四回目の今日
昼休みにトイレの前で、普段は無邪気な笑顔のあの人から話があると言われたが、あの人はそれを言い出せずに終わった。去り際、あの人が泣いている様子を僕は見た。
帰りのSHRが終わり、折角何かを言おうと勇気を出したあの人の出鼻を挫いてしまったことを憂いていると、その心配に気づいたのか、あの人にチーズケーキ屋に誘われた。チーズケーキは苦手だと伝えて帰ろうと思うが、昼休みの件があるから断りにくい。さらに、自ら頼って良いと言った体裁もある。そういうわけで渋々駅前にあるというチーズケーキ専門のカフェに行くあの人について行く。
そこはカフェ全体がチーズのような装飾になっていて、目を見開くものがある。仕事帰りのOLに混ざり、席に着く。向かいの席に座っているあの人は、少し悩んだそぶりを見せてから桃ピュレ―が入ったベイクドチーズケーキとミルク入りの紅茶を注文する。僕は大してメニューも見ず、コーヒーだけを侘しくお願いする。
「君さ、漫画とかよく読むしょ?」
「ケーキが来る前に話をし出したら、後半無言になるよ。」
「もう、そういうのいいからーまったく、もう。だから友だちできないんだぞー」
どうやら知らぬ内に僕のからかいの対処を身につけたらしい。軽くあしらわれているようで絶妙なテンポ感でイジり返す。このやりとりがどうも心地よい。目の前に座っている人が左手で数える友だちの一人目になることも近いのか、なんてぼんやり考えていると、で、どうなの?と問い詰めてくる。特に隠す必要もないため、あぁそうだよと頷く。
「日常系だったのが突然特殊能力をゲットするタイプって面白い?」
なんてピンポイントなジャンルなのか。確かに最近はそういった漫画やアニメが多い。ただ僕はラブコメとバントアニメが好きだ。だから僕はあまり読まない。しかし人気な作品の中にはそういったジャンルも多いから面白いはずだ。食わず嫌いなのだ。平常心を保つためにいつもより低めのテンションでその旨を伝えると、あの人は、
「じゃあさ、もし君がそういった漫画のヒロイン枠だったらどうする?」
「こういうときの相場は主人公じゃないの?ましてやヒロインだなんて」
さすがに驚きを隠せないでいると、女子大学生らしき店員が注文した品を届けに来た。ごゆっくりどうぞと言うと同時に頭を下げるその店員の所作の美しさに見とれていると、
「女の子とのデート中に他の女の子に見とれるなんて、最低だねぇー」
とあの人が眉を動かす。
コーヒーを味わいながら、僕がヒロインになったときのことを考えてみる。
「王道展開としては、主人公の特殊能力が異常に弱いけど。その感じ?」
コーヒーを啜りながら家にある漫画のタイトルを思い出す。
「うーん、何だろうなーちょっと違うの。主人公が同じ日を何度も繰り返すけど、周りの人は誰一人気づかないって感じ。で、今日が繰り返されていることを告げられるヒロイン。君がそのヒロインだったらどうする⁉」
「なるほど、そう来たか。主人公のシミュレーションはしていたけど、まさかヒロイン枠でオーディションを受けることになるとは思わなかった」
と質問の意図が見えないことには一切触れず応答する。しかし、意図は見えなくとも、なぜか息が浅くなる。
「僕のスタンスとして、とりあえず誰かの言うことは信じるっていうのがあるから、そうなっても一旦は信じるかな」
漫画の中の僕ではなく、現実世界の僕として平然を装って答えると、あの人は急に真剣な表情を作る。
「これが、さっき学校で言おうとしたことなんだけど、実は、その―」
少しずつ鼓動が速くなっていることを心臓が首にあるような気がして初めて自覚する。開けてはいけない扉を少しずつ開けるように緊張が僕らのテーブルを支配する。そして、ドアの引き手を握って真っ直ぐ、鋭く真剣な目をしたあの人が続ける。
「私にとって今日が四回目なの」
―今日が四回目―
何を言っているか分からないはずの言葉。コーヒーを使わずとも喉を通る感じがして気分が悪くなる。しかし、真摯に向き合うことが僕の信条だ。
