
「なによ‥‥。あんたの気持ちって‥‥」
悠は失意のどん底を見るような目で、わたしを見た。
「悠くん?」
テーブルの方から母が声をかけた。心配そうな顔で私たちを見ている。
「一緒にご飯食べましょう? きちんと話し合って、仲直りしようね」
悠はかぶりを振った。
「今日はもう帰ります。お邪魔しました」
そう言って、家を出て行った。
「美咲‥‥。あなたって子は‥‥」
母さんが呆れた顔でわたしを見ていた。
「明日、悠くんにちゃんと謝りなさいね」
「どうして私が謝るの」
「困った子たちねえ」と言いながら、母さんは深くため息をこぼした。
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こどもの頃、瓶を集めるのが好きだった。
父さんが空けたワインボトル、母さんが使い切った化粧瓶を回収しては部屋に並べた。
窓を開けて太陽に当てると、いろんな色の瓶がキラキラと光を反射する姿がたまらなく綺麗だった。
ある日、瓶を並べたお城を作り、その自信作を家族に披露したことがある。
母さんに自慢した。高く積み上げて偉いわねと言われた。
父さんに自慢した。割れたら危ないから気をつけなさいと言われた。
執事に自慢した。ピラミッドのようですねと言われた。
だれもお城だと気づいてくれなかったから、これは失敗作なんだと落ち込んでいると、ひとりの男の子がわたしの部屋をのぞいていた。
「見ないで!」わたしは失敗作を見られるのが恥ずかしくて、それを隠すように、いっぱいに手を広げた。
「きれいなお城だね」男の子は笑顔で言った。
その男の子が佐々木悠だ。
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昼休み、わたしは生徒会室に資料を取りに行った。
今日の午後には中央委員会があり、わたしは議長を務めることになっている。
円滑に会議を進行するため、事前に議題を把握する必要があった。
「双葉さん」
生徒会室は第三校舎にある。第三校舎に入ろうとすると、誰かがわたしを呼び止めた。
「なにかしら?」
わたしは立ち止まり、笑顔で応じた。
相手は永田蒼だった。わたしと同学年の二年生で、生徒会の庶務をやっている。
女の子たちからは知的でクールだと評判のようだが、わたしにはどこか冷酷さを感じる。
「今は中で文芸部の人が橘会長に取材中だ。生徒会室に用があるなら、あとにした方がいい」
「資料を取りに行くだけよ。別に聞いたらいけない話をしてるなんてことないでしょう? あの会長のことだもの」
わたしは微笑んだ。ぺこりと彼にお辞儀をして、そそくさとその場を去ろうとした。
「双葉さん」
また呼び止められ、わたしは振り向いた。
「まだなにか?」
「次期生徒会について考えたことあるかい? 橘会長がいなくなったあとの生徒会について」
わたしは首を傾げた。
「いきなり何の話? 今は目の前の仕事に一生懸命でそんなこと考える暇なんてないわよ」
「御託はいらない」
永田蒼の声は低い。それがより、わたしの中で彼の冷徹なイメージを強める。
「次の生徒会長選挙で双葉さんが立候補すれば、その人気と実績で君はそのまま生徒会長になるだろう」
「いったい何が言いたいの?」
「でも君は立候補できるのかい?」
突然、ナイフを喉元に突き立てられたような思いになった。
今さらながら、本能的に理解した。わたしが感じていたこの男の冷徹さの正体は敵意だった。そして今、わたしにナイフを向けたんだ。わたしが最も嫌がる言葉で。
「できないと言いたいの?」
「さあどうだろう。それは双葉さん次第だよ。でも大変だろうね。あの完全無欠な生徒会長の後釜は。なぜならどうしたって比べられるから。そして言われるんだ。前の生徒会長の方が良かったと。期待外れだったと。それが次の生徒会長の宿命だから」
