二人と成った者
「ただいま俺の家!! 」
酒場の扉を勢いよく開けたのは、赤い髪の男だった。
汚れと返り血が入り交じった黒服は彼が戦場帰りだと示している。
「今日も来たか、あんたの酒なら用意してるよ 」
「サンキュ〜!! 」
店主から酒を受け取る赤髪の男。
そんな異質な彼は、酔いが漂う酒場では噂の的だった。
「あいつは? 見たところ兵士だが 」
「知らないのか? カルマ・ラグ……ここら辺じゃ有名な兵士だ 」
「ラグ……あぁ、だからここが家だと 」
噂をしていた二人は俯き、カルマへと哀れみの目を向けた。
けれど当の本人はすべてを忘れるように酒を仰いでいる。
ラッパを吹くように、溢れだしそうな感情を飲み込むように。
「あっ 」
酒場にパリンッと音が響く。
音の中心には、目が隠れるほど長い黒髪の女性がいた。
彼女がグラスを落としたのだ。
「……すみません 」
「横失礼 」
散らばった酒とガラスを布を投げて集めるカルマ。
彼はそれをさっさと折りたたみ、店主にほいっとそれを渡す。
店主は新しいグラスをカルマに投げ渡した。
「大丈夫か? 」
グラスに新品の酒を入れ、カルマは女性にそっと差し出した。
「……私は口説かれてたりするのかな? 」
「口説いて欲しいのか? それならもう少し待ってくれ、俺は酔わないと口が回らない 」
なんとなく女性の前に座るカルマ。
それをじっと不思議そうに眺めながらも、女性は新しく入れられた酒を飲む。
「…………ありがとう 」
「酒は楽しく飲みたいんでね、気にするな 」
こぽこぽと、カルマはラッパ飲みを続けていく。
彼は味を気にしていない。
ただ酔うことが目的なのだ。
「ところであんた……なんで泣いてんだ? 」
ふと目を見た女性は泣いていた。
顔色一つ変えず、ただ静かに涙だけを零すように。
「あぁこれ? 気にしなくていいよ。私は人の目を見ると、その人の過去が分かるだけだから 」
「そりゃあ……面倒な能力だな。あぁ、だから目を隠してるのか 」
「いやそれは切るのが面倒だから 」
「ははっ、そうかよ……悪いな、嫌なもの見せちまって 」
カルマの返しに、女性は少し首を傾げた。
「疑わないのかい? 気味悪がらないのかい? 知り合いに過去を見れる人でも居るのかい? 」
「いいやお前が初めてだ。単純に世界も広いし、そんな人居てもおかしくないと思ってるからだ 」
「……変わってるね 」
「よく言われる 」
「……ゲームをしないかい? ルールは酒を飲めなくなった方の負け 」
唐突に、女性は新しい酒を開けてグラスに注いだ。
「私はお金を持ってなくてね。でも我慢できなくてお酒を飲んでしまったんだ 」
「えぇ……酒カスじゃねぇか 」
「まぁまぁ。だからね、私が勝ったら奢って欲しい 」
「……俺が勝ったら? 」
「なんでもしよう 」
「ははっ、俺は善人じゃねぇぞ? 」
「構わないさ。無銭飲酒してる私も善人ではないからね 」
リルの蠱惑的な笑みに、カルマは楽しそうな笑みを返した。
「……いいぜ。店主〜、新しい酒を 」
手を上げるカルマ。
店主は用意していたように新しい酒を持ってきた。
「こちらに。お代は結構です、先程のお客様から受け取ったので 」
「あ〜、さっきの二人組みか 」
「そちらの女性も、グラスの弁償代は結構です。あの方たちが代わりに弁償してくれたので 」
「めちゃくちゃ気前いいな!? 」
「ふふっ……優しい人も、この世に居るもんだね 」
前髪をのけ、女性はカルマを覗き込むように見つめた。
「リル……それが私の名前 」
「知ってると思うが……カルマだ。酔いつぶれたら頼むぜ? 」
そうして彼らは酒を飲み進めた。
店が閉店するまで。
そして朝。
「……… 」
「やぁ、お目覚めかな? 」
シャワー室から出てきたリルは、裸にシャツという心許ない姿をしていた。
対してカルマは上裸。
ベットの上で頭を抱えている。
「……責任は取ろう 」
「必要ないよ〜。あぁでも、またお酒を奢って欲しいかな。キミはとてもお金を持ってるみたいだしね 」
「それは俺も嬉しいけどよぉ…… 」
二日酔いか現状にか頭痛は止まらない。
