孤高と成った者
「つーわけでお義母さん。俺たちはあんたと絶縁します 」
カルマ達はリルの家にいる。
そこは街中では嫌という程見る、普通の家だった。
「恩知らずめ!! あんたは良いわね! 勝手に代弁してくれる男が見つかって!! 」
「……… 」
リルは喋れなかった。
だからカルマが代わりに話していた。
「娘に対してそんなに叫ぶ事は無いんじゃないですか? 」
「あんたら知らないだけよ!! 私がどれだけ苦労したかを!!! 」
「いや……こういうのは失礼ですけど、理由になってません。別に親だから善人であれとは言いませんが、昔こうだったから怒鳴っていい。昔言うことを聞かなかったから、今も殴っていい訳がありません 」
「何よあんたは!! リル!! どうせこいつはあんたの事に興味をなくしたら捨てるわよ!! 正気になりなさい!! 」
母親は苛立っていたのだろう。
大人だから吐き出せず、不満が積もっていたのだろう。
だからこうも酷い言葉を娘に言えた。
だからカルマは、この母親から興味をなくしたら。
「あぁ、養育費とかは二人で返して行きますよ。俺も家族の一員となった事ですしね 」
「許可した覚えはないわよ!! 」
「よし、逃げるかリル!! 」
カルマはリルの手首を掴み、家から逃げた。
けれど彼女は耐えきれずに、また吐き出してしまった。
「ごめんね……何も言えなくて 」
「それだけ怖かったんだろ? なら仕方ねぇよ 」
カルマは心からそう思っていた。
だがリルは違う。
彼女は何もできない自分が、自殺したいほどに嫌いだった。
死ねばいいと思っていた。
それをカルマは考えてもいなかった。
「あっ、そうそう。戦争終わったらしい 」
借家の中、服を畳みながらカルマは言う。
「あぁ……隻眼の狙撃手が国を落としたってね 」
「その人が新しい都市を作るらしいんだが、そこに住まないかって誘われたんだ。一緒に行かねぇか? 」
「あぁ……うん、別にいいよ 」
そうしてカルマ達は新しい国に行った。
カルマの役職は兵士から、騎士となった。
「この街、犯罪者はみんな処刑だってよ 」
「随分と極端な街だね。戦後で犯罪者も多いだろうに、なんでそんなことをするんだろ? 」
「さぁな……まぁ、あの人は頭がいい人だ。なんか考えがあるんだろ 」
カルマは深く考えて居なかった。
リルは疑問に思っていた。
けれども異常は、彼らにとって日常となっていく。
時は緩やかに過ぎてゆく。
「ただいまリル 」
「おかえりカルマ。初めての仕事はどうだった? 」
「疲れた。周りに気を遣わなきゃならねぇのが特にな 」
次の日。
「ただいまリル……寝てんのか? 寝てんのか 」
カルマは静かにタオルケットを被せた。
夜が明ける。
次の月。
「ねぇカルマ。妊娠したかも 」
「あっ、そうなのか? じゃあやる事やっとかないとな。病院探したり、子供のための道具を揃えたりとか 」
男なら誰もが心を乱す言葉。
けれどカルマは冷静に、普通では無い返事をした。
そして二つ月日が流れたある日。
「ただいま〜……リル? 」
家には気配がなかった。
カルマは何度か家を探し回るが誰もいない。
彼は不安になり、家から飛び出し街中を探し回る。
そして二時間後。
カルマはリルと病院で再開した。
「ねぇ、覚えてる? 子供の名前はユフナにするって 」
「……あぁ 」
「ユフナは死んだよ。まぁ、私の体の問題だったんだけどね 」
患者姿のリルは、氷のような声でそう言う。
「どういう意味だ? 」
「私、16の頃からお酒飲んでたんだ。たぶんそれが原因 」
「それは」
「ごめんけどカルマ、一人にして欲しい。今はキミの優しい言葉を聞きたくないんだ 」
「…………あぁ 」
カルマは何を言われても気にしない男だ。
けれど最愛の人からの言葉だけは、彼にとって重苦しいものだった。
「……はぁ 」
「よぉカルマ。珍しいなため息なんて 」
「……ラクさん? 」
ラク。
彼はカルマの上官だった人。
隻眼の狙撃手とも呼ばれる、白いモノクルをつけた赤髪の男だった。
「どうしてここに? 」
「戦場でも冷や汗すらかかなかった男が、顔面蒼白で走り回ってるって聞いたからな 」
「……すみません 」
「気にすんな。で、何があったんだ? 」
ラクの心配。
カルマは少し躊躇ったが、結局はその苦しみを吐き出した。
「……息子が生まれる予定だったんですけど、病気かなにかで死んじまったらしいんです。で、リル……嫁は自分のせいで死んだと 」
