トイレ前の密談
「昨日のドラマみた?」
「数学の小テストって明日?」
「単語やったー?」
「おまえ今日も谷川に捕まったのかよ」
毎日同じような意味のない会話をするクラスメイトを横目に反復試行の問題を解く。少しだけ優越感に浸る自分に気づかぬふりしながらも、教室の隅で少しだけ大きな顔をする。
「ちょっと今いいか?」
「あぁ、全然大丈夫だよ」
「環境保護は何のためにやるのか」
テーマさえ言えば僕が何かしらの考えを言うとクラス全員が知っている。でも誰もテーマを出さない。ただ一人を除いては。
「結局先進国のエゴじゃない?経済成長が行き詰まって新興国の発展に歯止めをかけて―」そう言ったところで担任が来て朝ショートが始まった。
一時間目はC英。毎週月曜日には単語テストがあって、五十点中三十九点以下だと木曜の昼に再テストが待っている。一週間にたった百個覚えればいいだけなのに、隣に座っているあの人は、「先生!単語テストは明日にしましょう!今日はコンディションが悪いです!」と騒ぎ立てる。なぜ月曜の朝からこんなに元気なのか。もはや尊敬する。
隣同士で交換して採点。僕にだって慈悲の心くらいはある。五,六個なら不正をしようと思っていたのに、半分以上が空欄では救いようもない。
「とりあえずなんか書けば丸にしてあげるのに」右上に二十点と記した答案を返すときにそう言うと、
「君そういうところあるよねー。不正は良くないと思うよ?」とニヤニヤしながら僕を揶揄って。どうやら道徳性と生真面目さは関係ないらしい。
眠たい授業が終わって二時間目の化学の教科書を出したところで、隣のあの人がようやく目を覚ました。
昼休みに入り、一人で冷えきって硬くなった白米を頬張る。どうやら、教室の中は昨日のドラマの話で持ちきりのようだ。
「君はどう思う⁉」
「確かに男の意見も聞きたいかも。」
不意に話を振られたので、ドラマを見ていないことを手短に伝えると、理解させる気のない凄まじい速さで内容を説明された。主人公の女子大生が傷心にあることにつけ込んだ隣人の男が主人公を誑かしているらしい。その男は高校生の時、当時担任だった主人公の母関係を持っている。
「でもさ、実際そうやって女性で遊ぶことがかっこいいというか、そんな自分が好きな男はいると思う。」
悲しい現実を無慈悲に突きつけてから、昨日の残り物のハンバーグを口に入れようとしたが、その茶色い挽肉の塊は机に落ちた。ソースの甘い匂いが漂う。いつもなら、「もう!」とか「さいてっ!」とか喚く隣のあの人が似合わない思慮深い顔をしているからだ。思わず見とれていると、僕のハンバーグを箸で刺しながら
「ごめん、お弁当食べ終わったら、ちょっと、いい?」
またしても、不釣り合いなほど凜とした声で囁いてきた。
言われた通り、お弁当を済ませたあと、トイレ前に行くと、そわそわして落ち着かないあの人を見つけた。やっぱりあの人はあの人だ。傍からすれば、訳の分からない安心感を覚えながら、話しかける。
「ごめんね、ゆっくりお弁当食べたいのに急かしちゃって」
「それは問題ないけど、残念ながら僕は彼女を作る気はないよ。」
「もう!すぐそうやって茶化すんだからっ!」
「それで、何の用?」
「実はね、あの、なんて言うか、その―」
やはり何か深刻な悩みなのだろう。授業中はしゃいで怒られるあの人がこんなに歯切れの悪い様子を僕は見たことがない。
「言いにくいことなら無理に言わなくてもいいよ。何か僕に手伝えることがあるなら、いつでも頼ってもいいし。」
そう言ったところで何が変わるわけでもないことを僕は知っている。
「うん、そっか…ありがとっ!」
必死に涙を我慢しているその目は充血していた。