光の軌跡
訓練場の空気がまた一段と張り詰めた。
名前を呼ばれたのは、エミリー・ウィロー。
平民出身の特待生が見せる魔法に、クラスの誰もが注目していた。
「はいっ、よろしくお願いしますっ!」
向かいに立つのは、貴族出身の男子生徒。硬化魔法による防御が得意だと告げていた。
彼は、エミリーを見て小さく鼻を鳴らした。
「無理はするなよ、特待生さん?」
その挑発を、エミリーはきょとんとした顔で受け止めた後──にこりと笑った。
「はい、大丈夫です。全力で行きますね!」
開始の合図が響く。
瞬間、彼女の足元から淡い光が立ち上る。
風──いや、違う。風と光が混ざったような、柔らかな魔力の流れ。
まるで春風のような軽やかさで、エミリーの姿がふっと前に跳んだ。
軽やかだが、芯のある動き。
彼女が使ったのは、加速と空間操作をわずかに掛け合わせた補助魔法。
瞬発的に距離を詰めると、すぐさま光球を展開した。
それは、小さな星のようだった。
ふわりと浮かび、男子生徒の土壁に触れた瞬間──爆ぜた。
爆風ではない。
けれど、中心から放射状に魔力が弾け、硬化魔法の結界がみるみる内に砕けていく。
「な……っ!?」
驚く男子生徒に攻撃を仕掛けることなく、エミリーはふわりと後退する。
「まだまだいきますよーっ!」
明るく笑いながらも、その目は真剣だった。
砕けた土の残骸が、ぱらぱらと音を立てて地に落ちる。
「ま、まだ終わってねえ!」
男子生徒はすぐさま魔力を両手に溜め、地面に向けて放電した。
雷は網のように走り、足元を封じる罠と化す。
エミリーは驚いた様子もなく、だが無防備でもなく──軽やかにその網を躱し、再び補助魔法を展開した。
「痛かったらごめんなさい!」
再び光の粒子がきらめき、エミリーの体が跳ねるように宙を舞った。
直線的な加速ではなく、緩やかに弧を描く軌道。
まるで、踊るようだった。
そのまま男子生徒の背後に回り込んだエミリーは、手のひらに新たな光球を形成した。
男子生徒が防御魔法を展開しようとするが、もう遅い。
光球がふわりと宙に浮かび、彼の背後で柔らかく弾けた。
爆風はない。だが、波紋のように広がる魔力が、展開しかけた防御魔法を無力化していく。男子生徒が衝撃で膝をついた。
「そこまで!」
ケイリーン教師の声で、訓練場に張り詰めていた空気がふと解ける。
「ありがとうございました! 怪我とか大丈夫ですか?」
彼女は膝をついた男子生徒に手を差し出す。
その自然な仕草に、彼は気まずそうに苦笑し、小さく頷いた。
光の残滓が散り、訓練場にざわめきが戻ってくる。
「……すごい」
「あの光の魔法、どうやってやってるの?」
「あれが特待生……」
目を見開く生徒たちの中で、私は静かにその様子を見届けていた。
思っていたよりも、ずっと綺麗な戦いだった。
あの場面で真正面から挑むでも、ただ逃げるでもなく、相手の魔力の特性を読んで、魔法の構成と展開の癖を瞬時に見抜き、それを突破した。
そして、下手をすれば不発で終わるような、非力で繊細な光魔法。
それをエミリーはまるで遊びのような軽やかさで、迷いなく振るってみせた。
「やるじゃん、エミリー。あの加速、脚だけで詰めたと思ってる奴どれくらいいるかな?」
笑みを浮かべるエイダンの声には、ほんの少しの関心が混ざっている。
私は彼に視線を向けることなく、訓練場の中央に佇むエミリーを見据えたまま答えた。
「……たぶん、生徒は誰も気づいていないわ」
「だよな。あれ、重ねがけだろ? 加速と空間操作と、さらに光の分散。三重構成は普通、爆発する」
「普通ならね」
私の声がわずかに低くなる。
無邪気に振る舞うエミリー。
けれど、彼女の魔法には計算がある。緻密な制御がある。
その柔らかさの奥には、明確な意思と判断の速さ。
とてもつい最近まで魔法を習ったことのない素人とは思えない。
「褒めてやれば?」
「わざわざ私が褒める必要ないでしょう」
周囲のざわめきの中で、変化が起きているのを私は感じ取っていた。
先程まではエミリーが負けるだろうと笑っていた声は消え、代わりに訓練場のあちこちで目配せが交わされ始めていた。
「あの子の名前……なんて言ったっけ?」
「エミリー・ウィロー。平民の特待生だって」
「平民? あれで?」
いくつもの視線が、訓練場の中央に立つエミリーに注がれている。
