表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
破滅の令嬢と救済の少女  作者: あさくら
それはまだ、名もない関係
6/216

氷と炎の交差

 聖エリディア魔法学園の東──そこには実践形式の訓練が可能な広大な屋外施設がある。

 「訓練場」と呼ばれているが、その規模と造りは、もはや一つの闘技場に近い。周囲をぐるりと包む石造りの観覧席は、魔力を増幅させる紋様と結界陣によってされており、どれほどの爆風や衝撃にも耐えられる設計だ。



「今日は皆さんに実践形式の模擬戦をしてもらう!」



 実技教師ケイリーン・マーカムの明朗な声が訓練場に落ちる。

 生徒たちの間にざわめきが広がった。初めての実技授業で実践形式の模擬戦が行われるのは、誰にとっても予想外だったのだろう。だが、すぐに空気が張り詰めたものへと変わっていく。



「実力に応じてパートナーは決めてあるので安心してくれ! それでは発表する! まず一組目は、ロウェナ・ヴェインウッドとエイダン・ホロウェイだ!」



 一瞬、場が静まった。

 その名を聞いた者たちが、互いに顔を見合わせる。



「俺が一番手か」



 エイダンが笑みを浮かべながら、剣を携えて歩み出る。

 その眼差しには驚きよりも、むしろ高揚が滲んでいた。


 私も黙って足を踏み出す。

 観覧席に移動する生徒たちからの視線が集まるのを感じながらも、意識はそちらには向けない。余計な感情は、戦いの上で邪魔になる。


 エイダン・ホロウェイ。

 焔の使い手で、物質強化を併せ持つ実践型の魔法使い。

 快活で人当たりのいい態度の裏に、油断ならない勘と瞬発力を隠し持つ男──というのが、私の彼に対する評価だった。



「さっそくロウェナさんと戦えるなんて光栄だ。手加減しないでくれよ?」


「あなたが私の本気に値するなら、応えるわ」



 静かに返した瞬間、空気が震えた。


 そうして、私たちは向かい合って立つ。距離、十メートル。

 ケイリーン教師が手を挙げ、緊張が張り詰める。


 私の指先はすでに冷気を宿していた。

 霜の粒が舞い、足元の石畳が薄氷をまといはじめる。



「それでは──模擬戦、開始!」



 開始の合図と同時に、エイダンが一気に距離を詰めてくる。真っ直ぐな踏み込みとともに、剣が魔力で赤く染まる。

 炎と強化の併用。素直で力強い戦法──悪くない。


 左手をかざし、冷気を広げて迎撃する。

 氷の壁が立ち上がり、エイダンの剣の軌道をそらした。


 だが、彼は止まらない。

 跳ねるように後退し、すぐさま体制を立て直すと、今度は横から鋭く踏み込んできた。


 速いが、対処は遅れなかった。氷の刃を複数形成し、空中に並べて射出する。

 しかし、エイダンはそれらを必要最小限の動きで躱し、なおも距離を詰める。


 熱気が肌を刺す。瞬間、彼の剣が赤熱し振り下ろされる気配を感じて、私は咄嗟に足元の地面を凍らせる。

 滑ったのは、彼の方だった。わずかにバランスを崩した隙を見逃さず、私は氷柱を彼の足元に突き出す。



「っと……!」



 間一髪で飛び退くエイダン。その瞳に宿るのは、警戒ではなく──愉悦だった。



「やっぱりすごいな、ロウェナさん。冷静で、綺麗な戦法だ」


「それはどうも」



 言いながら、私の魔力の流れを再構築する。

 彼の炎は力強く、こちらの氷を押し返すだけの熱量がある。持久戦になれば、魔力効率で優位なのはこちらだが──エイダンには消耗の兆しが見えない。


 彼の攻撃はどれも力任せに見えて、実は緻密な計算の元で繰り出されている。無駄がない。一見、勢いで押すタイプに見せかけて、きちんと考えて仕掛けてくる。


 だからこそ、私も応えなければいけない。


 内側で満ちていた魔力が、静かに臨海に達する。

 次の瞬間、私の足元から冷気が一気に奔った。空気が震え、石畳に白い霧が巻き上がる。結界の内側が、まるで真冬のように白く染まっていく。



「……!」



 エイダンの眉がわずかに動く。反射的に後退しようとするが、もう遅い。