「僕には一回目の今日を君はもう既に三回経験していて、これが四回目だということ?」
ゆっくり一語一語言葉を間違えぬよう慎重に紡いで尋ねる。
「そういうこと!やっぱり君は理解が早くて助かるよっ!ほんとにすっきりしたよぉー君にしか言えそうにないことだったからさ」
急に明るい声を出して、不穏な空気を中和しようとするが依然空気はどんよりと重たい。僕はあの人が言ったことを理解しているわけではない。ただ、繰り返しただけだ。それでも、嘘をついている様子には見えない真面目さがそこにはある。その場の雰囲気の重さが外まで伝わっているようで仕事帰りのサラリーマンが折りたたみ傘を差し始めていた。
―私にとって今日は四回目なの―
頭の中で繰り返す。つまりどういうことだろうか。駅まで少し距離がある。なんとなく考える。もし明日もまた今日が繰り返されて明日が来なかったら、僕は今日のことを忘れてしまうのだろうか。
「君は今までの今日の記憶はあるの?」
素直に気になることを投げかける。
「そうだねー意外と残ってるかなあ。例えば、君は甘いものが嫌いである!それに単語テストだって十二点から二十点に上がったもん!」
「どうして何回もテスト受けているのに半分もとれないわけ?」
「もう!いいじゃない、そんな細かいことは気にしないの」
この人は誰よりも強い人だなと思う。
「もし明日も今日だったら、また言って。できるなら朝一で。単語テストよりも早く。」
あの人が僕だけに言ってくれた秘密。僕が忘れてしまっても、何回でも言ってほしい。誰にも言えない秘密を一人で抱える苦しみは誰よりも知っている。
「ありがと。やっぱり君に相談して良かったよーでも、単語テストより早いと君まともに相手しないと思うなー」
「間違いない。」
ここには僕らだけの世界がある。体は外界に開かれているのに、二人だけの世界に閉じこもっているようだ。誰もが皆そうなのかもしれない。同じ次元に生きているようで、まったく別次元で生活している人々が集まって社会が成り立っているのかもしれない。
あの人と別れた後、村澤に電話をかける。
「今、時間あるか。」
「おう、大丈夫だ。どうした?環境保護について何かあったか?」
「いや、環境問題より難題だ。」
「ほぉ興味深いな」
「もし、今日が初めてではなかったら?」
「何を言っているのか分からん。」
「タイムループだ。2024年6月13日が僕らの知らないところで繰り返されていると知ったらどうする?」
「なるほど。完全SFの話のようではあるが、一概にあり得ないとも言い切れない。」
「つまり?」
「西洋と東洋で時間の流れの感覚が違うとよく言われているんだよ。」
「ほお」
「西洋では、時間は直線的に流れる。だから時間が戻ることはあり得ない。英語とかフランス語で時制に厳しいのはそのためとも言われる。一方で、東洋では輪廻転生の考えがあるように円環的な時間の流れになる。だから仮に誰かの時間的感覚が殊に円環的になると、ある特定の期間を繰り返してしまうことも分からないわけではない。」
「でもそれは、あくまでも理念的な話だろ?」
「そう、その通り。だから現実的に考えれば、おかしい話ではないけど、まああり得ないだろうな。」
「あり得ないか。」
「うん。ただ、デジャブってあるだろ?あれももしかしたら、同じ時間を繰り返していて、昔の記憶が一部だけ残ってしまったとも考えることはできる。」
「でも、デジャブってさ、フランス語が語源だから、なんとも。」
「あー確かに」
「まっありがとう。とりあえず考えてみるよ。明日も同じ話するかもしれないわ。」
「おうよ、じゃあな」
今自分で言った“明日”とは14日のことなのか、寝て起きたらやってくる13日なのか。自分でも分からない。ベッドの上に寝転がって今日の出来事をもう一度振り返ってみる。
―どこかでデジャブのような違和感はなかったか。この感覚どこかで感じたことがあると思わなかったか―