錆びゆく鞘
あの誓いから十年経った。
23歳であった咎人は、33歳の兵士となった。
それが彼の全盛期。
「アレはなんだ? 」
弾丸が飛び交う戦場。
鎧を着た時代遅れの者たちの死体カーペット。
その上を優雅に歩むのは、対の剣を持つ兵士だった。
「未だ剣を握る時代遅れの野郎だ。弾丸を浴びせてやれ 」
「へいへ〜い 」
機関銃を向ける兵士。
人を殺すには過剰な、弾丸の雨が一人に向けて降り落ちる。
鼓膜を叩き壊すような連鎖する銃声。
けれどそれはすぐに止まった。
「おい!? 」
兵士は振り向く。
機関銃を握る兵士の頭は無かった。
まるで、何かに頭だけ噛みちぎられたように。
「はっ? 」
「リシュア・カタスラフィ 」
言葉を失う兵士の背後には、優雅に剣を構えるリシュア立っていた。
「どうかこの名を、土産言葉としてください 」
「っ!! 」
銃を構えようとした兵士四人。
重なる彼らの胴は、優雅な一振に切り落とされた。
「参ります 」
放たれた弾丸。
それは剣に弾かれ、三人の頭を貫いた。
「……はっ? 」
騎士のような優雅さとは裏腹に、その塹壕戦は虐殺にも等しかった。
いくら放てど弾丸は弾き返され、爆弾を抱え突っ込んでも、防弾装備ごとその体は縦に横にと断たれてゆく。
剣を握ることも知らない彼らは、弾丸を放つことしかできない。
けれどリシュアには効かない。
人であれば弾丸で十分だろう。
だが人の枠を外れたものには効かない。
そして人の枠から外れたものが振るう剣は、人には理解できない威力を誇る。
彼らの合間にあったのはそれだけだった。
「フォルセダー 起動 」
「む? 」
虐殺を終えたリシュアに、音速の斬撃が降りそそぐ。
「噂の新兵器か 」
「っ!? 」
けれどリシュアは露払いの如くそれらを切り伏せ、斬撃を放ったであろう女へ歩み寄ろうとした。
瞬間、空から落ちる弾丸がその行く末を阻んだ。
(曲がる弾丸…… )
今一度放たれた弾丸は、鳥が滑空するほどにゆったりとしたものだった。
それを目で追った瞬間、新たに放たれた光速の弾丸がリシュアに迫る。
(遅い弾丸で目を慣らし、もう一つの弾丸で相手の不意をつく…… )
「悪くない腕だ 」
けれどリシュアは、剣の側面でそれを受け止めていた。
「おい嘘だろ!? 」
遥か遠くから弾丸を放った隻眼の狙撃手は、すぐさま場所を移動しようとする。
目の前には振りかぶられた剣があった。
「っ!!? 」
狙撃手はそれを咄嗟に躱し、腰に携えた銃をリシュアに放つ。
剣により弾き返された鉄。
それも躱した狙撃手は、リシュアの足元にスモークを焚いた。
「いい反応速度だ 」
「そういうお前は人間か!? 」
スモーク越しの人影にリシュアは突きを放つ。
けれどそれは、赤い義足によって受け止められた。
「伏兵か 」
赤い義足を履く小さな男。
もう一方の剣を振るうリシュア。
一瞬の攻防。
リシュアの剣は男の胴に、十二振りを滑り込ませた。
けれどすべてが浅い。
ギリギリで躱されている。
「っ!? 」
いつからか剣に巻き付けられていたワイヤー。
それは瞬時に巻取られ、剣を木に括りつけた。
けれどリシュアは膂力だけで、木をえぐりながら一閃を放つ。
「力だけの一撃なんて、躱し易いですよ? 」
後ろに倒れるように躱された。
リシュアは剣を切り返した。
男の首を断つために。
「この先 」
けれど男の体は後ろにグイッと引っ張られた。
その腰にはいつからかワイヤーが巻きついている。
「あなたに出会わないことを祈ります 」
そして無数の閃光弾が辺りに弾ける。
狙撃手も居ない。
「逃げられましたか…… 」
無傷の、返り血すら浴びていないリシュアは、すぐさま戦場へ舞い戻る。
そして今日も戦場から生きて帰ってきた。
「ただいま戻りました。ロリューレ様 」
「あぁ……お、おかえり 」
リシュアが帰ってきたというのに、未だ若々しいロリューレは少し頬をひきつらせた。
「どうかなさいましたか? 」
「……今日投入された最新兵器を38個も潰したと報告にあるが 」
「事実です 」
「……戦場を駆け回る、例の狙撃手と赤靴を撃退したのは」
「事実です 」
「……敵兵士800人以上を倒したと」
「正確には1268人でございます 」
「こう言うのはなんだが……強すぎないか?? 」
「ロリューレ様の教えがお上手なだけです 」
「そんな訳ないよ!? 」
過去の面影を感じさせない猫のような表情でロリューレは飛び上がった。
「私一年しか教えてないよ!? リシュアが強くなり過ぎたからね!! 何銃弾を弾き返すって!! 私できないよ!!! 」
「いえいえ、ロリューレ様の方が優秀です。私は装甲車を真っ二つにするなど出来ませんので 」
「そりゃあパワーは私の方が上だからね!! 」
ぴょんぴょんと跳ねるロリューレ。
けれどリシュアの驚いた顔を見た瞬間、顔を赤くして席に座り直す。
そして長いため息を心から溢れさせた。
「……家から出て10年。もうあんな堅苦しい言葉使わなくて良くなったけどさ……うん。本当の自分はどっちなんだろって疑問に思うよ 」
「私にとっては、幼少期も今もロリューレ様には変わりありません。というより、そんな事を言われてしまえば髭を生やしてる私は…… 」
