悪徳令嬢は追放されたい!
「わたくしが悪徳令嬢⁉」
ジュリアは飛び起きた。
酷い顔色で、額にかいた大量の汗を拭った。
悪夢を見ていた。
夢の内容は、ひとりの女性の人生だった。
その女性がやっていたゲームが乙女ゲーム『ニーナの学園物語』だった。
その中に登場するキャラクターに、ジュリア・プレザンスという悪徳令嬢が登場する。
金髪の縦ロールに水色の瞳。ジュリアそのものだった。
ゲームは平民のニーナ・ヤードという女子生徒が、王立フォスター魔法学院に編入してくるところからはじまる。
そのニーナをいじめる役がジュリアだった。
そして、一年後の卒業パーティーで、ジュリアの婚約者である王太子のマイケル・アーサー・レッドグレイヴに国外追放を言い渡される。
そんな内容だった。
ジュリアはぎゅっと掛布団を握った。
そして、顔を上げる。その水色の瞳は輝いていた。
「なんて最高なのでしょう!」
前世の記憶を取り戻したジュリアにとって、公爵令嬢でいることも、将来王妃になることも、すべて窮屈になってしまった。
――平民として自由にスローライフを送ってやりますわ!
ジュリアはふふふっと企むような笑い声を漏らす。
その時、ドアがノックされたので、ジュリアは返事をする。
「どうぞ」
ドアを開けたメイドが、持っていた水桶を落とした。
「お嬢様……! お目覚めになったのですね! すぐに医者を連れてまいります」
メイドはそう言って、ドアも閉めずに、落とした桶も片さずに走り去っていった。
ジュリアは首を横に傾げる。
――そういえば、寝る前に少し体調が悪かったような……。
しばらくして、公爵であるラルフ、母のエマ、弟のロビンが医師を連れて、部屋に駆け込んできた。
ラルフは泣きながらジュリアの手を握った。
「目覚めたのか。ジュリア……。奇跡だ」
訳の分からないジュリアは、首を横に傾げていた。
医師がジュリアに説明する。
「ジュリアお嬢様は三日前から原因不明の昏睡状態だったのです。今朝まであんなに高熱が出ていたのに……」
ジュリアは呆気にとられた。
――わたくし、昏睡状態に陥っていましたの?
医師はジュリアに泣きすがるラルフに言う。
「ジュリアお嬢様の状態を診させていただきたいので、公爵様、少しよろしいでしょうか?」
ラルフは頷いて、下がった。
医師はジュリアの手を取って脈を図ったり、首元に手を触れたり、心音を聞いたりした。
そして、医師は考え込んだ。
ラルフは不安そうに医師に尋ねる。
「ジュリアの様子はいかがでしょうか?」
医師はラルフを見た。
「もうどこも悪くありません。一体、なんだったのだろうか……」
医師はジュリアに尋ねる。
「苦しいところなどもないですか?」
ジュリアは頷く。
「強いて言うなら、お腹が空きましたわ」
ジュリアは自分のお腹に手をやった。
ラルフは近くにいたメイドに言う。
「ジュリアに食事を用意するように」
メイドは一礼して、部屋を出て行った。
「ジュリアお嬢様はもう心配ないでしょう」
医師も部屋を出て行った。
ジュリアは翌日から王立フォスター魔法学院に復帰した。
王立フォスター魔法学院はフォスター王国随一の学院であり、貴族の子息、令嬢が多く通う学院だ。
優秀な平民も通ってはいるが、数は圧倒的に少ない。
ジュリアは移動教室のため、廊下を歩いていた。
すると、ジュリアの婚約者である王太子のマイケル・アーサー・レッドグレイヴと行き会った。
王の血族の証の金色の髪を持つマイケルは、緑の瞳を不快に歪めた。
マイケルとの婚約は、ジュリアがマイケルに一目ぼれしたことからはじまった。
家の力に物を言わせて、掴み取った婚約者の座だった。
けれど、無理やりジュリアと婚約させられたマイケルは、ジュリアのことを煙たがっていた。
冷たい態度をとるマイケルを、ジュリアは必死になって振り向かせようとしていた。
――今となっては、嫌われているのが分かっていながら、付きまとっていたわたくしがバカみたいですわ。どの道、一年後にはおさらばですもの。もうどうでもいいですわ。
ジュリアはマイケルにお辞儀をする。
「殿下、おはようございます。今日も良い天気ですわね。それでは、ごきげんよう」