誰もが、今この瞬間、彼女への認識を塗り替えていた。
やがて、最初の一人がエミリーに声をかける。
「ねぇ、さっきの魔法どうやったの? 教えてよ」
半ば興奮気味に駆け寄る一人の生徒に、周囲の空気が一気に弾ける。
「すげぇよ、エミリー! あんな動き、初めて見た」
「次組むとき教えてよ、光属性魔法」
「あんなに綺麗な魔法、どうやってやったの?」
「魔法制御は? どうやってるの?」
まるで水門が壊れたかのように、生徒たちが次々とエミリーの元へと集まり始める。
特待生でも所詮は平民だと侮っていた声は、今や影も形もない。
けれど、これがこの学園だ。
強さも、技術も、結果も、すべてが評価基準となる。
口先よりも魔法で語った者が、一夜にして“見る目”を変えさせる。
エミリーは、驚いたように目を瞬かせていた。
きょとんとした顔で、飛び交う質問に一つ一つ丁寧に答えようとしている。
慣れていないのが明らかで、どこか所在なさげに立ち尽くしながら、それでも誠実に。誤魔化すことなく、真っ直ぐに。
それに、笑いかける者。目を輝かせて聞き入る者。そして、静かに距離を詰めながら、評価を改める者。
その誰もがもう、彼女をただの平民だと侮ってはいない。
「人気者になっちまったな、あの子」
隣でエイダンが苦笑混じりに言う。
確かにそうだ。けれど。
「本来これが正しい光景なのよ」
持っている力は、最初からあった。
努力も、才能も、彼女は誰にも負けていなかった。
ただ平民というだけで、誰もそれを見ようとしなかっただけ。
「……ロウェナさんも、そういう顔するんだな」
「は?」
エイダンの驚いた声に、私は眉をひそめる。
けれど彼は悪びれもせず、じっとこちらを見ている。口元には、茶化すでもなく、穏やかな笑みを浮かべて。
「いや、なんつーか。ちょっと優しい顔してたからさ」
優しい顔。私はそんなつもり微塵もなかった。
けれど、エミリーの姿を目で追いながら、いつの間にか自分が頬を緩めていたとしたら──それはたぶん仕方のないことだった。
「……気のせいでしょ。そんな顔していない」
「えぇ〜、してただろ」
茶化すように笑うエイダンを、じろりと睨みつける。
けれど彼は動じることなく、かえってにやにやと笑みを深めた。
その時──
「ロウェナさん!」
輪の中からぱっと駆け出してきたエミリーが、私の前で足を止める。
「見てました? なんだか、いろんな人が褒めてくれて……ちょっと夢みたいで」
「正当な評価をされているだけよ。今に慣れるわ」
「そうそう。明日から大変だぞ、エミリー」
エイダンがにやりと笑いかけると、エミリーはわずかに目を丸くして、それから照れたように笑った。
「そっか……たしかに、期待されるってことですもんね。頑張らなきゃ」
エミリーの笑顔はやはり真っ直ぐだった。
きっと彼女は、この先も迷ったり悩んだりしながら、それでも自分の足で進んでいくのだろう。私はそれをどこか誇らしく思っていた。
そして、それをどこか少し寂しくも感じている自分がいる。
「でも私、全然なので……ロウェナさん、また魔法のこと教えてくれませんか?」
「え?」
思わず間の抜けた声が出る。
彼女は冗談なんて一つも言っていない顔で、じっと私を見つめていた。
目が合った瞬間、きゅっと口元が引き結ばれる。多分、緊張しているのだ。
私は、困惑した。
彼女はもう、周囲に認められつつある。努力が報われた。
それなのに、なぜ……今更、私なんかに。
「……あなたなら、引く手数多でしょう」
「でも、私はロウェナさんの魔法が一番好きなんです」
あっさりと言われた。
そして、そんな言葉に動揺している自分を自覚して、ますます言葉が出なくなる。
隣でエイダンが「わお」と呟いたきり口をつぐみ、私の反応を楽しみにしているようだった。
私は咳払いを一つして、冷静を装う。
「……少しくらいなら、構わないわ」
「本当ですか!? やったぁ!」
ぱっと明るくなるエミリーの顔が、眩しかった。
目を輝かせ、口元に両手を当てて喜ぶ姿に、私は目を細める。
「その代わり、覚悟しておきなさい。私は厳しいわよ」
「はいっ、望むところです!」
彼女はぎゅっと両手を握りしめて、気合い十分といった風に構える。
それがなんだかおかしくて、私は知らず知らずの内に口元を緩めていた。