「お前はそう思ってんのか? 」
「まったく 」
「ならなんで、ここに居るんだ? 」
その正論に、カルマは頭を撃ち抜かれたような顔をした。
対してラクは冷静に話を進める。
「辛い時に一人になりたいかどうかなんて、人によるだろう。でも、お前が見てきた嫁さんは……辛い時、一人で耐えれる人なのか? 」
それは励ましだった。
普通の人の背を押すには弱すぎる僅かな言葉。
けれどカルマを突き動かすには十分だった。
「すみませんラクさん! また今度話しましょう!! 」
「あぁ。その時に、お前が何も失ってないことを願ってるよ 」
病院を走り周り、カルマは壊す勢いで扉を開けた。
そこには驚いた顔のリルが居る。
「……一人にしてと言ったはずだよ? それとも、私を責める気になったかい? 」
「悪いなリル……俺は、お前に期待してなかった 」
初めて、彼は最愛の人に本音を漏らした。
「お前がどうなろうと愛するつもりだった。どんな状況になってもお前を守るつもりだった。けど、それじゃお前が幸せにならねぇよな 」
支離滅裂な話だったが、過去が分かるリルは妙に納得した顔をしている。
「別に構わないさ。キミの過去を見ればその態度は納得できる 」
リルは涙を零しながらも、軽蔑するな目でカルマを見つめる。
「キミの強さを利用し、両親はキミを脅しの道具にした。私たちの言うことを聞かなければ、息子があなた達を襲いに行くと 」
「……まぁな 」
「だから誰にも期待しなくなったんだろう? 周りがどんな人間にだろうと、周りに何を言われようと、何も気にしないようにした。家族が殺されても、別にどうでもよかった 」
「あれは親が悪い。俺が戦場で活躍したからって、そこで貰った金や名誉で色んな人間に喧嘩売りまくったんだ。殺されても文句は言えねぇ……でも、今のままじゃダメみたいだ。きっとお前が自殺しても、俺は同じ感情を抱くだろうな。だから変わろうと思う 」
リルはまだ冷たい目をしている。
彼女もまた同じなのだ。
他人に期待することを恐れてる。
「口だけだろう? 」
「そうならないように考え続ける。だから……見ててくれ 」
リルは恐れている。
期待して、裏切れることを。
だから突き放そうとしている。
「それ言ったから何になるんだい? 私が子供を殺したことには変わりないだろう? 罪は消えないのに、よくもそう考え無しに言葉を紡げるね 」
「あぁ、この言葉だけじゃ意味がない 」
けれどカルマは、リルの手を掴む。
普通ではない彼は、普通ではないリルを一人にしたくなかったのだ。
「だから変わるところ見ててくれ。今を変えるために動く俺を見ててくれ。そして……一緒に歩いてくれ、そばに居てくれ。俺はお前を独りにしたくないし……俺はまた独りにはなりたくない 」
「だからそんな事を言って………… 」
お前を独りにしたくないだけなら、リルは拒んでいた。
また独りになりたくないと言われたから、リルは拒めなかった。
彼女は弱いのだ。
自分を救えず、目の前の人を見捨てられないほどに。
「……情けないことを言ってる自覚はあるのかい? 」
「あぁ。でも本音だ 」
「……私は弱い人間だよ? キミの期待を簡単に裏切ってしまう 」
「でも俺は一緒に居たい 」
「女々しいね 」
「独りは誰だって嫌だろ 」
同じ場所をグルグルと回っているような会話。
けれど確実にリルの心は折れていく。
「私に……キミの傍に立つ価値はないよ 」
「人の価値なんてコロコロ変わるもんだ 」
「私は人殺しだよ? 」
「今はな。前に進めれば、その価値は変わる 」
「こんな私が、キミと一緒に生きていける自信がない 」
リルは初めて、自分の弱さに涙を流した。
自分の弱さを言葉にした。
「それでも一緒に居て欲しい 」
カルマはその弱さを受け止め、今度はリルの手を握った。
互いをつなぎ止め、互いを前へと引っ張り合う親愛を示すように。
「……バカだなぁキミは。絶対に、子供を失った母親に言うべき言葉じゃないだろう 」
「まぁな 」
「本当にキミは……馬鹿だよ 」
リルは冷たい言葉を吐き捨てながらも、その手を握り返した。
それが彼女の答えだった。
「本当にお墓は立てないのですか? 」
医者はそう聞くが、リルは首を横に振った。
「うん。顔も分からなかった子供に、どんな気持ちで手を合わせていいか分からないから 」