ジュリアは微笑んで、マイケルの横を通り抜けて行った。
マイケルは去っていくジュリアを見て、絡まれなかったことにほっとした。
そして、怪訝そうに一緒にいたトーマスに尋ねる。
「ジュリアの様子がおかしくないか?」
トーマスは鍛えられた体と茶髪を短く切りそろえている。
マイケルの御学友であり、護衛でもある。そして、攻略者のひとりである。
彼もまたニーナに恋をして、ジュリアを断罪するのだ。
トーマスはジュリアを振り返って言った。
「悪いものでも食ったんじゃないですか? トイレに行きたかったんですよ。きっと」
マイケルはトーマスを横目で見る。
「令嬢に対してその物言いは、どうかと思うぞ」
その日の夜、ジュリアは寝間着姿でベッドに横になり、世界地図を眺めていた。
「追放されたらどこにいこうかしら。南の国もいいけれど、魔法都市にも行ってみたいですわ。ひとりで旅をするのですから、護身術くらいは身に着けていないと危ないですわね。そうですわ。あの方に頼みましょう」
ジュリアは追放後の計画をせっせと立てていた。
翌日、ジュリアはまたマイケルと行き会った。
構えるマイケルに、ジュリアは挨拶する。
「殿下、おはようございます。今日も良い天気ですわね」
ジュリアはマイケルの隣にいるトーマスに目を向ける。
「トーマス様もごきげんよう。お願いがあるのですが……」
トーマスはいつもならいないものとして扱われていたので、びっくりした顔でジュリアを見た。
「え⁉ 俺ですか?」
「ええ、そうです。剣術を教えていただきたいのです」
トーマスは更に驚いた。
「また、なんで剣術なんて教わりたいんですか?」
「自分の身を護るためですわ。なにかあった時、自身で対処ができた方がよろしいでしょう」
トーマスは感心したように頷く。
「それはそうですが。ご令嬢が剣術だなんて……」
「分かっておりますわ。ですから、トーマス様にご教授いただけるようお願いしているのです」
トーマスは頭をポリポリとかく。
「分かりました。その代わり、音を上げるようでしたらそこまでですよ」
ジュリアは水色の瞳を細めた。
「分かりましたわ。わたくし、頑張りますね」
トーマスは溜息を吐いた。
「とりあえず、今日の放課後、中庭でよろしいですか?」
「ええ。それでは、またのちほど」
ジュリアは会釈して、去っていった。
その後ろ姿を眺めながらマイケルは言う。
「やっぱり変なものを食べたのかもしれないな……。あいつ」
トーマスは苦笑した。
ジュリアは魔法学の授業に出ていた。
教師はローレンス・クック。ぼさぼさの黒髪に瓶の底かというくらい厚いレンズの眼鏡をかけている。攻略対象のひとりである。
乙女ゲーム『ニーナの学園物語』によると、過去に最愛の人を亡くした過去があるらしい。少し陰のある人物である。
――魔法学は旅する上で役に立ちますからね。しっかりと受けなければ。
授業が終わると、ジュリアはローレンスに質問に行った。
「先生。ここなのですが、少し分かりづらくて……」
ローレンスはジュリアの持つ教科書を見た。
「これは一年生の教科書ではありませんか?」
「ええ。一年後には卒業試験がありますもの。読み返しているのです」
ローレンスは感心したようにジュリアを見た。
そして、珍しく微笑んだ。
「よい心がけですね」
ジュリアは褒められて、悪い気はしなかった。
ジュリアは、魔力量には自信がある。
――魔法使いとして冒険者になるのも悪くはないですわね。
ジュリアは魔法の実技の授業も、今まで以上に身を入れて頑張った。
ジュリアの学年末の試験結果はすこぶるよかった。
魔法学では学年一位をとった。
それどころか、魔法の天才と呼ばれるルーク・イェーツを抜き、魔法の実技でも一位を取った。
ジュリアは張り出された成績を見て、満足そうに頷いた。
それを悔しげにルークが見ていたことにジュリアは気がつかなかった。
そのルークもまた攻略対象のひとりである。肩ほどまでの銀髪で、きりっとした顔は美しく、王太子のマイケルと並んで女子生徒から人気のある人物である。