カルマは頭を抑えて冷静になろうとしていた。
そして気がついた。
「今何時だ? 」
「7時41分……もうすぐ42分かな? 」
「まだ間に合うな。じゃあちょっと戦争に行ってくる、財布置いとくからまた今夜でいいか? 」
「おや? 私が金を持って逃げるとは思わないのかい? 」
「安心しろ。俺から逃げられたヤツは居ないんでね 」
8時。
彼は戦場にいた。
そこは地獄だった。
「助けてくれ!! こいつの怪我が酷いんだ!! 速く治療を!! 」
片腕を失いながらも死体を引きずる兵士。
「たすけて……たすけて…… 」
腹と足を撃たれ、手だけを動かして仲間に縋りつこうとする兵士。
けれど仲間は目の前を飛び交う銃弾に夢中で、その兵士を蹴ったことに気が付かない。
助けを求めるもの達が死体に変わっていく地獄。
その中では皆、正気ではなかった。
「あの兵器を必ず無力化しろ!!! 仲間の死を無駄にするな!!! 」
怒号。
盲目な狂気。
けれど向かい風のように浴びせられる、機関銃は人を的のように弾けさせていく。
「楽でいいなこの兵器!! 」
機関銃を撃つ兵士は、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。
「あぁ、氷の弾丸を撃つらしい。弾丸を輸送しなくていいなんて活気的だ!! 」
「だなぁ! あのバカどもは弾切れを起こすと信じて突っ込んでくる!! バカしか居ないのか!? 」
銃声に負けぬ笑い声。
けれどその笑い声は、息の根ごと止まることになる。
「はっ? 」
ただ投げられた装甲車が、彼らを押し潰したのだ。
「ふわぁぁ……飲みすぎたなこりゃ 」
血まみれの戦場を歩く兵士は、大きな欠伸をした。
人間からすれば、戦場は正気を荒削る地獄。
けれどカルマからすれば、戦場は少し広い遊び場に過ぎない。
「赤髪だ!! 殺せ!!! 」
カルマは有名人だった。
姿を見せ次第、いっせいに殺意を向けられるほどに。
「もっとカッコイイ名前付けてくれよ 」
人を容易く殺す凶弾の雨。
それすら哀れに思える巨大な装甲車が、弾丸以上の速度で投げつけられる。
「あっ 」
地に這う蟻に岩を落としたようだった。
岩と地面にすり潰される虫はちぎれた。
手足は散らばり、見るだけで不快な体液を撒き散らす。
「てった」
勘のいい蟻は逃げようとする。
その先にも岩が落とされ、人の足が三匹の虫を踏み潰した。
「ははっ……たすけて 」
生き延びた一匹は、必死に前足を動かしている。
「……生き延びたとしても、お前は捕虜になって拷問の毎日だぞ? 」
「……どうしたら 」
「苦痛と共に生きるか、楽に死ぬか。俺は後者の方が幸せだと思っている 」
落ちていた銃を拾い、カルマは銃口を掴んでそれを持ち上げた。
薪を斧で割るように。
「悪いな 」
「あっ」
虫は、人の指先に潰された。
「クソ……何人死んだ 」
夜、前線基地では傷だらけの兵士たちの泣きごとが響いていた。
「俺の足は……切るしかないのか? 」
「もうあの子を抱き上げることもできないのか? 」
「帰りたい……帰りたい…… 」
「殺してくれ……腹の中で虫が動いてるんだ……ころしてくれ 」
「薬をくれ……寝れないんだ 」
「聞こえるんだよ!! 見えるんだよ!!! まだ助けてくれって生きてるんだよ!!! 」
「……眠いな 」
錯乱する兵士達とは別に、カルマはぼんやりと前線に立っていた。
「おい…… 」
見張りをする彼に、一人の兵士が近付く。
その男に左腕は付いていない。
「どうした? 無理すんな 」
「お前がもう少し速く来てたら、アイツは死ななかったかもしれねぇんだぞ? 」
男は泣いていた。
けれどカルマからすれば、よく分からない話だった。
「あぁ……悪かったな。その通りだ 」
「その通りだじゃねぇ!! 少し悪びれたらどうだ!? 」
「いや悪いとは思ってるぞ? 戦死者の前で手も合わせたし 」
「形だけだろうが!! 」
腕のない男は正気では無い。
正気なカルマからすれば迷惑な話だった。
「お前が沢山の仲間を助けたは分かってる! 六つの前線を行き来して活躍したのも分かる!! だが……じゃあ、アイツが……俺の親友が死んだのはなんだったんだ? ただ、助けられるのが遅れただけで……運が悪かっただけなのか? 」