「そうですか……あぁそれと、同じ決断をする人はちゃんと居ます。どうかご自身を責めませんように。この決断は間違いではありません 」
「お気遣いどうも 」
後日、彼らは手を繋いで家に帰った。
大切なものを失って。
けれども、失っても明日は来る。
明日が来れば、先に進まなければならない。
「よぉリル、おはよう 」
「おはようカルマ。何それ勉強? 」
裸にシャツだけのリルは、テーブルに本を広げているカルマに首を傾げた。
「そっ。ほら、お前頭がいいだろ? だから俺も頭が良くなって、お前に近付きたいんだよ 」
「ふーん。ちなみにその本、32ページ13行目の文は訂正されたよ。その理論は間違いだったらしいから 」
「………まじか 」
「ふふっ。私に追いつくのは、もっと先になりそうだね 」
そう言いながらも、リルはカルマにコーヒーをついであげた。
「ただいまリル 」
「おかえり〜……なんか元気ないね? 」
「ちょっとした事件があってなぁ 」
「話なら聞こうか 」
「ん〜……強盗しそうなヤツを見つけたんだよ。んで話聞いたら薬代がいるらしくてな、だから金持たせて逃がしたんだ。別に罪を犯した訳じゃなかったしな 」
「それで? 」
「で、それを真似した同期がいたんだよ。そいつは強盗犯に刺されて死んだ。そしたら色々言われたんだよ。お前が余計なことをしなければ、アイツは死なずにすんだってな 」
「自分すら守れない人間が人を救おうとした結果だろう? それ以上も以下もないじゃないか 」
「まぁな……でも俺は、そいつの正義感は本物だと思う 」
「責任を感じているのかい? 」
「多分な 」
カルマの眉間には、少しシワが寄っていた。
それに気がついたリルは雑に酒を投げ渡した。
「どう反省したって、起こったことは変わりないよ。だからその苦しみをさっさと飲み込んで、自分の糧にして、進むしかないよ 」
「……ハハッ。励ましてくれてんのか? 」
「まぁね 」
雪が降る季節になった。
「そういえばカルマ 」
「どしたリル? 」
二人で寄りかかりあって本を読んでいた時、リルは何気なく紙を取りだした。
それは契約書だった。
「私も騎士になるから、明日からよろしく 」
「……はぁ??? いや、騎士はあぶねぇ仕事なんだぞ?? それに色んな犯罪者を見たら、お前も苦しいだろ 」
「キミと同じ重荷を背負いたいのさ。それともなんだい? 一緒に歩きたいとか言った癖に、遠ざける気かい? 」
「いやそれは…………卑怯だろ 」
「ハハッ。私はそんな人間だよ 」
「……無理すんなよ。お前が死んだら泣くしかねぇからな 」
「それは……うん、なんだか嬉しいね。大事にされてるって感じがする 」
カルマは微妙な顔をして、リルを見つめる。
けれどリルは前髪をズラし、少し申し訳なさそうに笑った。
「なるべく死なないようにするさ。キミを独りにはしたくないからね 」
「……そうか。あっ、明日就任ならあのワイン開けるか。この前買った少し高いヤツ 」
「いいねぇ〜。じゃあツマミを作ろうか 」
「あぁ、手伝うぜ 」
雪が溶け始めた頃。
リルは少しヤケになるように酒を飲んでいた。
「なんかあったのか? 」
「私さ〜、将来の夢は教師だったんだ〜 」
水の入ったコップを渡すカルマは、話を聞くように相席についた。
「子供が好きだったんだよ。大人はあんまり話を聞いてくれなかったけど、無垢な子供はなんでも聞いてくるから……話してて楽しかった 」
「そうか 」
「でも考えたらさぁ、こんな異常者の話を聞かされる子供なんて可哀想だよねぇ 」
「何があったんだ? 」
「……虐待されてる子供がいたんだ。彼は自由になるために親を殺した。そして彼を殺した騎士はこう言うんだ……人殺しだから処刑したってね 」
「……そりゃあ嫌になるな 」
「まぁ別にね? 見逃せと言ってるわけじゃない。理由はあれど人殺しには変わりないからね。でも……私には……騎士は理想を押し付け人を殺す愚者共にしか見えない 」
「……万人を救う法はねぇからな。犠牲の一面だけを見ればそうなるだろ 」
「うん。だから私は……救おうと思う。正義では救われない人たちを 」
カルマはそれを止めようとした。
その思想は危ないと思ったからだ。
けれどその正義感は本物。
だから彼は止められなかった。
「ねぇカルマ。私に甘えていいよ? 」
「急にどうした?? 」
ベットの中で包まるカルマはそっとリルから抱きしめられ、そして頭を撫でられた。