春になり、とうとう乙女ゲーム『ニーナの学園物語』の主人公であるニーナが、王立フォスター魔法学院に編入してきた。
ニーナは早くに父を亡くし、母と二人で生活しているそうだ。
世界でも珍しい光魔法を発現し、こんな中途半端な時期に学院に入学してきた。
ニーナは体が小さく、ふんわりとした茶髪をしている。
次は移動教室だと言うのに、今にも震え出しそうな雰囲気で席に座っていた。
ジュリアはニーナに近づいた。
「ニーナさん、次は移動教室ですわよ」
ニーナは怯えた目でジュリアを見た。
「そうなんですね。教えていただき、ありがとうございます。あの……」
ジュリアは名乗っていないことに気がついた。
「わたくしはプレザンス公爵家のジュリアです。よろしくお願いしますね、ニーナさん」
ニーナは立ち上がり、頭を下げた。
「ジュリア様、大変失礼いたしました」
それからジュリアは思い出した。
それはニーナが教室が分からなくて泣いているところを王太子のマイケルが見つけて助けるシーンだった。
――来たばかりですものね。当り前ですわ。
「早く支度をなさい。次の教室まで案内して差し上げます」
ニーナはびっくりした顔をしたあと、慌てて移動の準備をはじめた。
二人は廊下を歩いて行く。
「困ったことがあったら、わたくしに相談なさい」
「ありがとうございます、ジュリア様」
ニーナは嬉しそうに笑った。
ニーナが編入してきて一か月が経った頃、ジュリアはトーマスの訓練を受けるために中庭に来ていた。
すると、中庭でニーナが数人の女生徒に絡まれているところに遭遇した。
――そういえば、殿下に作ってあげたお菓子をダメにされるイベントがありましたね。
ジュリアはニーナたちのところに歩み寄る。
「なにをしているのですか?」
女生徒がジュリアを見て驚いている。
「ジュリア様。いいえ、なんでもございませんわ」
女生徒たちはバツが悪そうにその場を去っていった。
ジュリアは地面に落ちたクッキーを眺める。
――そういえば、ニーナさんのお菓子は絶品だとか。
ジュリアは箱を拾い上げて、そこに残っていたクッキーを食べる。
「美味しい!」
公爵家の料理人が作るクッキーよりも美味しいかもしれない。
ジュリアはもうひとつ食べて、はっとした。
――たしか殿下に作ってきたクッキーでしたわね。
ジュリアはニーナに箱を渡す。
ニーナはオレンジの瞳を輝かせていた。
「ありがとうございます、ジュリア様。美味しいと言っていただけて嬉しいです」
ジュリアは微笑む。
「食べてしまってごめんなさいね。殿下に作ってきたのでしょう?」
ニーナは不思議そうに首を横に傾げる。
「殿下とはマイケル殿下のことでしょうか? お話もしたことございません」
今度はジュリアが首を横に傾げた。
――おかしいですわね。そろそろ仲良くなっていてもおかしくありませんのに……。
ニーナは頬をわずかに赤らめて言った。
「これはジュリア様に作ってきたのです。食べていただけて本当に嬉しい」
ジュリアは更に首を横に傾げた。
――おかしいですわ。ニーナさんに懐かれていますわ。
その様子をマイケルとトーマスは見ていた。
マイケルは感心したように言う。
「ジュリアがあのような行動を取るとは思わなかった」
トーマスは頷いた。
「ジュリア様は剣の稽古も音を上げずに頑張っていますよ。意外でした」
二人のジュリアの認識は変わってきていた。
公爵令嬢のジュリアがニーナに優しく接しているため、他の令嬢たちもニーナに心を許しはじめていた。
教室ではニーナと共に二人の女生徒が話している。
「ニーナさん、またお茶会をしましょうね。ニーナさんのお菓子は本当に美味しかったですわ。また食べたいです」
「今度、作り方を教えてください。婚約者に作って差し上げたいの」
「ええ。私でよければいいですよ」
ニーナは楽しそうに話している。
――乙女ゲーム『ニーナの学園物語』とは違って、いじめられなくてよかったですわ。
ジュリアは席に着きながらニーナの様子を見て微笑んだ。
ジュリアはマイケルとお茶をしていた。
最近、マイケルから誘われることが増えてきたのだ。
――一体、どういうことですの。そろそろニーナさんに陥落している頃ではないですの?
