氷と炎の交差
聖エリディア魔法学園の東──そこには実践形式の訓練が可能な広大な屋外施設がある。
「訓練場」と呼ばれているが、その規模と造りは、もはや一つの闘技場に近い。周囲をぐるりと包む石造りの観覧席は、魔力を増幅させる紋様と結界陣によってされており、どれほどの爆風や衝撃にも耐えられる設計だ。
「今日は皆さんに実践形式の模擬戦をしてもらう!」
実技教師ケイリーン・マーカムの明朗な声が訓練場に落ちる。
生徒たちの間にざわめきが広がった。初めての実技授業で実践形式の模擬戦が行われるのは、誰にとっても予想外だったのだろう。だが、すぐに空気が張り詰めたものへと変わっていく。
「実力に応じてパートナーは決めてあるので安心してくれ! それでは発表する! まず一組目は、ロウェナ・ヴェインウッドとエイダン・ホロウェイだ!」
一瞬、場が静まった。
その名を聞いた者たちが、互いに顔を見合わせる。
「俺が一番手か」
エイダンが笑みを浮かべながら、剣を携えて歩み出る。
その眼差しには驚きよりも、むしろ高揚が滲んでいた。
私も黙って足を踏み出す。
観覧席に移動する生徒たちからの視線が集まるのを感じながらも、意識はそちらには向けない。余計な感情は、戦いの上で邪魔になる。
エイダン・ホロウェイ。
焔の使い手で、物質強化を併せ持つ実践型の魔法使い。
快活で人当たりのいい態度の裏に、油断ならない勘と瞬発力を隠し持つ男──というのが、私の彼に対する評価だった。
「さっそくロウェナさんと戦えるなんて光栄だ。手加減しないでくれよ?」
「あなたが私の本気に値するなら、応えるわ」
静かに返した瞬間、空気が震えた。
そうして、私たちは向かい合って立つ。距離、十メートル。
ケイリーン教師が手を挙げ、緊張が張り詰める。
私の指先はすでに冷気を宿していた。
霜の粒が舞い、足元の石畳が薄氷をまといはじめる。
「それでは──模擬戦、開始!」
開始の合図と同時に、エイダンが一気に距離を詰めてくる。真っ直ぐな踏み込みとともに、剣が魔力で赤く染まる。
炎と強化の併用。素直で力強い戦法──悪くない。
左手をかざし、冷気を広げて迎撃する。
氷の壁が立ち上がり、エイダンの剣の軌道をそらした。
だが、彼は止まらない。
跳ねるように後退し、すぐさま体制を立て直すと、今度は横から鋭く踏み込んできた。
速いが、対処は遅れなかった。氷の刃を複数形成し、空中に並べて射出する。
しかし、エイダンはそれらを必要最小限の動きで躱し、なおも距離を詰める。
熱気が肌を刺す。瞬間、彼の剣が赤熱し振り下ろされる気配を感じて、私は咄嗟に足元の地面を凍らせる。
滑ったのは、彼の方だった。わずかにバランスを崩した隙を見逃さず、私は氷柱を彼の足元に突き出す。
「っと……!」
間一髪で飛び退くエイダン。その瞳に宿るのは、警戒ではなく──愉悦だった。
「やっぱりすごいな、ロウェナさん。冷静で、綺麗な戦法だ」
「それはどうも」
言いながら、私の魔力の流れを再構築する。
彼の炎は力強く、こちらの氷を押し返すだけの熱量がある。持久戦になれば、魔力効率で優位なのはこちらだが──エイダンには消耗の兆しが見えない。
彼の攻撃はどれも力任せに見えて、実は緻密な計算の元で繰り出されている。無駄がない。一見、勢いで押すタイプに見せかけて、きちんと考えて仕掛けてくる。
だからこそ、私も応えなければいけない。
内側で満ちていた魔力が、静かに臨海に達する。
次の瞬間、私の足元から冷気が一気に奔った。空気が震え、石畳に白い霧が巻き上がる。結界の内側が、まるで真冬のように白く染まっていく。
「……!」
エイダンの眉がわずかに動く。反射的に後退しようとするが、もう遅い。
