第2話「現実」
高校近くに古びた町民体育館がある。
その体育館は利用者が皆無な上に申請すれば町民なら誰でも利用できると言うまさに拠点とするには持って来いの場所だ。朝の八時に開き夜も九時まで開いていてくれるので練習時間も取りやすい。
やたら重たいドアを押し開けて受付のおじさんに用件を伝えると、おじさんは体育館に続くドアに視線をやる。
「中の物は壊さないでくれよ」
今時の若い者は粗暴だと言う固定概念にでも囚われているのか、おじさんは弱々しい声でそう呟いた。僕は苦笑いをして外履きを指定の場所に放り込むと学校から持ってきた体育館シューズに履き替える。
家に帰ればフットサルシューズもあるが足のサイズが合わないだろうし、何より『お遊び』でしかないのに専用の用具はいらないだろう。
「おっ、ようやく来た。おっせーぞ、松村」
黙れ浅岡。
それにしても長い髪をポニーテールにした小早川さんもクラスで見るのとは違った感じでいいな等と内心でにやけている場合ではない。
「おまえはボール使うの禁止な、走っとれ。てかちゃんとランニングはしたか?」
ほとんどの団体球技で行われる行為は『走る』と言うことだ。例外的にゴルフ等も存在するが、サッカー、バスケット、アメリカンフットボール、ラグビー。
従って長い時間、走れない者がいればそれだけ足手まといになってしまう。
僕が中学校の頃は練習前には十キロも走らされたものだ。今回は初めての練習かつお遊び、更に女子である小早川さんの存在を考慮して一キロに設定しておいた。
「途中で浅岡がサボろうとしたがそこはキッチリやらせといた」
ありがとうございます、小早川さん。
「ったく、言い出しっぺの癖にサボんなよ……まぁいいや」
メンバーは三人。基礎トレをするにしても一人欠けてしまうが、仕方ないだろう。それにどうせ今日は基礎練だけで日が落ちるだろうし。
「じゃあ、まずは基礎練習から始めようか」
「あの二人一組でやるやつか?」
小早川さんはやはりサッカーの事は詳しいらしく基礎練習と言っただけで想像はついたようだ。
「うん。浅岡のバカが本当に素人だから、一応説明させて。基礎トレは二人一組でやるもので一人がボールを投げる係、もう一人が投げられたボールを蹴り返す係。浅岡、俺に向かってボールを投げてみてくれ」
サッカー部から持ってきたボールを出すと、それを浅岡に向かって軽く蹴る。
「うぉっしゃあ! 任せとけ!」
「全力じゃなくて軽くな、軽く」
一応、念のために釘をさしておく。そうしないとこのアホの場合は安心できない。
「なんだよ。軽くかよ」
明らかに不平を漏らしぶつぶつと何かを言う所を見ると本当に全力で投げ付けるつもりだったな。
その時はその時で全力で蹴り返すつもりだったので浅岡は痛い教訓を学ぶことになっただろう。
投げられたボールをインサイドで蹴り返す、次にインステップ。そして太ももを使ってトラップした後にインサイドかインステップで蹴り返す動作を右足と左足とで行う。
後は胸トラップとヘディングの動作を加えれば基礎練習は一通り終わる。後はアウトサイドもあるのだが、今はスルーしておこう。
突き詰めればもっとあるのかも知れないが僕はこれくらいしか知らない。
「本当は立ち止まってじゃなく左右に動きながらやるんだけど、まぁ最初だから立ち止まってから始めよう。この一連の動作を……そうだな、五十回ずつ」
「五十回もやるのかよ!?」
「何事も基礎が大事だ。俺が小学校の時は百回だったぞ、これでも少ない方だ」
不平不満を漏らす扱いにくい浅岡と文句ひとつ言わない小早川さん。何となく指導する側の気持ちが分かったような気がする。
「……インサイド、アウトサイド、もも、ヘディングのリフティングを連続百回地獄の刑に処するぞ?」
途中で一回でも落としたら最初からやり直しだ。つまりヘディングの九十九回目で落としたらインサイドの一回目からとなる。
その地獄を懇切丁寧に説明した結果、一人よりは二人でやる練習のほうがいいと思ったのか浅岡は基礎トレを飲んだ。
僕はもう出来るからと驕りのつもりはない。が、この二人がどこまでやれるのかを見る必要もあるので黙々と基礎トレに励む二人の傍で僕は傍観していた。
小早川さんはこの練習をやった事があるのか、インサイドもインステップもトラッピングも綺麗で見ていて惚れ惚れするくらいだった。
その反面、浅岡は酷い、酷過ぎる。いや、最初はこんなものかも知れないが、それにしても酷い。
インサイド、インステップ共にまともに蹴り返すことは叶わず、時にはホームランのせいで僕が何度も玉拾いに行った。トラッピング技術に関しては流石は素人としか言いようがない。てか素人でももっとマシな人は多いと思う。
明らかに浅岡のせいで無駄な時間を要している。このままだと基礎トレで四時間くらいかかるんじゃないだろうか。
実際には基礎トレを始めてから一時間と二十八分三十四秒で終わった。ちなみに所要時間の九割が浅岡のせいだ。
最初はこんなものだろうか。
最後の練習を終えると日頃から運動不足な浅岡は大の字で体育館の床に大の字で寝っ転がる。
「だらしない……」
ごもっとも。
「つ~かさ。松村が居ればどんな相手だって楽勝だろ……?」
「残念でした。サッカーってのは一人じゃ勝てないスポーツなんだ」
「いや、でもさマンガみたいに……」
「オーバーヘッドキックはおろかドライブシュートもゴールネットを突き破る虎のようなシュートも地面を這うような超低空シュートもボールが分裂するシュートも相手選手を殺す勢いのチャージもユニフォームが裂ける程の破壊力を秘めたシュートも俺はできません。てかそんな人間はいません。今は二次でなく三次元を見ろ」
今、名言いったみたいな自己満足に浸っていると小早川さんが転がっていたボールを拾い上げる。
「松村君」
「はい?」
「リフティングで勝負しないか?」
同時に始めて先に落とした方が負けのシンプルなルールだ。
僕としてもブランクでどのくらい衰えたのか知る必要もあるし、何よりまだ身体を動かしていない。
快くその勝負を受けた僕は浅岡に審判の役を負わせた。
まぁ結局は勝ち負けは決まらなかった。
何故かって? 僕も小早川さんも百回以上、落とさなかったから。
タイムアップ。引き分けだ。