マイケルはお茶を一口飲んで言う。
「そろそろ卒業パーティの衣装を作らねばならないな」
「は?」
ジュリアは思わず声にしていた。
マイケルはカップを置いて、苦笑した。
「なんだ? その声は」
「申し訳ございません。驚いたもので……。ニーナさんと出るのではなくて?」
「ニーナ……? ああ。あの編入してきた平民の娘か。なぜ俺がニーナ嬢と卒業バーティに出るのだ?」
マイケルはしらばっくれているわけではなさそうだ。
真剣な顔で首を横に傾げている。
「そうですわよね……」
――おかしい。おかしいですわ!
その日の夜、ジュリアはベッドの上でクッションを抱き、考えていた。
――おかしいですわ。イベントが発生していないなんて! このままでは、わたくしの自由なスローライフ計画が台無しになってしまう……。 そうだわ! わたくしがイベントを発生させればよいのです!
ジュリアは勢いよく起き上がった。
翌日、ジュリアはさっそくニーナを連れて、マイケルを訪ねた。
「こちら、同じクラスのニーナさんですわ。ニーナさん、我が国の王太子のマイケル殿下です」
ニーナはお辞儀をした。
「マイケル王太子殿下、お初にお目にかかります。ニーナ・ヤードと申します。ジュリア様にはいつもよくしていただいているんです」
マイケルは頷いた。
「それはよかった。ジュリアは、物言いはきついが、心根は優しい女性だ」
――おかしいですわ。殿下のわたくしへの評価が爆上がりしていますわ。
数日後、ジュリアはマイケルにまたお茶に誘われた。なので、ニーナを連れて行った。
「今日はニーナ嬢も一緒か」
ニーナは怯え気味に言った。
「本当に私も同席していいのでしょうか……」
「ジュリアとニーナ嬢は仲がいいのだな。気にせずに座ってくれ。婚約者の友達を紹介してもらえるのは嬉しい」
マイケルはニーナに席を進める。
――いい調子ですわ。このまま殿下とニーナさんをくっつけてしまいましょう。
「ニーナさんは勉強熱心なんですよ。それに小柄で、とっても可愛らしいでしょう」
「そうだな」
「ニーナさんはお菓子作りもお上手なんですよ。殿下」
「はは。本当にジュリアはニーナ嬢が好きなんだな」
「殿下はニーナさんのような女性をどう思いますか?」
マイケルは首を横に傾げる。
「いいと思うが……」
――よっし! いい感じですわ。
「ニーナさんは殿下のような男性はどうですか?」
「え……、素敵だと思いますけど……」
ジュリアは企むような笑みを浮かべる。
「そうですか。そうですか」
ニーナがくすくすと笑う。
「ジュリア様は殿下がとってもお好きなんですね。妬けちゃいます」
マイケルは僅かに頬を赤らめた。
「ニーナ嬢、あまりからかわないでくれ」
――違う! そうじゃない!
ジュリアは机を叩きたい気持ちを必死に抑えた。
ジュリアの思惑の数々は失敗に終わり、気がつけば卒業パーティの日が来た。
ジュリアはマイケルの腕に手を添えて会場に入った。
マイケルは隣にいるジュリアに囁く。
「綺麗だよ、ジュリア」
――わたくしの自由なスローライフ計画が……。お願いだから、追放してください!
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