 私の結界内に彼を閉じ込める。


 視界が歪む。空間の構造が変化した。

 氷の魔力が濃縮され、一定範囲の動きに干渉する。足元は凍てつき、空気は動きそのものを鈍らせる。


 エイダンの炎が、息を潜めたように小さくなる。



「くっ……!」



 彼が地を蹴ろうとした瞬間、私は氷刃を無数に展開する。

 空中に円環を描くように浮かぶ、細く鋭利な刃が一斉に彼へと向けて放たれる。


 エイダンは咄嗟に腕を交差させ、魔力を一点に集中させて防御を試みるが、それでもいくつかの刃が頬を掠め、外套を切り裂いた。



「……速い。いや、こちらの動きが遅くなっている……?」



 私は答えずに指先を一振りする。

 氷柱が天から降るように生まれ、彼の足元と背後を狙って降下する。


 彼はすんでのところで跳躍して避けた。が、その着地点にも氷が待っている。着地点に氷柱を出現させようとした──その瞬間。



「そこまで!」



 ケイリーン教師の手が上がる。

 その言葉で、私は魔力の流れを断ち切った。


 氷柱の形成が止まり、空気が一気に緩む。

 氷の結界が解けていき、視界を覆っていた白霧が晴れていくと──中央に立つエイダンの姿が現れる。乱れた息遣いと、切り裂かれた外套。

 けれど、その双眸には怯えも怒りもなかった。



「……負けだな。完敗だよ、ロウェナさん」



 口元にかすかな笑みをたたえたまま、エイダンは肩をすくめる。

 敗北を悔しがるでも取り繕うでもなく、清々しいほどに潔い態度だった。



「素晴らしい! 良い試合だったぞ、二人とも!」



 ケイリーン教師が感動したと言わんばかりに拍手をするが、観客席は凍てつくように静かだ。

 当然だ。ヴェインウッドの戦い方の片鱗を見せられて、「素晴らしい」などと思える人間は少ない。実践経験のない者なら、なおさら。



「ありがとうございます、先生」



 形式的にケイリーン教師への礼を述べて、私は静かに背を向けた。

 エイダンの方を見ることなく、足元の氷が音もなく砕け散るのを感じながら、ゆっくりと歩き出す。



「ロウェナさーん!」



 観覧席の方から声が上がる。

 風を切って駆けてくる足音。遠慮のない、真っ直ぐな声。

 白い腕を振りながら、まるで子犬のように駆け寄ってくるのは──



「エミリー……」



 勢いそのままに私の前で止まり、息を弾ませながら顔を上げる。

 頬を紅潮させ、瞳をきらきらと輝かせて、こちらを見上げてくる。



「すごかったです、今の戦い! ロウェナさんがかっこよすぎて……私もう、涙が出そうでした!」



 大袈裟なほどの調子で、けれどその言葉には一切の打算がない。

 周囲の空気を気にすることなく、彼女はただ真っ直ぐに私を見つめていた。



「氷であんな色んなことができるなんて、私、感動して……それにエイダンさんの炎もすごくて、でもロウェナさん全然動じなくて……本当にまるで女王様みたいでした!」



 女王。それは、よく向けられる比喩だ。

 けれど、彼女の声に含まれるのは畏敬の念ではなく、純粋な尊敬のようだった。



「おーい、俺はロウェナさんのついでか?」



 いつの間にか隣に並んでいたエイダンが笑う。



「もちろん、エイダンさんもすごかったです! すごく強くて、熱くて、でもロウェナさんの香りも負けてなくて……二人とも素敵でした!」



 エイダンは「そっか」と笑い、私の方をちらりと見た。



「こういうタイプ、どう扱ってるんだ?」


「……放っておくのが一番よ」


「うわ冷たい」



 彼は冗談めかして肩をすくめるが、そこに悪意はない。


 私は小さく目を伏せる。

 エミリーが私に駆け寄ってくるのも、無垢な言葉で私を褒めてくれることも──まだ少しだけ慣れていない。


 訓練場の空気はもうすっかり常温に戻っていたが、私の中にはまだ淡く残る冷気と、それを包む柔らかな温もりが残っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