「いや……キミも人生辛かっただろうなってふと思ったから 」
「うーん、そう言われると……なんか泣きたくなるな。おい頭撫でるのやめろ。ちょっ!? まじでなんか泣くからやめろって!! お前に情けないとこ見せたくないんだって!! 」
「ハハッ、ちょっと面白いね 」
「あぁあもう!! 」
ベットの中で騒ぎあった二人。
そして少し落ち着いた後。リルはカルマをもう一度抱きしめた。
「病室でのこと覚えてる? 」
「……あぁ 」
「私はあの時……キミを助けたいと思ったんだ。人を助けたいとも思った 」
「あぁ 」
「だからもし、私が死ぬ時は……人を助けて死ぬんだと思う 」
リルの言葉は、ある種の誓いのようなものだとカルマは分かった。
否定するのは野暮だとも。
それを分かってなお、カルマはリルを守るために抱き締め返した。
「お前に死んで欲しくはねぇよ 」
「……ありがとう。でももし、私が死んだ後も……キミには前を進んで欲しい。好きな人には、間違いの道を歩んで欲しくないからね 」
「……そうか。じゃあ俺は、お前が死んだらこう言ってやるよ 」
カルマはその殺すしか出来なかった体で、普通にはなれなかった心で、リルを愛するように抱きしめた。
「もっと自分を大切に扱えバカ野郎ってな 」
『カルマ。俺は旅に出る 』
『急にどうしたんっすかラクさん? 』
『まぁ色々と事情があるだけだ、聞かないでくれ。で、俺の後釜に円卓っていう形だけの平等を作る。お前はそれのまとめ役になって欲しい 』
『なんでっすか? 俺よりも適任はいますよ? 』
『お前が間違いと正しさを持ってるからだ。間違いには正しさは救えない。正しさは間違いを救えない。でもその両方を持つお前なら……きっと全部を救うことができると思うからだ 』
『荷が重すぎますけど……まぁ、あんたに言われたのならやりますよ 』
『頼んだぞ、裏切りの騎士【モルガン】。お前が俺のように失わないことを願っている 』
「で? 私は『ランスロット』だって? 」
「あぁ。俺とお前は絶対にそうなれってラクさんが 」
「ふーん。性格悪いねその人 」
チーズと生ハムをツマミながら、リルは酒をあおぐ。
「ランスロット……円卓崩壊を招いた裏切りの騎士。そんな名を与えられるのは不名誉すぎるよ 」
「いやあれは裏切ったというより、真面目すぎたというか……まぁ所詮肩書きだ。どう生きるかは俺らが決めるべきだ 」
「まぁね 」
「あっ、円卓就任祝いにワイン買ってきたぜ 」
カルマは紙袋の中から瓶を取りだした。
それは誰がどう見ても
「安酒だね 」
「あぁ、あの時酒場で飲んでたのと同じだ 」
カルマはあの日のように、二人分の酒をつぐ。
その半透明な赤の中には、お互いの姿が映りあっている。
「なんて言うか……あの日から随分経ったねぇ 」
「そうか? 俺にとっては昨日のように思ってる 」
「記憶力悪すぎ 」
「お前は良すぎだ 」
「「ははっ 」」
二人は軽い笑みと共に乾杯し、酔いと包まれながらベットで抱き合った。
「「おやすみ 」」
そして朝が来る。
「「おはよう 」」
憂鬱な仕事の時間に急かされ、彼らは家を出る。
「「行ってきます 」」
そして、帰ってきた。
「ただいま 」
ワインを大事そうに抱えるカルマは、空の玄関で靴を脱ぎ捨てた。
「よぉリル。帰ったぜ 」
彼は写真立てに話しながら、二人分のワインを注ぐ。
「なぁ聞いてくれ。ユフナがいつの間にか大人になっちまってよぉ、お前とそっくりな事を言ってたんだぜ? いやぁあれには驚いた 」
写真立ては返事をしない。
けれど彼は思い出の中にいる彼女に向かって、ほほ笑みかける。
「このワイン覚えてるか? 店で見た時におったまげな値段した酒だ。ちょっと仕事が忙しすぎて買ってきた。ハハッ、羨ましいだろ? 」
少し悪態をつくようにカルマは笑う。
それを味わえるのは自分だけだと分かってるから。
それでもカルマは写真立ての前にワイングラスを置く。
そして優しくグラスをぶつけあった。
「息子が自分の道を進んだ。今日のめでたい日に乾杯 」
彼は酒を一気に飲み干した。
味、香り、風味。
それらすべては彼の人生の中で、最上のものだった。
けれど
「……はぁ。あの日飲んだ酒の方がうめぇや 」
カルマは悲しげに笑い、リルの分の酒も飲み干した。
そしてあの日の安酒を注ぎ直す。
「乾杯。俺は今日もお前を想ってるよ 」
グラスの中には、あの日と同じように二人の顔が映りあっていた。