「……… 」
「なんとか言ったらどうだ!!? 」
「いや……冷静なるべきだと思うぞ? そんなこと言ったらこれまで死んできた奴はどうするんだよ? 」
錯乱した者に正論を返すカルマ。
爆発した理不尽な怒りは、カルマへ弾丸を放った。
けれど人を殺す弾丸は、カルマの指によって受け止められていた。
「……なんなんだよ。その強さは 」
「……俺が知りてぇよ 」
カルマは疑問に思っていた。
この力を持つ自分は、果たして人間なのかと。
「て、ことがあったんだけどよ 」
戦場から帰り、約束の酒場で愚痴るカルマ。
それを見てか、リルはん〜っと口を横に引っ張るような、微妙な顔をしていた。
「いやそもそもキミ……戦場を行ったり来たりしてるのかい? 」
「あぁ、足速いし 」
「そう言う次元じゃなくないかい?? 」
ツッコまずには居られなかったリル。
けれどカルマは納得しなさそうに酒を仰いだ。
「まぁそれは良いとしてさ、普通ってなんだと思う? 」
「急にぶち込んできたね…… 」
「酒の席だしなぁ。あっ! おかわり!! 」
空のグラスに、店主は新しいワインを注ぐ。
グラスに映るリル。
けれどワインが満たされてゆくと、その中にはカルマの顔が映し出される。
「普通というものは、ガラス玉のようなものだよ 」
リルはトンっと机を叩いた。
「平和な世界であれば、武器を持っていないのが普通。けれど戦争が当たり前の世界であれば、武器を持っていることが普通。ガラスが転がれば映し出されるものは変わる……普通なんてそんなもの、追い求めるなんて無駄なことだよ 」
「なんか頭いいこと言ってるな!? 」
「頭はいい方だからねぇ 」
ワインを一気に飲み干したカルマ。
そしてもう一度問いを投げかけた。
「じゃあ、普通じゃない人間に生きる価値はあるのかな? 」
「無いと思う。けれど、死ぬべきだとは思わない 」
「なぜ? 」
「普通をコロコロと変える馬鹿どもに、異常者を裁く権利はないから 」
「……ははっ 」
カルマは空になった二つのグラスに、もう一度酒を注ぎ直す。
「面白い話は酒に合う。お前と話すのは楽しいよ 」
「口説いてるのかい? 」
「まぁな 」
再び酒が空になる。
二人の顔には笑顔が浮かんでいたが、その笑みは軽い破裂音と共に消え失せた。
リルの後頭部。
それを叩いたのは、少しシワが増えた見知らぬ女だった。
「あんた今まで何処に居たの!? 私がどれだけ探したと思ってるの!!? 」
「えっ……あっ 」
困惑するリルは女を見た瞬間、胃に溜め込んだ酒をすべて吐き出した。
「なんで叩いたらすぐ吐くの!? あんたは相変わらず」
逃げるようにリルは酒場から飛び出した。
それを追おうとする女。
その間に割り込んだのはカルマだった。
「待てよお姉さん、いきなり叩くことはねぇだろ。あんたリルの知り合いかなんかか? 」
「母親よ! あんたは!? 」
「飲み仲間だな 」
「あんたみたいなのが居るからあの子は普通になれないのよ! あんたが酒を奢ってたの!? 」
母親はカルマには知らないことをたくさん。
リルがどれだけ異常なのかを、その苦労を。
けれどカルマからしてみれば、急に怒鳴り散らかしてるおばさんにしか見えなかった。
「あ〜……あんたが苦労してたのはわかった。んで聞きたいんだけどさ、あんたはアイツを普通にしてどうして欲しかったんだ? 」
カルマはあくまで冷静に問う。
女は冷静では無いが正論を返した。
「そりゃあ普通に生きて欲しいだけよ!! 普通に仕事をして! 普通に今までの分の苦労を返して欲しいだけ!! 私があの子にどれだけ苦労したか知らないでしょう!? 」
その言葉と苦痛を叫ぶような声で、カルマは察してしまった。
リルの異常さを。
そして、普通の苦しさを。
「……あんたの言い分は正しいよ、いかにも普通の人って感じだ。でも……異常な俺から言わせてもらおう。あんた狂ってるよ 」
「……はぁっ?? 」
普通の母親には理解できなかった。
だから話しても無駄だと思ったカルマは、すぐに店主に顔を向けた。