「あぁそうだねごめんね!! あと、励ましてくれてありがとう 」
「いえ 」
彼らは歳をとった。
けれど互いの優しい笑みは、昔となんら変わりは無い。
「さて、じゃあ私は報告に行くよ。リシュアは? 」
「護衛人として、ついて行きます 」
「うん、ありがとう 」
そうして彼らは街に向かう。
ここは前線基地。
にも関わらず、優雅な佇まいで歩む彼らは兵士たちの目についた。
噂話が聞こえる。
「やっぱあの人たちすげぇよな。なんていうか、品があるというか 」
「あの二人、元貴族らしいからな 」
「そうなのか!? へ〜……なんか意外。貴族ってこう悪いイメージがあったんだけどなぁ 」
「偏見が過ぎるだろ。悪い貴族もいればいい貴族もいる 」
「ずるいよな 」
「ん? どうした? 」
「いや、上手く言えないんだけど……今日俺、戦場にいた。仲間が向こうの兵器に簡単に殺されてくのを見てた。なのにリシュアさんが来た瞬間、それを全員切り伏せて行ってさ……強いヤツらは生きるために戦ってるんだろうけど……弱い俺は、死ぬために戦ってるのかな? 」
「……… 」
噂話を聞いていたリシュアは、少し怪訝そうに眉を動かした。
「そういえばリシュア。あの赤い最新兵器についてなんだけど 」
「フォルセダーというものですか? 」
「そう。あれって元は兵器のために造られた訳じゃなかったみたい。とある医者が娘のために開発したものらしい 」
「それはまぁ……皮肉なものですね 」
「戦争だからなんでも使えって話なんだろうけどね。仕方がないとはいえ、少し悲しいよ 」
そんな話をしながら街を歩いていた二人。
その前にやってきたのは、写真を抱え涙をこぼす老婆だった。
「人殺しめ!! 私の息子を返せ!!! 」
写真を見たロリューレ。
彼女はすぐに気がついた。
「ラグナラグさんのお母様でしょか? 」
「えぇそうよ! あなたの作戦のせいで死に!! 死体すら帰ってこなかったあの子の母親よ!! 」
リシュアは前に出ようとした。
ロリューレはそれをすぐさま止め、ゆっくりと老婆の前に膝を着いた。
「……申しわけありません。私の采配が間違っていました 」
「謝って済む問題なの!? 私の孤独はどうしてくれるの!? 」
「えぇ、分かっています。ですが私にも役目があるのです。今罪を受けいれ死んでしまえば、前線が混乱します。あなたの気持ちは分かるとは言いません。ですが、この戦争が終わるまで耐えて頂けませんか? あなたの息子が守ろうとしたこの国を、私も守りたいのです 」
その答えは完璧だった。
けれど老婆は、宝を失ったばかりで冷静ではない。
そしてロリューレは元貴族という偏見。
それが大きな火種を産んだ。
「息子の仇!!! 」
老婆は銃を抜いた。
その引き金が動く前に、老婆の首は静かに断たれた。
その一撃は死を感じさせぬほど速く、老婆の表情は未だに泣いている。
「リシュア…… 」
「何かのせいに出来るというのは、あまりにも危険な状態です。その状態では言葉が通じず、飢える獣のように衝動のみで人を殺します 」
「けれどあの作戦は」
「ロリューレ様。武器を向けられたのであれば、誇りとして剣は抜くものです。それにどんな理由があろうと、大人しく殺されるべきではありません 」
両親が死んだ事件を知っているから、リシュアは非道な正論を吐けた。
あの事件を知っているから、ロリューレも大人しく剣を抜いた。
「被害を抑えるように動いてくれ。私が全員切る 」
「かしこまりました 」
隠れていた市民たち。
彼らはロリューレとリシュアを怨んでいた。
老婆のように、家族を失ったからではない。
ただ自分たちを搾取する貴族が許せなかっただけだ。
その積み重なった不満が、今爆発しただけだ。
「命惜しい者は去れ。勇敢なる者は迎え。決闘者 ハインド・ロリューレが相手しよう 」
「っう!!! 」
物陰から飛び出してきたのは五人の男。
彼らは別々の方向からロリューレを狙う。
彼らは懸命だった。
全員でかかってこなかった事が、項を期した。
「安らかに 」
ロリューレの振るう剣は人を死体に。
ぶちまけられる血肉は、三日月のように美しい形を地面と外壁に残した。
「……っ 」
続いて出てきたのは、子供だった。
泣いているのに、足は震えているのに、その手には錆びた包丁が握られている。
「子供…… 」
ロリューレの動揺。
それを今かと思うように、正義を掲げる被害者たちはいっせいに銃を乱射する。
(子供を巻き込む気!? )
彼女はすぐさま銃弾を切り落とす。
同時。路地から溢れだしてくる大人たちは、合理的に子供が盾になるようにロリューレの命を狙う。
(コイツらは…… )
ロリューレは迷った。
何がここまで、人を歪ませるのかと。
自らが悪いのではないかと錯覚するほどだった。
けれど頭にチラついたのは、一人残されたリシュアの姿だった。
「許しなさい 」
子供の頭上を通り過ぎた剣は、20人ほどの大人たちの頭をことごとく弾けさせた。
血統とは、顔をあまり損傷させてはならない。
死した後に名誉が残るようにだ。
そのため、ロリューレはあまりこんな殺した方をしたくなかった。
「ひ、人殺し!! お前さえ居なければ!! 僕は!!