「やってみないと分からないじゃない」
「分かっているくせに」
彼は冷たく言った。そして自分の胸に手を置いた。
「次の生徒会長は俺みたいな人間に任せればいい。批判も失望も、俺に全部ぶん投げればいい。そうすれば君は傷つかなくて済むし、これまで必死こいてかき集めていた人望も失わずに済む」
わたしは目を見開いた。
この男にはお見通しだったんだ。
わたしの稚拙なあざとさも強かさも。会長への劣等感も。生徒会長になることへの不安と恐れさえも。
今日までそれを、おくびにも出さずに私を泳がせていた。
そして今、それらを利用して、わたしに逃げ道を示した。
永田蒼は意地悪い目でわたしの反応を覗いている。
本当の強かさとはこういうことだと嘲笑うかのように。
「あなたって嫌なやつだったのね」
「否定しない」
永田蒼は頷く。
「俺は目的のためなら手段を選ばない。それ故に、そういう評価を下す人が現れるのは避けられないことだ」
「もういいわ」
わたしは彼に背を向けて、逃げるように歩き出した。
「時間はたっぷりある。じっくり考えた方がいい」
わたしの背中にナイフを突き刺すように彼は言う。わたしは歩く速度を早めた。
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生徒会室に入ると、室内には生徒会長ともう一人、男子生徒がいた。
彼が会長に取材をしているという文芸部なのだろう。
わたしが部屋に入ったときには取材は終わっていたようで、ふたりは黙っていた。
二人の雰囲気はどこか異質だった。
会長は警戒するように彼を見据え、文芸部の男は会長を断罪するかのような冷たい瞳で睨んでいた。
「悪いが、もう話せることはなさそうだ。終わりにしてもらえると助かる」
会長はいつもの笑顔で言った。
文芸部の男は会長を睨みつけたまま椅子から立ち上がると、踵を返して部屋を出ていった。
なにがあったんですか? 訊こうとするより前に、文芸部の生徒と入れ替わりで別の男子生徒が入ってきた。
「忙しかったか?」
その男は会長に言う。
「いいや。暇だよ」
会長は答えた。
男は会長の友人だった。こうして友人が生徒会室まで訪ねてくるのも会長の人望が成せる技なのだろうか。わたしの友人がわざわざこんなところまで会いに来てくれたことは過去に一度もない。
「うちの副会長が優秀なおかげでね」
会長に褒められると複雑な気持ちになった。嬉しいと思うと同時に、そう思った自分が悔しくなる。さっきの永田蒼との会話がフラッシュバックして、自分がちっぽけな存在に感じられた。
「わたしなんか。まだまだですよ。会長に比べれば」
毅然とした態度で、凛々しく、わたしは言った。こんなわたしの強がりも、永田蒼に見抜かれたのなら、きっと会長にも見抜かれているのだろう。そう思うとまた情けなくなって、わたしは資料を抱えながら逃げ出すように生徒会室を飛び出した。
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「で、なんで今日もあんたがいるのよ」
その日、家に帰ると佐々木悠が当たり前のように私の家のリビングに座っていた。
「仕方ないだろ。君の母さんに呼び出されたんだ」
悠は膝の上で、しきりに指をそわそわと動かしていた。
母さんは窓辺で庭を眺めていた。
ゆっくりと振り向いて、重々しく咳払いをした。
嫌な予感がした。それは母さんがわたしに説教を始める合図だったから。
「これは親として出過ぎた真似かもしれません。あなた方はお節介だと思うかもしれません。それでもわたしは二人のことが心配です。これは父さんの言葉なんだけれど、感情や主張は押し付け合うものではなく、受け入れ合うものです。そういう意味で、あなた達にはまだ会話が足りていないと母は思います」
なので。と話を続ける。