すると店主は準備していたような笑みを浮かべた。
「お代はつけておきます。今はどうぞ、異常な心にお従いください 」
「うぇぇ…… 」
「大丈夫か? 」
路地裏で吐き続ける酔っ払いに、カルマはそっと水を差し出した。
けれど彼女は受け取らず、ゲロと土で汚れた手で顔を拭った。
その顔は涙で汚れている。
「バカみたいだよね? あんな偉そうなことをたくさん言ってたのに、親を前にしたらゲロを吐くくらい怖がるなんて……惨めだよね 」
「まぁな 」
その惨めさをカルマは否定しなかった。
けれどその恐怖を無視する理由にはならなかった。
「何された? 」
「ただ……普通になるための矯正だよ。黙っておくのが苦手でね、話したらいけない場所で79回もお喋りしちゃったんだよ。それで80回目に叩かれて……怖くなった。忘れられなくなった……何を被害者ヅラしてるか分からないよねほんと。母親を追い詰めたのは、普通になれない私なのに……ぇっ 」
酒の交じった胃液を吐くリル。
普通の人ならば心配するだろうが、異常者であるカルマは手を差し伸べなかった。
「これは自分語りだ、うるさかったら悪いな 」
あろう事か、彼は自分の話をし始めた。
「水切りって遊びがあるだろ? 4歳くらいの時にやった事があるんだがな、力が強すぎたらしい。川を跨いで、ただの石で他人の家に穴を開けちまった。んで、周りの反応を見て気がついたよ……俺は普通じゃないんだって。まぁその時、孤立したように怖かったよ 」
「その話が……なんの関係があるんだい? 」
「異常者にも心があるって事だ 」
もう一度、カルマは水の入った瓶をリルに差し出した。
「普通の人間が異常者を見て怖がるように、異常者は普通を怖がるんだよ。お前の恐怖は正当なものだ 」
「それは……慰めてるのかな? 」
苛立ちを含んだようなリルの声。
けれどカルマは悪びれなくこう返した。
「あぁ。普通の慰めが出来なくて悪かったな 」
「……キミも大概異常者だよ 」
「まぁな 」
瓶を受け取り、苦味を流し込むようにリルは水を飲む。
いつからかカルマ達の周りには人だかりができていた。
普通の人からすれば、彼らは泥まみれの酔っ払いたちにしか見えていない。
「んじゃ、場所変えるか。家主には明日謝りに行こうぜ 」
彼らは場所を移した。
今度は人目にすらつかない、真夜中の森の中に。
「で? こんな所に連れてきてどうするんだい? 」
「おぉ、少しは元気になったな 」
余裕を取り戻したリルを見てか、カルマは少しだけ安心した。
「安心しろ、襲ったりはしねぇよ。さすがの俺でも空気は読める 」
「じゃあなんだい? 」
「結婚しねぇかって 」
フリーズしたリル。
カルマは酒場から持ってきた酒を再び仰いだ。
「…………はぁ!!? 気持ち悪いことを言うねキミは!? なんだい一度抱いたからって所有物気取りかい!? むしろあれかい!? 哀れな私を救ってやろうというお情けかい!!? 」
「いや? 単純に結婚すれば、普通の家から逃げれるだろうと思ったからだ。名前も変えれば、少しはマシになるだろうしな 」
「バカかいキミは!? 名前を変えた程度で! この恐怖がマシになるわけが無いだろう!? 」
「じゃあ俺が婿入りしよう。お前の名を一緒に背負うよ 」
リルは困惑していた。
当たり前だ。出会って少ししか経っていないのにこんな事を言うのは、余程のバカか。異常者しかいないからだ。
けれど彼女の前にいるのは、紛うことなき異常者だ。
「なぜ……そんなに気持ち悪いことを言えるんだい? どうしてそんなに私を救おうとするんだい? 」
「俺はお前を救いたいんじゃねぇよ。一緒に、滅多に会えない異常者として、お前と一緒に歩きたいだけだ 」
リルたちは異常者である。
だからこそ、カルマたちは互いの息苦しさを理解できた。
同族がいるという有り難さを実感できた。
「…………後悔しても無駄だよ? 」
「そんな普通の人間みたいな事はしねぇよ 」
指輪もない。脈絡もなければムードもない。
そんな異常なプロポーズ。
異常者である彼女は、普通に馴染めなかった彼らは、そのプロポーズの果てに結ばれた。