! 」
そんな思いやりとは裏腹に、助けられたであろう子供は包丁を持ったままロリューレに突進。
だがその首はリシュアによって切り落とされた。
「リシュア……この子は」
ロリューレの先にある子供の死体。
それには殴られたような、鞭で叩かれたような傷跡があった。
「被害者が復讐者を育てた。それだけです 」
「……そうか 」
「それと逃げましょう。兵士たちの対応が妙です 」
そのリシュアの違和感は正しかった。
その日の暮れであると言うのに、ロリューレは市民を殺した罪で指名手配。
部下たちの何人かが抗議をしたが、それも却下。
誰がどう見ても意図的なものだった。
「サダラリアか…… 」
ロリューレが口からこぼした名。
それはリシュアが20年前に半殺しにした貴族の名だ。
「兵士の動きをコントロール。私たちが動く道を察知。そんな事ができるのはアイツ並みの立場がある者だけだ 」
「ロリューレ様…… 」
「謝る必要はない。いやそもそも……怨みは分かるがなぜこのタイミング? 私がクビになって困るのは前線。いや国そのものだろうに 」
復讐者にそんなことを考える暇はない。
ただ目の前に、復讐の機会が転がってきた。
それに飛びついた。
この事件の真相は、それだけである。
「これからどうなさいますか? 」
この状況でも、リシュアの考えは変わらない。
どうなろうとロリューレと共にあるつもりだ。
けれどロリューレは違った。
リシュアをまた、咎人にしたくはなかった。
「リシュア。私は家を追い出されていますし、貴族の連中は既に向こう側でしょう。追っ手をいくら切っても無駄な犠牲を増やすだけ。けれど一つだけ、私個人での宛があります 」
「それは? 」
「クダラゴム家……戦争前に、あの貴族と繋がりがあった 」
「敵国の貴族に助けを求めるのですか? 危険です 」
「大丈夫だ。この国よりも向こうの方が安全だろうし、何よりリシュア。お前がいる 」
敵国に亡命する。
それはあまりにも身勝手で、誇りすら色褪せる行い。
それをわかって尚、ロリューレはそうすると決めた。
幼少期に自分を何度も救ってくれた、リシュアを守るために。
その恩に今も報いるために。
「かしこまりました、ロリューレ様。けれど一つ、お願いがあります 」
「なんだ? 」
「この困難な道を歩む前に、永遠の誓いを結ばさて頂けませんか? 」
「……必要か? 」
「えぇ。この事件のように、いとも容易く変わりゆく世で、変わらない意志を誓いたいのです 」
「……わかった 」
二人は剣を抜き、静かに互いの首に刃を沈ませた。
冷たき鉄に滴る鮮血は流れ、互いの手のひらに血を溜める。
それを傍から見れば、血を循環させるようにも思える行動だ。
「あなたの血を守ります。我が身は衰えず、意思は永遠となり、この血肉はあなたの穢れを拭うと誓う。リシュア・カタスラフィ 」
「ハインド・ロリューレ 」
「私はあなたの行く末を紡ぐ、折れぬ剣となりましょう 」
「ならば私は錆びぬ鞘。あなたを守り、あなたに守られるものになりましょう 」
「「誓いをここに 」」
互いに混じりあった血を。
手のひらに溜まる赤を。
彼らはそっと飲み干した。
「行こうか、リシュア 」
「えぇ、どこまでをお供致します。ロリューレ様 」
彼女らは逃げる。
戦うことすらせず、尊厳をかなぐり捨てて。
それは正しさでは無い。
けれど、彼女らは互いを守りたかった。
守りたいという意思は、正しさすら捨てられる。