「ふたりが仲直りできるまで、今日は悠くんを帰らせません。美里さんにも話はとおしてあります」
美里さんとは悠の母親のことだ。
「時間はたっぷりあります。お互いが納得いくまで話し合ってください」
そう言い残して、母さんはリビングを出て行った。
悠は呆然としていた。母さんが部屋からいなくなると、半開きだった口を動かした。
「君の母さんって、たまに凄くおっかないことするよね」
「あんたの母さんも相当じゃない。これをよしとしたんだから」
しばらくの沈黙があった。
「昨日はごめん」
先に沈黙を破ったのは悠だった。
「いいよ。先に怒ったのは私だから。わたしの方こそ、ごめん‥‥」
「君が怒るのなんて、いつものことじゃないか」
「そうかもね」
悠の言うとおりだった。彼の前では私は自分を偽れない。
「永田蒼って知ってる?」
「うん。同じクラスだから」
「嫌なやつだった。わたしだと会長の代わりにはなれないって決めつけてきて。だから次の生徒会長選挙には立候補しない方がいいって言われて。そうすれば、わたしが傷つかなくて済むし、人望も失わずにすむから。とか私を思いやったような嘘くさい台詞を吐いて。本当は自分が生徒会長になりたいだけのくせに‥‥!」
永田蒼。あの男の冷徹な目を思い出して、悔しさで胸がいっぱいになった。
「悔しかった! とっても‥‥! でも何も言い返せなかったの。だって、あいつの言うことは正しいから。わたしは会長みたいにはなれない。あの人みたいに完璧じゃないし、もともとそんなたいした人望もない。だから私なんかが生徒会長になったら、きっとみんなを失望させて、簡単に見限られちゃう‥‥!」
わたしはスカートの裾をギュッと摘んだ。悔しさと不甲斐なさで、指が震える。
「だったら生徒会長になれたところで、わたしは何ひとつ証明できない‥‥!」
また沈黙が訪れた。
悠は黙って椅子から立ち上がると、ピアノの前まで歩いた。そして音も立てずに座った。
「この曲、覚えてる?」
そう言って、ピアノを弾き始めた。
何の曲かすぐに分かった。
『星に願いを』
わたしが大好きだった曲だ。
「どうしてピアノを辞めたのかって君は訊いたよね?」
悠はピアノを弾きながら、わたしに語りかけた。
「それは君がピアノを弾かなくなったからだ」
「どういう意味?」
悠は切なげに微笑んだ。
悠のピアノの音は優しくて、どこか儚げだ。彼の寂しさと悲しみが同時に押し寄せてきて、なぜだか泣きそうになる。
「君とピアノを弾く時間が好きだったんだ」
彼の言葉が、美しくも切ないメロディーに乗っかって、わたしのもとへ届く。
わたしは立ち上がり、悠の真横まで移動した。すると悠は椅子の左側に腰を動かして、わたしが座れる分のスペースを空けた。
その空いたスペースにわたしは座った。
昔は悠と一緒に、このピアノで、この曲をよく弾いていた。あの頃の自分に戻りたくなった。
鍵盤に指を触れさせると、懐かしさで泣きそうになった。音を響かせると、わたしだけの音色を思い出して高揚した。
やっぱりこの曲は大好きだ。ピアノを辞めて数年になるが、案外まだ弾けるものだ。
「でも会長には少しも敵わない?」
「それは‥‥学園での君は、君じゃないから」
わたしたちのメロディが部屋の中を揺蕩っている。体がふわりと宙に浮いていき、星空を泳いでいるような気分になった。
「しかたないじゃない。そうしないと、誰もわたしなんか認めてくれないもの」
「そんなことないよ」
悠の声は優しい。まるで、この曲の一部みたいだ。
「君は君のままが、いちばん魅力的だよ」
この男は昔から、いつもそうだ。わたしが背負っている重圧も、これまでの努力も、女心も、なにひとつ知らないくせに、
わたしの一番欲しい言葉だけは知っている。
ずるいやつなんだ。
わたしは泣いていた。それでも演奏を止めなかった。この音を聴いていたいと思ったから。
この夜が終わるまで、いつまでも。