私の結界内に彼を閉じ込める。
視界が歪む。空間の構造が変化した。
氷の魔力が濃縮され、一定範囲の動きに干渉する。足元は凍てつき、空気は動きそのものを鈍らせる。
エイダンの炎が、息を潜めたように小さくなる。
「くっ……!」
彼が地を蹴ろうとした瞬間、私は氷刃を無数に展開する。
空中に円環を描くように浮かぶ、細く鋭利な刃が一斉に彼へと向けて放たれる。
エイダンは咄嗟に腕を交差させ、魔力を一点に集中させて防御を試みるが、それでもいくつかの刃が頬を掠め、外套を切り裂いた。
「……速い。いや、こちらの動きが遅くなっている……?」
私は答えずに指先を一振りする。
氷柱が天から降るように生まれ、彼の足元と背後を狙って降下する。
彼はすんでのところで跳躍して避けた。が、その着地点にも氷が待っている。着地点に氷柱を出現させようとした──その瞬間。
「そこまで!」
ケイリーン教師の手が上がる。
その言葉で、私は魔力の流れを断ち切った。
氷柱の形成が止まり、空気が一気に緩む。
氷の結界が解けていき、視界を覆っていた白霧が晴れていくと──中央に立つエイダンの姿が現れる。乱れた息遣いと、切り裂かれた外套。
けれど、その双眸には怯えも怒りもなかった。
「……負けだな。完敗だよ、ロウェナさん」
口元にかすかな笑みをたたえたまま、エイダンは肩をすくめる。
敗北を悔しがるでも取り繕うでもなく、清々しいほどに潔い態度だった。
「素晴らしい! 良い試合だったぞ、二人とも!」
ケイリーン教師が感動したと言わんばかりに拍手をするが、観客席は凍てつくように静かだ。
当然だ。ヴェインウッドの戦い方の片鱗を見せられて、「素晴らしい」などと思える人間は少ない。実践経験のない者なら、なおさら。
「ありがとうございます、先生」
形式的にケイリーン教師への礼を述べて、私は静かに背を向けた。
エイダンの方を見ることなく、足元の氷が音もなく砕け散るのを感じながら、ゆっくりと歩き出す。
「ロウェナさーん!」
観覧席の方から声が上がる。
風を切って駆けてくる足音。遠慮のない、真っ直ぐな声。
白い腕を振りながら、まるで子犬のように駆け寄ってくるのは──
「エミリー……」
勢いそのままに私の前で止まり、息を弾ませながら顔を上げる。
頬を紅潮させ、瞳をきらきらと輝かせて、こちらを見上げてくる。
「すごかったです、今の戦い! ロウェナさんがかっこよすぎて……私もう、涙が出そうでした!」
大袈裟なほどの調子で、けれどその言葉には一切の打算がない。
周囲の空気を気にすることなく、彼女はただ真っ直ぐに私を見つめていた。
「氷であんな色んなことができるなんて、私、感動して……それにエイダンさんの炎もすごくて、でもロウェナさん全然動じなくて……本当にまるで女王様みたいでした!」
女王。それは、よく向けられる比喩だ。
けれど、彼女の声に含まれるのは畏敬の念ではなく、純粋な尊敬のようだった。
「おーい、俺はロウェナさんのついでか?」
いつの間にか隣に並んでいたエイダンが笑う。
「もちろん、エイダンさんもすごかったです! すごく強くて、熱くて、でもロウェナさんの香りも負けてなくて……二人とも素敵でした!」
エイダンは「そっか」と笑い、私の方をちらりと見た。
「こういうタイプ、どう扱ってるんだ?」
「……放っておくのが一番よ」
「うわ冷たい」
彼は冗談めかして肩をすくめるが、そこに悪意はない。
私は小さく目を伏せる。
エミリーが私に駆け寄ってくるのも、無垢な言葉で私を褒めてくれることも──まだ少しだけ慣れていない。
訓練場の空気はもうすっかり常温に戻っていたが、私の中にはまだ淡く残る冷気と、それを包む柔らかな温もりが残っていた。